表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/18

あたしの上司

「うわあ…広いんですね」


あたしは菩薩、もとい山南さんに屯所を案内してもらっていた。外から見たらそれほど広く感じない屯所だったが、実際に中に入ると広い。トイレ、浴場、大広間。いくつかの隊ごとに分かれた寝室、その他。庭も広々していて、よく分からない菜っ葉の植えられた畑、鯉の泳ぐ池なんかもある。

なんだかあまり、人斬り集団が住んでる場所という感じはしない。ちょっと裕福な、普通の町人が住んでる家みたいだ。

意外と馴染みやすそうかも知れない。あたしはホッとした。


「住みやすそうな所だろう?」


まるであたしの心を読んだかのように、山南さんが微笑んだ。


「はい。想像してたのは鬼ヶ島みたいなとこだったんですけど。普通ですね、なんか」

「鬼ヶ島?」


山南さんは口を押えて笑った。


「ああ、土方君のせいだね」

「そうですよ。あんな気違いが住んでるとこなんて、ろくな場所じゃないと思ってたから」

「まあ、普段は彼も、話の分かる人なんだよ。今日は気が立っていたから、君に不快な思いをさせてしまったようだけれど」


あたしは信用しなかった。騙されるものか、口喧嘩で負けた腹いせに、あたしを晒し者にした奴なのだ。


「ああ、そうだ。今日は、ほんとうは近藤さんに会ってもらうはずだったのだけどね…」

「近藤さん…って、局長さんですか?」


近藤さん、覚えている!確か新撰組で一番偉い人だ。山南さんはうなずいた。


「素晴らしい方ですよ。…しかし今日は、土方君となにやら『話し合い』をするそうで…申し訳ないけれど、近藤さんには明日会ってもらおうかな」


話し合い?読める、読めるぞ土方歳三。あたしの悪口を近藤さんに吹き込んで、ここにあたしの居場所をなくす寸法なのだ。しかしあたしはそんなものには屈しない。奴の汚い思惑など踏みつぶし、この組織で成り上がってやる。

鼻息を荒げるあたしの横で、山南さんが歩を緩めた。


「ここは稽古場だよ。ホラ、見てごらん」


あたしはその建物を、格子の隙間から覗き込んだ。すると中では、数十人の隊士たちが、「うおお」とか「でああ」とか、声を張り上げながら稽古に励んでいた。奥の方では打ち合いもやっている。


「あ、あの人…」


あたしは奥の方で打ち合いをする中に、防具もつけずに2人同時に相手をしている人を見つけた。その人は鮮やかな体捌きで、2人をほぼ同時に床に沈めた。あたしは歓声を上げた。


「ねえ山南さん!あの人めっちゃ強いですよ、あの奥の人!誰なんですか?」


山南さんも格子を覗き込む。


「ああ、斎藤君か。…強いよ、彼は。うちでも1,2を争う遣い手だ」

「へえ…!」


遠いし暗いので顔までは見えない。でもなんだか憧れのようなものを感じて、あたしは身を乗り出した。


「もっと近くで見てみるかい。他の助勤の先生もいらっしゃるよ。それに、君の所属も決めねばならないし」


そうだった。あたしが山南さんとの屯所珍道中をすることになったのは、屯所案内と同時に、あたしの所属を決めるためでもあったのだ。何人かの「助勤」という幹部がおり、その中の誰かの下で働くことになるのだそうだ。


「あっ、近くで見ていいんですか?ぜひ!」


あたしはありがたく山南さんの申し出を受け、稽古場に足を踏み入れた。途端、むおっと流れてくる汗の臭い。うわ、くッさ!!あたしは思わず鼻をつまんだ。こんなに臭いとは予想外だ!

続いて山南さんが稽古場に入る。あたしが入ったときは振り向きもしなかった隊士たちが、一斉に動きを止めた。


「これは、副長!」


賑やかだった稽古場は一気に静かになる。山南さんは腕を振った。


「続けてください」


再び、隊士たちは稽古を始めた。再び音の戻った稽古場を、あたしは鼻をつまみつつ、先程の最強なる男を探して歩く。

すると、見つけた。また新しい相手、今度は3人に囲まれている。あたしは立ち止まった。


「来い」


男は薄闇の中、よく通る低い声でそう告げた。夜の稽古場を照らす行燈の灯が、どこからともなく流れてきた風を受けて、ゆらりと怪しく揺らめいた。

刹那。男の背後に回り込んだ隊士が、男の後頭部めがけて竹刀を振り下ろした。

男はそれを、振り向きもせず左に傾いて躱し、その勢いで左方にいた隊士の胴を激しく打った。

声も出せずに転がる隊士。それに恐れをなしたか、男の前方に対峙する若い隊士が、ずるっと一歩後ろに退いた。男はその隙を逃さなかった。隙のできた隊士の喉元を、これでもかというくらい力一杯突いて、そいつを壁に叩きつけた。隊士はどさりと倒れた。

――強い。

あたしは鼻をつまむのも忘れ、その男に魅入っていた。

適当にたばねた黒髪が、竹刀を振るたびに揺れる。目にかかるくらい長く伸びた前髪の下で、切れ長で二重のきれいな瞳が時々顔を出す。

あたしは鼓動が高鳴るのを感じた。なんだか今まで一度も感じたことのないような、変な感情――

彼の頬を伝う薄い汗が、風を受けてそこを離れたとき。残りの隊士は竹刀を手放し、床に転がっていた。

わあっと、歓声が上がった。他で稽古していた隊士もその手を止め、この戦いを見物していたのだ。


「…き、楢崎くん」

「え…あ、はい!」


あたしは男に夢中のあまり、山南さんがあたしを呼ぶ声に気づかなかったらしい。しかし山南さんはそう気分を害した様子もなく、にっこり笑った。


「話をしてみるかい」

「え!話って、ちょっと…」


狼狽えたあたしの返事を待たず、山南さんは彼に声をかけた。


「流石ですね、斎藤君」


額の汗を拭っていた男は、山南さんに気づきぺこりと頭を下げた。


「…どうも」

「疲れているところ、悪いのだけれどね」


山南さんは、あたしを振り返った。


「楢崎君。こちらが副長助勤の、斎藤一君だよ」

「あ…は、初めまして!楢崎星華です!」


あたしは大慌てで、その斎藤さんなる男に頭を下げた。斎藤さんはあたしの顔を見て、ちょっと驚いた顔をし、そのあと会釈を返してくれた。

な、なぜ驚かれたんだ?顔になにか付いてたのか?

アワアワするあたしをよそに、山南さんは微笑み、言葉をつづけた。


「こちらの楢崎君はね。今日から『斎藤君の下』で働いてもらうことになりました。よろしくお願いしますね」

「え」

「え」


え?

初対面のあたしと斎藤さんの声は、その時見事に重なった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ