第4話 マナーはすでに完璧!
うん、まあ、忘れているという意味では嘘ではない。忘れているから、信憑性がある、はず。
「ええ!? そうなんですか!? た、大変じゃないですか!? は、早くお医者様に!!」
それを聞いたシノの反応は私にとってもびっくりだった。
というか、シノの反応を全く考えていなかった。
さすがの私もこの短時間にシノの反応を考えることはできなかった。
いや、もしかしたら、子どもの体になったせいで頭の性能が下がっているかもしれない。分かんないけど。
「待って! お父様には言わないでほしいの」
「何を仰っているのですか。そういうわけにも――」
「お願い! 黙っていて」
シノを止めるために恥ずかしいけども、この幼い体を利用した必殺技を使うことにした。
それは潤んだ瞳と上目遣いを使ったお願いである。
孤児院への訪問をしているとき、幼い子たちがこうしてお菓子などを強請っていたのを覚えている。大人のみんなはあっさりと孤児たちの作戦に引っかかっていた。
そのときの私はさすがに恥ずかしくてできなかったが、四歳の今の私なら問題ない。ちゃんと効果はあるだろう。
そう思ってやったのだが、やっぱり効果ありのようで、不機嫌な表情から緩んだ表情へと変化した。
小さく何かを呟いているが、何を言っているかは分からない。
まあ、悪いことではないはず。
「くっ、分かりました。このことは旦那様へは報告しません。しかし、そのことが私以外にバレることがあれば、確実に旦那様や他の者たちへと広まります。なので、私がお嬢様のフォローをします。しっかりとサポートさせていただきます。よろしいですね?」
シノはそう言って私のサポートをすることを私に伝える。
このことは非常に助かるのは間違いない。この幼い身ではできないことは多くある。
「ええ、お願いね、シノ」
だから私はその申し出を受け入れた。
「はい、お嬢様!!」
シノは満面の笑みで返事をした。
それからマナーの時間になる。
教師はシノなので、緊張というものはない。
「さあ、お嬢様。今日もびしばしやっていきますよ!」
シノはノリノリでマナーの教師をした。
ただ、シノの知っている私と今の私では練度が違う。シノの与えられた課題を難なくクリアする。
そんな私にシノは唖然としていた。
「お、お嬢様? こ、これはどういうことですか? 昨日まではこんなに上手くなかったのに……」
う、うん、やっぱり昨日まで拙かったことがいきなりできるようになったというのは、かなりシノを驚かせたよう。
本当は縁起でもしようかと思ったけども、私に染み付いた動きというのは演技を許さなかった。
それはすでに私の動きというのが意識せずとも染み付いているということで、マナーをしっかりと身に着けているという証なのだけども、今回ばかりは余計なものであったのは間違いない。
「ま、まあ、色々あるのよ。神様の贈り物ってやつかも」
そう言うとシノは一瞬笑いそうになり、驚愕の表情へ。
ん? なんで笑いそうになったの? それは置いといて。
「神様の贈り物、ですか。普通なら信じられませんが、あれを見た後では信じるしかありませんね」
「信じてくれるの?」
「今日のお嬢様は私の知っているお嬢様とは違いますから。信じます」
「ありがとう、シノ」
シノがこうして信じてくれるというのはうれしい。
「はあ、お嬢様がこれだけマナーを習得しているとすることがありませんね。どうしますか? この時間帯はマナーのお時間です。外へ出ることはできませんし……」
「なら、勉強がしたいわ」
「勉強、ですか。午後も勉強時間ですよ? するんですか?」
「ええ、するわ。でも、やるのは別のこと。私、色々と勉学に関係ないことも学びたいの」
それは神様から言われた婚約破棄後のための行動の一つ。
私が習うことはほとんど貴族社会のことばかり。役に立たないということはないのだろうけども、婚約破棄後の生活のことを考えると他の全く関係ないようなことが必要になることは間違いない。
なので、このマナーの時間はそれを学ぶ時間にしたい。
「どんなものを学ぶのですか? 内容次第ではほんの少しですが、午後の時間を使っても問題ないです」
「? 午後の時間もシノが決めることができるの?」
「忘れたのですか――って、忘れていたんですね。午後の授業も私が担当しているんですよ、お嬢様。私はお嬢様付きのメイドで、教育係やその他諸々を兼任しているのですよ」
シノが思ったよりもすごいメイドだった。
だって、普通のメイドはここまで兼任なんて無理だから。
そもそも私の常識ではマナーなどは他の高位の貴族夫人などが教師になる。それを考えたらシノはどんな後ろ盾があるのだろうか。知りたいけど、知らないほうがいいかもしれない。
「それで、何か学ぶことはありますか?」
「それはまだ決めていないの。ただ、料理をやってみたいわ」
やることは色々なのだろうけども、今の私に思いつくのは料理くらいだ。他はやりながら考えるしかない。
「料理、ですか。お嬢様は貴族令嬢ですよ? 必要ないです」
シノが言っていることは正しい。正しいのだけども、未来を知っている私にはその必要ないものこそが私に必要なものになる。
「いいわ。それでもやるの。やらせてもらえるかしら?」
「…………かしこまりました。ですが! お嬢様はまだ四歳です。体がまだ成長していません。その状態で危険な刃物を使う料理を任せることはできません。なので、そちらは六歳ごろでよろしいですか?」
「そうね。そこはシノに任せるわ」
忘れていたが、今の私はもうすぐ五歳の幼児なのだ。その器用さは十八だったころの私と比べて、とても拙い。料理をしたことはない私ではよく分からないが、日頃食べている料理が簡単ではないことはよく分かる。今の私がしたところで、怪我をするだけだろう。
今すぐ料理の練習ができないというのは残念だけども、無理をして取り返しのつかないことになるよりはマシだ。
ただ、何をやろうか。それが困る。
「何をするか、困っているようですね」
「ええ。とりあえず料理からしようと思っていたから。他はまだ考えていなかったのよ」
「そうでしたか。私も考えます。お嬢様はどのようなことがしたいですか?」
そう言われて、すぐには答えられなかった。
それは別に思いついていないとかではない。ちゃんとある。言ってしまえば庶民がするようなことをしたい、ということ。
え? 答えになっていない? いえ、なってる。だって、貴族令嬢である私は庶民の生活を全く知らない。貴族の令嬢が貴族がするようなことをしたいなんて言えば、それは答えになってはいないけども、貴族の私が庶民がするようなことをしたいというのは答えになる。
で、すぐに答えられないことだけども、今の私の立場は公爵令嬢。そんな私が庶民の生活能力を身に付けたいなんていうのは問題があると思う。
なので、私の教師であるシノには言いにくい。
「……何やら言いにくいことのようですね」
「ええ。その、今の私には許されないことですもの。言えないわ」
「お嬢様、私の雇い主は旦那様ですが、この忠誠はお嬢様のものです。この私がお嬢様を裏切ることは決してありません。我が名をお嬢様に捧げます」
「!! シノ!?」
『我が名を捧げる』という言葉に私は驚く。
これは騎士などが使う、騎士の誓いのようなもの。騎士の誓いと比べて重くはないけども、そう簡単に使うことはできない。ただ、重くはないけども、主な意味としては自分の全てを捧げる、つまり忠誠を誓うということだ。
だから、私は驚いた。だって、今の私は四歳の子ども。忠誠を誓うにしても、私たちの関係性は忠誠をすぐに誓えるほどではない。今の私にその価値があるかなんて分からないんだもの。
「な、何を言っているの!? だ、ダメよ! 私なんかに忠誠だなんて……」
シノの忠誠が嫌というわけではない。むしろ、何かうれしい。
「先ほどの言葉は決して訂正することはありませんよ」
「な、なんでよ!」
「お嬢様こそ、私の絶対的な主ですから」
「ぜ、絶対的な主?」
よく分からない。
「ええ。メイドとして仕えたいと思う主がお嬢様なのです」
「私ってメイドから見たらそういう対象なの?」
メイドたちが私に忠誠を次々と誓ってくるというのはちょっと嫌だ。さすがに管理できない。
「いえ、そういうわけではありません。私が特別にお嬢様をそう想っているのです」
「シノだけなのね?」
「はい」
これを聞いて一安心した。
ただ、忠誠を誓われても婚約破棄後はきっと一緒について来ることは出来ないと思う。シノほどの優秀な人材は婚約破棄後の生活では雇うことができるほどのお金はないだろうから。
個人的にはお給料なんて低くていいですなんて言ってくれると嬉しいのだけども、現実はそうはいかない。シノはやっぱり婚約破棄後の私の生活にはいないだろう。
「まあ、一先ずはよろしく、シノ」
シノの誓いを素直に受ける私。
ずっと一緒にいられるわけではないのに、この誓いを受けるのはとてもずるいと思う。本当は受けるべきはないはず。
でも、それを分かっていながらシノを拘束する。
その時が来たら父にシノへの支援をしてもらえるようにお願いしたい。
「ありがとうございます、お嬢様!」
うれしそうなシノを見ると罪悪感が……。
「それで話に戻りますが、どのようなことをなさりたいのですか? 私の主はお嬢様ですから、お嬢様の不利になることは決して漏らすことはありません」
これは言うしかないと覚悟を決める。
「その、ね。庶民がやるようなことをやりたいのよ」
「庶民がやるようなことですか?」
シノが首を傾げて言う。
「そうよ。実は先ほどの料理もそうなのよ。庶民がするようなことをしたいの。ただ、庶民がするようなことってあんまり分からなくて……」
全てではないが、ある程度は話した。
ただ、シノはあまり歓迎していない様子。
「そのようなこと、お嬢様がする必要が?」
「それは……ないけども、やってみたいのよ。お願い」
「分かりました。私のほうで探してみますね」
なぜか知らないけども、あっさりと通った。
あの表情だったので、もっと言われると思ったのに。
でも、私の願いが叶ったので、よかったと思おう。
「では、しばらく午前中は自由時間にしておいてください。お嬢様に合うものを探してきます」
「お願いするわ、シノ」
で、今からの時間は話だけで結構進んだので、残り僅かな時間はシノとおしゃべりをすることにした。
まあ、おしゃべりと言っても、楽しいおしゃべりとかではない。今は一応、マナーの勉強の時間。雑談にはならない程度の内容を話した。




