第19話〈空と地に生きる者〉
……しばらく目をぱちくりさせて、梓と風花を交互に見たあと、えええぇーっ!! と驚愕の声をあげそうになった。風花が機転をきかせて口を塞いでくれなければ授業中の汀音や子供達に迷惑をかけていただろう。
「男子寮というわけでもないんだけどね、どっちにも属さない特別な棟を作って、風莉も一緒にそこに入ってるのよ」
なんでも、風花と風莉は隣同士の部屋を割り当てられているとかで、男女どちらにも区別されていない別棟に住んでいる。そのため、部屋の入室は同じ寮に住む精霊でも許されていない……のだとか。
そう梓が補足を加えてくれたものの、埜夢の混乱は止まらなかった。
「……じゃ、じゃあ、どうしてそのような格好を?」
埜夢は落ち着きなく、風花の服装を指さしながら尋ねた。
今日の風花の服は膝丈のワンピースに薄手のカーディガンを着ていた。誰がどう見ようと女物の服で、着ている風花の体つきも細身なため、近くで見ても男の子とは判別しづらいだろう。
風花は埜夢の反応が最初から分かっていたようだが、その反応を実際に目の当たりにして苦虫を噛み潰したような表情をした。
「……今日は、これを着たい気分だったから」
「え? え? でも、女の子の服ですよ?」
「そういう時もある」
「でも……」
「埜夢ちゃん、あんまり責めないであげて。風花は元々、気にしない性分なの。だからこれまで通りの接し方でいいよ」
「……いい。梓、外散歩してくる」
風花は不貞腐れた表情で梓の後ろにある窓を開け、飛び去っていった。
事務室に梓と埜夢が取り残された。
「……怒らせてしまったでしょうか」
「うーん……風花のことだから、すぐに機嫌を直してくれると思うけど……」
「……すみません。僕……」
「……地に足をつけて生きていると、なかなか理解できないものもあるわよね。私も昔はそうだった」
昔から地の精霊と木の精霊は頭が堅いって言われているもの、と付け足して、ため息をはきながら背もたれに背をつけた。
流れやすい性質、流れにくい性質は精霊によって個人差はあるが、精霊が持つ属性によって大まかに区別されるというのは昔からよく言われている。
流れやすい性質の筆頭は「風」だ。ちょっとした変化で、風は大きくその形を変える。時に頬を撫でるそよ風となり、時にあらゆるものを飲み込む竜巻となる。
その性質は、精霊の性格や行動理念に大きく影響すると言われている。
だから、流れやすい風は突拍子のない行動や他にない考え方を持つことが多く「変精霊」扱いされることも珍しくない。
逆に、流れにくい性質とは「大地」だ。
さらに木が加われば、大地に根を張らせてその性質はより強固となり、流れにくい性質の最たるものとなる。
だが、流れにくいということは性質が固まる、その精霊の行動や考え方も凝り固まったものになりやすく、時々他の精霊達から「頭が堅い」と揶揄される。
埜夢と風花がすれ違ってしまったのも、この性質が原因のひとつと言えよう。
梓は風花の開けた窓を閉めて、風花が言っていたことへ補足を加える。
「風花は、男の子の服を着たい時と、女の子の服を着たい時があるの。でも、男か女かで区別はされたくない。風花はあくまでも風花という一人の精霊でしかないのよ」
「……僕には、わかりません……。僕は女だから、鉱山で働くのは似合わないと言われ続けていましたから……力だって、男である兄達の方がずっと強い……」
そうだ。この学舎で働くようになったきっかけだって、もとは力のない自分でもできることをしたいという思いからだった。
故郷の家ではどうやったって、大きく歳が離れていて力のある兄達の足でまといになってしまう。兄達からそれを理由に疎まれたことは一回もなかったが、埜夢はずっと自分の必要性を疑問に思っていた。
女である自分がいるべき場所は、ここではないのではないかと。
「そっか……実家が肉体労働だと、なかなかそうはいかないもんね……」
「ある意味、羨ましいです。自分らしくできるというのは」
性別にとらわれず、自分らしく生きる……。誰かに指摘されても自分の信念を貫ける。
そうしたら、大好きな兄達と一緒に楽しく過ごすことができたのだろうか。
その日の夕方。夕食の時間を知らせるベルが寮内に響き渡った。
埜夢が食堂に向かうと、入口で風花とばったり出くわした。
ストールとカーディガンは学舎で会った時とそのままだったが、その下は丈の長い無地のシャツと半ズボンだった。
「あ……」
「……」
お互い気まずそうに目をそらし、風花は埜夢を横切って食堂へ行こうとした。
「あ、あの、風花!」
「何?」
「ひ、昼間は、えと、ごめんね。僕……」
「気にしてないよ」
その言い方は普段通りの淡々とした口調だったが、今の埜夢はそれも罪悪感として残った。
せっかく仲良くできる機会をもらったのに、これでは振り出しに戻ってしまう。
(……しっかりしなきゃなぁ……)
今思えばくだらないことだったように思える。
別に、誰が何を着たって構わない。そんなことを口出しする権利ははなからないのだ。
風花はもう席について、自分が運んできた料理を食べていた。
向かいの席に行ってもう一度謝ってみようか考えたが、埜夢はそんな勇気も出なかった。
結局、風花と離れたいつもの席に座り、一人で黙々と食べることにした。
(予想外のことがあると、どうしても大きい声で驚いちゃうのが良くなかったなぁ)
「埜夢ー」
(どもり癖も治らないし、これじゃあいつまで経ってもここの精霊達と仲良くできない……)
「おーい、聞こえてるの?」
(学舎務めなんて、やっぱり僕には向いてないのかなぁ……)
「のーむー!」
「ひゃいっ!?」
いつの間にか目の前に風花がいて、埜夢の目をじっと覗き込みながら手を振っている。
もしかしてずっと呼んでいたのだろうか。
「ぼーっと食べてたら、喉つまらせちゃうよ?」
「は、え? どうしてここに?」
遠くの席に座っていた風花が今は向かいの席にいて、食べかけの料理が乗ったトレーもすぐそばに置いてあった。
埜夢の座る席は変わっていない。
「夜ご飯食べに来たんだよ?」
「あの、いや、そうじゃなくて! こ、こっちまでわざわざ、席を変えてきたの?」
「うん。駄目だった?」
「いや、大丈夫、だよ……」
水を飲んで、少し自分を落ち着かせた。また自分が暴走気味になっていたのをすんでのところで正気に戻す。
「……あの、昼間の話、ほんとに気にしてない?」
「うん」
「そ、そうなんだ……。ごめん、ちょっと、混乱してたというか、理解できなくて……」
「気にしてないってば。梓も、ずっと分かってくれなかったから、慣れてる」
「……ありがとう。……僕も、頑張って理解できるようにするから、良ければ、あの、仲良く……」
埜夢が恥ずかしげに口ごもったものの、埜夢の言いたげなことは何となく伝わったようで、目を丸くしていた。
その後、風花は少しだけ笑顔を見せて「うん」と頷いた。