七章 虫って思うとひくよな? そこで興奮したらまずいか? 四
「グリズワルド!」
毛深い背中に、ボクの腕が入りそうな傷が開いていた。
ラウネラトラが包帯を押し当て、ツル草を巻きつけて縛る。
「だいじょうぶだ……しかし肩の骨をやっちまったな……次の洞窟は得意地形だったのに」
グリズワルドがうめくように答えて身をよじる。
「とりあえず離れよう……いや、動かしちゃまずいか?」
ダイカは周囲を気にする。
「一度破裂させた『憤怒の巾着』は自然修復されるまで使えないが、ドルドナのほうが手負いではなにをしでかすか……」
この大爆発でも魔竜将軍が死んでいる想定だけはないらしい。
ピパイパもまだ遠巻きに様子を見ていた。
ガシャリと派手な音がする。
「及第である! 可なれど快ならず!」
高い瓦礫の上に、髪を光らせた長身美女が両足を突き刺して立ち、ボクの数倍は重そうな巨体の山小人を片手で吊るし上げている。
苦みばしった中年顔の山小人は意識を失っていた。
「オッサン……!」
ダイカが思わず立ち上がる。
「誰がおっさんであるか!」
ドルドナのドレスはボロボロで煙をくすぶらせていたけど、体は無傷に見える。
「む……この山小人の縁者か?」
ドルドナは自身の勘違いにはまったく言及せず、瓦礫を降りながらズガパッグの体をさぐったあと、ダイカに身柄を放り投げ、そのまま大階段へ向かう。
手には小さな長細い袋、そして頑丈な鎖をつけた金色の鈴を持っていた。
「ドルドナさん、またもや大活躍ですね! あら? その鈴はもしや山小人さんの国宝、ボーナス指定された『福招きの鈴』では……この場合、どういう扱いになるんでしょうねえ?」
ピパイパさんはマイクを向けながら、もう一方の手ではものすごい勢いで部下に指示を送っている。
「モニターさ~ん? シュタルガ様が起きていたら、つないでいただけますか~?」
シャンガジャンガも瓦礫の下からむっくり起き上がり、顔中にすり傷をつけたまま指揮をはじめた。
「お前ら、そろそろ開始時刻だろ? その熊は棄権するなら預かるから置いていけ」
グリズワルドはラウネラトラの手を抑える。
「みんな、もどってくれ。樹人も体力ギリギリなんだろ? 開始まで休んだほうがいい。俺はこのくらいじゃ死なねえよ。それより、虫のいい頼みなんだが……」
「階級か? 次にゴールしたら、この中の誰かが熊獣人の階級を要請する」
清之助くんの提案にボクもうなずくと、熊獣人は満足そうに目をつむった。
「俺、体がでかいだけで、本当は戦いとかあまり好きじゃないんだ」
ボクたちはすっかり明るくなった広場通りの店にもどり、ラウネラトラは爆睡し、ダイカとキラティカは食べ足し、アレッサは剣の手入れをする。
「グリズワルドは戦闘に参加してないから『平和のあぶく』は残っていたはずだよね?」
「通りに落ちてきた岩の破片にも反応しなかっただろう? 敵意や闘志を向けられないと発動しにくい」
そういえば清之助くんの度重なる変態行為には反応がなかった。
水晶でクリンパと山小人のお姫様を呼び出し、ダイカが監視のコウモリを気にしながら報告する。
「とりあえずズガパッグは生きている。全滅はまぬがれたが、負傷者も多い。山小人の本意じゃないことは伝わっているが、シュタルガの対応はわからん」
「ありがとうございますダイカ様。ユキタン様とその御友人の方々にもご尽力いただき、深く感謝いたします。戦後処理のこともありますので、ダイカ様に再び直接お会いできるかはわかりませんが……もしかなうならば、私にできる限りのことを生涯つくしておそばで……」
丁重な感謝がややおかしな方向に入りかけたところでクリンパがわりこむ。
「もうそっち、もどってだいじょうぶなんだな? 第一区間の清掃がやっと終わったら襲撃がはじまっちまってよ。宮殿に帰れないでいたらコイツに会ったんだよ。金になりそうだから話を聞いていたのに、こりゃ賠償とかで大変そうだな……あ、オレの家にも寄ったけど、雨の聖騎士もとりあえずまだ生きてるぞ」
「ガイムさんの容態は?」
「さあ? 邪魔なら街の病院へ連れていこうかと思ったけど、ティディリーズがえらい不機嫌で、なにか聞ける感じじゃなかった」
『さあ』じゃねえよ役立たず……アレッサに心配させるだけの情報よこしやがって。
「え、えーとオレ、夜勤あけで眠いからまた今度な!」
宮殿の巨大モニターに豪勢な廊下が映った。
「んー? まだ襲撃対応なんぞやっていたのか……」
着替えたばかりのシュタルガが目をこすりながら歩いていた。
「鈴か……パミラに飲ませて火口へ縛っておくか……いや、代わりのボーナスを飲ませて……」
魔王少女は食卓につくと、紅茶を口に近づけて目玉焼きとアスパラをぼんやり見つめながら思案する。
「ピパイパが? ……どうした?」
シュタルガの目が端にそれ、画面が再び戦場前の大階段に切り替わる。
「はい、こちら選手村後部のピパイパです。魔王様の大事なお話の途中に申し訳ありません。ドルドナさんから大事なお知らせがあるようでして……」
ウサ耳リポーターさんがマイクを向けると、目をきつく閉じて口をへの字に結んでいた朱色髪のドラゴン娘は目を見開き、炎を吐き出しながら語りだす。
「この鈴は我が戦利品となった! 幸いにして黄金山脈はこのドルドナの住まい! 区間ボーナス所持者として、全力で迎え撃ってくれよう!」
広場にどよめきが起きる。
「貴様ら狂喜して挑めい!」
一喝と共に画面に爆煙があふれ、ピパイパさんが吹き飛んだところでモニターも途切れる。
切りかわった遠景では宮殿から真上に撃ちあがった火の玉が谷の先、西の山脈へ方向を変えて爆発的に加速する。
広場通り上空に沿って残る飛行機雲を見上げ、選手たちが口々に騒ぎはじめていた。
「第二区間は小人と巨人じゃなかったのか? 竜の対策なんかしてないぞ!」
「そんなもん、時間があってもやりようがねえよ!」
「竜を出しても文句は言わんが、それがドルドナでは火葬場に飛びこむようなもんだ!」
再び映されたシュタルガは持ち上げた紅茶に口をつけないまま、鋭い目でドルドナのいたモニターを見ていた。
二十秒か三十秒か、娯楽番組としては不安になる長さの間が流れ、静寂の中でシュタルガは視線を紅茶の水面にもどす。
「ま、よかろ」
主催者の追認に、広場のあちこちから苦悩と絶望の叫びが沸き上がった。
「次さえ抜ければ釈放だったのに!」
「次で稼げるから第一区間の乱戦は避けていたのに!」
「俺らなんか、最終区間までの準備をしていたってのに!」
「悪いが抜けるぞ! 魔竜将軍がやる気じゃ分が悪すぎる!」
協力者同士での言い争いまではじまっていた。
「竜じゃ竜じゃ! 神に刃向かう忌み子と殺しあえ! 血で山脈を染めよ!」
テンションにあてられた長いヒゲの老人がガラスの祭壇上で踊り狂っている……ボクとアレッサがスタートする時に砕け散ったはずの祭壇が、いつの間にか復活していた。
アレッサの自動修復する服みたいなものか?
広場は選手の慌ただしい人通りであふれだし、それをあてこんだ物売りが混雑に拍車をかける。
ラウネラトラが騒ぎで起き、みんなの二度目の朝食に加わった。
「悩みどころじゃな。わっちはこのメンバーなら欲をだしたいねえ。おんしらはどうじゃ?」
「オレとキラティカは参加だ。ドルドナに当たれば絶望的だが、それだけに選手同士の乱戦は減ると見た」
「それなら問題ない。あとは参加以外に選択肢の無いメンバーだからな」
言い切った清之助くんに、アレッサはなにか言いたげな顔を向けていた。
「あー、わりわり。そのことでちと話があんだけど」
昨夜に会ったレオンタという威勢のいい聖騎士が頭を下げながら割って入る。
人間基準の長身で筋肉質な短髪女性。
「うちら騎士団でも緊急会議さね。んで結局、選手同士のドンパチは避けんべって話だ。別に味方しろってわけじゃね。一緒に吹っ飛ばされかねん時だきゃ一緒に逃げんべって。ボコり合いは魔竜のいねーとこでやりゃいいべ?」
「わかった」
「手分けて呼びかけ、もう神官団には話を通し……わかったのか。セイノスケは話がはえーな。助かる。騎士団じゃ俺のいる二番隊が最初なんだ。ああ、昨日は総隊長がわりーな。ああいうノリは上のほうだけだから気にすんな」
上があんなのじゃだめじゃん。
「しかしよくこんな往来の真ん中で打ち合わせしとるな……」
「聞かせている。俺たちユキタン同盟に入りたがっているやつは多いからな」
清之助くんはおもむろに立ち上がり、通りがかった靴磨きの若い男に肩を組む。
靴磨きはうつむき、みるみる細く変形して肩が丸く、胸がふくらみだし、肌に暗緑色の鱗が浮き出す。
「それも仲間か……油断ならねーな。おっと、そろそろいかねーと。じゃな!」
レオンタが威勢よく駆け去り、落ちこみ顔の蜥蜴人デューコさんが残る。
「そこの犬獣人がにおいを知らせたのか……?」
職員室で説教されているような姿勢で尋ねる暗殺団の首領。
「いや、オレの鼻でも全然……デューコの隠密技術も驚きだが、セイノスケはなんで見破れるんだ?!」
「歩くときの体格は限られるというヒントもあるが……この選手村で俺とルクミラを殺そうと『平和のあぶく』の解除を狙ってわざわざ張りついていたデューコの性格からして、次は泡の弱点を狙って飛び道具の間接射撃や設置罠で狙うと考えた。だがルクミラがいないのでは俺を殺せても魔法道具を取り返せない。俺を人質にとるにはメセムスが邪魔で、失敗すればユキタン同盟の袋だたきに合いかねない……などと手を出せないでいる内にドルドナ騒ぎになって、棄権したくなったが、せめてユキタン同盟も棄権してくれないかと話を聞きにきた……という動きで合っているか?」
清之助くんは長セリフを朗々とまくしたてながら、今度は近くの立て看板へにじりより、手前の空中、腰のあたりへ片手を差し出したあと、ゆっくりと曲線を描いてずらし下げる。
看板の文字がゆらぎ、人のようなもやが見えた。
空中から現われる頬を赤らめた美貌は未亡人ルクミラさん。
昨夜から頼んでいたのは、狙撃位置の監視だったらしい。
「は、はい。おそらく……弩や工作道具を持っているのに見つめているだけでしたし、大きな布袋に持ちかえてからも、つけまわしながらため息ばかりついていたので……でもユキタンさんはなぜ……」
ボクはつい、清之助くんの首をスリーパーホールドで絞めつけていた。
「なんかムカついたので」
しゃがみこんで頭を抱えているデューコさんが痛々しい。
「このバカはたぶん、デューコさんの能力を見こんで頼みがあるんだと思うけどね。趣味を兼ねた羞恥プレイで人にものを頼むのはどうかと思うんだよ勇者として!」
獣人と樹人と魔法人形はボクたちの友情を暖かく見守っていたけど、聖騎士アレッサだけは見かねて口を出す。
「ユキタン落ち着け。それでは動脈が絞まりきらない……ではなくて……」
デューコさんがいくらか落ち着き、席に加わって湯のみを握る。
「ドルドナのような不安定で理不尽な危険は避けたいが……ここで棄権して、競技続行より稼ぐ方法があるのか? 聖魔大戦の終結から、暗殺団の仕事は傭兵以上に激減している」
「諜報中心に変えるべき時期だ。暗殺団の抱える確執や悪名を気にせず手を組み、表舞台へ宣伝できる組織はどこが最適だ? 安く便乗できる上、失敗しても切り捨てやすい組織があるなら、あとは勝率をどう評価するかだ。ここのメンバーはそんなマヌケぞろいに見えるか?」
昨晩こっちの世界に来たばかりの人間が自信たっぷりに営業してやがる。
デューコさんの意志はほぼかたまってきたようだけど、返事はしないでボクの顔をじっと見てきた。
ボクなんか見たって、納得できる説明なんかできない……と思ったけど、清之助くんの弁舌だけでうなずきたくない気持ちならわかる。
「ルクミラさんの孤児院みたいに、デューコさんも誰かを養っているの?」
デューコさんはボクの質問に眉をしかめ、しばらく黙る。
「暗殺団は暗殺者の養成所も経営しているが……実態は極秘事項だ。なんでそんなことを聞く?」
「デューコさんの能力なら暗殺者でなくとも食べていけそうなのに、危険なことをしているのが不思議で」
ぶっちゃけ暗殺者に向いた性格には思えない。
「暗殺は戦争がない時のほうが高度な技術を求められる。だが大戦末期に熟練の暗殺者は激減した……養成所にはまだ、食事を与えて体をまともな状態へ近づけているだけの孤児も多い。私が抜けて解散すれば、盗みを働く体力すらない子供たちまで路地へ放つことになる」
デューコさんも若いし向かない性格なのに、おそらくは無理をして首領を務めている。
その養成所で育てられた恩義かな?
「ルクミラの孤児院は独立した子供たちとのパイプができつつある。ノウハウを教え合うのはどうだ? 競技祭の間はデューコが諜報の指導をしてくれると助かる」
この変態メガネの脳を切り開いて、どこまで計算で、どこから場当たりなのか確認してみたい。
ルクミラさんとデューコさんは清之助くんの指示で再び街中へ溶けこむ。
先頭の選手たちがスタートし、広場の騒ぎが大きくなっていた。
モニターがまるで見えなくなる混雑の中でボクたちが打ち合わせていると、鳥娘セリハムがメセムスめがけて降ってきて、お姫様だっこで受け止められる。
「お届け者だよい。ロックルフおじんは直接に渡せんですまん的な伝言ね。いきなし防火服や盾が売れまくってジッちゃん大わらわ」
清之助くんがカゴを受け取り、中から金銀のマントをとりだす。
「お、いい出来だな。感謝を伝えておいてくれ」
セリハムはびしりと敬礼したあと、メセムスを拝んで上空へ投げ飛ばされる。
「それは『虚空の外套』の……」
「注文しておいた偽物だ。一晩で作ったなりの出来だが、ぱっと見でわからなければ十分……そろそろロビーに入って話すか。ここからは聞かれちゃまずい」
いつの間にか消えていた虫娘アリュービーがひょっこりと席に加わっていた。
あの細い腰に巻いたムチが今朝の騒ぎの元凶なんだけど、抗議は無駄な気がする。
朝食がたびたび中断され、量はすでに普段以上に食べているはずだけど、妙に今朝のハチミツが恋しくなってきた。
「アリュービー、ハチミツの瓶はもう今朝のだけ?」
「少しだけある。家に送った七十三瓶ある」
「ここには? 全部送っちゃった?」
みんながボクを変な目で見ている。
ズガパッグやグリズワルドのことはあるけど、この子との会話はなぜか楽しい気がしてきた。
この子に比べたら、アレッサやキラティカのほうがずっと正統派のかわいい女の子なのだけど……自分で交渉をまとめられたから?
「ユキタ、なにか甘いものを探すか?」
清之助くんはアゴに手をあて真面目に聞いてくれた。
「ハチミツが入荷されたら三瓶くらい確保してもらえる? ここのハチミツは水あめとかで薄めないで加熱もしてない、濃厚なコクがあるのに飽きない味で……疲れた時には最高のスイーツだった」
アリュービーはなぜかハチミツの説明に合わせて体をカクカク細かく動かす。
「アナタ蜜いる? 蜜ほしい?」
「くれるの?」
ハチ娘は答えず、体の動きを止め、喉だけ震動させはじめる。
「ウ……ウ……ウンンン……ウンンンン……」
ボクをじっと見つめる顔はかわいいけど、無表情で怖い。
「あ、あの……あまり無理しないでいいですからね? 虫人さんの生態とかあまり知らないし……」
アリュービーが突然にボクの口を口でふさぎ、細長い舌をさしこんでくねらせる。
舌先から甘い液体が流しこまれてきた。
ハチミツに似ているけどサラサラしていて、アリュービーの体に漂う花の香りを濃厚にしたような……
「蜜もっとほしい? 渡せるの蜜」
「もうだいじょうぶ……」
セカンドキスと最初のディープキスを脈絡なく奪われて呆然とするボクと次に目が合ったのは、不自然な笑顔のウサ耳リポーターさん。
「出発時間が近いのでインタビューに来たのですが……ユキタン選手、いえ勇者ユキタン様。朝から飛ばしてますねー。まさか虫人を攻略中とは……」
見える限りの人だかりはボクに視線を集め、巨大モニターにはボクとアリュービーの顔がアップで映り、メセムス以外の女性陣があわてて逃げ去る後姿が見えた。
たすけて清之助くん。
「ユキタがここまで狙っていたとは……おそろしいやつ」




