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宵闇小話  作者: 吉野花色
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闇夜の庭にくゆる

 雲の多い闇夜だった。だが今は悠々流れる雲と雲の合間から丸い月がその顔を覗かせ、羽衣の隊舎を仄明るく浮かび上がらせている。月明かりを受けた玉砂利が白く光り、瞬く星の川のようでもあった。


 羽衣の我儘を全て叶える形で作られただけに、彼の私室から望む景色はどんな時でも美しい。松は闇よりも鮮やかな黒でもって手入れの行き届いた枝葉を広げ、枯山水は静謐な光を湛えその波紋を広げている。黒々と闇に沈んだ池の中、鯉は水底で穏やかな眠りについているのだろう。隊舎に風はなく、水面は凪いだままだ。


 この部屋の主である羽衣はと言えば縁側に胡坐を掻き、闇夜の庭を肴に酒を飲んでいる。徳利と杯は揃いの品で、これまた美しい白磁のものだ。それを白い彼の指先が持ち上げて、黙々と唇に触れさせる。


 微かに黄みを帯びた酒の香りはこれまた極上、しかし羽衣は顔色ひとつ変えずにそれをさっさと飲み干してしまった。――酔える訳でなし、ただの暇潰しだ。戦でも起こらぬ限り、吸血鬼の毎日など時間を持て余すばかり。贅を尽くした暇潰しも毎夜繰り返せば味気も失うというもの。


 さて、何とも静かで退屈な夜だ。羽衣は硝子越しの夜空を見上げてまたひとつ杯を重ねる。そこでふと目を閉じ耳を澄ませば――ねえ、羽衣――そう彼の名を呼ぶ女の声が蘇った。それは、こうして1人杯を重ねる夜にふと思い出す記憶。


「……あれから、何年が経った」


 羽衣は呟いて、過去を思う。そう、あの夜も今日と同じようにして羽衣は縁側で酒を飲んでいた。その背後からふらりと現れたのは桔梗――善を吸血鬼へと変えたあの気まぐれな女。


 当時はまだ先王が存命で、桔梗はその近衛を務めていた。一方で羽衣は今と変わらぬ十季の片腕。さして関わり合う立場でもなかったというのに、桔梗はよく羽衣に絡んだ。


 長い黒髪をだらしなく結って、ぽってりとした唇は紅を差さぬでも赤。普段はあけすけな物言いで、だが妙に色気のある女だった。とは言え羽衣の興味を引いたのは、何処で仕込まれたのか知らないが剣の腕が立つところだったが。


 桔梗はいつだって部屋の主に断りもなく入り込んできて、人の酒を横から攫う。あの夜もそうだ。用意周到、自分の杯は懐に忍ばせてきている。まずは羽衣の杯に酒を満たして、それから自分の杯に並々と。それを心底旨そうに一息で干して、酒に濡れた唇を行儀悪く舌で舐める。


 それから、彼女は慣れた仕草で羽衣を誘った。彼の仏頂面を気にも留めずにその唇を唇で塞ぎ、舌先を羽衣の口の中へと忍び込ませる。羽衣の漏らした吐息は呆れたような溜息だったが、彼とて別に断る理由もない。女の体は特別好きでもなかったが、嫌いということもなかった。彼が障子を閉めれば、同時に桔梗が行燈の火を落とす。


 柔らかい胸を押しつけられて、羽衣の手がそこへ伸びた。桔梗と肌を重ねるのはその時が初めてではない。始まりがいつだったか、それすらも覚えてはいなかった。だが互いの趣味嗜好を把握する程度には回数を重ねている。羽衣はその記憶を辿り、桔梗の体を乱暴に畳へと組み伏せた。


 愉しそうに笑う桔梗の手が、羽衣の襟元から中へと滑り込み素肌を指先でくすぐる。柔らかな刺激。主導権を握られるのを嫌う男だと承知しているから、桔梗から核心に触れ責め立てるような真似はしない。暗黙の了解。そんな桔梗の指先はそのままに、羽衣は彼女の首元から鎖骨にかけてをゆっくりと舌先で舐め上げた。桔梗の身体が震え、身体に熱が滲み始める。


 あとはそう時間をかける必要もない。羽衣は桔梗の纏っていた毒々しい色のドレスを剥ぎとって、己もまた着物を脱ぎ捨て部屋の隅へと投げやる。どうやら流れてきた雲が月を隠したらしい。部屋の闇は一層濃くなり、揺れる影も外からは見えまい。羽衣が腰を落とせば、桔梗が堪りかねたような湿っぽい吐息で鳴いた。 


 2人の情事に言葉はない。互いの名を呼ぶことすらも。桔梗が何を思って忍んでくるのかを羽衣は聞いたことがなかった。羽衣を想っているのか、それとも彼に誰かを重ねているのか。興味がない訳ではなかったが、彼はそれを自分から聞くような性分でもなかった。


 だが、羽衣は桔梗のことを嫌ってはいない。最中の色めいた彼女の姿に、舞うように美しい剣を振るう姿を重ねながら羽衣は桔梗を抱く。気紛れに追い詰めれば何が嬉しいのか笑顔で背中に爪を立て、気紛れに動きを止めれば焦れたように息を上げる。だが、桔梗に触れる手は乱暴であっても決して冷たくはなかった。


 そうして桔梗は自分の気が済むだけ羽衣の体を味わうと、来た時と同じくらいにあっさり帰っていく。それはいつも通り、何の変哲もない夜で。


 ――だというのに、その翌日に先王は死に、桔梗もまた死んだ。

 あまりにも唐突な死だった。


「先王に殉ずるなら、先王の元へ忍んでおけばいいものを」


 呟き、羽衣の思考は再び現在へと戻る。物思いに耽りながら飲み進めるうちに気がつけば酒も底をついていた。呼べば、側に控える善がすぐに飛んでくるだろう。桔梗が持った最後の血縁――何故だが、今はその顔を見たくはなかった。


 先王が何故死んだのか。その真相を羽衣は今も知らない。或いは珠皇が知っているのかもしれないが、彼が自分から口を開くことはないだろう。羽衣とて無理に聞き出そうとも、聞き出せるとも思わない。


 桔梗のことは、今も時折思い出す。だが、いずれは思い出せなくなる日が来ると分かっていた。時が経つ、というのはそういうことだ。


 羽衣は煙草盆を引き寄せ煙管に葉を詰め火で炙り、白い煙を真っ暗闇の庭へと吐き出した。

こちらは魔法のiらんどにて「朽ち果ての王と宵闇烏」の第壱部が完結した際、御礼企画にご応募下さった方のリクエスト作品です。ご応募どうもありがとうございました!

ちなみに全部で3作品、順番に公開していきますのでお楽しみに!

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