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十三章 人魚とか無理だろ? それを活用するのが職人だろ! 三

「じゃあボクもそろそろ……いや、ドルドナを追いかけるわけじゃなくて……」

 湯船から出ると、目の前へ星が広がりだす。

「おいオマエ、足元が……」

 耳鳴りがして、ザンナの言葉が聞きとりにくい。

 湯にあたったようなので少し座ろうとしたら、そのまま倒れて動けなくなる。 



 気がつくと選手宿舎らしき広い廊下で横になっていた。

 内装は第一区間ゴールの宿泊フロアとも似ているけど、立ち番の衣装や照明に飾り模様があって、花瓶やソファーなども見える。

 気持ちのよい頭の弾力の正体を確かめようとすると、アレッサの苦笑が間近にのぞきこむ。

「こら。どこに手を入れている」

 あわてて手をひっこめる……これは……男子の本懐、美少女ひざまくら?!


「立てそうか? そんなに時間はたってないが、ザンナはもう眠りにいった。ユキタンもなるべく長く眠っておくといい」

 アレッサが優しすぎて不安になり、調子に乗った長居をしにくい。

 起き上がると、カゴいりの荷物を渡される。

「ダイカたちとリフィヌはまだもどってない……ザンナが同行できるかも聞きそびれてしまったな。しかしくどくにしても、まずはよく休んでからだ」

 太もも様が遠ざかってしまう……でも部屋へ入る前にふり向き、会釈してくれた。

 今日はよく眠れそうだ。


 ボクの個室は少し広くなり、水まわりは陶器製の便器をはじめ、かなりマシになっていた。

 ここにも芋を山盛りにしたカゴがあったけど、追加で刺さっている数本のニンジンと一握りの岩塩が優遇措置のつもりらしい。

 でも相変わらず窓のない部屋で、換気口はあるけど少し蒸し暑い。

 そしてなぜかベッドに接するように生温かい金属パイプが通っている。

 寝転がり、バスタオルを腹にかけて目を閉じると、落ちるように眠りへ引きこまれる。

 一度トイレに起き、涼しくなっていたので、寝ぼけながら荷物をあさったり毛布をひっぱりだしてふたたび眠る……



 夢で見た地下空間は薄暗く、球場のように広い。

 床と天井は光沢のない真っ黒な石。

 ギリシャ神殿のような巨大円柱の列、その隙間を天井まで埋め尽くす金属格子も執拗に黒塗りで統一されている。

 格子の裏地に紙が貼られているので障子みたいだけど、白い和紙ではなく、そこだけは色とりどりに飾り紙やお菓子の包装、スーパーの広告チラシなどが隙間なく丁寧に張られていて、それらの奥からぼんやりとした明かりが照らしている。

 床にはたくさんの人影が倒れていた。

 そのほとんどは黒づくめだったけど、中には獣人や大鬼の兵士もいるようだった。


 でも視界の主がひたすらにピントを合わせて近寄っていたのは、中空で苦しみもがく紅髪の少女……魔王シュタルガ。

 その向うにいる影は輪郭だけなら古風なドレスを着た貴婦人のようだけど、それを悪趣味に模したような、どす黒い巨大な肉塊であることが近づくほどにはっきりする。

 節くれだった紐のような肉が何十とシュタルガにからみ、同化するように肌へ広がっていく。

「だめだ……くるな!」

 シュタルガの苦しげな声で、視界の主はピタリと動きを止める。


 真黒い怪物の鼻にあたる部分だけ、常人と同じ大きさの優しそうな色白美女の顔がほほえんでいた。

「ホホ。そんなになってまでかばうなんて。やはりあなたは人の子ね」

 優しげな女性の声は、広間全体にこもるように響く。

「くる……な……」

 視界の主は怪物の肉塊が床を広がりせまっていることにもかまわず、ただシュタルガの苦悶する表情だけを見ていた。


 倒れていた人影のひとつが起き上がって剣をかまえ、しゃがんだままの不自然な姿勢で飛びかかり、シュタルガをとらえる肉紐の半分ほどを斬り散らす。

 剣士は羽根模様のついた銀鎧を着ていて、足には大地の脚絆。

 アレッサに似た蒼髪の少女。

「覇者になると言ったはずだシュタルガ! それでも魔王か!」

 アレッサに似た声の叱責……母親リューリッサの若いころ?

 蒼髪の少女はすぐさま巨大な黒い鞭にはねとばされ、シュタルガの半身はふたたび肉紐にからみつかれる。

 視界の主はひたすらに、シュタルガの虚ろな表情だけを見ていた。


「ホホホ。あなたたちは美しい。すばらしい。かわいらしい。そのまま暗黒の聖母と一体になるのが喜ばしい。ホホ。もう苦しまなくていい。悩まなくていい。悲しまなくていい。ホ。死より安らかな永遠を手に入れましょう。もうさびしくな……」

 シュタルガの目が閉じかけると、視界はめまぐるしく変わった。

 空中ですべての肉紐が切断され、ふり払われ、意識を失ったシュタルガを抱えて離し、服を脱がせて寝かせ、脈と鼓動を確認する。


 ふり返ると怪物は片目から血をふきだし、狂い笑うような悲鳴をあげている。

 怪物は全身から黒い瘴気を噴出しながら肉紐と肉ムチを雨あられとふり回すけど、その巨体は次々と分解されていく。

 そして視界の主は、激烈な攻防の間にすらシュタルガの顔をたびたび確認していた。


 半殺しと言っていいのか、怪物の体積が半分以下になって動きが鈍くなったあたりで、シュタルガがふらふらと起き上がる。

 視界の主が攻撃を止めてシュタルガに近寄り、髪や体についた汚れを互いに拭き合う。

「暗黒の聖母が言うとおりに、すべての生物がひとつの体を持てたなら、それもまた楽園なのかもしれんな」

 見上げるシュタルガはさびしげにほほえむ。

「だがわしが選んだのは、この地獄だ」


 紅髪の少女は背を向けて巨大鉄扇をとりだし、まだうごめく怪物へ向かう。

「誰かに見られる前に立ち去ってくれ……たのむ」

 小柄な少女は傷だらけの体で、怪物へめった打ちをはじめる。 

「わしを魔王にしてくれ」



 体の冷えで目がさめると、かけ布団の中で金属パイプにしがみつくように眠っていた。

 寒さでほとんど無意識に重ねた肌着に『夢見の腹掛け』も混じっていた。

 周囲の最も強い意識を夢に見せる魔法道具……視界の主はシュタルガに対する固執が尋常でなく、前に幼いシュタルガを見せた人物と同じに思える。

 戦闘力も高いようなので、魔王軍の幹部の誰かか?

 それとアレッサの母は、八年前の競技祭でシュタルガに殺される前から知り合いだったらしい。

 ……もっと善悪をスッキリ分けてくれたら、スカッと爽快な勝負をできそうなのに。


 布団から出るとやけに冷えこんでいて、手桶の水はかすかに揺れ続けている。

 廊下をのぞくとぼやけた明るさで、冷えこみはさらにひどい。

 急に空腹を感じたので、荷物をあさって冬用の厚着をする。

 フードを深く下げたけど、今や有名人らしいので、こんなもので顔を隠してもすぐに見つけられてしまうかもしれないと期待した。



 そうでもなかった。

 ロビーに降りるとすでに装備を整えた選手がひしめき、レオタードドレスのネズミ娘たちが会場を整理している。

「第二区間通過の方ですね? こちら、広場露天温泉のフリーパスになります」

 赤髪のヤラブカ嬢ではなく、緑髪のネズミ娘が愛想よく玄関へ案内してくれる。


 選手宿舎前の広場は丸ごと包む仕切りが立てられ、石床の配置も変えられて巨大な露天風呂が作られていた。

 もうもうと湯気が上がる中で半裸の男女がごったがえして騒いでいる。

 誰もボクには気がつかない。


 まあ、ボクが活躍できたのは相手がドルドナだったからだし、清之助くんの采配あってのものだけど。

「黄金山脈の地下温泉から盗りたてのお湯ですから、出発前に間に合うようでしたらぜひ」

「出発って、まだかなり先だよね?」

「え? 最初の方はもうじきですよ?」

 早朝からやけに人が多いと思ったら、この薄暗さは夕暮れだったか。

 疲労がたまっていたとはいえ、二十時間近くも眠っていたらしい。



 湯の中央には巨人将軍が座り、目をつぶって無表情にうつむいていた。

 かがむようにして胸の先がギリギリ隠れる水深でも二メートルくらいある。

 胸から上でもボクの背とほぼ同じ高さがあり、頭、胸、肩がそれぞれ象の頭のように大きい。

 その顔は柔和で、聖母子像の母のような包容感があり、赤ん坊のような無垢も感じられた。

 青巨人の肌の色、薄水色の貴石で彫られた女神像ならかなりの出来だ。

 ブタ鬼どもが遠巻きに拝んだり、こっそり近くの湯をすする気持ちもわかる。


「ユキタン選手! おはようございます! 今朝のお相手は?!」

 兎耳リポーターのピパイパさんがバタ足だけで異様な高速を出して泳ぎ寄りながら、コウモリマイクをつきだしてくる。

 タオルは頭に載せているけど、魔王軍の入浴マナーはどうなっているのか。

 でも丸いシッポの生えている部分が見えたのですべてを許します。


「香辛料の効いた鍋に卵を落としていただく予定です」

「はあ……おひとり様で。え。まさか今のは異世界のふしだらな隠語かなにかでしょうか?!」

「どうでしょうねえ……ふふ」

 見つけてもらったうれしさに、つい過剰サービスで答えてしまう。


「第二区間では魔竜将軍のくちびるまで奪う大快挙でしたが、第三区間はあちらの巨人将軍ゴルダシス様が代理支配人をなさっています! ズバリ意気ごみのほどは?!」

 これって代理戦争の競技祭だったような……いや、清之助くんの意図でいかがわしい種目にねじまがっているならボクも全力で歓迎だ。


「…………かわいいと思います。全力でがんばります」

 野暮ったい言葉しか返せなかった。

 ゴルダシスはサイズをのぞくと全部どストライクに好みなせいか、あえてほめる言葉が浮かばない。


 周囲から野次がとぶ。

「それだけかよ?!」

「それでも魔竜ごろしか?!」

「一線を越えろ!」

 清之助くんじゃあるまいし、気のきいたハッタリは無理でしたごめんなさい。


「どうがんばって子づくりするのさ。きみの大きさで」

 ゴルダシスは長いまつげをうっすらと上げて視線を向けるだけで、顔向きも表情も変えずにつぶやいた。

 ブタ鬼が一斉にゲヒャブヒャと下卑た笑いをする。


「うるさいブタ。だまりなさいブタ。百回バカ笑いする間に、一回くらいシュタルガちゃんを笑わせなさいブタ」

 ゴルダシスはボクを見たまま静かに言ったけど、ブタ鬼は一斉に湯から上がって床をなめるように平伏した。

 ブタと言われるたびにボクの心も微妙に痛む……というか笑わないゴルダシスは急に空気を圧迫する重量を感じさせた。

 剥製と思って見上げていた恐竜に、息を吐きかけられたような緊張感。


「ゴルダシス様からも、選手のみなさまへぜひ一言!」

 すばやく転身するリポーター。

 巨人将軍は大きく一呼吸おいてから、ボソリボソリとつぶやきだす。

「きみらなんか、みんなまとめたって、シュタルガちゃんの半分もこわくないんだから。ちょーしにのりすぎだから、わたしが……」

 そこで少しだけ、目をつぶって顔を上げる。

「ええーと……いいや。はじめればわかるし。みんな、大事なひとにはあいさつしておきなさい」

 広場が静寂に凍りつき、蒸気まで冷えて感じられた。


 宮殿テラスの上にひとりだけ、腹をかかえて笑いをこらえる紅髪の少女がいた。

「まったくゴルダシスは、よく笑わせてくれる」

 魔王シュタルガはそれだけ言うとローブをひるがえして宮殿へもどる。

 ゴルダシスはふたたび目をつぶってなにも言わなくなる。



「第四回迷宮地獄競技祭、残る選手も……えーと……百数十名ほどになりましたが、完走を目指してがんばってください! ここから折り返して後半、四コマ漫画なら起承転結でいうところの転!」

 ピパイパさんは強引な明るさで間をつなぎ、カメラに指示して鼻歌の人魚娘や、胸を隠す気もなくふんぞりかえる大鬼の女性を映させる。


「衝撃の展開はけっこうですが、選手のみなさんは全滅しないように気をつけてくださいね! 第一回の事後処理の悪夢といったらもう……あ、いえ、これからは最終区間を前にした位置取りも重要になりますので……」

 ピパイパさんは強引にごまかしたけど、運営からしてろくでもないこの競技祭は過去、それも第一回で早くも不測の大惨事が起きているらしい。


 選手らしき一部の入浴客が隅でヒソヒソ話し合っている。

「巨人将軍のあれってつまり、殺戮宣言だよな?」

「筆頭が負けてあせっているなら、見せしめはあるかもな」



 仕切りをくぐって中央通りに出ると、息の白くなる寒さだった。

 すでに次の競技区間である寒冷地に入っているらしい。

 大型テントの向こうに見える針葉樹の動きからすると、陸上空母『迷宮地獄の選手村』はかなりの速さで移動している。

 ロックルフの店へ行っても、奥にあるユキタン同盟の貸し切り席には誰もいなかった。

 モニターを誰かが見ていたらしく、鍋と香辛料のセットだけは座ると同時に並べてもらえる。


 もくもくと腹ごしらえを終えても誰も来ないので、だんだん不安になってくる。

 ダイカとキラティカは族長たちとの話し合いがうまくいってないのか?

 リフィヌは神官団が相手じゃ、もっと大変そうだ。

 ザンナは続行しそうだけど、昨日の様子では組む気があるかどうか……

 清之助くんとメセムスは……あのメガネの行動は本格的に予想がつかない。


 誰も来ないまま、店員さんにユキタン同盟の出発時刻が近いという知らせをもらってしまい、ひとりで宿舎宮殿へ向かう。

 いつのまにか真っ黒に染まった空は厚い雲に覆われ、夕暮れの余韻もない。

 かなりの厚着なのに、やけに背筋が冷えた。



 宿舎前広場が丸ごと露天浴場になっているので、妙だけど温泉フリーパスを使って戦場へ向かう。

 仕切り板の中は蒸気で暖かく、裸でくつろぐみなさんがいっそう戦意を削ぐ罠。

 巨人将軍はいなくなっていたけど、広場に陽気はもどらず、客はかなり減っている。

 露天風呂チケット売りのネズミ娘さんたちが頭を抱えていた。


 宿舎玄関にアレッサの姿が見えたので、ようやく少し安心する。

 最悪ではふたりだけになりそうだけど『ふたりきり』という前向きな発想もよぎる。

 アレッサは誰か女の子をなだめるように話していた。

 給仕姿のおさげ髪で、手にはヤカン……アレッサが地方役人をしていたころからの熱烈なファンだ。


 アレッサは苦笑しながら、逃げるように玄関へ近づく。

 給仕さんは追いかけようとして玄関番の赤髪ネズミ娘……ヤラブカさんとガチ格闘になりかけ、舌打ちしながら引き下がり、ボクとばったり目が合う。

「あらオハヨーございます勇者ブタヤロウ様」

 この世界ではブタが神聖な生き物だと思いたい。


「ちょっと、ほかには誰も来てないの? アンタついに愛想つかされた?! ブタヤロウひとりでどうやってアレッサ様を守る気?!」

 この世界の女の子はきっとみんなツンデレ。

「ナルテア、ブタヤロウというのは仲間内での愛称で、本名はユキタンだ」

 アレッサは昨夜からデレはじめてくれたけど、少し顔が暗いのでつっこみにくい。

「受付に聞いたが、まだほかには来てないようだ。通過に渡した枕もまだ……いや、ブラビスの元へもどったのであれば別にかまわないのだが」

 たしかに昨夜の彼にはなれ親しんだ枕が恋しかったかもしれない。


「え? ヒヨコの枕でしたらそこの小鬼が……」

 玄関に入りかけたアレッサはナルテアの声にすばやくふり向く。

 露天風呂の端に浮かんでくつろいでいる老小鬼がふちにのせて使っていた。

 ナルテア嬢は無造作に引っこ抜いてアレッサに届ける。

「さあどうぞ、アレッサ様!」

 石のふちに頭をぶつけた老小鬼が悲しげに見上げている。

「ま、待てナルテア。その者はシュタルガの侍従長で、たしか魔王配下十六師範……いや、それに正規の手続きで渡した相手だから……」

 衛兵やネズミ娘たちがざわついている。


「時代に選ばれし勇者アレッサ様に比べれば、下級幹部なんてゴミです! この枕だって、アレッサ様がお呼びになったからこそ、今ここに……あれ?」

 枕は侍従長ダダルバ老の手元に置かれていた。

「え? アレッサ様、今、無刀取りかなにか仕掛けましたか?」

 アレッサも驚いた顔で首を横にふる。


「すると、あの小鬼ジジイ、なにかやりやがったな!」

 ナルテアの握っていたヤカンが急に蒸気を噴き出す……それを持って老人に近づくのはやめてください。

「待てナルテア。所有者が移ったなら抗いようがないのだ。私は気にしないから……」

 それなら枕から顔をそむけてうつむく仕草はやめてください。

 意をくんだ熱狂的な信者が凶行に走りますから。

「さすがは魔王の侍従長ということか」

 その評価もなにかおかしいです。



「あ、来ていましたか。アレッサ選手、そろそろ出発のお時間ですよ?」

 玄関から顔を出した黄色髪のネズミ娘さんがプラカードを持って手招きする。

「アレッサが最初なんだ? 待ち合わせはどうなるのかな?」

 答えずに背を向けたアレッサに、急に胸騒ぎがする。

 昨夜から優しすぎた。


「それなのだが……この第三区間、私は先に行かせてもらうことにした」

 胸がズキリと痛む。

 ふり返った静かなほほえみが、決意の固さを感じさせた。

「身勝手は承知だ。すまない」


 のどが詰まって動けないボクに代わり、ナルテアがふたたびヤラブカに抑えられながら割りこむ。

「無茶ですアレッサ様! 枕でしたら、私が念じて次の区間までに奪い返しますから……こんな肉玉でも捨て駒くらいにはなります! 連れて行ってください!」

 ボクの頭をつかんで引っぱりながら、もはや自分が出場しかねない勢い。

 アレッサは枕の家出にすねているわけじゃないと思うけど、それ以外の理由がわからない。


「ナルテア。枕への想いでなければ、念じても枕は帰らないのだ。だがその想いの強さは勇者を引きもどす手助けになるだろう」

 アレッサが少しだけ引き返し、おさげ髪をそっと胸に抱く。

 狂暴ウェイトレスはしゅんとなってソバカス顔を真っ赤にする。

「だが駒となるべきは私のほうだ。闇雲に切り裂き続けただけの者に世界は創れない。私たちの望んだ世界を導く可能性があるとすれば、新しい価値観を持つ者……勇者の多くが異世界から来た者であった理由も、そこにあるのだろう」


 ナルテアはボロボロと涙を流しはじめる。

「またそうやって、独りですべてを抱えこんで……アレッサ様はこの世界で生まれ育ち、過去のすべてを背負い過ぎています。この世界を変革する意志において、劣情だけの肉玉に負けるわけがありません! 屁理屈メガネならともかく、その肉玉が勇者となる可能性なんて、万にひとつもあるとは思えません!」

 ボクも心で涙を流しています。


「同感だ。だがなぜか、信じてみたいのだ。聖騎士の誇りにこだわり続けた者の直感として、その肉だ……いやユキタンを守らねばならないと、この腕輪がささやいていると感じる」

 重いよ。重いってば。勇者もどきニクダマンには重すぎるよそんな期待。

「ユキタン、そんな顔をするな。今までどおり、みんなを信じていれば道は開ける。ほら……」

 アレッサが指した先に、入浴客をはねとばして駆けてくる犬耳と猫耳が見えた。



「クソジジイどもが、なにもしないくせに都合よく使いたいだけでグチグチ長引かせやがって! まだるっこしいから、縁きるかどうかだけ決めろって怒鳴りつけて出てきたとこだ!」

 ダイカが息をきらせながら一気にまくしたてたあと、キラティカは無言でボクの真っ暗な顔を指す。

「……アレッサは?」

 消えていた。

「やっぱりか!」

 ボクはなにも言ってないのに、ダイカは玄関ホールをのぞきこむ。

「おいアレッサ! ……ちっ!」

 案内役の黄色髪ネズミ娘がスタート扉のひとつを指し、すでに出発したことを示す。

「次のダイカ選手も、もうすぐ開始ですよ~」


「オレが追う。昨日、やけに急いで手続きしていたから、気になって早めに出しておいたんだ。キラティカはユキタンについていてくれ」

 キラティカはうなずくけど、ボクを見て露骨な不安顔。

「ほかのメンバーもいないわけね? ダイカが追いついたとして、アレッサはもどると思う?」

「ユキタン、アレッサが抜けた理由は? ……わからないようだな。でもアイツは第三区間の厳しさを誰より知っているはずだ。あえて抜けたなら、生半可な決意じゃないだろう。こういう時こそセイノスケの機転に頼りたいが……」

 こんなことになるなら、みんなで一斉に棄権しておけばよかった。

 ボクのために誰かが死ぬくらいなら、ましてそれが女の子なら、元の世界に帰れなくてもあきらめがつきそうだから。


 えりを後ろから引かれた。

「絶対にアレッサ様を助けなさいよ……お姉さまの命が、この世界でどれだけ重いものか、わかっているの?!」

 ナルテアの低い声と、耳もとでシュンシュンと蒸気を噴き出すヤカンの音。

「君に言われるまでもないよ」

 ボクはがらにもなく女の子をにらんでしまい、後悔する。

 わざとふり向いて頬にくっつけた煮えヤカンは、あわてて引っこめられる。


 違う。こんなすさんだあてつけは、アレッサの信じた勇者ユキタンの芸風じゃない。

「……ごめん。でもボクだってアレッサは大事だから」

 今だけは凡庸なる残念男子こと湯木田くんを殺して、おもしろおかしいみんなのヒーロー勇者ユキタンにならないと。



「申し訳ありません! お待たせしました!」

 リフィヌが白い神官衣を豪快にひるがえしながら、風呂のふちを飛び越えるショートカットで駆けてきた。

「ようこそ万能防御さん!」

 キラティカが抱きついて頬ずりする。

「一緒に行けるのか! 助かる……昨夜、すれ違いに坊さんの群れを見ていたからな。大変だったろ?」

 ダイカもリフィヌの頭を抱えておでこにくちびるをつける……嫁を増やしすぎですケダモノさん。

 リフィヌは熱烈なモテぶりで真っ赤に照れて両手をもみ合わせる。


「先輩神官の皆様は小生の身を案じて数々の御助言をしてくださったのですが、未熟なる拙僧にはまだ身に余る御指導も多く、そのことにもなかなか御理解をいただけなかったので、失礼を承知でまずは行動を通して自らの信仰を示し、それを御覧いただいた上での御処断はいかようにもお任せすることに……」


「つまり……ワタシたちと同じね」

 キラティカが一息だけ考えて言い切る。

 文面ではかなり違いがあったような気もするけど。

「丸くおさめたように言っているが、やはり獣人会議のほうがマシだったようだな。苦しみ続けたにおいがする」

 ダイカが心配顔でリフィヌの髪を撫でる……やっぱり、その子が喜ぶ限りの性的サービスをしてあげてください。




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