歌舞伎町の話
その飲み仲間が亡くなったのは、僕がほんの半年だけ、外国へ赴任している最中の、夏が過ぎた頃の事だった。
兼ねてより体調が思わしくないとは聞いていたのだが、まさか亡くなってしまうとは思っていなかった。その知らせを聞いたとき、僕は現場を部下に任せて、ひとり異国のトイレの個室で泣いた。
僕がその素晴らしい先輩に出会ったのは、10年以上前の事だ。
そこは、背の低い姉御肌のママがひとりで経営している、歌舞伎町の小さなスナックだった。
「知ってるか?超新星爆発が起きると、サーバのハードディスクが壊れるんだぜ」
毎回毎回、くしゃくしゃのくせ毛をいじりながら、嘘か本当かわからない、素っ頓狂な話ばかりする人だった。ギターが弾けるくせに滅法音痴で、カラオケはいつも洋楽を選んでは、ぎゃあぎゃあ叫んでいるだけだった。酔っ払ってくると、なぜか大槻ケンヂのしゃべりのモノマネをしはじめた。さらに酔っ払ってくると、それはさー、しか言わなくなる人だった。朝方には、隣の店のママまで巻き込んで、毎度毎度つるとんたんへ。はやくしないと閉まってしまうぜなんて、ひとりで勝手にまくしたてていた。
本当に愉快な人だった。
でも、死んでしまった。
僕は他の飲み仲間とは違って、葬儀に顔を出すことができなかった。
だから帰国後、それを埋め合わせるように、僕は少しづつ彼の話をした。
「出会った頃はね、あのひと、お酒の飲み方も知らなくてね」
そうして、彼との思い出を聞いては拾って集めていった。
大企業に転職したこと、娘が生まれたこと、離婚したこと。
彼のくだらない話の中に埋もれていて、なんとなく僕も持っていた彼の物語が、繋がってゆく。
病気になったこと、隣の店のママを好きだったこと、告白するたびにフられていたこと、仕事を辞めたこと。
「あんなふうに、死ぬ人じゃなかった」
どんなふうだったのか、誰も口には出さなかった。
僕も怖くて、聞くことができなかった。
どちらにしろ、死んでしまったのには、かわりがないのだし。
そして、春になる頃に、隣の店のママが店を閉めた。
客のひとりと結婚して、遠方に行ってしまうのだと言う。
そうして僕は、彼が歌舞伎町でどうなってしまったのか、なんとなく理解した。
激務に追われ、酒に逃げた。家族を無くし体を壊し、惚れた女もいなくなった。
その顛末は、きっとどこにでも転がっていて、結末もありきたりのものなのだろう。
けれども。
それからほんのしばらく間、僕の足が歌舞伎町に向くことは、無かった。
そしてしばらくして。夏の暑い日の事だった。
彼と飲み明かしたスナックのママからめずらしく連絡があって、どうしてか阿佐ヶ谷の喫茶店で会うことになった。
後輩の女の子の芝居を見に行った帰りだという彼女は、あんなもの付き合いじゃないと見に行かないわなどと、ひとしきりぼやいた後、
「最近どう?顔出さないじゃない」
と、僕に聞いた。
「あの。歌舞伎町が怖くなってしまって」
僕は素直に答えた。何が怖くなったかは、言わなかった。
「わかるわ」
彼女は一言そういうと、ふうとタバコをふかした。
「あたしだって」
そう言ったきり、彼女は僕から目をそらし、ずっと窓のほうを見るばかりだった。
僕は彼女が言った事の意味もわからず、じっとテーブルの上で冷めてゆくコーヒーを眺めるしかなかった。
「でね。来月さ、みんなで彼のお墓参りにいくのよ。
もう一年になるの。あんたも来ない?」
長い沈黙を破ったのは、僕が思ってもみない話だった。
僕は、うなずくしかなかった。
昼間になんて集まった事が無い面子が、新宿駅のホームに立っている。
そして僕らを乗せた中央線は西へと進む。墓参りが終ったらすぐに歌舞伎町へ引き返して、酒を飲んでは泣いて笑うのだ。
きっとそれが、彼の供養になるのだと信じながら。