シンデレラになりたくて
一.
おめでたです、という声は、どこか冷たい響きに聞こえた。
子宮に菌が入ったとかで前にめちゃくちゃダルくなって寝込んだから、今回もそれなのかな、と軽く考えてたのに全然違う話だった。
病院を出たあたしは、しばらくぼうっとなる。
どうしよう。
まずはカレに知らせる。
だけどまだ仕事中だろうし、今すぐに何をすべきか――
ママ――はダメだ。少なくとも今はダメ。
いや、言うべきだし絶対知らせなきゃだけど、ママとは絶縁に近い状態だからこんな事いきなり言ったらどうなるか……。
想像すると別の意味で身体がダルくなる。
じいちゃんやばあちゃんも――ちょっと怖いなあ。
渇いた寒さが肌を刺すようで、世界中に自分一人だけになったような気になる。
寂しい。怖い。どうしたらいいの。
友達はいる。相談もするし、されたりもする。親友って呼べる、間違いなく。
でもこんな事をいきなり言ったらどうなるだろう。友達だって途方に暮れると思う。本人が途方に暮れてるんだもん。そりゃそうなる、きっと。
週末の今日は代休で何とかなったけど、休み明けからの出勤を思うと二重で辛くなった。
半ば機械的にスーパーに寄って、機械そのものになって総菜のご飯を買った後、一人ぽっちのマンションに帰った。テーブルに座り込んでぼうっとなる。目の前に総菜。買ったのに食欲がおきない。
――やった! おめでとう!
産婦人科の受付で聞いた、よそのカップルの幸せそうな声がふいに蘇った。
そうよ。妊娠ってあんな風に祝ってもらえるもののはずよ。自分もそうなるべきだったはずよ。なのに――
せり上がった嘔吐感が、体調不良のものなのか心の不調によるものなのかは分からなかった。
二.
ママに電話したら、やっぱりキレられた。
あたしは絶対に認めない。あんな男も、あんたが出て行ってからした事も。だから子供も結婚も絶対許さない。どうしてもって言うなら堕ろしなさい――
そこまで言われた後、あたしは泣きながら「認めて、お願い」と呟きを残し、電話を切った。
その後カレにも妊娠の事を言ったけど、どこか他人事のような声に、何だか余計に疲れた。
カレはフリーターだ。
仕事はすぐに辞めるし、借金だってある。典型的なダメ男。
でも、そうなったのは――そんな男を選んだ自分になったのは、自業自得ってばかりじゃないと思う。
あたしにパパはいない。
あたしが高校生の時、両親が離婚したからだ。
離婚の理由はたくさんあったと思う。あたしもさすがに小さくなかったから、二人の事情はかなり分かってたし、離婚してもああそうか、ぐらいにしか思わなかった。というか、これからどうなるんだろうという真っ黒な不安を感じるばかりで、それは結局自分の事しか考えてなかっただけなのかもしれない。でもさ、子供が将来に不安を感じる事のどこが悪いの? ましてやそれが親のせいなら尚更じゃない。
結局、妹はパパだった人が引き取り、あたしはママに付いて行った。ママを放っておけなかったからだ。
あたしの考えは的中し、ママはその後精神を病んだ。安定剤や睡眠薬の薬漬けになり、男だって何人も変えた。
同時に、あたしも家に寄り付かなくなった。
進学したのも大きかったけど、途中からはほとんど帰らずに知り合いの家を点々とした後、最初のカレになったインディーズミュージシャンの家で同棲をはじめた。大学を中退して就職した後は完全に家から離れた。その後は次のカレ、また次の……といった具合だ。それで今のカレになる。
で、妊娠した――
仕方なく、ママにメッセージを送る。
今度、カレとそっちに行く。きちんと話をして認めてもらいたいから――
ママの返事はそっけなかった。
ママは認めない――
今はママもしっかりしたおじさんと再婚し、幸せになっているみたい。だから余計にあたしみたいなのがいると嫌なんだろう。分かるよ。だってあたしの人生ってママそっくりだもん。
振り返りたくない過去そのものなのかもしれない。
でもさ、でもね、でも――
ママの子供だよ。
あたしママの子供だよ。
だから似ちゃったんじゃない。
なのにさ――
お化けみたいに崩れたメイクの顔が、映らないテレビ画面に映っている。
あたしはママにとって何なの? こんなお化けみたいに見えてるの? そんな子供なの?
三.
「ミクはどうしたいの? 産むの?」
「産む。堕ろすなんて無理。絶対に産む」
伯母さんが息を吐かずに溜め息をついた。そんな気がした。
電話の向こうはママのお姉さん。小さい頃はよく泊まりにもいった、仲の良い伯母さんだった。あたしはママにならって、「おばさん」とは呼ばず「さやねーちゃん」とか「ねーちゃん」って呼んでた。
「まあ、貴女の決めた事だし、ねーちゃんは反対しないよ。でもさ、ママが認めてくれるかどうかは、あたしにも分かんないわ……」
「うん」
「認めてもらえるかどうかで判断しちゃ駄目よ。どっちにしたってね」
「分かってる」
さやねーちゃんは昔からあたしの味方だった。
だった、って言うのは、あたしが家を出てから、ねーちゃんの一家とも疎遠にしてたからだ。昔は一緒に遊園地に連れて行ってもらった事もあったし、家族ぐるみで旅行も行った。妹と二人でねーちゃんちに泊まり、夜っぴいてねーちゃんの旦那さん――にーちゃんや、従兄弟の子と一緒にゲームをしたりした。
だからねーちゃんなら、力になってくれると思ったけど……。
「あ、ちょっと待って」
電話の向こうでねーちゃんの声が遠ざかる。
バタバタと音。話し声が聞こえる。
しばらく経って、ガチャガチャと耳障りな音をたて、声がした。
「ミク、話は聞いたよ」
にーちゃんの声だ。
にーちゃんと言っても伯母さんの旦那だから、もうかなりいい年の中年だ。
「お前、今日か明日にでもここに来れるか」
「え?」
「出来たらここに来い。お前がママと会うのは、その後でもいいだろう」
「は? まさかにーちゃん、こっそりママを呼んだりするとか……そんなんじゃないよね……?」
「バカ。そんな事するか。今日が無理なら明日でいい。いいか、お前一人で来い」
言った後、にーちゃんはこっちの返事も待たずに電話を切った。
何よ。
一方的にもほどがある。
大体にーちゃんが何でここで出てくるの?
にーちゃんと言えば、バカでマヌケな事を話すヘンなおっさん、というイメージしかない。小学生の頃、夏休みの宿題を手伝ってもらった記憶があるくらいで、ねーちゃん以上の存在感があるわけではなかった。
それがいきなり何なんだろう。
でも――
どうしてだろう。
いつになく一方的なのに。
まるであたしが絶対に来ると確信しているような声。
いいか、ミク。お城を作るならまずは材料だ――
そう言って、夏休みの貯金箱を一緒に作ってくれたにーちゃん。
二人してカラになった牛乳箱と紙粘土を使い、シンデレラ城の貯金箱を作った。
どんな貯金箱にする? と聞かれて、あたしは迷わずシンデレラのお城! と言ったからだ。
でもそのお城は、ママが認めてくれなかった。
こんなあんたらしくないもの提出したら、絶対先生に目をつけられるわよ――
そう言って、不格好な時計の貯金箱を持って行かされ、あたしのお城はどこかに消えてしまった。
あのお城は捨てられたんだろう。
そうだ。あの時もママはあたしの言葉なんて聞いてくれなかった。あたしは先生とか学校とか、そんなもの、どうでも良かったのに。あたしは真っ白な紙粘土とピンクと水色の絵具で塗られたシンデレラのお城を持っていきたかったのに――
あたしが学校に持って行ったのは、不細工な時計の貯金箱。
まるでこれが貴女にはお似合いだよ、と言っているような、そんな貯金箱。
あたしはあの時から、ずっと望んでいたのかもしれない。
幸せな生活。暖かな未来。輝く時間。
夢がいっぱい詰まった、お城のような暮らし。
自分で作った貯金箱のように、自分で作り上げる可愛いおうち。
そんなものを、あたしは手に入れられると信じていた。あたしだけのシンデレラ城を。
でも、現実にあるのは違った。シンデレラはお伽話だったんだと――そんな当たり前の事、分かっていたのに。
それでも気付かされたんだ。
無理矢理気付かされたんだ。
四.
扉を開けたにーちゃんは、とても意外そうな顔をしていた。
「本当に来てくれたんだな」
開口一番の言葉に、あたしは呆れて声を尖らせた。
「はあ? にーちゃんが来いって言ったんでしょ?」
「まあそうだけど……。お前、もう何年も、ずうっとここにも来てくれなかったじゃないか」
「そりゃあ、まあ……」
「まあ何だ。とりあえず上がれ」
家に上がって居間に通される。
ねーちゃんもいた。
それよりあたしが目を奪われたのは、居間の電話台に置かれてあったモノにだった。
「これ――」
ひび割れた白い壁。古ぼけつつあるニスに、少しだけ色あせたように見える、水彩絵具のピンクと水色。
にーちゃんと昔作った、あのシンデレラ城の貯金箱だ。
「覚えてるか? お前が小学生の時、ここに泊まって一緒に作った貯金箱だよ」
「うん……。でも、何でここに? もうとっくに捨てられたのかと思ってた」
「お前のママが捨てるって言うから、勿体ないって思ってな。それなら俺にくれ、って言って貰ったんだよ。昨日、お前と電話してたら俺も昔を思い出してな。折角だから出したままにしておいたんだ」
「あざといなぁ」
そうは言ったものの、昨日の今日で意外なものを見せられ、あたしはしばし声を失った。
よく見ると、補修の跡が見えた。古いものだし、にーちゃんが直してくれたんだろうか。
にーちゃんもねーちゃんも、そんなあたしに何も言わず、あたしが見飽きるのをただずっと見ているだけだった。
しばらくして、あたしも居間のソファに座り、二人に向き合う。
ママとは違い、この二人に気兼ねはしない。でも、親戚とはいえ他人だ。気の置けないと言っても、それでもやっぱり二人は他人だ。
「で、何なの?」
少し間を置いて、ねーちゃんではなくにーちゃんが返した。
「最初に言っておくが、にーちゃんもねーちゃんも、お前の事は尊重する。お前が下した決断だ。それを否定はしない。出来れば――いや、そうでなくても……お前の身におきた事を祝ってやりたい。応援もしたい」
回りくどい言い方は、にーちゃんらしい。
「にーちゃんはな、お前に聞きたい。ミク、お前に覚悟はあるか? 子供を産んで、育てるっていう覚悟はあるのか?」
「あるよ。あるに決まってる」
途端、今まで見せた事のない険しい顔に、にーちゃんはなった。
少し俯いて、言葉を探るように視線を泳がせた後、今度はまっすぐにあたしを見てくる。
ねーちゃんも見ている。まるで厳しい風の前に立っているかのような顔で。
「そんな言葉じゃないぞ。そんなんじゃない。いいか、覚悟っていうのは、そんな生易しいものじゃないんだ。お前、誰にも祝福されず、誰にも認められなくても、子供を産んで、育てて、守りきれるか?」
にーちゃんの言葉から、息を呑むような圧迫感が伝わってきた。
何? 誰にも祝われないで?
そんな――
そんなの――
「陳腐な言い回しだがな――世界中を敵に回しても、産む子を守ってやれるか? 信じてやれるか?」
そんな事、あたしだって――
「あたし……あたしもママに認められてないのに……そんなの……」
「子供を産む、育てるっていうのはそういう事だ。誰にも、俺達にも、ママやパパ、じいちゃんやばあちゃんにもこの世の誰にも認めれなくっても――いいや、産まれる子供にさえお前が認められなくても、それでもお前はその子を守れるか?」
みんながあたしを非難するの?
みんながあたしを間違ってる、出来損ないの不細工な人間だって言うの?
「もしそれでも守れる、その子を信じてやれる。お前がそう言えるのなら――」
そんなの言えるわけがない。
あたしは、誰にも認められてないのに。認めてもらえてない人間が、どうして誰かを認める事が出来るの?
ひどいよ。
ひどいよ、にーちゃんもねーちゃんも。
嗚咽がせり出しそうになる。
「お前がはっきりそう言えるのなら、にーちゃんとねーちゃんは、何があってもお前を守る。お前を信じよう」
守る?
嗚咽――止んだ。
「例え世界中の誰が何と言おうと、にーちゃんとねーちゃんはお前の味方になる。お前がその子を守るというんなら、その覚悟があると強く言えるんなら――にーちゃんとねーちゃんが、お前と産まれてくる子の楯になってやる。だからどうだ? お前に覚悟はあるか?」
にーちゃんの目。逸らさずに濁らずに。
ねーちゃんの目。泣きそう。でも悲しそうじゃない。
何だろう? でも、何だか分かった。
すごく分かった。
すごく、強い。
この二人は、多分いま、世界最強の気持ちであたしに向かっているんだ。
にーちゃんが言ったように、陳腐だけど世界中が敵になっても、絶対譲らない。守るべきあたしに裏切られても、それでもきっと――
そんな想いで、あたしに聞いている。
気付いたら、あたしの両目から、ポロポロと零れはじめていた。とめどない。嗚咽も出そうになるが、あたしは堪える。駄目だ。一度でもしゃくりあげたらそれは駄目だ。それは堪えるんだ。
「うん。ある。覚悟、あるよ。絶対、守ってみせる」
「お前のカレ――お腹の子の父親に、お前が裏切られてもか?」
カレの顔が浮かぶ。
だらしない男。でも好きになった人。その人に自分が見捨てられても。ママみたいにあたしを見てくれなくなっても。それでも。
「うん」
「たった独りになってもか?」
「うん」
にーちゃんはしばらく黙っていた。
あたしは大粒の滴を落としながら、それでも目を逸らさなかった。
ねーちゃんも泣いている。何故か泣いている。
「分かった。それが聞きたかった」
そう言って、にーちゃんは立ち上がる。つかつかと何も言わずあたしの後ろに回り込み、電話台へと近寄って行った。
あのお城の方に。
「こんな壊れ易そうなものでも、守りたいって思えば守れるし、壊れても直せる。人間だってそうだ。お前に覚悟があるのなら、例え崩れかけても、絶対に直せる。にーちゃんとねーちゃんが直してみせる。このお城みたいにな。だからお前は自分の力で自分の城を作ってみせろ」
「貯金箱、やっぱり直してくれたんだ」
「ああ。引き取った時にな。でも、ありふれた材料だから直すのだって難しい事じゃない」
にーちゃんの目が、一緒に貯金箱を作ってくれた時の、優しい形になっていた。
「あたし……あたし、ママに認めてもらいたかった」
二人がこっちを見てるのが分かった。
「あたしはずっと居たのに。ママの側に居たのに。それなのに、ママは一度もこっちを見てくれなかった……」
ねーちゃんが横に腰を下ろしたのが分かった。優しく背中を撫でられると、今まで我慢してた嗚咽が、堰を切って溢れ出した。
泣くだけ泣いて、あたしはゆっくりと顔を上げた。
「ママが見てくれなくてもいい。ママと仲直り出来なくてもいい。その覚悟はもう、出来た」
「それでも産んで、育てるんだな」
「だって、あたしがママになるんだから。にーちゃんとねーちゃんみたいに、この子を守ってやる。絶対に守ってやる」
あたしは自分のお腹に手を当てて、世界最強の言葉を呟いた。
きっとあたしは、お城でみんなに祝ってもらえるシンデレラになりたかったんだ。
みんながあたしを見て、みんながあたしを認めてくれる。
あたしの世界で――あたしだけの世界だけで祝福され、愛されるシンデレラに。
でもその時代は終わった。
あたしが終わらせたんだ。自分自身で。
もうあたしはシンデレラにはなろうと思わない。
シンデレラを守るお城になるんだ。
あ、もし男の子ならシンデレラじゃなくて王子様か。
でも何故か、産まれてくる子は女の子のような気がした。
名前はあたしの未久って名前から一字とってこうしよう。
未来ちゃん。
あたしが守る、未来のシンデレラだ。
人生で2編目になる短編です。
女性が主人公の話を書きたくて、書いてみました。
もう一遍、若者が主人公のお話しもあります。
『ビーストモンスター 〜でんせつのけんとま王〜』
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長編ハイファンタジー
『銀月の狼 人獣の王たち』
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も書いています。よろしければ是非。