十八章 巨人の女で喜ぶ奴とかどうなの? 小人よりは害がなくね? 四
最初に立ったのはゴルダシスだった。
「もー。ゆきたんずるいよ。試合場の前からコントで精神攻撃なんて~」
そんなつもりはなかったのだけど。
「むかしのともだちを思い出しちゃった。まよいこんだわたしをかくれんぼに誘ってくれた人間の男の子。その子もど変人で、だれがどう言っても巨人も人間だって言いかえしていたの。だから村から追いだされちゃったけど」
片腕で胸を隠したままボクをひろい、谷間に差しこむ……猫になった気分だ。
「好きなようにもみたまえ」
すばらしい許可がおりたけど、ボクは腕もほとんど動かせない燃えつき状態。
でも死力をつくしてさする。揺らす。
その様子を白い目で見るリフィヌとザンナも巨大胸に押しこまれ、砂山からメセムスも引っぱり出され、人形のように抱えられる。
ゴールの出口へ運ばれる途中、観客の喝采はゴルダシスへ向けられていた。
味方まで一斉に泣いて逃げ出すドルドナもすごいけど、負けてなお小人、獣人、人間にまで拍手されるゴルダシスもやっぱり、ガチではまるでかなわない大物みたいだ。
観客席の童顔魔王も何食わぬ顔で拍手していて、その底はまた少し深そうに感じられた。
「シュタルガちゃんはもっとずっと大変だよ?」
「だろうねえ? あれだけ顔がいいのに、どこからかわいげを見出せばよいのやら」
「あと、シュタルガちゃんのほしがっていたアレッサちゃんも大変そうだね~」
「アレッサと清之助くんは……まだ動いてないのかな? ……ちょっと運ぶの待って……」
「きみはもう乳もむ体力もないでしょーが」
残ってもなにもできないか。
ゴールにはすでに担架が用意され、ラウネラトラのほかにも医者や看護師らしき集団が待機していた。
みんなが横たえられ、最後はボクが、巨大なくちびるを頬全体で受けてから置かれる。
「わたしの『氷葬の墓石』でふたり通過ね」
ゴルダシスは手続き係にそう言ってから、試合場に引き返す。
地響きがしたのでモニターを見上げると、ゴルダシスはボクから見えない所へ入るなり、バッタリと倒れていた。
「ひさびさに無理しちゃった~。みんな、はこんで~」
ボクの前で倒れなかったのは意地か心意気か?
青巨人の戦士団が一斉に駆け寄る。
「おさわりの許可が出たぞー!」
「こら~」
あと二つの通過アイテムを布団と首飾りに指定し、報酬選択は保留できるようなので待ってもらった。
ラウネラトラがツル草をはわせ、ボクの体を大雑把にまさぐる。
「ん。やはりこっちが先じゃな……」
その顔がいつになく真剣なので、リフィヌの心配そうな表情と、目を閉じて動かないザンナに気がつく。
「ザンナ……?!」
起き上がろうとしたボクは手足を縛られていた。
「息はある。おんしも動くな!」
もがくボクの頭をパシンとたたき、その場でザンナの治療をはじめる。
「寝ておれ。セイノスケもアレッサも、あの様子なら勝手になんとかするじゃろ」
そうだよね。勇者だけど奇跡の回復魔法とかあるわけじゃないし、おとなしく自分の体を休めるのが今の自分の仕事だけど、そんな理屈で自分を説得できるほど冷静じゃないぞ今の自分。
「メセムスちゃんは専門外じゃ。ダダルバどのを呼んでもらえんか?」
治療の気を散らさないように黙っていたけど、手足は無意識にツル草をほどいてザンナに近づこうとしていた。
「そのふたりはちゃっちゃと運んどくれ!」
選手村の宿舎宮殿へつながる渡り廊下の先。
トイレ、浴室、クローゼットなどもついていて、内装からしても病室というよりは高級ホテルのような部屋へ運びこまれる。
バカでかいベッドの端で激痛を伴う手当てが続いたけど、ザンナのことばかり気になって声が出ない。
体を拭かれ、消毒液をぶっかけられ、謎の粘液と湿布をあちこちくっつけられ……しばらくするとラウネラトラが来て、内部からの治療をはじめる。
「おんしとリフィヌちゃんは手短に済ませて、あとでまた来る。わっちがもてばじゃが……」
顔がだいぶ疲れていた。
競技に参加してないとはいえ、すでにダイカとキラティカと出血将軍の治療をしていたか。
「おんしも即死はまぬがれたとはいえ、あの大技で全身から血を噴き出すに近い消耗をしちょる。ちと覚悟して休め」
そんなやばかったのか……あちこちの傷は痛むけど、ほかの部分はかゆくて冷たいというか、あまり感覚がない。
でも一回でそんなひどい消耗なら、ザンナは……
「ザンナちゃんは生きちょる。わっちに任せい」
生きてるってなんだよ。それってどこまで無事なんだ?
「……じゃが競技の棄権は覚悟せにゃならん」
ラウネラトラは言葉どおり、数分だけ包帯と触手を使うと看護師たちに指示を出してあわただしく出て行く。
動けない。けど眠れない。頭がかすむ感じはするのに。
心配がそのまま熱になったように脳にこびりついて目を長く閉じられない。
看護師さんに頼み、ロックルフ商会へ連絡をとってもらう。
ボクを運べそうなルクミラさんかデューコさんに来てもらおうと伝言を頼んだのに、なぜかロックルフのオッサン自身が来てしまう。
やけに愛想がよくて気になったけど、見舞いに置いていった小型の水晶モニターには長い蒼髪が映っていたので、いつの間にか立ち去ったけど気がつかなかった。
試合場のゴール前で三体の青巨人が突進していた。
本来は選手ひとりに門番ひとりを出す場所らしい。
背は五、六メートルで巨人としては標準の三倍サイズだけど、体のバランスはいいほうで、動きも速め。
その足元をコカリモとコカッツォがまとわりつくように動き、不意に飛びあがっては大きなひっかき傷をつける。
動きの速さや爪の威力はダイカたちと変わらず、むしろ連携は劣って見える。
でも個々の武術の技量は上のようで、一撃離脱のくり返しではなく、密接したまま連続して刻んでいる。
青巨人の反応は悪くないのに、転がり流れるような動きでするするとかわしてしまう。
あんなふたりと戦って勝てたのはリフィヌの強さもあるけど、魔法を中心にしたやりとりになったことが大きそうだ。
でも余裕はない。
巨人戦士団も互いをかばう連携を見せ、小型生物対策の武器まで持っている。
ほうきだ。
正確には短い柄に綱が束ねられた鞭の一種で、立ったまま片手で足元を広く打てる。
巨人ならマッサージで済む打撃でも、常人なら打撲や骨折になる威力。
コカッツォは相変わらずわめきっぱなしで、ほうきと足に追われて跳ね続け、コカリモは攻撃が少ない代わり、時おり相棒の救助に動いてる。
その乱戦の中での異物が蒼髪の剣士だった。
人間としてはかなりの速さで動いているのだろうけど、モニターごしなら獣人よりずっと楽に目で追える。
飛び交う獣人と轟音を上げる巨体が巻き起こす嵐の中で、まるで審判のようにゆうゆうと動いている。
みんなが必死な形相をしているのに、ひとりだけ薄笑いを浮かべている。
でも参戦している証拠に、獣人に対しては冷静な青巨人の戦士たちが、その少女剣士の気配には顔をゆがめて叫んだ。
巨人の攻撃は避けられているというより、当たらないといったほうが正しそうな奇妙な光景。
ごく当たり前の動きをしている人間の少女に、巨人はいつの間にか死角をとられ、あるいは攻撃してみると届かなかったり、味方が邪魔になったり、獣人の攻撃を避けねばならなくなる。
刀身はボクの目に見えない速さとはいえ、つける傷の大きさはコカリモたちと大差なく、攻撃ペースはずっと遅い。
でも目、首、アキレス腱、手の親指と、巨人としては『そこはやめて』と言いたそうな部分に限って、鉄の刃物が突き立っていた。
そりで運んだと思われる大量の装備品が散乱している。
大小の刃物が十数本は見えていた。
剣士は巨人の体に刺し捨てた分の凶器をおもむろにひろって補給する。
その様子に耐えかねたのか、巨人の一体がそりの近くを蹴り払い、情勢が一気に変わる。
埋められていた吸着魔法のロープに巨人の足がくっつき、バランスを崩して倒れる。
蒼髪の少女がその顔を飛び越えたあとには三本の刃物が刺さっていた。
剣士が巨人の頭の影で丸いアクセサリーのようなもの……おそらく『地割れの根付』を地面に打ちつけると、砂場に数十センチの亀裂が走って盛り上がり、追ってきたもう一体の巨人もわずかにバランスを崩す。
そこへすかさず獣人コンビが襲いかかって降参させ、勝負はほぼ決まった。
ところが三体目の巨人は両足から血を流して這いながら、必死に暴れ続けた。
巨大な足も拳も不思議と当たらない人間の少女が迫り、悲鳴をあげていた。
コカッツォが砂を思い切り蹴り上げると、剣士はふり向いてかわし、ようやく足を止め、血まみれの長剣を放り捨てる。
「どうしても斬りたいなら止めねえけどよ」
コカッツォは不快そうにため息をつき、刃物は無視して魔法道具だけを集めて盾にのせはじめる。
「おいクソダヌキ、手伝えって……」
立ち止まっていたコカリモは眠そうな顔でコカッツォの頭へ竹筒を投げ当てる。
コカッツォは怒りの罵声をあげる前に、コカリモの視線の先を見る。
ゴール前にいた蒼髪の剣士は短剣やナイフをひろっては刃先を上にして埋めていた。
あれは……防衛装置のつもり?
気休め程度だろうけど、ひとりで多数を相手にする布石というか……少しでも動きを制限したい獣人相手の対策?
「おいおい、ユキタンのヤローとは話がついたからあの竹筒をもらったんだ。げんのうはとられたままだし……」
コカッツォは話し途中で愛想笑いを失い、毛を逆立てる。
「襲ったことには変わりない」
少女剣士は両手の短剣の刃先を向け、うれしそうに笑っている。
ボクの胸がズキリと痛んだ。
コカッツォが無言で襲いかかるけど、けわしい顔にはあせりが見える。
剣士が短剣を持ったまま投げつけた二本のナイフを軽くかわした直後、足元の砂中から飛び出した『乱舞の銛』につまずく。
その背後から、コカリモがなに食わぬ顔で飛び出していた。
剣士もまた、コカッツォを無視してコカリモへ刃を突き出していた。
右手の短剣はコカリモの左腕を刺し通し、左手の短剣はたたき飛ばされる。
その直後、左手のそでから新たなナイフが現れ、コカリモの足に突き立つ。
剣士はすばやく飛びさがり、両手に新たなナイフを抜くなり突進に転じる。
追っていたコカッツォは急に間合いを詰められ、上体を引いてしまった。
銛がその足元を通り抜ける。
当たる角度ではなかったけど、背後からの飛来物を耳で察知したのか、かわそうとしてしまう。
片方のナイフを投げつけられ、着地をさらに少しずらされ、見えていたはずの埋められた刃物を踏み抜く。
それでも突き出されたもう一本のナイフは爪ではじき飛ばした。
直後、片目を手刀で削られる。
人間では達人クラスの動体視力や腕の速さも、獣人と比べてしまえば中堅程度にも劣るか、せいぜい互角。
ましてパワーやフットワークではまるでかなわないので、接近戦自体が自殺行為のはずだった。
射撃でなければ、柄の長い槍などの初撃に賭けるしかないはずだった。
だからコカッツォは片目をつぶされながら、強引に蹴り返そうとした。
『切り裂きの魔女』は蹴り足の上を飛び、鉄靴の足刀でもう片方の目も切り裂いた。
笑顔で。
一体なにがあった?
あの怪物の正体は生真面目なお人よしで、隠れ少女趣味の天然ボケだったはずだ。
知れば知るほど変わった性格だったけど、今の冷たさ……威圧感……断絶感……まるで、あの手が首をはねた、蜂人の女王みたいだ。
「逃げろコカリモ!」
両目を血でふさがれたコカッツォが叫ぶまでもなく、すでにコカリモは腕と足に刃が刺さったまま、片足けんけんで何十メートルも離れていた。
「世話にもなったから、命まではとらない。もう暴れるな」
コカッツォは逃げようとして、もう片方の足も埋められた刃物で傷ついていた。
手にした『報いの火打石』は投げる前に叩き落とされる。
「そんなことを言って、シッポでも切り取るつもりじゃ……」
槍と火打石をひろってゴールへ向かいかけていた少女が何秒か止まる。
「約束どおり、半分の魔法道具はお前たちのものだ」
「今の間はなんだ?!」
「痛そうだな。運ぶか?」
「寄るなあ!!」
コカリモは立ち止まってふり向いたけど、近寄ろうとはしなかった。
……やっぱりアレッサだ。アレッサなんだけど……?
迎えに行こうとして、体を起こそうとして、できずにノタノタ這いながら低いベッドから落ちかけたところで、付き添いの看護師さんたちがとんできて、もどされてしまった。
アレッサのほうから来てくれないかなー。来てくれない気がするなー。
あの妙な意地はなんなのだろー。本当にユキタン同盟のためなのかなー。
……でも無事にゴールしてくれたから、一気に肩の荷が下りる。
ちっとも無事じゃないコカコカさんには悪いけど、大きなため息をつかせてもらう。
あとはメガネと……ザンナ。リフィヌも心配だけどザンナ。メセムスも心配だけどザンナ。あとザンナが心配。それとザンナ……無事でいろよ。とにかく死ぬなよ。死ぬとか言うなオレ。ラウネラトラは生きていると言って……どこまで無事なんだよ?!
……っていうのをくり返しても自分の容態が悪化するだけだ。
ロックルフのじじい、なんでまだルクミラさんもデューコさんも連れてこない。
早く治れオレの体。というか興奮して眠れない。
ザンナはどれだけ無理をしていたんだ?
小さなやせた体で、リフィヌみたいに人間ばなれした鍛えかたをしているわけでもなくて、魔王配下じゃその他大勢クラスの下級ザコ幹部で、エルフの神秘パワーなんかもちろんなくて、小心で臆病で卑怯で短気で……嘘つきで。
あのヤロー、悪人志望ていうのが一番の大嘘だ。
弱くて怖がりのくせに、みんなを支え続けて、平気そうに憎まれ役を買って……オレも悪人になるか。
なんのために、どうやってかはともかく……というか早く治れ。
エロ医者、どこになにつっこんでもいいから今すぐ治せ。オレもザンナも。
そんなことをぐるぐる考えているものだから、モニターに映っているほかの選手のことなんか頭に入らない。
入れ代わる青巨人の戦士団に対し、特務神官たちが狙撃で次々と倒して通過したり、魔術団の連中は苦戦していたけど突然に相手のかかとが破裂して勝ったり、巨大スライムが袋だたきを受けながら平然とアリーナを横切ったり、その体内でもがく短パン軍服のリス娘や、カニ缶を抱えたサルが透けて見えたりしたけど、感想が浮かばない。
というか眠れない。
だから再チャレンジ。よし這える。
看護師は目を合わせたら扉を開けてくれた。
部屋を出たところで奇遇にも、壁にもたれて歩くリフィヌと会った。
「眠ってないとだめじゃないか」
「つっこみを返す気力はありません」
真顔で不安もあらわにおびえている。自分も今、こんな顔か?
ラウネラトラも看護師におぶさって来ていた。
「おんしら……どうせ看護師を脅すなら、担架を使わせんかい。ザンナちゃんの治療は今、終わったばかりじゃ」
ラウネラトラの立会いでザンナの部屋に入る。
ここのベッドも普通サイズを三つ並べたくらいに大きく、その真ん中にぽつんと、闘技場のままの格好で銀髪の小さな体が横たわっていた。
「絶対安静ね。エッチは論外」
一応はうなずいておきながら、担架からベッドへと這い登る。リフィヌも。
ザンナは目を閉じているけど、息はしている。
「これでだいじょうぶ? ちゃんと目を覚ます?」
「治療は終えた。あとは……」
ラウネラトラが言いかけたところで、うっすらと目が開いた。
「だいじょうぶじゃねーよバカヤロ。ろくに動けねえったら……」
弱々しく言って、かかっていたシーツから左腕をぬくと、指の開閉を一度だけ確かめる。
「最終区間前の休憩は四十八時間だ。それしかねえ。集中して治さねえと……オマエらもだ」
「まだ出る気なの? というか本当にだいじょうぶ?」
「だからだいじょうぶじゃねえって……いや、オマエのノーミソほどひどくはねえから……おい……こんな所で泣くなって」
やばい。体が動かない。というかあちこち急に痛くなってきた。
「ずびばせん、看護師さん、病室にもどじて下ざい……」
「もう行っちゃいましたよ。ラウネラトラさんも気を失っていましたし」
あとでちゃんとお礼しないと。体で。
「もういいから、オマエらそのままそこで眠っちまえ。どうせ一緒の毛布にくるまった仲だ」
競技コースのキャンプと個室のベッドでは少し意味が違うような。
「拙者は歩けますから」
リフィヌはそれだけ言って、足をひきずりながら出て行ってしまう。
残念……というか、ふたりきりだとかなり意味が違うような。
「なんだか目がさめちまったな……ん? オマエその水晶どこから……」
看護師さんがボクの荷物も持ってきていたらしい。
ボクはシーツに顔を埋めたまま、急に全身が重くなり、安心感で眠気に沈みだす。
ザンナがモニターをつけたようで、人魚娘ミュウリームの元気なゴール選手インタビューの声が聞こえる。
「いやー死ぬかと思ったわー。びびったせいか戦車もイマイチだったけど、もうだいじょうぶ! なにせ次は砂漠だし! ブラぴーたちもいるし!」
「フハハッ! この邪鬼王子の切り札『無双の魔戦車』と魚人姫の至宝『陸上用の戦車』が補いあえば死角なし! 優勝は我らが手に!」
「ぼっちゃま! この『赤烏帽子』ラカリトの立体機動力もお忘れなさるな!」
「この『穿孔騎』シサバ、馬人族の誇りにかけ、恩義は忘れん」
無事でよかったよ美乳さん。その他三名もおめでとう。今は素直に祝福できる。
気持ちよく意識が遠のく……少しだけ、メガネ少年の泣き顔が意識をよぎった。
夢の中。らしい。
自分が今いるのと同じ部屋なので、少し混乱した。
そしてまた、シュタルガの横顔。
魔王は闘技場の観覧席にいた時と同じ外套をズナプラに預け、ベッドの端に腰かける。
「そのままでいい……貴様は優勝したらなにを望むつもりだ?」
視界が少しだけそれて、恐縮して上体を起こそうとしていたザンナと……突っ伏しているボク?
これは記憶じゃなくて、今の意識だ?
「アタシも正直、ここまでうまくいくとは思わなかったんで、まだなにも考えてませんよ。でかい店と、できればちょっといい街をもらって、家族一緒に一生うまいもん食えたらいいなってくらいでしたから」
「ふん、相変わらずだな。卑屈で臆病なくせに、わしにケンカを売った男とベッドを共にし、優勝をあきらめるとも言わん……それでいい」
今のザンナの反応を見たいのに、視点の主はシュタルガの表情の変化ばかり細かく追い続けやがる。
いつもどおり余裕ぶって、でも腹にいろいろ抱えてそうな食えない微笑のままじゃねえか。
シュタルガはザンナのそばへ座りなおし、銀髪をそっと押さえて寝かせる。
「本当に恐ろしいのは弱さだ」
「残忍、傲慢、怠惰、貪欲、すべては弱さに溺れてこそ」
「本当にすばらしいのは弱さだ」
「勇気、寛容、感謝、謙虚、すべては弱さを認めてこそ」
「弱さなき者は勇者にも魔王にもなれん」
「そして残忍や傲慢や怠惰や貪欲は価値にもなりうる」
「それらは見る立場を変えれば、すばらしく美しい」
静かに歌うように演説する魔王に、ザンナは圧倒されて頬を赤らめていた。
「貴様は最初に会った時から、わしが嫌う本当の不様とは遠い存在だった」
「運もあるだろう。だがそれを活かせたのは貴様の資質だ」
シュタルガはゆっくり立ち上がり、出口へ向かう。
「誰もがそれを嗅ぎつけはじめた。貴様の配下希望者が殺到している。半分でも抱えれば街のひとつやふたつは任せるしかない数だ。ヤラブカを単独で倒し、もはや十五猛貴は誰も依存あるまい。ゴルダシスは十二獄候に推している……貴様はどこまで望む?」
「少なくとも、コイツよりはシュタルガ様に見てもらえるようになるまで、コイツを利用してみますよ」
「ふむ……」
シュタルガは出口前で少しだけ真顔になる。
「嘘つきめ」
からかうように目を細めるなり、背を向けて出て行く。
突然に、視界が変化する。
この部屋と、出てすぐの廊下じゃない。
でも選手宿舎宮殿のどこかに思える内装。
シュタルガは試合場にいた時の外套姿で正面にいる。
ごく最近の記憶か? それとも偶然に同じ格好の時の連想か?
「今はわし自身のためだ」
近い。おい近すぎるぞ。
それになんだそのうるんだ親しげな目は。
小さいころじゃなくてもそんな顔すんのかよ。
「そういうことにしてくれ。そういうことにしてみせる」
泣きだした顔まで、幼いころと同じ……
「もう少しだけ、わしのわがままにつきあってくれ」
近すぎ……ごめんなさい! 決してのぞくつもりは……!
「おいユキタン、目がさめてんのか?」
目がさめたみたいだ。ザンナが隣で驚いている。
「たった今」
「またなにかひわいな……ん? どうした?」
「誰か、来ていた?」
ザンナもボクの表情を見て真顔になり、ごそごそと一緒に布団にもぐる。
小声でひそひそと、ボクが眠っている間の来客と、ボクが見た夢を確認し合う。
やはり夢だけど夢じゃなかった。
そして視点の主が確定してしまい、ふたりで頭を抱える。
「こういう時こそセイノスケに棚上げだな」
姉御の提案にボクも力強くうなずく。
うなずいたあとで、そのメガネの様子が気になり、起き上がってモニターを見る。
あちこち痛んだけど、なんとか上体を起こせた。
「ミュウリームたちがゴールしてからどれくらい?」
「二、三時間てとこか? まだゴールはもう一組だけ。魔王配下の十人くらいの集まりで、アモロとかイジェムエ教授たちが固まって通過していた」
誰だっけそいつら。
「終了は深夜零時だから、まだ半日近くあるけど……セイノスケは足きりラインそのものの体内に居るってのがどういうあつかいになるんだか?」
ベッドから降りる。
「今さらだけど、ガクラン以外は着たままか。ちゃんと寝なおさないとな」
「ここ病室じゃなくて、アタシの宿舎割り当てらしいぜ? 最終区間前だからって、いきなりえらい豪勢だよな……どこ行くんだよ?」
体はなんとか動くのでガクランを着て、外套のフードを深くかぶる。
「ちょっと確かめたいことが。ザンナはちゃんと寝てろよ。さびしかったらあとで添い寝してあげるけど」
ザンナが妙な顔のしかめかたで赤面する。
それを見たかった。
メガネくんの注文した鉄棒は杖の役にも立った。足が重い重い。
ロビーでアレッサのことを尋ねると、やはりというか連絡はとりつがないように言われているらしい。
そしてメセムスからの伝言があり、競技は続行できる見込み。
次はロックルフの店へ行って直接にジジイをしめあげる。
案内された斜め向かいの店の二階は書斎か会議室のようで、ルクミラとデューコと、ついでにセリハムも束縛されずに椅子に座っていたけど、入って最初はみんな顔が暗かった。
ほかにも数人の獣人女性がいたけど、ロックルフはあわてて追い払う。見張り役かな。
「わしの立場というのも理解してほしい。派閥のバランスをとる上で特別あつかいもできず、しばらく隠れていただいて……」
「軟禁状態でユキタンに助けを求める演技を強要された。実質で人質だ」
デューコさんがわかりやすい結論をくれたので、鉄棒をふりまわしてジジイを部屋の隅へ追い詰める。
「直接にはなにもされていませんが、私たちの子供を引き合いに交渉を……」
ルクミラさんが不安そうな表情をしたので、クッションを盾に愛想笑いを浮かべるジジイを遠慮なく殴りまくる。
「ユキちゃんが騎士団や七妖公の弟子をばもっと追い詰めてみたら、モニターごしで脅迫ネタりーの?」
セリハムは両手で何度もジジイを指さすけど、怒りの度合がいまいちわかりにくい。
「まあ、ユキタン同盟は脱落者が続出して優勝の見込みが薄くなっていたから、ロックルフも利益回収を考えてしかたなくだろ。安易な乱暴を避けたのはさすがに慎重だよな」
そう言いながら笑顔で殴り続けた。
「すまんのう。窮屈な思いをさせてしもうたが、これも互いの……」
「頭の悪いオレでも疑わないで済むように話せジジイ。裏切ったことと、それを誤魔化し続けたことは忘れると思うなよ。善良なる勇者様は婦女子の監禁だけで十分にキレてる。腹黒のくせにそれも察しないマヌケなら敵にまわしたほうがすっきりする」
「わ、わかった。納得できる詫びを用意する……君、口調が変わっとらんか?」
ようやくロックルフの大人ぶった余裕が消えたけど、こっちは疲れで椅子にへたりこむ。
デューコさんに背負われて店を巡り、セリハムにも商品の注文をいくつか頼むと、もう日が暮れはじめていた。
宿舎宮殿にもどると、巨大スクリーンのある露天風呂はティマコラ暴走の報道でにぎわっていた。
「ティマコラ。お前がそんなにがんばらなくてもいいんだ。この温もり、手触りだけでも気持ちは伝わっている。足がまだ三本は不調のようだな。右肩のつけ根にも負担がかかっている。無理をするな」
大魔獣は腹の中の患者少年にボソボソと妙な話を聞かされ続け、怒ったり、泣いたり、疲れはてて落ちこんだりしたあと、くどき落とされてゴールへ急ぎはじめたらしい。
……あのヤローはつくづく、心配するだけ損だな。
気持ち軽くなった足どりでザンナの様子を確認しておく。
「まだほっつき歩いていたのかよ? オマエもおとなしくしてなきゃまずいだろ」
自分で立ってドアを開けたので、だいぶよくなってきたようだ。
「ちょっと気になって落ち着かないことがあったんで……もうだいじょうぶ」
扉を閉めようとすると、後ろえりをつかまれた。
「腹へった。なんか消化にいい、うまいもん持ってこい」
「あの、ボクまだおとなしくしてなきゃ……」
ロビーからロックルフ商会に連絡をとり、料理を配達してもらった。
「オマエも食っていけよ。あとそのエビ、からをむいとけ。まだ腕がだるいんだって」
ふたりしてベッドに転がって食事をとり、なんだかんだとザンナにこき使われた。
「どうせセイノスケがゴールするまでは水晶を見ていくだろ? アタシもほかの選手が気になる」
でも競技は派手な動きもなく、意識は食事とメニュー選びに集中される。
リフィヌも様子を見に来たけど、寝ぼけた顔でふらふらしていた。
「オマエこそだいじょうぶかよ? いいから少しでも腹に入れとけ」
勧めるまま食事を一緒にとり、寝ぼけ顔のまま二人前をひょいひょいと腹におさめると、ふらふらと自室へ帰ってしまった。
リフィヌが食べた分の追加注文をしている間に、ザンナは浴室に入ってしまう。
「モニターから目を離すなよ。そろそろセイノスケが着く」
なかなか出てこないので心配になったけど、ときどき鼻歌が聞こえていた。
モニターではゴール手前で大魔獣からメガネ怪人が吐き出され、通過手続きをとると当たり前のように腹へもどった……あのまま最終区間に挑むつもりか?
「ま……ゴールには違いない。あとは明日、考えようぜ」
浴室から出てきたザンナは最初に会った時のような、素肌に革ベルトのチューブラとミニスカ……あらためて見ると、露出しすぎだ。
自分もようやく自室にもどり、簡単にお湯を浴びる。
バスローブで出るなりノックの音に気がつき、開けるとザンナが押し入ってきた。
「早く開けろって。廊下は部屋ほど暖房はいってねえんだから……すっかり冷えちまったじゃねえか」
勝手なことを言って、勝手に人様のベッドへもぐりこむ。
「ほら、オマエも入れてやるから。風邪ひくだろ」
つっこむ気力もないので、お言葉に甘えて隣へ入る。
「やっぱり添い寝が必要?」
まだなにか用事があるにしても、もう明日にしてもらいたいけど……元気になったようだし。
「そう。さびしいから」
ザンナは背を向けてなにかゴソゴソ動いていたけど、やがて革ベルトの束を枕元に置く。
「あの……?」
「なんてな。いや、あの部屋、ひとりだとちょっと肌寒くって」
そう言いながらすりよって、ボクの肩にあごをくっつけてくる。
手足をからませてくる。
薄い下着しかない胸と腰の感触。
「これで襲いかかるとベッドが針地獄というオチでしょうか?」
「そうだな。発情しないように気をつけろ。……でもまあ、競技コースじゃあるまいし」
トゲつきの首輪も外された。
「ほら。これで襲い放題だ」
照れたように笑い、しがみついたまま目を閉じた。
こんなの……眠れるわけないだろ!
動悸、息切れ、発熱と一気に発症しているよ。
まさかこんなところで、唐突にこんなチャンスが。
でもはじめては真日流さんに……というのは本当はもうあきらめています。
でもここで手を出したら君の親友の白エルフ様に天誅を下されまいか……一夫一婦制を守るならセーフかな。
いい奥さんになるよな。
ガラ悪いけど。短気だけど。小心だけど。せこいけど……今はその全部がかわいく思える。自分に合ったパートナーに思える。
それに、性的にはどウブなコイツがここまでやるって、どれだけの覚悟だ。
手に手を重ねて、顔を向ける。
手足のしめつけが少し強くなり、くっついている胸や腰の体温も上がった。
銀髪が流れ、ボクの顔をかすった瞬間、不意に思い出してしまう。
前にこの顔をかすった、蒼い髪の感触。
見知らぬ他人を助けようとしたボクを、怒った顔で抱き寄せたお人よし聖騎士の香り。
「なんてな。オマエが今、誰のことを考えているかくらい、わかっているさ」
ザンナが目を開け、静かな表情で見つめていた。
「でも今はもう少し、こうしていろ」
明るく笑った顔から、涙がこぼれだす。
こんなの、手を出せるわけないだろ。
深く眠った。
魔法の腹掛けをつけてなくて、妙な夢にも邪魔されない、安らぎの暗闇。
少し低い室温が、触れている肌の温かさを際立たせる。
このまま朝なんかこなけりゃいいのに。
そんなことを感じながら目覚めると、こんな時に限って窓のある部屋で、しかもひさしぶりの陽の光が満ちていた。
そしてもう首輪やミニスカをつけたザンナが隣で寝転び、顔をのぞきこんでいる。
「このネタ、どう使ってやろうかな~? 一緒に一晩いたのは事実だし、言い逃れできねえぞ~?」
照れ隠しに悪ぶった笑顔。
「……そうだね」
おもむろに押し倒し、驚いている顔を両手でつかむ。
少しおびえていたけど、ゆっくり目を閉じようとしていた。
こんなの、我慢できるわけないだろ。
くちびるを重ねて吸い、舌をそっと絡ませる。
ザンナは自分で自分の体を抑えるようにシーツを握りしめ、身をよじり続けた。
「バカ……こんなの、アレッサにばれたら……」
「まったくもって、言い逃れできないね」
小さな魔女は真っ赤に呆けた顔で、ぐったりと全身を脱力させる。
「悪人になれって言ったのはザンナだろ」
布団をかぶせてかりそめの闇に包まれ、もう一度しつこく、舌を吸い合った。
よし、死んでいいぞボク。
あとはオレが生き残る。
(第三部『氷雪の暗闇』編 おわり)




