『意味がわからない』
二話目まであげておきます。
「ハルー? まだ起きないのかー? あーさーだぞー」
「うっさいわ!」
耳元の大声に向かって反射的に裏拳を繰り出し、それを跳ね飛ばした。
キャンッと鳴いたそれは…………って、キャン?
「ハル、ひでーひでぇっ! 痛い!」
薄目を開けて何を殴ったのか確認しようとした私は、鼻を押さえてうずくまっているそれを見た瞬間、絶叫することになる。
三角の耳、指先には輝く黒い爪、ぐあっと開いた口から見えたのは、白く尖った————
「ひぎゃあっ!!」
「ギャンッ」
もう一発叩き込んでしまった。それも脳天に、グーで。
気絶した、と思われるそれを、いつでも逃げられるように体勢を整えながら観察する。
にしても、なんだか身体が動かしにくい。なぜだ。
それは、狐だった。いや、狐と言っていいのだろうか。それは雪のように真っ白な毛並みを持っていた。これほど白い動物を見たのは初めてだった。動物園のホッキョクギツネもこんなには白くなかったはずだ。
しかしそれ以上に私の目を点にしてくれたのは、それの尾が、根元から九本に分かれていたことだった。流れるような毛並みが根元から先へ。それが九本、床の上に広がっている。
「何これ、きゅーび……?」
いやいやいやいや。
口に出して言ってみて、自分の考えの馬鹿らしさに首を振った。ただでさえ動物に追われるのに、九尾なんて妖怪にまで好かれてたまるものか。
それにしても、だ。
それの正体については一旦保留にすることにして。ここは一体どこなのだろう。加工されていない、ザラザラする木の床。同じく木の扉が一つ。窓は……なぜか窓ガラスがはまっていない、ただの穴。木の格子はついてるけど。
私、家にいたよな……?
どうもそのへんの記憶がもやもやして思い出せない。家だったよな? 学校だったっけ?
「ハル……!」
扉の軋む音と誰かの驚いた声に思考を中断された。声のほうを見ると、黒い着物の美女が……って、待った! ストップ!
「むぎゃっ」
「ハル! 目が覚めたのか!? 帰って来てすぐに気絶したと聞いた時には、私も失神するかと思ったぞ! ああ、ハル……! 会いたかったぞ、ハル!」
ギブ! ギブです! 息ができない!
美女に抱き締められて、胸に押し潰されて圧死なんて絶対に嫌だ!
必死にべしべし叩いて訴えると、美女は名残惜しそうにしながらも解放してくれた。
すーはー、と酸素を十分に取り込んで、改めて美女を見上げ、絶句した。
真っ白、だったのだ。
そこでのびている狐?と同じ、真っ白な髪が床につくほどの長さで切り揃えられている。
そして、金色だった。
何がって、目が。
私を見てキラキラと輝いている目は、外国人にもいねぇよ、と言いたい金色をしていた。
なんだこの人。コスプレか。コスプレが趣味なのか。いや、否定はしない。似合っているから否定はしないけれど。金のカラコンなんてあったのか。
「ハル」
「は、はい……」
「ん? 何を遠慮している。母の胸に飛び込んでもいいのだぞ?」
「…………はは?」
しゃがんで両手を広げ、私を受け止めるポーズ。
……なるほど、やばいわ。この人、キャラになり切っちゃってる。美女なのに。美女なのに、なんて残念な美女なんだ。
「あのー、大変嬉しいんですけど、私の母は他にいますので……」
すると途端に美女の金の瞳が険を帯びた。白い髪がざわっとうごめく。
え?
「やはり、覚えていない、のか……?」
白い髪が美女の身体を覆い、身長よりもさらに伸びた髪が九つに分かれたかと思うと、それは九本の尾へ変わり————美女は見上げるほどの大きさの真っ白な狐に姿を変えていた。
逃げる間もない。一瞬の間に。
金の瞳が私を見つめる。もう遅いと思いながらも、最後の悪あがきの後ずさりをする。
私を追いかけてくる動物だからではなく、本当に命の危険を感じてだ。
殺される、と思った。
だから白い牙が迫って来た時は、もう反射的に目を閉じた。
だが、痛みはいつまでたってもこなかった。
代わりに温かいものが頭を撫で……舐めている。頭がとれる勢いで舐める巨大狐の舌。
「いたっ、痛いっ!」
「すまなかった。あの時、守れなかった。すまない」
今度は訴えても巨大狐はやめてくれない。どうやら泣いているらしい。大粒の水滴が降ってくる。
まじで頭とれる!と覚悟を決めた時、私の身体は巨大狐の舌に押し負けて、ころん、と転がった。後ろ向きに一回転である。
「いったぁ……」
べしょっと、お腹を上にしてのびた。久しぶりの後転……中学以来……うえっ。
「んあ?」
頭側にも巨大狐。頭側の狐の足元には、お腹を上にした白いチビ狐がもう一匹。チビ狐の尾は、やはり九本だ。
くそ、狐め、増えやがった。目が回って逃げられねぇ。もう舐めるなり齧るなり勝手にしてください。もう頭だけじゃなく全身ぐしょ濡れなんです。
座ったほうが舐めやすいでしょ、と身体を起こすと、頭側のチビ狐も同時に起き上がった。
今更チビ狐なんぞ怖くないわ、と迎え撃つつもりで振り返って、ん?と首を傾げた。
チビ狐なんてどこにもいなかった。
否、いるにはいるのだが、この狐。
右手を恐る恐る上げてみると、向かい合って座るチビ狐は左手を上げた。私が頷くとチビ狐も頷いた。
…………。
うん、すごく物真似の上手いチビ狐ちゃん。
「ハル、鏡が珍しいのか? それはハルの」
「言うなバカーー‼︎」
私が涙目で叫ぶと、鏡の中の|チビ狐(私)も涙目で叫んで崩れ落ちた。巨大狐が何やら慰めながら、身体中を舐めてぐしょぐしょにしてくれているが、もうそんなのどうでもよかった。
鈴木はるか、17歳。
嫌いなものは、動物全般。ですが、今は白い狐をやってます。