7 ここから始まる 森暮らし
今僕は、夢のような光景を目にしている。
目の前には、真っ赤な赤い実を豊かに実らせた木がいくつも並んでいる。一本一本の木が枝を広く伸ばし、空が見えなくなるほど葉を茂らせている。そのため、立ち並ぶ木々の中に足を踏み入れると、陽の光が届かずに薄暗くなっている。
しかし、その暗さがこれまた枝にぶら下がる大きな赤い実の美しさを際立てている。まるで、宝石があちこちで美しく輝く洞窟を進んでいるかのようだ。
30分ほど前、謎の光に包まれてウサギブタ(仮)との意思疎通ができるようになった後、僕はまた空腹で倒れこむように座り込んだ。
どうやら赤い実1つだけでは腹が満たされなかったようで、腹はぐるぐると音をたてていた。
そんな僕の様子を見たウサギブタ(仮)は、ついてこい、というような動きをして森の奥へ歩き出した。
そして30分ほど素直についていった結果が、この通り。
僕たちは赤い実の楽園に辿り着いたのだ。
僕の隣では、ウサギブタ(仮)がフゴフゴとその鼻を鳴らしながら地面の匂いを嗅いでいる。
どうやら危険な生き物が潜んでいないか確認しているらしい。
こいつは結構鼻がきくらしく、外敵がいないかを匂いを嗅ぐことで判断しているそうだ。
「こ、この実…食べていいの?」
外敵がいる様子はなかったのか、ウサギブタ(仮)が顔を上げて んぶぅ と元気よく鳴いた。
やったーー!食べ放題じゃんもう最高!!
堪らず一本の木に向かって駆け出し、木に登って一番太った実をひとつ毟り取った。
薄暗い中で美しく輝く真っ赤な実を手にすると、口の中に涎が溜まる。
では、さっそく、いっただきまーす!
と、口を大きく開けたところで、何やら下の方でウサギブタ(仮)が慌てたようにぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
どうやら、何かを伝えたいらしい。
「…え?ここで食べちゃダメなの?」
ぴょんぴょん、タシタシッ、たったった、パクパク
…要するに、ここでいくつか実を取ってはいいが、ここから離れたところで食え、ということらしい。
納得いかない。なんでこんな美味しそうなものが目の前にあるっていうのに、おあずけをくらわなきゃならんのだ。
何やらウサギブタ(仮)は下で必死にさっきのジェスチャーを続けている。
絶対!ここで!食べちゃ!ダメ!
って感じだ。
まぁ、そこまでいうなら…
と、しぶしぶ口を閉じる。
手に持っていた実をウサギブタに一度預けて、もう一度木に登って実を2つ取る。
これ以上持つのはちょっと危なっかしい。
まぁ3つもあれば今日は腹が膨れるだろう。
また明日、絶対取りに来よう。
そう心に決めて木を降り、赤い実の木がいくつも生えている場所から離れようと、通ってきた道を引き返す。
…しかし。涎が止まらない。とても甘い匂いが手元から漂ってきて、僕を誘惑してくる。
ゴクッと唾を飲み込む。
視線を下に落とすと、赤い実がまるで誘うように輝いている。
ひ、ひとくちだけ…いいよね?ちょっとだけだから!
我慢は、できなかった。
もうあと100メートルも歩けば空を覆う葉より外に出れる、というところで、ついに欲望に負けてしまった。
ぱくっ
ああーこれこれうっわうますぎ!!この甘さとぷつぷつした食感がもう堪らないっ!!
すると、僕が頬っぺたが落ちそうなほど美味しい実を食べていることにウサギブタ(仮)が気づいたらしい。目が合うと、ウサギブタ(仮)が足を止めて目を見開いた。
「…いや、悪かったって。謝るからさ。だからそんな怒らずに…」
そう言い訳をしていると、みるみるウサギブタ(仮)の顔が青ざめていく。いや、顔も黄色の毛に覆われているから、正確にはそんな感じの表情をしてるってことなんだけど。
ん?何か、怖がってる?
と思った瞬間。周りの空気がぐっと冷えた。
ゾクリと背筋に寒気が走る。突然霧が立ち込め、視界が一気に悪くなる。
そして、後方に何か、とてつもない気配。
こ、これは…僕、やっちゃった?
恐る恐る振り返ると、霧の奥から何かが近づいてきていた。
ひた、ひた、と聞こえる足音。ゆっくりと近づいてくる。
そして、高く透き通った声が聞こえた。
「ーーーーーーーーーー?」
ウサギブタ(仮)が、勢いよく赤い実の木々が並ぶ森の出口に向かって走り出す。
僕も急いでその後を追う。
「ーーーーー!!ーーーーーーーーー!!!」
何を言っているのかはさっぱりわからない。けど、確実に怒っている。そりゃあもう大激怒。
振り返らずに走り続けるが、すぐ後ろに迫っているのが分かる。
ひいいぃぃぃぃっっ!!!
全速力。足を必死に動かして走る。走る。走る。
すっと肩に何かが触れたような感触を感じたその時、ついに葉が覆う暗闇から、木漏れ日が溢れる場所へ出た。明るくなっている場所には霧はかかっていなかった。
すると、先ほどまで追ってきていた何かの気配が消え、寒気も消える。
こ、怖ええええええーーーーー
息を切らしながら隣を見ると、ウサギブタ(仮)が怒ったようにぶぅぶぅ鳴いていた。
ハハ、これは僕が完全に悪いですね、反省してます。はい。
頭を掻きながら苦笑いする僕に、鼻をふんっと鳴らした。
それからしばらく歩いて、小さな洞穴のようなものがある場所に出た。
ここは、ウサギブタ(仮)がいつも寝ている住処らしい。
僕はそこでやっと赤い実を食べる。ウサギブタ(仮)が霧から出たところから食べても問題ないっていうジェスチャーをしていたけど、またあいつが追ってくるんじゃないかと怖くなり、食べてはいなかった。
このとき、日はすっかりと落ちていた。夜の森は異常なほど静かで、何か不気味な様子だった。
ウサギブタ(仮)は疲れたのか、僕が赤い実を食べている間、膝の上で丸まって目を閉じて休んでいた。まだ眠ってはいないようだけど、うつらうつらと今にでも寝てしまいそうだ。
今日は、濃い1日だったなー。
突然子どもの姿で知らない森に転生して、空腹で倒れかけ、怪我をしたウサギブタ(仮)を助け、この世のものとは思えないほど美味い果実に心を奪われ、そしてそのせいで恐怖体験をして…。
1日でいろんなことがありすぎた。
正直、まだ現実を受け止めきれていない。
僕は前の世界で死んでしまったのだろうか。
家族や友人、同僚とは、もう会えないのだろうか。
帰りたいなー。帰れないかなー。…皆に会いたいな。
そんなことを考えていると、膝の上のウサギブタ(仮)がもぞもぞと動き、顔を上げて僕の目を見つめてきた。
こいつの目、すごく綺麗だよな。
真っ直ぐ見つめてくるウサギブタ(仮)の目を見ながらそんなことを思う。
僕にとって、ウサギブタ(仮)は命の恩人だ。こいつがいなければ今頃、空腹で倒れ動けなくなっていただろう。
「ありがとな、ウサギブ…」
…んー、ウサギブタ、はないよなぁ。
礼を言おうとしてるのに、ウサギブタ(仮)ってのもどうなんだろう。ここまで世話になっておいてちょっと失礼な気がしてくる。結構賢いやつだし、変な名前で呼ばれるとムッとするかもしれない。
「お前って名前あるの?」
頭を撫でながらそう聞くと、尻尾をぶんぶんと振った。
「なら、僕が名前つけてもいい?」
んぶぅ
嬉しそうに鳴いた。
「じゃー…その鳴き方かわいいし、ブゥって名前はどう?」
ぴょんぴょん、んぶぅんぶぅ
どうやら気に入ってくれたようだ。よかったよかった。僕はネーミングのセンスがないから、ちょっと不安だったけど。
「僕の名前は俊太だよ。これからもよろしくね、ブゥ。」
その日はもふもふの感触を堪能するため、ブゥを抱きしめながら眠った。昼より空気が冷えているのもあって、もふもふの暖かさをより一層心地よく感じる。
物語は、ここから始まる。
別の世界から転生してきた俊太と、奇妙でかわいらしい姿をしたブゥ。
このときはまだ、この1人と1匹の出会いが、森の様々な生き物たちの生活を大きく変えていくことになるなんて、誰1人として気づいていなかった。