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宵闇小話  作者: 吉野花色
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昔日

 髪の毛と毛皮、毛質は勿論全然違っているのだけれど――やっぱり似ている。木蓮は川辺の柔らかな風に揺れる善の髪の毛をじっと見つめて、その姿に懐かしいあの子を重ねてみる。


 生前、木蓮はあまり動物に好かれない性質だった。木蓮の方は動物が好きだ。けれど動物はどんな種類であれ彼女と仲良くはしてくれない。撫でようと手を伸ばせば避けられ、引っ掻かれ、威嚇され――自分は一体何故こんなにも彼らに嫌われなきゃいけないんだと本気で落ち込んでいたこともある。


 だが、そんな彼女のフラれ人生で唯一懐いてくれたのがポチ(仮)――いや焦げ茶色とアイボリーの毛並みをしたハスキー「とこ太」だった。子犬のとこ太が我が家へやってきたのは、木蓮が小学校5年生に上がってすぐのこと。


 まさか両親が犬を飼うなんて考えてもみなかったけれど、らしいことに仕事の義理で断りきれなかったらしい。仕事に忙しい両親だから自然ととこ太の世話は木蓮の役割になった。小学生では行き届かないところは両親がフォローしていたが――2人はあまりにも義務的に面倒を見ていたから、とこ太が木蓮に懐くのも不思議ではない。


 とことこ音がしそうな歩き方をするからとこ太、だったと思う。まあ、ハスキーなのですぐに歩き方はしなやかになったけれど、それでもちょっと間抜けな子。そういう作りなんだろうが彼はいつだってちょっと困ったような顔で、木蓮が呼べば盛大に尻尾を振りながら何処へだってついてきた。


 ちなみに、とこ太の縄張りは家の庭。さして広くはない庭には木製の犬小屋が設置され、彼はそこに繋いである。リードは庭の中を自由に歩ける程度の長さはあったから、木蓮達が留守の間は気ままに庭で遊んでいたようだ。


「ただいま、とこ太」


 木蓮も学校が終わったらまず真っ直ぐに庭へと向かう。そしてはしゃぎまわるとこ太と縁側でしばらく遊んで、それから宿題を片付け、日が暮れる前に散歩へ行く。雨の日や学校でイベントのある時以外、2人はずっとそうして過ごしてきた。


「善」

「はい」


 呟けば、間髪入れずに善が応える。勿論、分かってはいるのだ。善はとこ太ではないし、立派な吸血鬼だ。そして今では私の右腕でもある。それでも――その顔を見るとどうしてもほっとしてしまって。


「姫様?」


 見つめたまま何も言わない私に、どうかしましたかとでも言うように首を傾げた善。そのいつでもちょっと困ったように下がっている眉毛とか、たれ目なところとか。もしもあの頃私の前に善が現れて「自分はとこ太です」なんて言ってきたら多分最終的には信じてしまったかもしれない。それで、やっぱり今日みたいに2人で散歩に行くのだ。


 とこ太は自宅近くの公園が大好きだった。広い野原があって、大きな木が沢山生えていて、小さな溜め池があって――とこ太は水面に自分の顔を映すのが好きだった。嬉しそうに木蓮を見上げ、また水面に移る自分の顔を見て、それを飽きずに繰り返す――そんな公園も外周はぐるりと高いフェンスに囲まれていたっけ。


 この朽ち果ての国を、とこ太にも見せてやりたかったなと思う。ここには無粋なフェンスもないし、緑は公園と比べるのも馬鹿らしくなるくらいに豊かだ。実は少々大型の獣も出るのだけれど、今の私ならとこ太を守ってあげられる。広い私の領地にとこ太はきっとはしゃぐだろう。そしてはしゃぎ疲れて、へろへろになって眠る姿が目に浮かぶ。


 けれど、そんなとこ太を見ることは叶わない。木蓮が年を重ね大学生になる間、とこ太も駆け足で年をとり少しずつ衰えていった。そもそも、人と犬の寿命は違う。


 散歩に出ても歩ける距離は少しずつ短くなって、食べるご飯の量も減っていく。いくつか病気もした。元々、あまり強い子ではなかったみたいだ。病気はとこ太の老いを加速させ――そして、私が大学生になって2年目の春。


 その頃まだ実家に住んでいた私は夜中に喉が渇いて目を覚ました。2階の自室から階下のキッチンへ。水を飲んで、そのついでに居間の隅に置かれたとこ太の寝床を覗き込む。


 しばらく具合の悪かったとこ太。今思えば、きっとお別れしようと呼んでくれたんだろう。もう殆ど目が見えていなかったけれど、覗き込んだ私に気付いて寝床で丸くなっていた彼は小さく鼻を鳴らした。


 あやすように背中をそっと撫でてやれば、とこ太の体からふっと力が抜けていく。すっかりパサパサになってしまった毛皮の感触に、じんわりと私の目に涙の薄膜が張る。


「とこ太、最近散歩に行かないから、私ちょっと運動不足だよ」


「もうちょっと暖かくなったら、また溜め池のメダカを見にいこうよ」


「ねえ、とこ太……」


 ぽつりぽつり、鼻をすすりながら声をかける。とこ太はうとうと、時折鼻をならして私の声に答える。両親を起こさないように声を潜めて、まだ少し冷える居間で私は寝間着のままとこ太の身体を撫で続け――私は結局、そのままとこ太の側を離れることができなかった。


 そうして夜明け前、とこ太は私の隣でまるで眠りに落ちるように死んでいった。やっぱりちょっと困ったような、でも心底穏やかな顔だった。


 多分、とこ太の存在が木蓮をあの家に繋ぎとめてくれていたんだろう。全てが終わった後に彼女は実家を出てアパートで1人暮らしを始め――そうして卒業を間近にしたあの日、十季と出会うことになる。


「会いたいなあ……」


 朽ち果てに来て、正式に十季の姫君として立ってしばらく。両親の顔や友人の顔を思い出すこともあるにはあるけれど、きっと善が傍にいるからだろう、とこ太の顔を思い浮かべることが一番多いように思う。


 ついつい、善の頭に手を伸ばした。すると善は困り顔で、それでもそっと傍らに膝をつき私の手を拒むことはない。くしゃくしゃと彼の髪に指を絡ませていれば、似ても似つかない手触りだというのに無性にとこ太のいたあの暮らしが恋しくなった。


「姫様……」


 善にそっと呼ばれて、その声に唇を噛む。ああ、駄目だ。私を油断させるその顔で、そんな優しい声で呼ばないで欲しい。強くあろうと張りつめている心が罅割れてしまうから。


「俺は、ずっとお側にいますよ」


 その言葉に、髪に絡めていた指に力を込めてしまった。だが痛かっただろうに善は何も言わず微笑んでいる。


「そっか」

「はい」


 少しバツが悪そうに、木蓮はそっと引っ張ってしまった辺りの髪をそっと撫でて。善はただその指を目を細めて受け入れる。


「ポチ」

「はい」


 怒るでもなく、さらりと答える善に木蓮は眉間に皺を寄せてみせて。


「嘘だよ。……善」


 呼べば、嬉しそうに善が笑う。

 その顔はやっぱり、私の大好きなとこ太によく似ていた。

こちらは魔法のiらんどにて「朽ち果ての王と宵闇烏」の第壱部が完結した際、御礼企画にご応募下さった方のリクエスト作品です。ご応募どうもありがとうございました!

こちらが第2弾です。あと1作、お楽しみに!

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