最低最悪な出会い
「…で」
あたしは大通りのど真ん中、その地面に神妙な顔つきで正座していた。両手は縛られたままで、周りは恐ろしいだんだら集団に囲まれている。
そしてあたしの目の前には、長い髪をポニーテールもどきにした、目つきの悪い男がいた。奴は怒りのオーラをまき散らしながら言う。
「せっかく追い詰めてフン捕まえて牢屋にブチ込めるはずだった桂を逃がした…テメェは一体誰だ」
な、なんだコイツは。整った顔をしているが、いかんせん目つきが凶悪すぎる。二重瞼の下で、でっかい目玉がギョロギョロしている。
あたしはそのポニーテールもどき男の剣幕にたじろぎながらも、なんとか虚勢を張って答えた。
「人に名前を尋ねるときは、まず自分から名乗るモンじゃない?」
あたしをとりまく男たちがどよめく。
「なんてバカだ、あいつ斬られるぞ」
あたしにもしっかり聞こえたが、目の前の男は薄笑いを浮かべただけだった。
「フン…いい度胸だ。教えてやろう、俺は『ヒジカタトシゾー』だ」
「ヒジカタトシゾ―?」
得意げに言われたその名前に、あたしは脳内で漢字を当てた。
肘。肩。年ぞう。
脳内にできあがったのは、年齢で肘も肩も使い物にならなくなった、ヨボヨボのじいさんだ。
う、うわあ。可哀想な名前だ…
なぜかふんぞり返っている男に、あたしは同情の目を向けた。
「あんた、まだ若いのに、大変ね。小さい頃とか、名前のせいで苛められてたんでしょ」
「は、はァ?」
男は怪訝な顔であたしを見下ろした。
「おめえ、俺の名を知らねえってのか」
「いやだってそんな変な名前、一度聞いたら忘れないって」
「あ!?俺の名前のどこが変だっつーんだよ!」
凶悪な顔で凄む男に対し、あたしは言ってやった。
「肘と肩、もう年だゾー」
「あァ!!?」
目の前の男の顔が真っ赤に染まった。滑稽なその変化に、あたしは爆笑した。
「あははははっ!あんた災難ね!生まれた時から節々の痛みを約束されてるなんて!」
「なッ…」
肘と肩が年でもうどうしようもない男は、ゆでダコのようになって怒鳴った。
「違う!!『土方歳三』だッ!土に方角の方、歳月の歳に…」
突如着せられた不名誉な呼び名を必死で弁解する奴の言葉など、あたしは笑い転げていて全く聞いていなかった。さらにあたしが笑い転げると、だんだら軍団の中にもプッ、と失笑を漏らす者も出始めた。肘肩年ぞーの顔は土気色をおびてきた。
「そ…そんならテメェは何なんだ!俺の名前をここまでコケにしくさったんだ、大層ご立派な御名前であらせられるんだろうなッ!?」
必死の奴に向かって、あたしは低い声で、格好よく言い放った。
「ふっ…あたしは、『楢崎星華』。夜空に舞い散る星の華よ」
「……」
「どうだ、格好いいだろ!まァいずれにせよ、この世のどんな名前も、『肘肩年ぞー』より変じゃあないと思うけどね」
高らかに笑いながら言ってやった。ああ、快感だ!自分で言うのもなんだけど、あたしはかなり口が悪い。嫌いな相手は容赦なく叩き潰す。口喧嘩で負けたことは、生まれてこの方一度もないのだ。そんなわけで、目の前の可哀想な年ぞーさんが、あたしに勝てるはずもなく。
「な…な、なんだと、ふぉの野郎!!ぶった斬るぞ!!」
「あらー?おじいさん、舌が回っていませんよ。ちゃんと歯はありますか?」
あたしがとどめの一撃をお見舞いしてやった瞬間。
肘肩年ぞーの、なんとか袋の緒がプッチンと切れた。
「テメェ…言わせておけば…!!ぶった斬って四条河原に晒してやるッ!!」
奴は電光石火と言える速さで刀を抜いた!あたしはハッとして逃げようともがいたが、なにせぐるぐる巻きの芋虫状態。
「どあッ!」
あたしは勢い余ってべしゃっと倒れた。顔から!目から火花が出た。
その頭上に迫りくる影!
「わ、た、ちょっとォ!冗談だって、やめれェェ!」
「そこまでだッ!!」
「!」「!」
謎の男の大声が響き渡ると同時に、肘肩の動きがピタリと止まった。周りのだんだら軍団も一瞬にして固まったのが、場の空気で分かった。いったい、なんなのだ?
「か、容保様…」
カタモリさま?顔、見えないし!あたしはうつ伏せに倒れた芋虫状態をなんとか立て直そうと、一回転した。仰向けになった、その頭上にいたのは。1人だけ場に合わない、たいそう立派な着物を着た、貴公子だった。
「土方。そなたには童子のような所があって、いかんな。このような少女までも斬ろうとするとは」
貴公子はあたしを縛っていた縄を斬り捨て、あたしに手を差し出した。
「さあ」
「あ…どうも」
あたしはありがたくその手を握って起き上った。誰なんだいったい、この紳士は?肘肩と違って育ちが良いのは明らかだ。
「ありがとうございま…」
お礼を言いかけた時、あたしは周りの様子に仰天した。肘肩年ぞーをはじめとする集団が、一人残らず地面にひれ伏していたのだ。な、なんだ、この人、いったいどこの国の王様だ!?
言葉を無くしたあたしをよそに、この王様は肘肩年ぞーに言った。
「土方、この者は私の客だ」
えええええ!?客って、ちょっと。そもそも王が誰なのかも知らないのに!
同じことを肘肩も思ったようだった。ありえない、といった顔で反論する。
「この女がですか!?それはありえないでしょう、人違いです!この卑しく品の悪い畜生のような女が、容保公の客などと!」
「なんですって!?言いたい放題言ってくれるじゃない、この耄碌じじいが!」
「も、耄碌…!?テメェ、まだ言うか!」
「何度でも言ってやるわよ、肘肩じいさん!」
またもや口喧嘩を始めたあたしたちに、王は怒鳴った。
「やめぬか土方!歴史の使者!」
「へ?」「歴史?」
あたしと肘肩は、同時に固まった。次の瞬間、あたしは王に飛びついた。
「ちょっと、王、どうして知ってんの!?あたしが使者だってこと…まさか、あんたが」
コイツが、歴史を変えようとしている悪人なのだ。そうじゃなきゃ、あたしのことを知っているはずがない!
いきなり飛びつかれて尋問される王は、目を白黒させている。あたしはウルを呼んだ。
「ウル、ウル!聞こえる、いたよ犯人が!」
あたしはさらに王の胸倉を掴んで締め上げた。やったあ!もう家に帰れるぞ!
「ち、ちが…」
「クソ女!容保公に何しゃあがるッ!!」
狂喜して踊りださんばかりだったのも束の間、あたしは肘肩年ぞーによって王からひっぺがされ、羽交い絞めにされた。そしてあり得ざる力で首を絞められる!
「ちょ、離せ、じじい!」
「うるせえ!容保公、ご無事ですか!?やはり人違いでしょう、早く殺してしまいましょう!」
あたしはまたもや絶体絶命の危機に陥った。こんなところで、変な名前の男に殺されるなんて嫌すぎる。ウル、助けて!!
じたばた暴れていると、腰から名付けて「ウルソード」がすっぽ抜けて、地面にカランと落ちた。さらにギュウギュウ絞められて、今にも窒息死しそうになったその時――
『時よ!』
突如として響いたウルの声。同時に、首を絞める肘肩の力が弱まった。あたしはその機を逃さず、肘肩の腕からさっと抜け出した。そして反撃しようとした、その手をあたしは途中で止めた。
「あら?」
肘肩はなんと、あたしを締め上げようとする体勢のまま固まっていた。まばたきもしない。ためしにツンツンつついてみても動かない。王も、目を丸くしたまま固まっている。これは…
「時間が…止まってる!?」
『ああ、危ない所でしたね、星華。まさかこんな早くから、死の危機に直面するとは』
「ウル!」
あたしはほっとして、その場に座り込んだ。
「よ、よかった。死ぬかと思った」
『まったくです。私もヒヤヒヤいたしました』
あと一歩で昇天するところだったのだ、肘肩のことは一生許さない。末代まで嘲笑ってやる。
「あ、そうだ!あたし見つけたんだよ、真犯人を!」
あたしはがばっと起き上って、王を指差した。しかしウルはため息をついた。
『申し訳ございません。話していなかった私が悪いのです、星華。敵は強大です。貴女ひとりでは到底太刀打ちできないでしょう。ですから私は、協力者を募ったのです。彼…容保も、私の願いを聞き容れてくれた者の1人なのです』
「え、ええ!?じゃああの人は味方…ってことなの!?」
『そうなのです』
なんてことだ。やってしまった。あたしは仲間に牙を剥いた野獣じゃないか!
「も、もう駄目じゃん。絶対印象悪くしちゃったよ、あたし」
あたしはもう泣きそうだった。勇者星華の冒険の出だしは最悪である。
『あ、謝ればきっと許して下さるはずです。容保は、そこまで器の狭い男ではありません』
「ほ、ほんとかなあ…」
でも確かに、こんな得体の知れない声に協力しようとするくらいだから、器が広いことには間違いないだろう。あたしは気を取り直して拳を握った。
「よし、じゃああたし、王の前で土下座するから、その状態から始めて」
あたしは王の足元に這ってゆき、深々と土下座した。
『よろしいですか?では、時を戻します』
言葉と同時に、時が戻った。キュイーンと音がするわけでもなく、ごく自然に、違和感もなく時が動き始めた。
「なッ、女が消え…!?」
「申し訳ございません!!」
肘肩が突如消えたあたしに驚く声をかき消して、あたしは王に謝罪した。肘肩は魔法でも見たかのように口を開けたまま固まっていて、王も目を見開いている。あたしはスッと立ち上がり、王に手を差し出した。
「先程はとんだ勘違いをいたしまして、誠に申し訳ございません。改めてご挨拶いたしましょう。私は楢崎星華。歴史を守る使命を得た者です」
決まった。めっちゃキャラ変わったけど。王は驚いていたが、すぐに表情を立て直し、あたしの手を握った。
「いや、かまわぬ。では私も改めて名乗ろう。私は松平容保。京都守護職を賜る者だ」
カタモリさんは、京都を守る立場の人らしい。よく分からないが。
「して、そなたは…『敵』なる者を、もう見つけておるのか?」
「いいえまだ。…なにせ、先程この時代に参ったばかりですので」
おお、何か無性にうれしい。こんな誰も知り合いのいない場所で、共通の目的を持った仲間と出会えるのは、ある意味感動だ。こういう配慮もできるのかと、あたしはウルを見直した。
「なに、来たばかり?ではそなた、これから一体どうするのだ。身を寄せる場所は?」
「えっ、身…?いや、まだそういうのは」
そのとおりだ。あたしは迂闊にも、そのあたりの事を全く考えていなかった。これはまずい。あたしは今、ホームレス状態なのだ。もう夕暮れなのに、今日泊まる場所もない。金もない。
あたしの様子を見て、カタモリさんはそれを察し、気遣わしげに聞く。
「当てはあるのだろうか」
「ないです…」
「ふむ…」
カタモリさんはなにやら考え込んでいる。あ、まさか、カタモリ家に泊めてくれるのだろうか。見るからにこの人は良い所のボンボンだ。毎日豪華な食事にありつけるかもしれない!
なんて卑しいことを考えていると、カタモリさんはポン、と手を叩いた。
「よし、楢崎。そなたは今日より新選組に入れ。よいな、土方?」
一瞬の沈黙の後、あたしたちは同時に悲鳴を上げた。
「えええええええ!?」
「容保公!?冗談はよして下さい、何でこんな奴とッ!」
もはや、キャラを作る余裕もない。
「何で!?絶対やだ!どーしてあたしがこんなアホ男とッ!!」
肘肩は勢いよく振り返った。
「そりゃこっちのセリフだ!何が嬉しくてテメェを新選組に入れなきゃなんねえんだ!」
冗談じゃない!なんでこんな奴のいる新選組なんかに入らなきゃいけないんだ!
…ん?
新選組?
「ねえ」
「あン!?」
喧嘩腰で怒鳴る肘肩を、あたしは震える指で指差しながら言った。
「新選組って言ったよね、今」
「さっきからそう言ってんだろ!」
し、新選組って、あたしが小っちゃい頃じいちゃんと一緒に見てた、あの時代劇の。
記憶の中で翻るだんだら羽織が、肘肩のまとうものと重なる。
――人斬り新選組…!
「はあ――!?じ、じゃあ、あんたは新選組の…!?」
ありえない!ドラマの内容は覚えてないにせよ、クールで格好いい集団だったはずのあの新選組に、こんなウスラトンカチがいるなんて。でも、コイツのまとう浅葱の羽織は、間違いなく、ドラマの中と同じもの。
あたしはショックのあまり、地面に膝をついた。肘肩はそんなあたしを見て、ニヤリと笑うとふんぞり返った。まさに勝者と敗者の図である。
「ケッ。今頃俺に楯突いたことを後悔してやがるか」
そして、あたしは恐ろしいことに気が付いた。貧弱な記憶を手繰り寄せる中で、思い出した一つの名前。
…コイツは、可哀想な名の男、『肘肩年ぞー』などではない。
この男は、新選組副長、土方歳三。
ショックで大人しくなったあたしを、感激に震えていると勘違いしたカタモリさんは、ニコニコ笑いながら土方に言った。
「ほら、楢崎も感激しているようだ。なにせ会津藩邸で過ごすより、そちらで調
査する方が動きやすいであろうからな。よいな?土方」
土方は苦虫を噛み潰したような顔をしたが、なにせカタモリさんの頼みだ。断るわけにもいかないようで、
「はあ…ですがウチは男の集まりです。あれが女だからと言って、特別扱いもできません」
遠回しに入隊はさせられないとアピールしている。しかし、カタモリさんは、笑いながらそれを否定した。
「なに、普通の平隊士にすればよい。そうであろう、楢崎」
「う…」
土方は心底嫌そうな顔で、あたしを見た。あたしだって嫌だ。
でも、カタモリさんがすでに自分一人で決めちゃっている…
なんであたしの周りの奴らは、あたしの意思を無視して人の命運を左右するんだ。…もう、従うしか道はない。
あたしも土方も、互いに歯ぎしりしながらこの申し出を吞んだ。
カタモリさんが去ってから、土方は不機嫌そのものの顔で、あたしに命じた。
「立て。そしてこれから俺のことは『副長』と呼べ。行くぞ」
そう言い捨ててきびすを返した奴の後姿をぼんやり眺めながら、ああ、あたしって運悪いな。
心からそう思った。