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01.魔女ギルダ

「……異世界の少女?」


 私が尋ねると、アーチーは神妙に頷いた。


 今朝、いつものように私の部屋にやって来た彼は、挨拶の言葉もすっ飛ばして「異世界の少女が!」と叫んだ。寝起きの頭に興奮した彼の声はなかなか理解できず、繰り返しそれを聞く羽目になってしまった。


「そうです!昨夜少女が現れたそうです!そして少女が現れたということは……」

「私の存在が国民にバレるってことね」


 またもアーチーは神妙に頷いた。

 そして顔を両手で覆い、駄々っ子のように首を振る。


「もう…もうすでに城下ではその噂が広がり、城門前まで民が押し寄せてきているようです……!どうしたら……!!」


 彼はその言葉と共に、顔から離した手をぐっと握りしめ、頬を真っ赤に染めた。

 よくよく見たら目も赤くなっているので、既に一度泣いたのかもしれない。


「ふぅ~ん、やっぱり私は悪い魔女か」

「ギルダ様……!」

 彼から聞く初めての怒号だった。興奮のせいか、彼は足を踏み鳴らして立ち上がった。

「僕は…僕はっ!貴女と知り合ってまだそんなに経ってませんが、優しい方だと知っています……!」

「ありがとう」

 にこりと笑った後、声のトーンを落とした。

「――だから≪災厄≫は起こさないでくれと?僕を失望させないでくれと?」

 笑みは自嘲の笑みへと変わった。

「!~~ちがいますっ……!!」

「ふふ、ごめんね、冗談」


 あまりにも真剣に叫ばれるので、思わず笑ってしまった。


「……ふぅ」


 彼との間に、温度差がある。

 それは、危機的状況だという実感が私にないせいだった。当事者にも関わらず、どこか他人事のように感じていた。


 アーチーは立ち上がったままおろおろとしている。何を言えばいいか迷っている様子だ。

 波打つダークブロンドの髪を、くしゃりと握っては離してと繰り返すので、鳥の巣のようになっていた。髪をいじるのは彼の癖だった。



 視線をテーブルに戻した。

 今日も中央に青い花が生けてある。美しい花だ。あいにくと花の名前は分からないが、私はそれをとても気に入っている。

 毎朝違う種類の花が飾られているのだが、それを見つけるのが密かな楽しみになっていた。


 食事の途中だったので、再開する。

 アーチーのことは放っておいて構わない。彼は一度何かを考え始めると周りの目もお構い無しの、一点集中型タイプだった。

 こうやって羅列すると天才型のように思えるが、実際のところ、彼はそうだった。

 そそっかしいところはあるものの、“魔道具”の発明家として名が知れていた。



 ――『魔道具』。



 それは、読んで字の如く、魔法が施された便利な道具のことだ。


 私にとって、空想上の概念でしかなかったそれが、ここでは事実として存在している。


 アーチーは魔法使いだ。


 そして、ただの平凡日本人であったはずの私も魔法使い――いや、“魔女”であった。




 私は今、異世界にいる。





***




 およそ一か月前、私は、見覚えのない部屋のベッド上で目が覚めた。

 不思議な夢を見た後のことだった。


 室内はかなり広かった。

 タワーマンションの最上階を丸々買い上げたような、高級ホテルのロイヤルスイートのような、そんなサイズ感だった。


 しかし、そんなリッチ向けの部屋にも関わらず、そこにはベッド以外の家具は見当たらなかった。引っ越してきたばかりなのか、はたまたこれから引っ越すのか。

 壁は色とりどりの石材でできた石壁だ。インテリアさえそろっていれば映えるのだろうが、現状は無機質な感じがした。

 窓にはカーテンすらかかっていない。


 結局、そのあまりのアンバランスさに、これも夢の続きだと判断した。

 ただ、今度は手足が自由に動かせるので、好奇心に従って散策を始めることにした。



 程なくして、一つの全身鏡が壁に立て掛けてあるのを発見した。


 四隅が丁寧にカットされている。まるで精巧なダイヤモンドカットのようだ。

 凝った装飾もなくシンプルだが、雰囲気がある。素人目で見てもかなり古く、価値のあるものだということが分かった。


 吸い寄せられるように近づくと、視界に入ってきたものにびくりと体が揺れた。

 自分が想像していたのものとまったく異なるものが映っていたからだった。


 何度か大袈裟に目を瞬かせるも、その光景は変わらなかった。

 疑いが確信に変わっただけだった。


「…気のせいじゃない……」



 鏡に映っていたのは、燃えるような赤い癖毛を腰まで垂らした、美しい女だった。



 きちっと整えられた眉毛やつり上がった目は、少々キツそうな印象を受ける。

 しかし、くっきりとした二重と大ぶりな琥珀色の瞳は、どこか愛らしさを醸し出していた。おかげで、丁度いい塩梅に、“強そうな女”という雰囲気を和らげている。

 ただ、どのパーツも一つ一つがはっきりとしていて目立つため、存在感があった。

 イメージ的には、ランウェイを颯爽と歩くトップモデルだろうか。


 そんな妖艶な彼女は、派手な顔とは似つかないシンプルな白のワンピースを着て、困惑した表情でこちらを見つめている。



 結論から言おう。

 彼女は、――私だった。



「……今度は楽しい夢なのね…」


 恍惚とした溜息がもれた。


 美女とはなんていい気分なのだろう!

 困惑した表情も、悦に浸る表情もすべてが美しく、これならどんな男も落とせそうだった。

 もちろん、女だって虜になるだろう。


 今の私は、過去何度もテレビで憧れて眺めていた、欧米系の女優の顔立ちだった。

 肌は白く。

 手足は長く。

 指はしなやかで細く。

 元の平凡日本人代表のような私とは、まったく異なる生き物だった。


「私ったらとってもキレイね……」


 そう自画自賛しながら、頬に手を添えてうっとりと眺めた。

 鏡のなかの()は、やれやれというように肩を竦めて首を振った。



 ――首を、振った。



「え……?」


 サッと血の気が引いた。



 彼女はにこりと笑うと、自分の背後を指差した。今の私がいる部屋と同じで、もちろんそこには何もない。

 

 何が何やらと呆然としていると、彼女はぱちんと指を鳴らした。――いや、音は聞こえないので、恐らく鳴らした。


「!?」


 すると、彼女の後ろに、何もないところから一瞬で白いミニテーブルが現れた。

 アニメのように、マジックのように、突然ふわっと姿を現したのだ。


 私はびっくりして振り返った。

 しかし、そこには何もない。


 顔を戻せば、彼女はにこにこと笑っていた。

 手のひらをこちらへ向けて、さあ貴女もどうぞとでも言っているかのようだった。


「……っ」


 心臓がドクドクと激しく音を立てている。

 抵抗感はなかった。

 今の私には、好奇心だけだ。

 

 ふぅ、と一つ深呼吸すると、意を決して指をぱちんと鳴らした。

 手汗のせいでやけに鈍い音が鳴る。



 ――ガタンッ。


 後ろで何か音がした。



 恐る恐る振り返ると、そこには鏡のなかと同じように、一つのミニテーブルがあった。

 先ほどまでは何もなかった場所に、だ。


「嘘でしょ……」


 慌てて近づいて確認した。

 触っても、叩いても、それは何の変哲もないただのテーブルだった。


「こんなのまるでまほ……っ!?」


 自分の言葉でハッと気がつき、興奮でじんわりと体温が上がっていくのを感じた。



 ――魔法。



 そんなファンタジーなことが、今、私の目の前で起こっている。

 しかも、私がやったのだ。


 ドキドキしながら再び指を鳴らした。

 すると、同じように物音を立てながらテーブルが出現した。それだけでなく、まだ疑念を持っていた私は、今度は彼女の魔法と区別できるように色は黒で想像したのだ。それが、きちんと体現されていた。


 ――やっぱり、私が魔法を使っている……!


 勢いよく鏡を振り返ると、彼女は腕を組んで自信たっぷりに笑った。

 とても魅力的だ。その表情からはどうよ、という気持ちがありありと伝わってくる。「これは魔法よね!?」彼女は大きく頷いた。



「~~っ!!」




 その後、私は興奮メーターを振りきらせたまま、部屋中を回ってインテリアを仕上げていった。


 テーマはラグジュアリーだ。今の私の雰囲気に合わせた。

 家具や絨毯、照明などを配置するだけではなく、扉や敷居、水回りの設備の設置といったリフォームのようなことまで、すべてを何とかの森よろしくぼわんと出現させていった。


 ぐるりと完成した姿を見たとき、達成感と共に部屋に対して自然と愛着が生まれた。

 じっと見学していた彼女も指でわっかを作ったので、喜びも一入だ。


 ここでふと気づく。


「せっかくこれだけ凝って作った部屋なのに、夢が覚めたらもったいないわね」


 興味深そうに室内を見渡していた彼女は、私の言葉に目をぱちくりとさせた。


 しばらく視線が絡む。


 手招きされたので鏡に近づくと、彼女は私を指差した。――いや、違う。これは恐らく、向こう側から鏡に触れているような形だ。

 意味が分からなくてその様子を眺めていると、彼女は身振り手振りで私の指を反対側から押し当てろと伝えてきた。


 なんということだ!


 私はこういう展開を知っている。きっと指を当てたら鏡がぐにゃっとなって、向こうの世界に取り込まれてしまうのだ!


 ホラー展開の恐怖におろおろと腰が引けていると、呆れた顔をした彼女が指を動かした。繰り返される動きに、そのうちそれが文字を表していることに気がついた。


 なんだろう。ユ?……メ?………ユメ。


「夢?」


 問いかけると、彼女はまた指を合わせるように言ってきた。

 今度は恐怖よりも好奇心が勝った。

 恐る恐る従うと、どうやら危惧した事は何も起こらない。安堵の溜息がもれた。


 するすると滑る指に合わせてなぞると、どうやらまたカタカナで夢と書いているようだった。

 そして今度は、最後に『×』と書いた。


「夢バツ……バツ?バツってことは否定してるってことかしら。……あ、“夢じゃない”?」


 彼女の顔を見ると正解だったようだ。「夢じゃない、ね!当たった!」喜びから再度言葉を繰り返したとき、はたと気づいた。



 夢じゃない?

 それは一体どういうことだ……?



 心臓の音が大きくなっていくのを感じた。あり得ないことなのに、ほのかに熱を帯びているような気もする。――そう、まるで先ほどの夢のように。


 彼女は真剣な顔で再び指を突き出した。じっと私のことを待っている。

 今度は恐怖心は一切なかった。引き寄せられるように手が動いた。


 大きな鼓動の音が、煩わしい。



「………」



 ――≪ギルダ≫



 そこに表れた文字は、ギルダだった。




「……ギルダ?名前か何か?」


 彼女は自分のことを指差して、次に私のことを指差した。

 なぜだか言いたいことが分かった。


 心臓が更に熱くなる。どくん、どくんと激しさを増した。




「……私の名前が、ギルダ……?」




 その瞬間、目の前が真っ白になった。一瞬のことだった。

 すぐに視界は元通りになったが、鏡にはもう彼女の姿はなく、私が映るだけだった。




 すうっと何かが体中に溶け込んでいく感覚。その後を占めるのは爽快感だった。



 私は、理解した。



 ここは現実であること。

 ここは今まで生きていた世界とは別の世界で、私はギルダであること。




 これからは、ギルダとして生きること。




 不思議なことに、抵抗感など一切なく、私はそれらを受け入れた。

 冴え渡った頭が、それが正しいことであると確信していたのだ。


 異世界に訪れた人々は概ね狼狽えるものであろう。しかし、その突拍子もないことは、すとんと私のなかに落ちて馴染んだのであった。

 まるで、「右の反対は左」といった常識を受け入れるかのような従順さで、私は素直に頷いたのだった。




 そうして私は、“ギルダ”になった。




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