異世界での目覚め
周囲は薄暗かった。天井に設置された数少ない蛍光灯と大量に設置されたパソコンのみが広い部屋を照らしていた。
「意識レベル上昇。10,20,30,40。ほぼ覚醒しました」
白衣を纏った男がパソコンのモニタを見ながら言った。
「そうか。脳ミソの状況はどうだ? 聞きたい事は山ほどある」
小川龍之介は眼下の視界以外を全て拘束された男を、強化ガラス越しに見ながら言った。
好奇心が抑えられないといったその様子は、とても壮年の男性とは思えなかった。
「脳波に乱れがみられますが、許容範囲です。ですが、無理はしないでください」
「それしきで死ぬんならその程度の人間だったって事だ。気にするな」
龍之介の発言に白衣の男は内心納得がいかなかったが、顏には出さずに言われた事を忠実にこなした。
「わかりました。記録、開始します。午後四時十二分四十三秒、コールドスリープから蘇生した男の聴取を始める」
「……」
拘束された男の目つきはそれだけで人が殺せるように思えた。今にも拘束ベルトを引きちぎって、強化ガラスを破壊して襲いかからんとする勢いだった。しかし、龍之介は意に介さず自身の好奇心を満たそうとした。
「よう、気分はどうだ?」
「……」
龍之介はマイクの電源を切った。こうする事でこちらの会話は拘束された男に聞こえない。
「どうだやつになんか変化はあるか?」
「いえ。蘇生した直後からほぼ何も変化は見られません。ひょっとするとこちらの言葉が通じていないのかもしれません」
「はーん。なるほどな。マスクを外してやれ、試してみる」
龍之介は直接拘束された男と話したいと思った。自身がいるフロアから二つ下のフロアである拘束された男の許へ向かった。
マスクを外された男は首をくるくると回していた。
「楽しそうだな。なんか喋ってくれ」
龍之介は挑発するように言った。
「……これが楽しそうに見えるならあんたは相当にクレイジーだ」
「ハハハッ! クレイジーか。これはまた面白い事を言う」
龍之介は心底面白いといった風に笑った。
「ここはどこだ? なんで俺は拘束されてる」
「まずはお前の名前を聞いてからだ。お前の名前は? 言ってみろ。俺は小川龍之介だ」
「俺は……俺は?」
「もったいぶらないでとっと話せ」
奏は目の前の男の声がどこか遠くで聞こえているように感じた。
「俺は誰だ? 俺は何をしていた?」
何かが欠落したかのように記憶が繋がらない。なんとなく個々のエピソードは覚えているのに直前の記憶が思いだせなかった。
「おいおい、ふざけるのもいい加減にしろよ」
「脳波に乱れが見えます。心理状況も芳しくありません。恐らくコールドスリープによる弊害で一時的に記憶に混乱が発生しているものと思われます」
今まで何も言わずに端の方の端末に黙って鎮座していた白衣の男が言った。
「あーん? 記憶に混乱だあ? くそったれが。使い物にならねえじゃねえか」
龍之介は奏の拘束されている椅子を蹴る事で苛立ちを発散させた。そして興味を失ったとばかりに部屋を出ていこうとした。
「待て。現状を説明してからいなくなれ」
奏は記憶の糸を辿るのをやめ、現状を把握するのを優先した。その言葉を聞いた龍之介は嬉しそうに笑った。
「いいだろう。まずはここがどこか説明してやろう」
「その前に拘束を解け」
「嫌だね。お前は拘束を外せば俺の喉笛を噛みちぎってどこかに行くだろう。違うか?」
違うとは言えなかった。実際に拘束が外されれば奏はここを脱出しようとする腹積もりだった。
龍之介は自身の考えが当たっていると確信したのか、そのまま語り始めた。
「ここは隔離研究施設だ。お前は槍が大量に刺さった謎の機体に冷凍保存されてたんだ」
「なるほど。冷凍されてたのをあんたらが発見して解凍したわけか」
「それなりに頭は回るようだな。話しが早くて助かる。お前はどうやってここに来たか覚えているか?」
「覚えてない。教えてくれ」
「お前はこの世界に転移してきたんだ」
「この世界?」
「そうだ。俺達の住む世界、コーズエフェクト。お前はあの機体に乗ってこっちに来たんだよ。あの機体、軽く調べたが、ありゃこの世界のモノじゃねえ」
「それで? 俺をどうするつもりだ」
「さあな。お前の態度次第だ。お前が俺にとって利用価値がある存在なら生かしてやる」
「生憎だが、俺は男に忠誠を誓ったりしないんだ」
「そうか。まあゆっくり考える事だな。時間はたっぷりあるんだ」
そう言って龍之介は悠々と部屋を出て行った。
自身が何をしていたのか、フリージアとリザの安否等様々な事が奏の頭を支配した。同時に自身の脳が頼りない今、AIであるリザは頼みの綱だった。リザが生きてさえくれていれば経験による記憶を得ることは出来なくても耳で聞く事は出来る。
自分の目で状況を確認する。信じられない相手から得た情報など参考程度にしかならない。今はチャンスを伺うしかない。そう自身に言い聞かせ、奏は目を閉じた。
○
「どうだ? あれから1日経った。そろそろ腹も減ってきているんじゃないか?」
スピーカー越しに龍之介の声が響いた。
「……」
「SHIZUNO」
奏はなぜかその言葉に聞き覚えがあった。同時にその名前を聞いた奏の頭に巣食うネズミは、穴あきチーズを更に穴だらけにしようと頭の中で盛大に動き回った。
「ぐっ!」
「やはり聞き覚えがあるみたいだな。お前の機体を漁っていて見つけた名前だ」
弱みを握られる訳にはいかなかった。今更感もあったが、奏は可能な限り痛みと動揺を顏に出さなかった。
「あくまでも答えないか。強情なやつだな。まあいいさ、俺はまだ待てる。お前は知らんがな」
それを最後に何も聞こえなくなった。
しずの。奏はその名前に聞き覚えがあった。だが、はっきりと顏が思い出せない。
(俺は戦っていたはずだ。しかし何と? そもそも俺はなんで戦っていた?)
穴あきチーズの頭に問いかけても答えはなかった。
○
奏が目覚めから5日が経過した。奏の口の中は尋常じゃない程乾いていた。
「参った。参ったよ。普通人間は飲まず食わずだと3日以内に音を上げるが、お前は5日間も耐え切った。最低限の条件さえ飲んでくれれば拘束を外してやる」
龍之介は5日ぶりに奏の前に現れこう言った。
「……条件とは?」
「一つはお前には常時監視をつける。妙な動きを見せれば手足の1本や2本無くなってここに戻る事になる。もう一つはお前の知っている事を俺に教えろ。それさえ呑めばお前は自由だ」
「……わかった」
奏の体を覆っていた拘束衣が5日ぶりに外された。
「体が固まって動けないはずだ。ストレッチャーで運んでやるから肩に掴まれ」
白衣の男が偉そうに言った。
「いらねえ。お前に頼りたくない」
白衣の男の言い方が気に食わなかった奏は助けを断った。
奏は座らされていた椅子の肘に手をかけ立ち上がろうとした。が、体が思い通りに動かなかった。関節部が錆びたブリキの人形のようにぎこちない動きになってしまっていた。だが、立てない事はない。苦労しながらもなんとか立ち上がる事に成功した。
「面白いやつだ」
「飯と寝る場所を用意してくれ。話しはそれからだ」
奏は顏に出していないだけで体は相当衰弱していた。気を抜けば今すぐにでも床とキスをしてしまうレベルだった。
「ま、それもそうか。お前用の部屋を宛てがってやるからそこで今日はゆっくりしろ。明日、いろいろと話し合おう」
「そうさせてもらうさ」
「明日迎えをやる。それまでゆっくりしてろ」
龍之介はこれからの事を考え、ほくそ笑みながら研究施設を後にした。




