02.建国伝説
アーチーが悩んでいる間に朝食は食べ終わった。
未だにあぁでもないこうでもないと唸っているので、煩わしくなって魔法で口を縫いつけた。「~~!?」今度は声にならない抗議が炸裂し、嘆息して魔法を解いてやった。
「ハァ……い、いきなり何するんですかっ!」
「朝から元気なのはいいけれど、とりあえず落ち着いて。うるさいから」
ぎゅ、と眉間にシワを寄せた彼は、差し出されたティーカップを目の前にやっと腰を下ろした。もちろん、そのティーカップは私が魔法で用意したものである。
己の失態に気づいたのか、彼は恥ずかしそうにカップに口づけた。目元を赤くして、ちょっと所在なさげだ。素直で可愛らしい。
アーチーの名前は、アーチー・グラントという。年齢は十七歳で、この国で数少ない魔法使いの一人である。ダークブロンドの癖毛を肩まで伸ばした、鳶色の瞳を持った少年だ。
背丈は私と然程変わらなく、色白で線が細い。女性物の服でも十分着こなせるであろう。
顔の作りも女性と見紛うほどの愛くるしい美少女っぷりなので、たまに騙される人がいるとかいないとか。
この国で生まれた男子は、魔力が確認されると全員魔塔が管轄している寮に集められる。そして、師匠のもと、魔法について学んでいくらしい。
小さな頃から親元を離れて寮生活を送り、立派な一人前の魔法使いとして認められれば、国お抱えの魔法使いとして『魔塔』で働く。
謂わばエリートコースだ。
この国は、以前の世界のように科学が発達していないので、魔法使いたちが生み出す魔道具に頼りきった生活をしていた。
魔道具とは、簡単にいえば、電気やライターなど、そういった便利なものの代用品である。電灯になったり、火が起こせたりと色々だ。
彼はその魔道具の開発に熱中しているようで、よく私に助言を求めてきた。
というのも、“魔法使い”である彼らより、“魔女”である私の方がうんとレベルの高い能力者だからだ。
魔力の質が異なるのはもちろんのこと、私には、魔法に関するありとあらゆる知識が備わっていた。
――なぜ、私に知識があるのか。
私も初めてそれに出会った時、驚いた。
私が使う魔法は、基本的には想像しながら指を鳴らすことで具現化できる。テーブルの一件なんかがいい例だ。
ただ、これはチート仕様らしく、普通の魔法使いはなんでもかんでも指ぱっちんでこなせるわけではないらしい。少々複雑なものになると、魔法陣が必要不可欠のようだ。
試したことはないが、恐らく私も、複雑な魔法を扱う時には魔法陣を用いた方が、より精巧なものを生み出しやすいはずだ。
ある日、陣を前に頭を捻っていたアーチーを見かけた時のことだった。
どうしたのかと尋ねると、魔法が思った通りに作用しないという。彼の意図しているものを聞きながらその陣を見ると、ふと頭に思い浮かぶものがあった。その通りに陣を修正すると、なんとこれがまぁ彼が大喜びする結果となったのだ。
面白いことに、この現象はこの一度きりではなかった。
魔法使いらしく薬を生成する際のレシピも、私の“こういうものが欲しい”という気持ちに答えるかのように、答えが降りてきた。
例えるなら、頭のなかに検索エンジンが入っているような感覚だろうか。不快感などもなく、とても便利だった。
ただ、私の披露する知識は、魔法使いの常識から逸脱しているものが多いらしい。そのため、例えばその知識を使って新薬を開発したとしても、薬の副作用などを考えると、一般に流通させるのはなかなかすぐには難しいらしかった。
例えそれが、どんなに効果があったとしても――。
アーチーは“魔女”と“魔法使い”の違いですかね、と笑って言った。
色んな意味が含まれていると感じた。
「すいません……取り乱してしまって」
「いいのよ。私は、アーチーの方がよっぽど優しいと思うわ」
にこりと笑うと彼はさっと頬を赤らめた。
しかし、すぐに取り繕うようにこほんと咳払いして、いいですかギルダ様、と目をつり上げる。
「貴女は、今の状況を分かっていない」
「分かってるわよ、異世界の少女よね」
「いいえ分かっていません!分かってたらなぜそんな悠長にしているんですか!」
「そうねぇ……」
私の反応に気分を害したのか、アーチーはむっとした表情でこちらを睨みつける。
そうして再び、いいですかギルダ様、と怒りで声を震わせながら前置きすると、滔々と語り始めた。
「貴女は当事者のはずなのによく覚えていらっしゃらないようなので、もう一度説明します。
――昔々、ここは小さな集落だったそうです。その集落は恐ろしい力を持った美しい女によって支配されており、人々は毎日怯えながら暮らしていました。ある日、集落に旅人の男がやって来ました。女はその男を気に入り伴侶になるよう言いましたが、男は了承しませんでした。それに怒った女は恐ろしい力を操って≪災厄≫を呼び起こし、人々を恐怖に陥れました。女の力に為す術もなく、人々の心が折れかけた時、そこに現れたのが異世界の少女でした。少女は男と協力して、女を封印し、この地に平和をもたらしました。そしてその男が初代の王となり建国したのが、我がラプタン王国です。王族はその男の子孫になります」
アーチーはここで一息ついた。
「お分かりですね?異世界の少女、子孫である陛下、そして恐ろしい力を操る女――ええ、貴女ですよ、魔女ギルダ様。昨夜の異世界の少女の来訪により、まさに今現在、この建国伝説の役者が勢揃いしたというわけです!」
効果音をつけるならジャーンだろうか。
その様は聞き分けの悪い子供に対する母親で、アラサーOLを前にした十代の少年の姿では決してない。
さて、以前この話を聞かされた時、私は何とも言えない気持ちになったのを覚えている。
私にギルダの記憶はないが、どうやらこの建国伝説に出てくる恐ろしい力を持つ女というのは、ギルダ――私のことで間違いないらしい。千年以上前の話なので、つまり、私はかなりのご長寿さんということになる。
人間がそんなに長く生きられるのかとそんな疑問が浮かぶが、恐ろしい力を持つ女――魔女ギルダは、赤い髪に琥珀色の瞳を持った妖艶な女であるというのが定説だ。
そう、正に今の私のこの姿の通りである。
しかもどういうわけか、この国では赤髪に琥珀の瞳を持つ人間は生まれることがないという。その容姿は魔女ただ一人の特徴で、まるで呪いの証のようだった。
また、他にもその女が私であると裏付ける理由がある。
国内で魔法は広く周知されているが、実は、魔法を扱えるのは男だけである。女に魔力はない。――ギルダという例外を除いて。
国が生まれる前はどうだったか不明だが、少なくともラプタン王国が誕生以降、女の魔法使いはただの一人も見つかっていないらしい。
そもそも、魔力持ち自体数が少なく、それゆえ、確認されると国管轄の施設にて大切に育てられてきたのだ。
どうも例え親が魔法使いだとしても、必ずしもその子どもに魔力が現れるわけではないようだ。突然、魔法使いとは縁もゆかりもない家系に、魔力持ちが生まれることもあるらしい。
ただ、ある程度魔法使いが生まれることが多い家系もあるようなので、まったく遺伝が関係ないとは言いきれないのかもしれない。
「やっぱり思い出せませんか?」
アーチーは眉を下げながらこちらを見た。
そういえば、私は今、異世界云々のことは秘密にして、過去の記憶がないとだけ伝えてある。封印が解かれたばかりで、記憶の混濁を起こしているという見解だった。
「う~ん。思い出せないわねぇ。何て言うか……どうしても実感が湧かないのよね。その二人を見たら何か変わるのかもしれないけど……」
「一応、血筋的にはご子息である王子殿下もいらっしゃいますので、三人かもしれませんよ」
「王子か……」
何だかよくある異世界転生ものっぽい。
「でもそうすると、私は過去二回と同じように恋をするのかしら」
「――!そ、それは……」
途端、視線をうろうろとさ迷わせ始めるアーチー。私は苦笑いした。
実は魔女ギルダは、初代国王と異世界の少女によって封印された後、もう一度現れたらしい。およそ五百年前のことだ。
その際も、≪災厄≫を用いて国を崩壊させようとしたが、新たな異世界の少女と当時の国王によって打破された過去がある。歴史が繰り返されたわけだ。
そして、今回の私である。
つまるところ、私はラプタン王国に訪れた三度目の脅威というわけである。
過去二回とも、同じ容姿の、本来ならあり得るはずのない魔法使いの女――ギルダと名乗る女がしでかしたことだった。
封印したとあることから、いずれも殺すことができず、今回再び私が甦ったということだろうか。
魔女は魔力の質も知識も桁違いなので、それらをフル活用してしぶとく生き残ってきたのかもしれない。
まさに王道RPGの魔王のような存在だ。
絶対的悪役。
――魔女ギルダは、国敵だった。
初めてこれらを聞いたとき、なぜ複雑な気持ちになったのかは分からない。それは前の世界の記憶がある私の感情というよりも、“ギルダ”の感情のような気がした。
ただ、大きな反感は持たなかったので、これらの話が概ね事実であると私は認識していた。
納得はしていないが、理解はしているという状況だ。この体はやけに従順に受け入れる。
「……今は何も思っていらっしゃらないんですよね?」
「そうね」
「……その、本当に……?」
アーチーはそっと窺うように上目遣いをした。
「ないってば。そもそもその二人に一度も会ったことがないのよ?忘れているだけなのかもしれないけど」
「そうですか……」
彼はあからさまにほっとした後、拳を口元にあて思考の海に沈んだ。
程なくして、「それならこのまま会わない方がいいかもしれませんね」と真剣な面持ちで頷く。
「会った時に何かが起こると?」
「その可能性は捨てきれません。もし、記憶が呼び覚まされでもしたら……」
アーチーはごくりと唾を飲んだ。
「恋に落ちる?でも、二度も手厚い対応を受けた家系に懸想をするほど、私は馬鹿ではないのだけど。そんなに魅力的なの?」
首を傾げると、彼は苦笑いした。
「お二人ともかなりの美丈夫かと」
「……」
なるほど、魔女はイケメン好きらしい。これには私も同意見であった。
否、同じ人物だが。
「…興味あるわね……」
「!ダメです!絶対にダメ!!」
あまりにも必死な様子が面白くてケラケラと笑ってしまった。
「やっぱり≪災厄≫が心配なんじゃない」
そもそも、私がフラれる前提なのか?もしかしたら向こうもその気になってくれるかもしれないじゃないか。自分で言うのもなんだが、私は絶世の美女だぞ?美男美女で何とも素晴らしい組み合わせではないか。
王様は妻子持ちなのでお相手としては無理だろうが、王子なら可能性はある。
敵対してきた王家と魔女が手を結ぶ――。ううん、まるで物語を見ているかのようだ。ワンチャンある。
「~~っ違います!僕はまた、貴女が傷つくことが心配なんです……!」
「……」
良いことを言っているような感じだが、今まさに君に傷つけられてるぞ、アーチー。
絶対にフラれると思ってるな。
「さっきも言いましたが、僕は貴女が優しい人だと知っています!前にも言いましたよね?貴女は魔女だが、特別ないい魔女だ!これまでとは違う!!」
「……」
「僕はあまり人付き合いが得意ではないのですが、貴女といると楽しいし、色々魔法だって教えてもらいたい。……何より、もっと貴女のことを知りたいと思っています!!」
「!」
アーチーと初めて会った時、興奮した様子であれこれと過去のことを聞いてきた。
けれど、私が覚えていないと分かると露骨に残念そうな顔をした。
その後建国伝説について教えてもらって、内容が内容なだけになんてデリカシーのない男なんだろうと思っていた。
だが、これにはちょっぴり心が揺さぶられた。
「アーチー……」
「ギルダ様は大どころじゃないくらい年増だけど、諦めないでください!素晴らしいところがいっぱいあるんですから!年増だけど!」
「…………アーチー……」