公開婚約破棄禁止令
この小説はフィクションです。
実在する人物、団体、建築物、どっかで聞いた事があるよーな気がするキャラクター名、あらゆる事象、事柄とは一切関係ございません。
頭を空っぽにしてお読みください。
追記
読みにくいと思われる個所を修正いたしました。本文には何の影響もございませんので、引き続き頭カラッポにしてお楽しみくださいませ。
昨今、各国で貴族の子供たちが通う学園で、卒業パーティーの最中に公開婚約破棄を行うことが流行っているという。
「ジュリエット公爵令嬢! お前との婚約を、この場において破棄する!!」
そしてその話を小耳にはさんだ、とある王国の王太子であるクローディオも、その流行に乗っかってみることにした。
パーティー会場のステージに上がった彼の腕には、これまたとある男爵がメイドとの間に設けたという平民上がりの娘がしがみついていた。子猫のようなつぶらな瞳を涙で潤ませながら、たわわに実った大きな二つのメロンを押し付けている。
そんな二人の周りには、取り巻きである外務大臣の次男、騎士団団長の次男、法務大臣の次男という、次男トリオが、厳しい顔でジュリエット公爵令嬢を睨みつけていた。
シンと静まり返った会場で、友人たちとお喋りを楽しんでいたところを呼ばれた令嬢はステージをふり返り、広げた扇子の陰でにっこりと微笑んだ。
「まぁ、クローディオ王太子殿下ではございませんか。
わたくしのエスコートにいらして下さらなかったので、どこかお悪いのかと心配申しあげておりました。ですが、すこぶるお加減がよろしいようで、安心いたしましたわ」
嫌味と皮肉を込めた返答に、クローディオと次男トリオは、ますます顔を険しくさせた。男爵令嬢は「怖いですわぁん」と、ますます王子の腕にしがみつく。大きな胸をギュッと押し付けられたクローディオは、一瞬、鼻の下を伸ばしたが、すぐに表情を引き締める。
その様子を多くの貴族令息や令嬢たちが眉を顰めて見ていた。
「そうやって余裕でいられるのも今だけだ。お前の悪事はすべて知っている!」
「悪事、でございますか? わたくしには心当たりがございませんが、何かいたしましたでしょうか?」
「白々しい! お前はこの一年、男爵令嬢を虐めていたというではないか! 調べはついているんだぞ! ロミオ!!」
呼ばれて前に出てきたのは、癖のある赤毛を跳ねさせた騎士団団長の次男だった。どうやら王太子は自分でその悪事とやらを告発する気はないらしい。取り巻きに丸投げしている姿にジュリエット公爵令嬢は呆れを隠さない。
そんな事を知ってか知らずか、やや緊張した面持ちでロミオは懐から取り出した紙を広げる。
「では、僭越ながら僕から申し上げます。
まずは男爵令嬢の教科書が池に捨てられていた件、ノートが破られていた件、そして階段から―—―—」
「オルゥァアアアアァァァァッ!」
「ホゲェアアアアアアッ!?」
読み上げていたロミオの顔面に雄叫びとともに見事な空中回し蹴りを入れたのは、真っ赤な髪をなびかせた令嬢だった。彼女の名はオフィーリア。騎士団団長の長女で、ロミオの双子の姉だった。
ロミオが流した鼻血は美しい放物線を描き、その体は数メートル吹き飛んだ。
「何をするんですか、姉上!」
「見損なったぞ、ロミオ!! このような公の場でか弱い令嬢をいたぶるなど、それでもウィンザー家の男か!?」
数メートル吹っ飛んで床に叩きつけられ、さらにゴロゴロと転がったロミオ・ウィンザーだが、すぐさま立ち上って抗議の声を上げる。その足元は全くふらついていない。流していたはずの鼻血もすでに止まっていた。
なお突然の出来事に、王太子一行は固まっていた。
ジュリエット公爵令嬢はツンとすました顔で、成り行きを見守っている。だが扇子の陰でほんのりと頬を染め、
(きゃ~~~っ!オフィーリア様、素敵ですわッ! なんて美しい飛び蹴りなんでしょう! それに、わたくしをか弱いだなんてカッコ良すぎますわぁぁぁっ!!)
と、心の中で萌えているなど誰も知らない。
「何を言うのですか! 我がウィンザー家の教えには、悪をくじき弱きを助け、とあるではないですか! 公爵令嬢という立場を悪用して虐めを行っていたことを断罪するのは、その教えに背くというのですか!?」
「やかましいっ!!」
オフィーリアはハイヒールで床を蹴ると瞬く間に肉薄し、ロミオの鳩尾にアッパーを入れた。
「ぐはぁっ!!」
強烈な一撃をまともに受けた十八歳の体が数十㎝浮き上がるも、ロミオは倒れることはなかった。
「私は入学してから三年間、ジュリエット公爵令嬢の学園内での護衛を任されていた! あのお方は、虐めなどという卑劣なことはしていない! 無実のお方を断罪するというなら、それなりの証拠があるんだろうな!?」
「もちろん、ありますとも! 重要な証言が報告されています!」
「では、その証言をしたという者を連れて来い! ジュリエット様付きの護衛たる私が、直々に尋問してやろう! じっちゃんの拳にかけて!!」
オフィーリアは高々と右の拳を突き上げた。
それは尋問ではなく拷問だろう、というツッコミを入れる者などこの場にはいない。
なお彼女らの祖父は存命中である。
武門一家の長に生まれながらおっとりとした平和主義者で拷問で人を殴ったりはしない。家督を息子に譲った今は領地経営をしながら老後をのんびりと楽しんでいる。勝手に拳をかけられても迷惑なだけだろうが、そんな事をオフィーリアは気にしない。
じっちゃんの事はどうでもいいとして、ロミオは胸を張ってその証人とやらを紹介した。
「証人はそこにいる男爵令嬢です!」
「馬鹿者ォォォォォっ!!」
オフィーリアの右ストレートがロミオに入る。彼はゴロゴロと無様に転がるが、すぐに立ち上がった。なんとも頑丈な男である。
「当事者の証言など何の役に立つというのだ!? 証拠は第三者の目で客観的に、というのがウィンザー家の教えだ!! お前は学園で何を学んでいたのだ!?」
学園で学べるのは学問とマナーであり、ウィンザー家の教えなどカリキュラムにはない。会場には学園の教師陣も参列していたがツッコミを入れる者はやはりいない。
そもそも王太子と公爵令嬢の婚約は国政の一環である。その婚約を王太子が一方的に破棄するなど、ウィンザー家の教え以前の問題なのだが、残念ながら脳筋双子姉弟はそこに考えが至っていない。
「お前のような馬鹿が弟だなど、私の恥―——いや、ウィンザー家の恥だ! その腐った性根、もう一度、鍛え直してやるッ!!」
オフィーリアは叫んで、ロミオの襟首をつかんだ。「姉上、おやめください!」と暴れる彼の首にオフィーリアが手刀を入れるも、少し痛がるだけだった。
ステージ上はもはや王太子による公爵令嬢への断罪&婚約破棄ではなく、ウィンザー家の双子の姉弟喧嘩に取って代わっていたが、それにツッコミを入れる愚か者はこの場にはいない。
そこに朗々とした声が割って入った。
「オフィーリア、ロミオ、そこまでにしなさい」
声の主は、黒の軍服にたくさんの憲章をつけた二十代半ばの青年だった。長く伸ばした赤髪を後ろで一本の三つ編みにしている偉丈夫だが、若くして王国騎士団の副団長を務める秀才でもある。彼の後ろには赤髪を短く刈り込んで学園の制服を着た少年と、数人の近衛騎士が付いてきている。
「「マクベス兄上、フレデリック!」」
さすが双子、上げた声が見事にハモった。
軍服の青年がウィンザー家長男のマクベス、制服の少年は末っ子のフレデリックだ。彼はこの学園の一年生でもある。生徒会役員として卒業パーティー進行の手伝いをしていたのだが、王太子一行がステージ上に上がったことと、姉が大暴れしているのを見て冷静に助けを呼びに行った。剣の天才と呼ばれる彼でも、武器の携帯を許されていない会場内で体術の天才である姉には勝てない。
王国最強の武門一家ウィンザー家の四兄弟がステージ上に揃った事で、会場のそこかしこから憧れの熱いため息が聞こえる。令息たちは興奮気味に、令嬢たちはうっとりしていた。
王国の老若男女にとってウィンザー家は憧れの的なのだ。
マクベスが連れた近衛騎士たちは、手早く王太子と男爵令嬢、次男トリオその②とその③を拘束した。それを見届けた若き騎士団副団長マクベスはステージ上に堂々と立ち、声を張り上げた。
「諸君らに国王陛下よりお言葉を賜っている!
まずは諸君らの門出を祝う席での王太子殿下の所業について、陛下は酷く心を痛めておいでであった。王太子殿下たちには厳しい罰を与える故、この後もパーティーを楽しんで欲しいとおっしゃっておられた。
またこの度の独断専行を重く見た陛下は、公の場での婚約破棄の禁止をお決めになられた! 後日、正式に宣旨される。今後、正規の手順を踏まずに公共の場で婚約破棄を強行しようとした場合、厳しい罰が下るだろう。
我が国の貴族として正しい振る舞いをするように、とのお言葉である!」
マクベス・ウィンザーの言葉に会場に集まっていた人々は頭を下げた。王太子一行が上げた抗議の声はスルッと無視された。
「ジュリエット公爵令嬢。陛下は貴女様の名誉に傷がついてしまったことを嘆いておられた。この度の件に弟が関わっていたこと、大変に申しわけない。ウィンザー家を代表して、謝罪申し上げます」
マクベスは胸に手を当ててその場に片膝を付き、深く頭を下げた。それにオフィーリア、フレデリック、ロミオが続く。———ロミオの場合はオフィーリアに頭を抑えつけられていたが。
ジュリエット公爵令嬢は扇子を閉じると、背筋を伸ばし美しい微笑みを浮かべた。
「ウィンザー副団長殿、そしてウィンザー家の皆様。どうぞお顔を上げて下さいませ。わたくしは皆様の謝罪をお受けいたします」
「ジュリエット公爵令嬢。寛大なお心遣い、痛み入ります」
「マクベス様、固いことは言いっこ無しですわ。わたくしはいつもオフィーリア様に守っていただいております。ですから、これからもどうぞ仲良くしてくださいね?」
「……ジュリエット様……!」
オフィーリアが感動に胸を震わせる。そんな彼女にジュリエット公爵令嬢は首を少し傾けて、にっこりと微笑みながら手を差し出した。
「オフィーリア様。わたくし今夜のエスコート役がおりませんの。よろしければそのお役目、引き受けていただけないかしら?」
「私などでよければ、喜んで!」
女性が女性をエスコートするのもどうかと思うのだが、この場にいる誰もがそんなことは気にしない。
オフィーリアはあっという間にステージを下りると、ジュリエットの足元に跪いて騎士の礼を取った。その凛々しい姿に令嬢たちの黄色い声があがる。
オフィーリアがジュリエットの手を取ってホールの中央に向かおうとしたところで、ふとジュリエットは足を止め、近衛騎士たちに取り押さえられている王太子をふり返った。
「ああ、そうでしたわ。忘れるところでした。
クローディオ王太子殿下、貴方様との婚約解消を喜んでお受けいたします。これでバカの尻拭いから解放されるなんて、なんという事でしょう! 今日は人生で一番、素晴らしい日かもしれません!!
それと男爵令嬢に嫌がらせなど本当にしておりませんわ。学業や王妃教育、バカ王子の尻拭いに忙しくてそんな時間などありませんでしたから。
それにわたくしが男爵令嬢に何かするとしたら、お家ごとプチッと潰しますわ♡ みみっちい虐めなど時間の無駄ですから」
「ああ、スッキリした☆」と呟いたジュリエット公爵令嬢は、オフィーリアに手を取られてホールの中央に移動した。
二人が構えると楽団が音楽を奏で始めた。踊る二人の周りに多くのカップルが現れ、卒業パーティーは再開された。
バカと呼ばれて呆然とした王太子と、心をバキバキにへし折られた男爵令嬢や次男トリオは、マクベス・ウィンザーと近衛騎士たちによって静かに会場から連れ出された。
これにて公開婚約破棄騒動は幕を下ろし、中断されていた卒業パーティーは例年よりやや遅い時間につつがなく終わった。
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卒業パーティーの翌日、国王の名の元に「公開婚約破棄禁止令」が発令された。
国王が施行を急いだのには、大きな理由があった。
近隣諸国で流行している王太子や王族、高位貴族達の婚約破棄騒動が国政にまで影響を及ぼし、それによって貴族達の勢力図が変わってしまい、中には王家が滅亡して新たな王朝が立ったり、その混乱の最中に周辺国から侵略されて滅びた国々を見てきたからだった。議会もその事に危機感を覚えており、国王の宣旨に反対するどころか、協力的だったことも大きかった。
その後、王太子は廃嫡され「根性を叩き直して来い」という国王陛下の命令により、騎士団に入れられた。
下っ端の見習い騎士として、歴戦の騎士すらも宿舎の陰で涙すると言われるウィンザー式強化合宿に放り込まれ、文字通り矜持を叩きのめされた。宿舎の陰で膝を抱えて鼻水をダラダラ垂らしながら涙する元王太子の姿が、何度か目撃されている。
取り巻きだった次男トリオその②とその③もそれぞれ勘当されて家から追放され、騎士団に入れられた。彼らも強制的にブートキャンプに参加させられた。
騎士団で泥まみれになって鍛えられた三人はなんとかブートキャンプの全過程を終え、卒業パーティーから一年が経つころにはこんがりと日焼けした筋骨隆々の騎士に生まれ変わっていた。
男爵令嬢は公爵令嬢を冤罪にかけようとしたことから身分を剥奪され、犯罪奴隷となって開拓地に送られた。
男爵家も爵位剥奪と領地没収の憂き目にあったが、パーティー翌日の夜明け前から市民に混じって省庁の窓口に並んで提出した娘との絶縁届けにより、家が取り潰されることだけはなかった。しかし公爵家よりジュリエット嬢への名誉棄損の高額な慰謝料を請求され、三代にわたって貧乏を舐めたという。
子孫たちは後々まで原因となった令嬢を恨んでいたことが、後年に発見された日記の全ページを黒く塗りつぶすように書かれた怨嗟と呪いの言葉で判明した。
ジュリエット公爵令嬢は、新たに王太子となった第二王子と結婚し、後の王妃となって幸せに暮らした。その傍らにはオフィーリアが従っていたという。
一方、ロミオは強制的にウィンザー家秘伝の特別強化訓練を受けさせられた。
「王国にウィンザー家あり」と言われる最強の武門一家は、それぞれが一芸に秀でていた。
ウィンザー家当主である騎士団団長は、普段は笑顔を絶やさない細身の優男なのだが、一度戦場に立つと人格が変わり、どこぞの世紀末風太眉筋肉ダルマとなって身長の二倍はある大剣を軽々と振り回してバッタバッタと敵を斬り倒していく様から、軍神と崇められている。
その妻で四兄弟の母でもある夫人は狙撃の天才でその腕は百発百中、「またつまらぬ物を撃ってしまった……」が口癖という。彼女は燃えるような赤い髪から、「赤い鷹の目」と呼ばれている。
領地でのんびり老後を楽しんでいる祖父も戦後処理の交渉の席に着くと、老眼鏡がギラリと光るどこかの司令のような顔つきに変わり、相手方を厳しくとことん追いつめ、がっぽりと慰謝料をもぎ取って来る後片付けの天才だ。
何でもそつなくこなし特に兵法と戦術に秀でた長男マクベスは鬼神、体術に優れた長女オフィーリアは武聖、剣術に秀でた末っ子のフレデリックは剣聖と呼ばれる中、ロミオだけは凡人だった。
ロミオは一族秘伝の特別訓練を受けたにも関わらず何も変わらなかった。どれだけ筋肉トレーニングしても筋力は女性である母やオフィーリアにすらかなわず、剣術も体術も銃も弓矢も馬術も、兵法も戦術も、果ては領地経営や事務仕事すらも平々凡々だった。もちろん見た目にも一切の変化はなかった。
だがそんな彼にも一芸はあった。
それは不倒のサンドバッグという才能だった。
どれほど心が折れるような状況になっても諦めず、どれだけ殴られても、斬られても、撃たれても決して倒れることはなかった。
ロミオはしごきを受けた後、騎士団に入ることなく王宮の文官となっていた。上司から毎日パワハラを受けても、不倒のサンドバッグ精神で平々凡々に仕事をこなす姿は多くの文官たちに希望を与え、いつしか「文官の星」とまで呼ばれるほどになった。
国王によって発令された「公開婚約破棄禁止令」だが、その後も法を犯す者が続出した。
なぜならその法を犯すと身分を剥奪された上で、男女関係なく騎士団に入れるからだった。
騎士団に入るのは多くが貴族の三男、四男など家督を継げない者達だった。特に女性の門戸は細き道だった。入団するには厳しいテストがあり、基準に満たない者は入ることはできない。だが「公開婚約破棄禁止令」を犯すと強制的に騎士団送りとなる。そこで憧れのウィンザー式ブートキャンプに参加できる上、全過程をクリアすれば入団テストを受けなくても騎士団に入れるのだ。
そのため今日もどこかの街角で、どこかのお茶会で、どこかの夜会で、どこかの辺境の村で、婚約破棄を一方的に宣言する者が後を絶たなかった。
「公開婚約破棄禁止令」の発令から十五年。
近隣諸国では一方的な婚約破棄ブームはとっくの昔に廃れたというのに、なぜかこの王国ではいまだに行われていた。それは貴族だけではなく平民にも広がっていた。
そろそろ国王の位を王太子に譲位しようかと考え始めていた国王は、王城を守る騎士たちを見て深いため息をついた。
王城を警護する騎士たちは誰もが日に焼けて筋骨隆々になっている。彼らは皆、ウィンザー式ブートキャンプの修了者たちだ。大きく発達した筋肉のせいで支給していた軍服が合わない者が続出し、今ではオーダーメイドになっている。新人騎士の中には制作が間に合わず、パンツ一丁とブーツという姿で警護に当たっている者もいる。
王が通り過ぎる時には白い歯を見せて爽やかな笑顔を向けてくるのだが、それを見るたびに国王の中の何かがゴリゴリと物凄い勢いで削られるような気がした。
しかもその筆頭がかつて王太子だったクローディオだった。
彼はあれからすっかり心を入れ替え、人が変わったようになっていた。———いや、実際に変わった。
生白くてヒョロヒョロだった体は、よく日に焼けて筋線維がはっきりと見えるほどのマッチョ体型になっていた。人と話すときは何故か筋肉美を強調するポーズを取りながら、白い歯を光らせて爽やかな笑顔を浮かべる。軍服が入らないからと、パンツ一丁になったのも彼が最初だった。
下っ端見習い騎士から実績を積んで、王城警備の中隊長にまで出世したクローディオは、今日も王城のどこかでポーズを取りながら警護に当たっている。そんな彼は今も独身を貫いている。
かつての取り巻きだった次男トリオその②とその③も地方で元気に騎士をしているという。
文官の星となったロミオ・ウィンザーも不倒のサンドバッグ精神で、今日も平々凡々な毎日を送っている。彼の左手薬指には真新しい指輪が光っていた。
十五年前の卒業パーティーでやらかした後、当時の婚約者に捨てられたロミオだったが、ウィンザー家秘伝の強化訓練中に見かけた看護婦に一目惚れし、不倒のサンドバッグ精神をいかんなく発揮して何度断られても諦めずにプロポーズし続けた。
「ああロミオ、貴方はなぜそんなにしつこいの!」
という返事が彼女のプロポーズOKの言葉だったと、彼は後に子供たちに語って聞かせた。
娘からは「お父様、マジキモい」と言われ、しばらく無視されたという。もちろんそれも不倒のサンドバッグ精神で笑顔で乗り越えたらしい。
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その日は国中がお祭り騒ぎになっていた。
現国王陛下の退位と、王太子の即位式が同時に行われるためであった。
王城の広間は巨大なシャンデリアが蝋燭の光を受けて輝き、山海の美味珍味をふんだんに使った豪華な料理、全国各地より集められた秘伝の酒、色鮮やかなスイーツが所狭しと並べられている。
国中から集まった貴族や招待された各国大使達は美しい衣装に身を包み、祝祭に華を添えている。
そんな彼らを眺めながらめっきりと老けこんだ国王は、長い、長いため息をついた。それを聞きつけた王太子が心配そうに国王を覗きこむ。
「国王陛下、いかがなさいましたか?」
「……うむ……いや…………何でもない……」
会場を一望した国王は、何かを言いかけて言葉を飲んだ。
笑いあう紳士淑女たちの、なんと健康で逞しい体つきか。
男性たちの太い首に巻き付いたクラヴァットは窮屈そうで、着ている礼装の腕も肩も胸回りも、腿もふくらはぎもピッチリ―—―パッツンパッツン―—―になっている。同じく女性たちもコルセットなど必要としないほどに腰が括れている。
ウィンザー式ブートキャンプメニューは、瞬く間に国中で一世を風靡した。人々は栄養あるバランスのいい食事と、非常に適度な運動で健康を取り戻し、女性たちは苦しみのコルセットから解放された。
と、ここまではいいのだが早い話、会場に集まった貴族のほとんどがマッチョ体型なのである。
これが一昔前なら大きく出っ張った腹をした二重顎の者やヒョロヒョロに痩せた者、病的なまでに青白い顔色をしていた者、中肉中背の者など実に多様な人々がいた。しかし今や皆がほどよく日に焼けて、素晴らしく健康的で筋肉質な体つきだ。
国王はジュリエット王太子妃の後ろに控えるオフィーリアをチラッと見やった。彼女は実にいい笑顔で会場に集まった教え子たちの姿を満足げに眺めている。
もちろん会場の壁際や入り口を守る騎士たちも立派な筋肉ダルマが並んでいた。
「……余は……何か、間違ったかのぅ……」
ポツリとつぶやいた国王の言葉は、会場の喧騒にかき消された。
その言葉が国王の在位中の最後の言葉になったという。
王太子が新王に即位した後、王国は貴族女性すらも銃を持って戦場に立つという、最強の軍隊を擁した。新王の治世の下、自ら他国に攻め入ることはないが、侵略された時は最強の軍隊をもってして相手をコテンパンに叩きのめし、ガッポリと慰謝料をせしめて領土を広げていった。
やがてその国は陽の沈まぬ国として繁栄を遂げることになる。
―—―そして今日も、国のどこかで婚約破棄を叫ぶ声があがるのだった。
Fin
思い付きとノリと勢いで書きました。なぜ筋肉美談ができ上がったのは謎です。
コロナ渦で皆々様も大変な思いをされているかと思いますが、拙作で少しでもお心が軽くなればと、思っております。
そして、何か面白そうとか、ちょっと気になるぞとお思いでしたら☆☆☆☆☆をポチっとして、ブクマもしていただけると物凄く励みになります。
ここまでお読みくださり、ありがとうございました。