十七章 狐顔も狸顔も好きなんだが? ネズミ顔とカッパ顔も捨てがたいぞ? 四
ボクは水晶をひったくる。
「じゃあこの受信は……! …………あれ?」
性悪どエス魔王の嘲笑を思い浮かべたけど、通信はつながらない。
ふと、やつは大魔獣に喰われたくらいじゃ死なない気がしてくる。
「ようユキタ。早くも巨乳を補充したか。さすがだな」
暗がりの中、青白い光に照らされたメガネが映った。
「君こそ……あまり心配かけるなよ。連絡くらいは出ろよ」
グッチャグッチャと変な音がしている。
かみ砕きを『孤立の襟巻き』の効果で阻止しているらしい。
モニターの大魔獣は閉まりきらないアゴで迷惑そうな表情。
「体力が急速に削られるだろ? 『へつらいの鉢巻』もあるとはいえ……」
「まあ、俺のほうは心配すんな」
こいつの出まかせだか強がりだかわからない言葉はとりあえず信じるしかない。
人のことは言えない状態だけど。
「それより、メセムスに愛想をつかされてしまってな。『実家に帰りマス』と言っていたのだが……」
ついに。君には理想の奥さんだったのに。
「でもシュタルガの所へは向かってないよ?」
コウモリモニターに映る画像だと、巨体メイドは大魔獣ティマコラの進行方向へ走り続け、距離を開けはじめている。
「え……ボクの所?」
「よくできた女だ……頼んだぞ」
そこで水晶の通信は途絶えてしまった。
「セイノスケ様はだいじょうぶなのでしょうか?」
リフィヌも慣れてきたのか疲れてきたのか、意外と落ち着いている。
「わかんないよー。わかるわけないよー。あんな奇人変人のことなんてー」
「オマエが言うな……っていうか、少なくともアタシらよりはつき合いが長いだろ? あっちが親友と呼ぶ程度には気が合うんだろ?」
「気が合うかどうかも……気にいられているようではあるんだけど……」
「ん~、コカリモからちょっといいかな?」
縛られているタヌキ娘さんがふたたび丸っこいしっぽで挙手。
「コカリモたちなら、メセムスちゃんを早く届けられるよ?」
ボクとザンナとリフィヌは念入りにヒソヒソ話し合った結果、提案を飲むことにする。
「アタシらを運ばせるには危険な連中だけど、メセムスさんならだいじょうぶだろ? キラティカなら片足へし折って魔法道具を全没収かもしんないけど、あの盾と綱はかさばるし……」
『眉唾のげんのう』と『報いの火打石』は取り上げたまま、運搬にも使える『随所の盾』と『渡りの綱』を返して迎えに行かせる。
そしてボクら三人はまたとぼとぼと、果てない氷原を歩き出す。
モニターでは移動選手村が海へ乗り出し、浅瀬にそって足きり部隊を追いかけていた。
宮殿は相変わらず大量の照明が飛び交っていて、深夜でもにぎやかな明るさを保っている。
その落差のせいか、ボクは不意に、死の実感を持ちはじめる。
感情はそれほど動かないまま、自分がいつ死んでもおかしくない場所にいることを急に納得する。
「参考になるかは怪しいけど、清之助くんのことも話しておこうか……」
清之助くんが父親と呼ぶ平石清三郎は大企業グループの会長で、海外を含めた各地を忙しく飛びまわっている。
それでも週に一度は清之助くんと連絡をとり、誕生日と正月は必ず直接に合う。
とても社交的で、何事にも欲の深い性格……らしい。
その秘書長である桐之江俊助は最も信頼されている部下で、最高の親友で、清之助くんの遺伝子上の父親にあたる。
複雑な恋愛事情はなく、単純に異常ななりゆき。
清之助くんの説明そのままだと、会長が秘書長に『うちのと子供を作っておけ』と命じ、会長の奥さんも『そういうことでしたら』と言い、清之助くんは『桐之江は女や家族というものに興味がない。無愛想だが能力は確かだ。それに話すとなかなか面白いやつだな』と言いやがった。
理解しがたい人間ばかりで、つっこみようがない。
そしてボクとの出会いからこの一ヶ月の概要、競技中の言動も説明しておく。
「聞いてみると余計にわけわかんねえやつだなあ……魔法道具に異様な適性があるのもわかったような、わかんねえような……というかオマエ、よくそんなのと一ヶ月もつきあえたな?」
「退屈はしないし、それほど悪いやつじゃない……いや、性格の悪い人でなしだけど、容姿も才能も資産も恵まれているせいか、弱さとか臆病さとか、暗い感情には縁が無い…………と、思っていたんだけど……」
「なんでそう思うのですか? たしかに変わった性格ですが、『はじめから脇役』『おびえているのはいつものこと』といった言葉はとてもウソには思えません」
『できることをやるだけで精一杯』とも言っていたか。
「言動や態度に理解しがたい、共感しがたい部分は多いかたですが、拙者の知る限り、その行動は全身全霊、命がけでユキタン様を守ることに注がれております。その信頼は認めているというより、すがっているようですらあり……」
ボクが希望したから異世界に渡る思い切りがついたとも言っていた。
そしてなぜかリフィヌが涙ぐんでいて、ボクはザンナ様に助けを求める。
「容姿と才能と財産に恵まれているといや、リフィヌもか。アタシらよりはなにか理解できるのかもな?」
姉御はなにくわぬ笑顔で少し皮肉をこめ、リフィヌを困らせ照れさせ涙を止める。
「恵まれているやつはまた、別の苦労があるらしい……けど、本当に悩んでいることなら、話を聞けば誰でも理解できることだって、父さんが言ってたな」
生きているザンナパパに会えないことが悔やまれる。
「難しく考えるなよ。考えてわからないことまで考えるこたねえ。やれることをこなすだけでも時間はまるで足りねえんだ」
そしてボクら三人はまたひたすら、果てない氷原を歩き続ける。
ザンナだけが鼻歌を続けていたけど、それもだんだん途切れてくる。
「このままだんまりじゃ滅入るから、なにか退屈しのぎに……」
「お色気ぶっちゃけトーク?」
「そういやリフィヌは、アタシの顔を知っていたよな?」
「え、ええまあ……」
ふたりして顔をそむけないで。ボクの士気が大幅に下がるから。
「どこで見てたんだよ? この際、ぜんぶ話しておけ。なにか思い出すたび、いちいち陽光脚が不調じゃ困る」
ザンナがニヤとリーダーぶる。
「私も新年祝いの夜に見ていたのですよ。父に言われて、自分の外套を玄関まで持っていったので」
リフィヌは今までと違い、だいぶ落ち着いて、かすかなほほえみもまじえて昔のことを話せるようになっていた。
「後日……年が明けて温かくなりはじめたころです。街のお花屋さんでも見かけました」
ザンナがほんの少し、顔をこわばらせたことにリフィヌは気がつかない。
リフィヌは花屋で見かけた、暗く無表情な銀髪の女の子に近寄れなかった。
リフィヌ自身、親が荒れだして落ちこんでいた時期だった。
「でも気になって花屋のおかみさんに聞いたら、私の父に訴えられた商人の娘さんと知りました。事故で両親を亡くし、私の父が寄付金を出して頼み、孤児院に受け入れられたと……」
「時々来る大口の寄付って、リフィヌの親父だったか。でもあれ、院長ババアが自分の部屋に高級家具を増やして、アタシらには鉛筆を一本ずつ配るような使いかただったぞ?」
ザンナが気づかいながら茶化し、リフィヌは情けない顔で苦笑する。
「拙者も両親の言い合いなどから事情がわかりはじめていたので、いたたまれませんでしたね~。その後もザンナさんを見かけるたびに隠れて、でも様子を確かめずにはいられませんでした」
痛々しい話だけど、リフィヌはそれを笑ってザンナに話せるようになった。
この区間で得た、どの勝利よりも大きな収穫。
「それなら花屋で見かけることが多かっただろ? アタシは店のやりとりに慣れていたから、よく使いに出されていた」
「ええ。ザンナさんはいつも無口でしたが、花屋の娘さんはよく話しかけていたようで……」
「教会は冠婚葬祭で大量注文する大口客だったからな。ババアもいちいち見返り請求して……挙句、話がこじれて、その花屋はつぶされた」
ザンナの表情に混じる陰に、リフィヌも気がついた。
「アタシがババアに言われたまま、店にまぎれこませておいた鉢植が、麻薬の原料になる違法なものだったらしくて……アタシは知らないで、自分の父さんがやられたような、濡れ衣かぶせの片棒をかついだんだ」
またずいぶんと重暗いエピソードだ。
「待て。落ち着けリフィヌ」
ザンナのほうが心配顔で、うろたえてグラグラ揺れるリフィヌの肩をつかむ。
「もしや『本当に気まずい過去』というのは……」
「たしかにそう。アタシにとっての『どん底』は、花屋の女の子に死んだような暗い目で見つめられた時だ。食う寝るどころか息を吸うことが後ろめたくて、『死にたい』じゃなく、『生きなくていい』と感じた。……でもアタシが言いたいのは、その感覚は、それが最初で最後ってことだ」
「とにかく逃げ出したから助かった。自分への嫌悪とか、ババアへの恨みとか、花屋への罪悪感とか……父さん母さんのために、立派な人間になって見返してやろうとか……全部捨てて、孤児院からも生まれた街からも逃げて盗みをはじめたから、アタシは生きる意識をとりもどせた。弱くて臆病だから助かった」
ザンナは明るく笑って話す。
「そんで、あの時の『どん底』に比べりゃ、そのあとのあれこれは苦しさも限度が知れている。リフィヌだってもう、言うだけ言っちまったから、陽光脚をまったく使えなくなることはなさそうだろ?」
「う~、でも小生は、両親のダメダメな死にかたが……母は気を病んで階段を転げ落ち、父はアルコール依存からお風呂で溺れて以来、あのころの空っぽな自分が心のどこかにはず~っと隠れているような気がして。武術のお師匠様にも、私の拳は『陽射しのように真っ直ぐで空虚だ』と指摘されてしまいました」
大人びた苦笑を見せるリフィヌに、ザンナが大人ぶってうなずきながら肩を組む。
「それでいいんだ。だからオマエは見込みがあるんだ。アタシと気が合うんだ。シュタルガ様はアタシのようなやつも認めてくれる」
リフィヌが魔女の求愛に困ったふりをしつつ、うれしそうに染める頬が妬ましい。
「うわ~。悪質勧誘が続いていたか~」
ボクは呆けた表情のまま茶化す。
「ザンナさんはなぜ、謀略の魔王などと呼ばれるかたを信頼できるのでしょう?」
「言葉じゃない。あの人は生きかたで、地獄の真ん中での笑いかたを教えてくれる。期待されない捨て駒でもいい。アタシはあの人をふり向かせて笑わせたい」
どエムか君は。
「できるかどうかじゃなくて、そうしたいんだ。希望も正義も見えない世界には慣れたけど、それでも私は笑って生きたい。魔王様に近づきたい。だからアタシは迷わない。シュタルガ様がいる限り」
「あの君、ボクはそのシュタルガに宣戦布告して目をつけられていることはわかってる?」
「いざとなりゃ後ろからぶっ刺すさ。改心するなら早めにな」
ザンナはニヤと笑い、ホウキでボクの背をつつく。
「孤児院を出て、野宿になり、呪いの沼で『不死王の未亡人』に会い、迷いの森の『黒き魔女』に会い……そこから魔王軍入りでしょうか?」
「ティディリーズは魔王軍には関わってなかったよ。アタシも会った時から同居したわけじゃないし。最初は一晩だけ宿を借り、礼を返しに行ったり、やばい時に転がりこんだり、ただ顔をのぞきに行ったり、そのついでに用事を頼まれたり……ついでに魔法を教えてもらって、魔法道具も貸してもらって、アタシが裏街でそれなりの顔になるまではずいぶん世話になった」
アレッサが妹のことを話す時のように、ザンナは義理の母をうれしそうに誇った。
そのあとでまた、少し顔をこわばらせる。
「でも調子に乗りすぎて、裏街のボスに目をつけられた。うまくなれ合っていたつもりが、手下が次々と消えて……『言えない過去』の第二弾だな。クリンパたちはティディリーズに預けてかくまってもらったけど、ほかの手下は生き残ったやつもみんな散り散りになった」
そこからザンナは困ったような顔になる。
「アタシはひとりで落とし前をつけようとして、ボスの屋敷で数十人を刺したんだ」
「袋だたきを覚悟していたのに、囲まれた時には『闇つなぎの首輪』が発動していた。危険に対して緊張を全開にする『闇千本』とは違って、もっとずっと落ち着いた……むしろ底まで冷えきったような気持ちでいた」
いつもはせこい悪自慢で調子づくザンナが、他人事の研究みたいに語る。
「仲間をたくさん死なせた自分と世界に絶望し、怒りすぎていたんだ。死ぬか殺すかも考えなくて、妙に落ち着いていた。部屋中の影から一斉に針がのびて……思い出すと地獄の効果だけど、その時はなぜか冷静に始終を見ていた」
そういえばザンナは時々、体の影ではなく床の影からも針を延ばす。
第二区間の緑竜戦と、船の橋での神官戦……どちらもかなり追いつめられた状況で。
あの範囲を部屋中に拡大できるなら、とんでもない攻撃魔法だ。
「そのまま『針地獄』という魔法らしいけど、ティディリーズも使えたのは数えるほどらしい。……ともあれ、その事件でアタシは魔王軍の上層に目をつけられ、呼び出された」
「自分ひとりが見せしめにされる覚悟はしていたんだ。ところが行った先にはシュタルガ様がいて、幹部にとりたててくれるという夢みたいな話になって……代わりに事件の落とし前として、家族を差し出せって言われたんだ」
内容のひどさと裏腹に、ザンナの口調は活き活きとのりだす。
「シュタルガ様は笑いながら『貴様自身の手でなぶり殺しにさせるから連れて来い』と……だからアタシは『そりゃもう喜んで』と笑って返して……生涯で二度目の『針地獄』を発動させていた」
「ザンナが勇者になるところだった?!」
「無理無理。余裕で防がれて、殴り倒されていた。そんで『これほど有望な新人をつぶすよりは、マヌケなジジイの面目をつぶすほうがいい』って……はじめから試されていたんだ」
「アタシとアタシの家族には手を出さないように言ってくれたし、この競技祭にも推薦してくれた。魔王様のことは調べるほどに惚れたよ……」
「君はどエムか?」
「ちがう。知ってるだろ? シュタルガ様は歴代最弱の覇者……弱いんだ。そして陰険姑息……つまり怖がりだ。アタシがシュタルガ様を崇拝するのは武勇や知謀じゃない。その意志に、情熱に、アタシの目指すべき場所があるんだ。この世界に山盛りの絶望をぶち壊す救いがあるんだ」
なんだか説得力がある……悪の手下の目がやけに輝いている。
「シュタルガ様は、アタシが平謝りしても、笑って言うんだ。『大層な媚を売っておきながら、たかが義理の家族のために魔王を裏切るとは、見込みがある』と。『節操なくひれ伏す姿もいい。立派な人間では悪になれん』と。『わしはもっともっとくだらんことのために世界を巻きこみ粉砕するかもしれん』と……どうだ? 魔王軍って、楽しそうだろ?」
ザンナの奇妙な職場自慢に、リフィヌは泣きそうな苦笑いで頭を抱える。
「ボクも前向きに検討してみるかな」
「ユキタン様?!」
ぼんやり正直な感想を返して神官様を追い詰めてみた。
「ボクが魔王軍に入るとしたら……シュタルガも嫁にして、ボクが魔王で覇者で勇者になれば全部丸く収まらない?」
リフィヌが絶句し、ザンナも目を丸くする。
「オマエたまにムチャクチャ言うよな~。そんなの聞かれたらエラいことに……」
「なってますねえ。先ほどから中継つながっていましたので」
ザンナの言葉に紫コウモリのダンディボイスが答える。
いつの間にか頭上にいたカメラは前方へまわりこみ、モニターを広げて見せてくれる。
放送席ではボクたちが大写しになっており、シュタルガとパミラとドルドナと汗だくのラウネラトラが優しくほほえんで見ていた。
選手村から寄せられる凄まじい勢いの罵詈雑言も紹介されている。
「ザンナ選手がシュタルガ様にスカウトされた経緯は好評でしたが、まさか話がこう展開するとは……」
コウモリはヤレヤレと両翼を広げて首をふる。
傍観者どもがボクを罵り、嘲笑し、欠点をあげつらい、ギャーギャー騒いでいるけど、これといって切れ味のよい悪口もなく、耳に入ってこない。
「うるせえなカスどもが……オレがシュタルガよりおもしろおかしく世界を創り変えれば文句ないだろ! 期待しながら悔しがってろモブキャラ!」
うっかり吠えていた。疲れているのかな。
「あああのユキタン様? どうなされましたか?」
「突然すみません。疲れからくる情緒不安定だと思います。なに、ただのハッタリですよ。親友の悪影響で、出まかせも少しうまくなったようです。どうせ命がけなら恨みも期待も借りれるだけ借りて、あとから帳尻だけ合わせりゃいいんです」
ボクは柔らかくほほえんだつもりだったけど、リフィヌは笑顔ひきつらせて距離をとる。
「オマエ……悪人の素質あるな」
ザンナが真顔で認定してくれた。
「まあ、歴史を見ても勇者なんて魔王以上の悪人ぞろいだから、教団的にはこれでいいのか?」
「いえその~。史実では人格に深刻な問題のあるかたも多いようですが、それが勇者の適性というわけではなく~」
ボクたちがダラダラとたわいもない会話を続けながら歩いている間にも、巨人将軍の猛進撃は止まらず、早くも背景には石積みの遺跡が見えていた。
魔獣乗りの一団がたたきとばされ、現地調達したらしいバッファローに似た魔獣はたいまつ台で表面だけ簡単に焼かれると、そのままゴルダシスの携帯食料となる。
ボクたちの背後からガラガラと大きな音を響かせ、ソリを引く巨乳さんと爆乳さんが見えてきた。
そしてソリの上では巨体メイドさんが足を真っ直ぐ前にのばして座っている。
ボクらは三人して駆け寄り、メセムスにとびつく。
「寒くないっすか?! なんでも言いつけてください! コイツらに!」
「ご無事で良かったです! セイノスケ様のことも心配ですが……」
「ヤツのことなら代わりに謝るよ! 今までありがとう! 君は本当によくやってくれている!」
三人して半泣きで甘えすがり、メセムスは微動だにせず頬から蒸気を噴き出す。
「オマエら士気が崩壊寸前じゃねえか……というかオレら、こんなのに負けたのか?」
コカッツォさんはキツネ顔をげんなりとしかめる。
「めげずにコカリモから提案~」
タヌキ娘さんはすべてを放置して挙手する。
ボクらはメセムスのヒザにのり、獣人ふたりがそのまま引いてくれることになった。
ソリは大盾にロープをつけただけではなく、船の木材で少しだけ手が加えられている。
「オマエら三人が乗ってもたいして変わらねえし、敵よけに使えるからな」
ボクたちに襲われるとは思ってないらしい。
宣伝効果は第三区間でも部分的には機能してくれていた。
「キラティカちゃんがいなければ不意打ちはなさそうだし。でもなんかちょーだい」
メセムスを連れてきた報酬としてコカッツォに『報いの火打石』を返し、この先の運搬料としてコカリモに『息詰まりの竹筒』を前払いする。
「発動しそうにない性格だから。あとでこの首飾りも足すよ」
リフィヌの天敵『眉唾のげんのう』を返すわけにもいかず、数と笑顔でごまかす。
ソリが自転車くらいに速度を上げると振動で体が大きくはねる。
予想外に『合体の布団』がクッション兼シートベルトとして役に立った。
ボクとザンナとリフィヌがひとつ布団の中で肩を並べる傍目を気にしなければ問題ない。
「それが一番の問題だろ……」
「ですよね……」
しかし間もなく三人とも布団の誘惑に屈し、肩までもぐって安堵のため息をつく。
悪路の自動車みたいにひどくゆすられたけど、動かず横になっていられるだけで天国だった。
風景はなかなか変わらない。地平まで無毛の氷原のまま。
気長にサンドイッチ密着を楽しもう……と言っても、みんな外套を着て靴も履いたままだから、冬場の満員電車くらいのものだけど。
「いや、布団という究極のプライベート空間を共有している形式に意義を見出したい」
「そういうことは心に留めて口には出さないでください。……眠れるようでしたら、どちらか交代でどうぞ」
「ボクはさすがに、この振動とコカコカさんがいる緊張で眠れないかも」
「アタシもだ。音は慣れてきたが……」
氷をひっかき、ガツガツとぶつける音が派手に鳴り続けている。
「というかボクたちだけ楽してもうしわけない。メセムスはだいじょうぶなの?」
「振動による損耗は修復速度を下回りマス」
「精神的には?」
魔法人形はしばらく間を置く。
「任務遂行の計画性でしたら問題アリマセン。セイノスケの分析性能は優秀デス。自己修復が完了次第に。本来の動作へ復帰すると推測されマス」
ザンナとリフィヌは首をひねるけど、ボクは本能的に主旨を察知する。
「別の言いかただと『ダメな人じゃないから、ちょっと時間が必要なだけ。信じて待っています』みたいな感じかな?」
「ダメ亭主につくすマゾ女房みてーだな」
「さすがに意訳しすぎでは?」
メセムスは少し間を置いたけど、じんわり布団ごしの体温が上がった。
「ユキタンの翻訳性能は。優秀と推測されマス」
いい子だ。
モニターでは戦車人魚ミュウリームが相変わらずの明るさで、腕と頭に包帯を巻いた半馬人を追いまわしていた。
「オジサ~ン! 予備動力になる気な~い?!」
ダイカの棄権ツアーにいた半馬人も濃い顔のオッサンだったけど、こちらはよく見ればモミアゲはなくて濃いアゴヒゲがあり、髪も長くて背のあたりで束ねているなど、違いがわかるようになってきた。まったくどうでもいいけど。
突如、巨大な雪玉がふたりをまとめてはじきとばす。
半馬人は崖下へ落ち、人魚戦車は変形しながらも崖っぷちで踏み留まる。
「ぬにゃ?! なぜにコース中央でなく、こんな端っこに……」
ミュウリームは崖下から這い上がった青白い巨体を見上げ、急アクセルで逃走をはかる。
「そうか! 海でおしっ……」
言葉の途中で戦車はミサイルのごときマグロ手裏剣の直撃を受け、さらには蹴り飛ばされ、十メートル以上も離れた海上で大きな水柱を上げた。
「やべえなー」「強いねー」「ですねー」
ボクたちは布団の安らぎに捕らわれ、他人事のように観賞していた。
「くつろぎすぎだろオマエら……」
ゆるやかな上り坂で速度が落ちると、引き役をしていたコカッツォさんがふり向いて呆れ顔になる。
「そんなんであの巨人将軍ともやり合う気かよ?」
「そのつもりだけど、今のメンバーで勝てる見込みってあるの?」
「メセムスさんなら『土砂装甲』の巨大化中はひとりでも互角に近い。リフィヌとアタシは『陽光脚』と『闇千本』を出しまくれる間だけ、足せば互角かな? 三人でうまく連携できれば、いい勝負じゃねえの?」
「短期決戦になりますね。いずれも連続発動の限度は三分ほどでしょうか」
勝てそう。単純な計算では。
でも……すっごく嫌な予感がする。
魔竜将軍の恐ろしさは破壊力と耐久力だけじゃなかった。
「コカッツォさんが『見込み甘えよコイツら死ぬな』って言いたげな顔なのですが、コカリモさんはどう予測します?」
「オレを話のダシだけに使うなブタ勇者!」
コカッツォさんは素直でかわいい。
「ん~、倒せなくはないんじゃない? 何人死ぬかはともかく」
コカリモさんは後ろにいて、なにくわぬ顔でメセムスの背を押したり、背中合わせに後ろ走りしたり、コッソリ便乗したりしていた。
「ひとりも死なない見込みは?」
「むずかしいな~。結局、ゴルダシスさんの気分次第だよね。その気なら相討ちでも全員きっちり息の根を止めそうだし」
今のゴルダシスの表情に合う、生々しい評価だ。
「どうも。……というわけでコカッツォさん、一緒にゴルダシス戦はいかがで……」
「お断りだバカヤロウ!」
能天気に無責任に、心身を休めて呆けている。
まだ先は長い。ザンナ様の助言に従い、すべてを棚上げしている。
ゴルダシスを相手に犠牲なく勝てるか、どう戦えばいいか、さっぱりわからない。
清之助くんじゃあるまいし、わかるわけない。考えないふりをしている。
モニターに映る藍色髪の巨人は、投げつけたマグロもたいまつ台で焼いていた。
ボクは気が抜けていたせいか、金魚を見て目を輝かせていた蒼髪の女の子をうっかり思い出してしまい、布団にもぐってにじんだ涙をおさえる。
リフィヌとザンナの過去を知る内に、騎士団に裏切られた少女剣士の背負う重圧も実感しはじめていた。
布団を顔に押しつけると、今度は変態メガネ君のブランド香水の匂いがかすかに漂った。
やつこそ同い年でもすでに大人に混じって国際的な舞台で政治経済のガチなやりあいをしてきた猛者なのに、異世界に渡るしかないほどの事情があったらしい。
ここでボクが巨人将軍と戦ってなんになる?
出発前には『ユキタン同盟のみんなのため』とかほざいたか?
でも追い詰められてみたら『自分が進んでみたい』だけだった。
なんのために、みんなに命を賭けさせている?
この競技を続ければ、世界をなにか少しでも変えられるとでも思っているのか?
本当は怖い。
ここはまだ『底』じゃないけど、底の見えない崖に囲まれている。
また体の内側から寒さが染み出してくる。
ザンナが一緒に顔まで潜り、ボクの震えていた手を握ってきた。
「ただのヒマつぶしだ」
耳元へ口を近づけて、小さく優しくささやく。
「それでいいじゃねえか。アタシはそれでいい」
細い手でギュウと強く握ってくる。
「君はボクに棄権を勧めていたじゃないか」
答えながら顔を向けると、布団の闇の中、鼻も触れそうな距離にザンナの息を感じた。
「ウソに決まってんだろ。男はやめろと言うほどその気になる。せっかく第三区間に乗り出したんだ。オマエらけしかけて一攫千金を狙う以外になにがある?」
「……それもウソじゃないの?」
何秒か、沈黙が続いた。
「さあな。オマエに都合のいいほうで考えちまえよ。凍える闇夜を楽しむには、優しいウソが必要なんだ」
手をゆるめ、指先だけでゆっくりと手を撫でまわす。
「勇者なら、もっと悪人になれ」
内側から来る寒さが薄らいでいた。
というか魔女の甘い香りで、体の一部が少々まずいことになりかけていた。
そして別隣で接する神官様の体温もガンガン上がっていることに気がつく。
「リフィヌさんもよければ御一緒にいかがで……」
返答の代わりに、まずい部位へ危険な温度のヤカンを押しつけるプレイが開始された。




