運とは良くも悪くも不平等
運とは常に不平等
中でも悪いことばかり立て続けに起こる人はいったい何に幸せを見出すのか
そんな何気ない疑問に私の思いを文章にしてお伝えします。
人には運というものがあるって、いつからだったか思うようになった。
何も無いところでつまずく、カラスの糞に当たる、バスや電車に目の前で行かれる、あるいは、テストの山が当たる、宝くじに
当たる、引き出しを開けるといつしまったのかお金が見つかる、などなどエトセトラ
良いか悪いかふたつにひとつ、2分の1。
こればかりは運だろう。
ではこれは公平に人に振り分けられているだろうか?
私、真幸綾音はそうは思わない。私は生まれてこの方21年、何一つとまではいかないにしろ、ほとんどが悪い運というのか、なんというか、人よりも運がないのだ。
幼稚園の頃は初めての集団生活に馴染めず、休みがち、小学校に上がるとこれまたクラスに1人はいるであろう、いじめの大将に何の縁あってか目をつけられいじめられた。
これがなんとまた運のあることに、6年間も同じクラスになるものだから、私の小学生時代なんてろくなものではなかった。
中学時代、ああ、これも話せば悲しきかな。
とにかくそんなような事がずーっと続けば、誰だって運が平等に与えられるだなんて思いもしないだろう。
そんな私にとある友人が「考えてみよう、無差別殺人で殺された人や、放火魔に、どの家でもいいから火をつけたかった。なんてなる人に比べたら、アンタなんてまだまだ運あるわよ」と言っていた。
私が言いたいのはそういう特別運の悪い人ではなく、日常生活を過ごす上でのレベルの話であって、そこまでの話をしているのではないということなのだ。
まあ、話した所で誰にも理解されないし、嘆いていたらいたで、これまた疎ましく思われるから難儀である。
とにかく、なにか少しでも良い事が起きないかと祈る日々を過ごし、そんな思いとは裏腹に、どこか運のないことばかり起こる私、真幸綾音(21歳、大学4年、就活生)の冴えないけれど、沢山の小さな幸せが溢れている物語が始まるのであった。
はじまりは、いつだって突然だ。
はじめまして、三崎霞です。
このお話は、私が実際に体験したことや、この時こうしていたら。という半分フィクション、半分ノンフィクションで作っていくつもりです。
私自身友人に、リアルラック(よくわからないけれども生きていく中での運のステータス?)が人よりもかなり低いと揶揄されています。
でも、私は沢山の人に囲まれて生きている。それだけでも幸せだなぁ。と感じます。
とにかく、今回の物語はそんな私の秘めたる思いなどを真幸綾音に投影しつつ(ならなぜ女にした!という、ツッコミは正しい。)書いていくよていです。
どうか、よろしくお願いします。