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苦手な方はご注意ください。

永劫回帰の家

作者: 加賀美よしのり

地方の衰退が叫ばれて久しい。

限界集落となって住居も店舗も学校も朽ち果てる中、かつて農村に君臨した大地主一族が豪邸も例外ではない。

かろうじてその構えを残すその豪邸は、その居室にも廊下にも厨房にも、長きにわたる一族の日々の営みが今もなお、走馬灯のように流れ続けているようだ。


1 末代末路

挿絵(By みてみん)

 一面に広がる田園風景の片隅に、木々がこんもりと小山のように生い茂るところがある。

 近づくと、それは大きな屋敷を取り囲む庭木であり、古い日本家屋の屋敷が覗き見える。

しんとした静寂の中、庭は雑草が延び放題、屋根瓦はひび割れ苔が生え、人が住んでいる気配は感じられない。

 しかし、更に近づいて家の中を覗けば、暗い居間の中に年老いた住人の姿が・・・・

挿絵(By みてみん)

 暗い屋敷の中、老人は炬燵からゆっくりと立ち上がると、居間を出て長い廊下を台所へと歩いて行く。広い土間がある台所で、電子レンジの中から徳利ごと温めた酒を三本取り出してお盆に乗せると、居間に運んでいく。

 老人の名は信夫。炬燵に入って飲み始めると

「またお酒!」

 と、横から老婆の声が飛んでくる。妻の春子が、いつもの冷たい目で睨みながら小言を言う。

 だが夫の信夫も黙ってはいない。

「飲まずにいられるか?」

「里子さんが来るまで待てないの?」

「里子さんはとっくに辞めたろうが!うちはお手伝いさんを雇うような身分じゃないんだよ。」

「そうなっちゃったのは家長たるあなたが不甲斐ないせいでしょう!この家はあなたの代で終わりよ。」

 いつも繰り返されることだ。

「この板倉家は徳之助爺さんの代に占領軍の農地改革で終わってるんだよ。大地主だった昔の栄光にいつまですがってるんだ?」

「だから私のお父さんが先代として銀行の頭取までやって頑張ったんじゃない。それをあなたは」

「ふんっ、君の親父の繁治郎さんは嫌な上司だったよ!元々俺たちの結婚に猛反対だったじゃないか!俺はむしろ、他の同僚より冷遇され続けたんだ。」

「出世しなかったのも私の父のせいなの?」

「さあね。どっちにしても頭取のくせに細かくてネチネチと小言を言って、みんな嫌ってたよ。」

「あなただけでしょう。自分の無能さを棚に上げて。」

 頭取の娘婿という強いコネがありながら管理職になれず定年退職した、才能がない、あなたの代で落ち目になった・・・

 普通の夫なら、これら耐え難い侮辱を「うるさい!」と一喝し黙らせるのだろうが、婿養子の信夫は舅が亡くなった今も、妻の小言から逃げるように酒を飲む。こんな生活がまだ続くのか?

 部屋の鴨居に掲げられた歴代家長たちの写真が、和服や軍服、礼服姿で、酒に溺れる信夫を見下す。

 静かに立ち枯れ落ちぶれる一族の末路を、周りの草木は外の世界から覆い隠すように生い茂る。


2 隔絶


 木々も雑草も生い茂る広い庭を、40代と思しき男が玄関に向かって歩いて来た。

 彼は両手に荷物を持っている。

「おはようございます、板倉さん。」

 住人の信夫は年寄りで耳も遠いし体の動きも緩慢だ。呼んでもなかなか出て来ない。

「板倉さん、入りますよ。」

 そのまま台所に行って、荷物を開ける。そこには弁当がいくつか入っていて、そのまま冷蔵庫に入れる。手慣れたものだ。

 だが、男は何故か緊張している。恐れるように辺りを見回す。

 そこへ、がらりと扉が開いて、信夫が台所に入ってきた。

「おお、あんたか。いつもご苦労さん。」

 すると男は答える。

「おはようございます。またお食事を冷蔵庫に入れておきましたよ。」

「家内は今寝てるし、お茶も出せなくて済みませんね。」

「いえ、それではこれで・・・。」

 男が挨拶もそこそこに立ち去って行くと、直後に春子が入れ違いで台所に入って来た。

「誰か来ましたか?」

「弁当屋だ。冷蔵庫に入っているから・・」

「あとで頂きます。もう少し寝ますから・・」

 いったい何時まで寝るつもりだろうか!?信夫は部屋に戻る妻の後ろ姿を呪わしく見送る。

「弁当屋が女だったり、女のヘルパーさんでも来たら、またあいつは騒ぎ出すところだ。」

 信夫は自分の食事を出して一人黙々と食べながら思う。

 お嬢様育ちでろくに家事もせず、家政婦に任せきりだった自分を棚に上げて夫を無能と罵倒する。その一方で春子は、長身で男前の信夫を男として認めていた。

 信夫は歴代の家政婦に恋心を抱いたことなど一度もなかったが、春子は独占欲が強く嫉妬深い。

 最後の家政婦だった里子さんは六人目。みんな春子が嫉妬して追いだしてしまう。とくに最近認知症気味の春子はヘルパーにも見境なく嫉妬する。だから男の弁当屋でさえ春子を忌み嫌う。やがてヘルパーも来なくなり、広い家の中も掃除が行き届かず、薄汚れていく。

 ただでさえ広くて暗い屋敷は、陰湿な春子の存在で一層暗く陰鬱にする。

 太い大黒柱も彫刻だらけの天井や鴨居も重苦しい。老夫婦二人だけだから使っていない部屋がほとんどだ。居室だけ照明を点けたところで、仄かな電球の灯り以外は広大な暗闇が無意味に広がるだけなのだ。

 身分不相応となった大きな屋敷は、大きな負担となって老夫婦に重くのしかかる。

 春子というお嬢様育ちの女も、信夫には分不相応な妻として重くのしかかっているのだ。


3 埋没


 暗い家の中で春子と顔を見合わせるよりも、庭に出て草刈りでもしていた方が気が紛れる。

 その日、信夫は玄関から春子を呼ぶ。

「おい、鎌がないけど知らないか?」

 部屋の奥から春子が答える。

「知らないわよ鎌なんか・・あなたしか使わないのよ。」

 鎌がなければ草刈りはできない。しかたなく箒で枯草を集めたり、窓や軒下の蜘蛛の巣を払ったりしているうちに日が暮れて、信夫は家の中に戻った。春子は暗い居間で縫物をしている。

「こんな暗い部屋で明かりもつけないで、よく見えるものだ。」

「そう思ったら電気点けて下さいな。」

 信夫は居間の電気を点けると、酒を取りに台所へ行こうとした。その背中に春子が声をかける。

「お酒飲むんだったら台所で飲んだら?」

 振り向くと春子は眼鏡を下げて、あの冷たい目で信夫を睨んでいる。

「お前が居間と台所と同時に電気を点けるともったいないなんて言うから持ってきて飲むんだよ。」

「年金生活だから当然よ。もっともお父さんがあなたと同じ年の頃はまだ頭取として給料もらってたけどね!」

 あさましい薄笑いで夫をバカにする春子に、信夫は怒りをやっと飲み込みつつ言う。

「嫌われ上司だった君のオヤジはもう死んだし、この家を家長として継ぐべき篤志は、君がうるさく言うから出て行った。君のせいで孫も家政婦も寄りつかない。」

「だったら、あなたも出ていったら?」

 信夫の実家では両親も死に絶え、今はこの板倉家の婿養子だが、舅も姑がいない今、家の主は自分だという自負はある。

 台所でしばらくやけ酒を飲んでウトウトしていると、いつの間にか目の前に春子が座って信夫をじっと睨んでいた。そして唐突に言った。

「あなた、篤志の家に行ったら?」

 そう言う春子の顔は意地悪そうな笑みさえ浮かべている。

「誰が行くもんか!篤志だって妻子ある身だ。受け入れる訳がないしこっちも気疲れしたくない!」

「実はね、篤志と話がついているの。この家が嫌なようだから、施設に入るといいわ。」

「施設!?老人ホームにでも行けと言うのか?ふざけるな!」

 怒りに震える信夫に対して、春子は黙って立ち上がり、台所を出て行った。

「篤志と話かついている?バカな!何を企んでいるんだ?」

 いったん座った信夫も、はたと気づいて聞き糺そうと、春子を追うように台所を出る。そして居間に行くと、電灯もついていない暗い中に春子の姿はない。そそくさと寝室へでも行ったのか?

挿絵(By みてみん)

 冷酷な女だ。落ちぶれた家の跡取りにさせられて罵倒されて必死にもがいた末に施設へ行けだと?自分の人生は崩れ落ちるこの家の下敷きとなって埋もれてしまう。信夫は苦い酒を呷る。


4 永久の終焉


 その日、一台の乗用車が、古い屋敷の静寂を破って庭に入って来た。

 信夫は居間の雪見障子から、ガラス越しに庭を見た。車から降りてきたのは長男の篤志だった。

「おい、篤志が来たぞ。」

「あらそう。」

 平然とお茶を飲む春子にうんざりしながらも、信夫はひとり、玄関へと向かった。

「親父、いるか。」

 信夫が辿りつく前の玄関から、篤志は声をかける。

「篤志、よく来たな。」

「ちょっと大事な話があるから、上がるよ。」

「大事な話?まあ入れ。奥さんも子供たちも元気か?」

「ああ。」

「今酒でも飲もうと思ってたところだ。お前も飲むか?」

「いらない。」

 そう言うと篤志は父親とともに台所に入り、二人はテーブルを挟んで座り、向かい合う。

 緩慢な動作で酒を飲む信夫に、篤志は静かに口を開いた。

「どうにか親父を受け入れてもいいっていう施設が見つかったんだ。」

「施設?施設って何だ?何で施設に行かなきゃいけないんだ?」

「親父ももうこの家で生活するのは無理だ。わかるだろう?それに、建物は古くて危ないのに修理代どころか解体費用も払えないんだ。」

「篤志、お前も父さんを施設に入れる気か?俺はどこにも行かないぞ。」

「そんなの無理だって言ってるんだ。俺も家が遠くて毎日ここへ来れないし、食事を運ぶ弁当の業者もヘルパーも、あんなことがあってここへ来るのを嫌がっているんだ。もう誰も親父の面倒は見られないんだよ。」

「それは母さんが悪いからだろう、嫉妬深くて家政婦もヘルパーも追い出すからだよ!」

「・・またそう言うのか。話にならない。」

「篤志、この話は母さんも知っているのか?母親と組んで俺を追い出そうって魂胆だな?」

「いい加減にしろ!ボケじじい!!」

 篤志は怒鳴って立ち上がると、いきなり父親である信夫の胸ぐらを掴んで無理やり立ち上がらせ、今度は襟首を掴み、背中を押して台所の外へ押し出した。

「やめろ篤志、父親に何をするんだ?どこへ連れて行く気だ?」

「いいから来い!!」

 篤志は信夫の襟首を掴んで廊下を歩かせる。

居間の前まで来たが、なぜか居間の中の春子は出て来ない。

「おい春子、なぜ出て来ないんだ!!篤志と企んで俺を追い出す気だな!」

廊下から障子越しに叫ぶが、中から春子の声は聞こえない。

篤志は居間の前を過ぎて、更に奥へと信夫を連れ出し、入ったのは仏間だった。

篤志は信夫を仏壇の前に座らせると、信夫の額を手で押して顔を仏壇に向けさせて言った。

「母さんはここだ!!」

仏壇に、黒いリボンで飾られた遺影がある、そこに写っているのは、なんと春子だ!

「母さんは先月死んだだろうが!これを見ろ!!」

遺影の中の春子は怪しげな笑みを浮かべて、じっと信夫を睨む。

「う、うわあ~っ!!」

信夫は驚愕のあまり絶叫する。

「親父、あんたが殺したんじゃないか!!母さんを鎌で斬りつけて殺したのを、もう忘れたか?」

「ああ~っああああっ!!」

恐怖に慄き絶叫する信夫をじっと睨む遺影の中の春子は、次第にあの瞬間の、喉と額を搔き切られ血まみれの姿になり、呪わしい目で信夫を見据える!!

「うわああああああ~っ!!」

「ボケた妻殺しのジジイなんか、どこの施設も怖がって受け入れないんだよ。ボケ老人は刑務所も入れないんだ。俺が苦労してやっと受け入れる精神病院を見つけたんだんだ!母さんを殺したことを忘れるな!」


一面に広がる田園風景の片隅に、木々がこんもりと小山のように生い茂るところがある。

 近づくと、それは大きな屋敷を取り囲む庭木であり、古い日本家屋の屋敷が覗き見える。

しんとした静寂の中、庭は雑草が延び放題、屋根瓦はひび割れや苔が目立ち、人が住んでいる気配は感じられない。

 しかし、更に近づいて家の中を覗けば、暗い居間の中に年老いた住人の姿が・・・・

「またお酒!」

「飲まずにいられるか?」

「里子さんが来るまで待てないの?」

挿絵(By みてみん)

栄光と没落を見て来た屋敷は、その重厚で陰欝な佇まいの中に、信夫ら末代のみならず、和服や礼服、軍服をまとった一族の長きに亘る年月の営みが、廃墟となった今もなお営々と繰り返されているかのようだ。

どんな壮絶な事件も信夫の記憶からはたちまち消え失せてしまう。

しかしその恐ろしい出来事は強烈なインパクトを放って、残された篤志の心にも残された廃墟にも、深く刻まれたのだ。

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[良い点] 恐怖体験が思う存分にできた [気になる点] 残酷すぎる [一言] 最後に震えあがった
[良い点] すごい話ですね。ショックを受けました。 特に、今までそばにいると思っていた妻の遺影を見た瞬間は、映画で見たら悲鳴を上げそうです。 [気になる点] 怖い [一言] 特異な作品が多いので読む人…
2020/10/16 15:26 桐田 なにがし
[良い点] 作者の異端的な作風を曲げることなく貫いている。 文章表現がうまい。 [気になる点] 暗くおどろおどろしい作風は敬遠する読者も多いのでは? [一言] ホラー映画になりそう。
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