六章 母性の強い爬虫類もいるらしいぞ? 母性のない哺乳類は多いらしいぞ? 二
「お楽しみのところ悪いが、オレもさっさと休憩に入りたい。そろそろ受け取ってもらえるか?」
ダイカが『出戻りの矢』を差し出していた。
「ん……そこらに置いていけ。望みは?」
シュタルガはパミラの腹にのせていた足をラウネラトラにはたかれ、のせ位置を首に変える。
「哺乳獣人の階級上昇。競技は続行する」
ダイカは十字架の脇に矢を置く。
「私も同じく」
キラティカが『ぬかるみの木靴』を隣にそえる。
老小鬼が二つの品をあらためてうなずく。
「わしの配下となって地位を上げるほうが早道だろうに……まあいい」
そういえばボクはなにを望むか、なにも考えていなかった。
アレッサも考えこんでいるようだった。
デューコが懐から爪きりを出し、十字架の反対側に置く。
「こりゃ『やりすぎの爪きり』じゃのう。挟みさえすれば対象を問わず驚異的な切断力を持つため、工業用途なら多少の需要がある……くずアイテムじゃな」
ラウネラトラが治療しながらつぶやく。
「今回は蜥蜴人の族長会議を代表して来ている。望みは蜥蜴人の階級上昇。競技は続行だ」
老小鬼が品をあらためてうなずく。
「俺も同じく」
爪きりの横に『語り部の耳飾り』の半分が置かれる。
しばらく船上に沈黙が流れた。
デューコさんが光の膜から出てつかみかかろうとするけど、清之助くんを包む光の膜がゼリーのように妨害する。
「貴様、なんのつもりだ!? 詫びられるおぼえはない!」
「俺も詫びるつもりは無いから気にするな。これもなにかの縁というやつだな」
ピパイパさんが目を輝かして二人の騒ぎにマイクを向ける。
デューコさんは苦々しい顔で近くの翼竜に乗り、上空へ飛び去る。
「こんなことで恩を売れたと思うなよ!」
「人気とり目当てだから問題ない……おっと、鳥人もあったな。ユキタン、代わりに頼めるか? ケチくさく見られないのはナンパの基本だ。利益で愛は釣れないが、話し合う機会は引きこめる」
「鳥人の階級上昇……と言えばいいのかな?」
ボクも耳飾りの片方を置く場所をグッタリしたパミラ嬢の周辺に探す。
「お、おいユキタン! よく考えろ! 貴様は……」
アレッサがボクの肩をつかむ。
「うん。一応は考えたけど、競技続行なら地位や財産をもらっても意味がないし、清之助くんの判断に賭けておくよ……アレッサになにか、ほかにいい考えありそう?」
アレッサはとまどい顔で言葉に詰まる。
「メセムスは樹人だ」
「了解デス」
水晶つきの大型石版がシュタルガへ差し出される。
「ふええ? なに? 治療の前払い? もらえるもんはもらっとくけど……」
清之助くんが身をくねらせてアレッサをのぞきこむ。
「無理にとは言わんが、哺乳獣人の階級上昇にしておけ」
アレッサは思わず、まだ残っていたダイカとキラティカを見る。
二人とも驚いた顔で首を横に振り、『自分たちは無関係』と示す。
「裏切られてなお、騎士団の階級を上げようとか考えていたか? それはクソ真面目な義理堅さではなく、あてつけたいだけのクソ自己満足だ」
絶句してうつむくアレッサの蒼髪を、清之助くんは両側からつまんで持ち上げる。
「それならまだしも、信頼し合える友人のために使ったほうが楽しいぞお?」
「わ、私がちやほやされて浮かれると思うか?! ダイカが、そんな機嫌とりで喜ぶなどと思うか!?」
アレッサは変態メガネの手を振り払うけど、激しく動揺している。
「やってみろ。それともほかに、もっといい考えでもあるか?」
清之助くんが両手と片足を高く上げた謎ポーズでニヤニヤとささやく。
シュタルガは険しい目で黙っていた。
ダイカは心配そうに見ていた。
アレッサは魔法の水着をゆっくりと取り出し、握りしめてうつむく。
戦闘では見せない、怯えたこわばり。
見捨てられてなお、騎士団に背くことはそんなに重いことなのか?
「アレッサ、だいじょうぶだよ。清之助くんは……ダイカも」
どういう意味で言ったのかはボク自身にもわからないけど、アレッサは顔をあげた。
まだ不安そうだけど、怯えるような表情は薄らいだ。
ボクは十字架の頭側に、思い出深い耳飾りを置く。
「競技は続行。この区間を走破しての望みは、鳥人の階級上昇」
老小鬼が品をあらためてうなずく。
「そ、そうだな。たぶんだいじょうぶだ……ガイムも……」
アレッサは震えながら、ダイカの置いた矢の隣へ水着を置く。
「競技は続行。望みは哺乳獣人の階級上昇……」
そうつぶやいたあとで、アレッサの顔は安堵の苦笑に変わる。
その弱々しい表情に、胸をしめつけられる。
アレッサはなんのために聖騎士になったのだろう?
今までアレッサのいろんな『ただ者ではない女の子の顔』と『ただの女の子の顔』を見てきたけど、今はあまりにはかなげで、抱きしめて守りたいのに、それ以上に近寄りがたい。
ボクではなくダイカが駆け、アレッサに抱きつき笑いかけてくれた。
「機嫌とり、意外に嬉しかったぞ」
照れて笑うアレッサの頬に、唇をぐりぐりと……ダイカさん、やりすぎ。
「ちやほやも……いい……な……」
アレッサが真っ赤に湯だってフラフラになっている。
「ダイカちゃんはただでさえ男前じゃのに、時々あれをやるからのう……嫁が増える一方じゃ」
ラウネラトラの視線の先で、キラティカがうらやましそうに二人を見ていた。
……アレッサが新たな境地へ目覚めませんように。
船上にコウモリモニターが集まりはじめ、足きり処刑台ティマコラが間もなく教会裏の森を抜けようとしている姿を映していた。
魔法道具を持たない選手たちは持っていそうな選手へ一斉にたかり、奪い合いの挙句に魔法道具を見失ったりしている。
何故かモニターのひとつを独占して露天風呂の美少女が映り続けていたけど、画面がゆれはじめるとあわてた様子で胸に二枚貝を貼りつけ、身をひるがえして水中へ潜る。
一瞬だけ見えた下半身は魚のように見えた。
そして水面から飛び出したのは二輪の古代戦車と、乗りこむ入浴少女。
入れ違いに風呂へは竜と魔獣の群れがとびこんでいた。
モニターが追う戦車はそのまま森を抜け、ゴール前の乱戦を蹴散らし、『平和の不沈艦』直下まで突入する……選手だったのか。
そしてあんな近くに露天風呂があったとは。
牽引する動物もなく走る一人用の小型古代戦車は乗りこみ口がなく、バケツのように水を溜めていた。
長い青緑の髪をした人魚は、浮き上がり途中で大声を出す。
「魚人を代表する美少女ミュウリーム! 望みは魚人種族の階級上昇! 預ける魔法道具は一族自慢の『陸上用の戦車』……じゃなくて、こっちでいい? なんかさっきひろったんだけど」
人魚のミュウリームがかかげていたのは巻貝……ボクがスタートで押しつけられたマイク代わりの巻貝?
「……ま、よかろう。ただし途中棄権ではそれなりの扱いを覚悟しろ」
「やー、問題ないない。この戦車さえあればゴールだけはなんとかなるっしょ! これで次の区間もいただき! ヤフー!」
テンションの高い明るい声に合わせて、豊かな胸の二枚貝が振り回される。
シュタルガは面倒くさそうに背を向ける。
「それと、その戦車の登録名称はまだ『ひき逃げの風呂桶』だ」
締め切りも間近になって、駆けこむ選手が増えてきた。
「抵抗すれば殺してかまわん。投降者の焼殺だけ抑えろ」
「それが大変なんだってば~。ドルドナちゃんがマイルール無双だから助けてシュタルガちゃ~ん」
シュタルガはコウモリごしにティマコラ上の巨人将軍と話している。
「仕方ない……ゴール手続きはまた神官団に任せる。ティマコラまでの翼竜を」
「おっと、見学している場合じゃないな。この区間の休憩は通過の手続きから十二時間だ。しっかり休んでおかないと」
ダイカにうながされてボクたちも続こうとしたところで、選手の女の子と聖王の奇妙なやりとりに視線が集まりはじめた。
「平和。平和をたくさん」
「だいじょうぶですよ。この船ではもう保護されています……それとも、虫人の種族階級ということですか?」
聖王ガルフィースと話す女の子は黒目がちな大きな瞳で、あどけない顔。
声はきれいだけど、片言のようななまりがある。
山吹色の短い髪と、同じ色の大きな花びらを巻きつけたレオタードのような服。
背中からのびる四枚の羽はトンボのように透いて七色に光る。
「じゃあシュタルガは死ぬ? シュタルガは死ねる?」
同じ調子で表情を変えない、あどけない顔。
口にのぞく長い犬歯は黒く、羽根の結合部から後ろ髪まで、歯と似た硬く光沢のある黒が白い肌へ直接に食いこんでいた。
シュタルガが翼竜の手綱を握ったまま立ち止まり、甲板上に緊張が走る。
「この区間の賞では足りんな。最終区間まで完走できれば、貴様との一騎打ちくらいは受けてやろう」
シュタルガは憮然と言い放って翼竜に跳び乗る。
「次のコース上に虫人の居住区もあるんだね? 競技に参加していない住民の脱出や護衛で、同じ目的は達成できないかな?」
聖王さんは忍耐強く相談を続ける。
「母親は怒っている。母親は魔王軍を死なせたい。シュタルガの死ぬ平和がいい」
「そうですか……では、この区間で可能な、有益な報酬を一緒に考えましょう」
張り詰めていた船上に、赤いとさかを持つ男の鳥人と、小さい男の子が乗りこんできた。
「シュタルガ、久しぶりだな! 貴様の……」
「行け」
シュタルガは男の子の居丈高な挨拶を無視して、一緒に乗った老小鬼に翼竜を発進させる。
とり残された少年はしばらく黙っていたけど、ふりかえるなり周囲をにらむ。
「なんだザコどもが! 我こそは魔王配下十二獄侯の一人、邪鬼王子ブラビスなるぞ! この印籠が目に……」
「ぼっちゃま!『平和の不沈艦』では魔法の意味がありません! それに奥の手をそんな軽々しく見せては……」
ブラビスくんが懐からなにかをとりだしたら気をつけよう。
船上の選手もみんなそう思っただろう。
「邪鬼王子は前時代の覇者『邪鬼魔王』の孫だったか?」
「二代目の父親はシュタルガに討たれたはずだが、配下になっていたとは……」
ダイカとアレッサの小声にブラビス少年が振り向き、なぜかボクをにらんだ。
「凡愚どもはせいぜいあくせく魔法道具を納めるがいい! だがこの邪鬼王子ブラビスは違う! 我が魔法道具を確認しなかったこと、シュタルガは必ずや歯がみして悔しがるだろう!」
そう言って自慢げにとりだしたのは、枕に酷似した物体だった。
「これぞ『気に入りの枕』という、どのように失くしても必ず所有者の手元へ返ってくる魔法道具! これさえあれば区間は通過し放題! 競技祭のシステムそのものを根底からゆるがす魔法効果だ!」
そんなことをボクの目の前で叫ばれても困る。
「翼竜がなくなるから急ごう。もどるのを待っていては休憩時間が減る」
「き、貴様! 無視するな! たしかアレッサと言ったな?!」
「へー、わー、すごーい」
しらじらしい声をだして少年に頬ずりしてあげたのは清之助くんだった。
「なんだ貴様は~?!」
「でもこれって、所有者を殺したらどうなるんだ? 墓場で一緒に燃えるのか?」
なれなれしく肩を組んで尋ねる。
「ふん! この枕の発動条件は誰よりも『気に入り』であること! もし貴様がオレを殺せたとしても、枕は手に入らん! この日のために十年も愛用してきたオレが死ねば! 毎日のように天日で干していたこのラカリトが所有条件を引き継ぐ!」
隣にひかえる鳥男が誇らしげに胸をはる。
ダイカとキラティカは目をそらして飛び立ちはじめた。
「大事に使っているのだな……良いことだ」
少しずれた回答で微笑むアレッサに、ブラビス少年が赤くなる……このクソガキ、はじめからアレッサさん目当てに近寄りやがったな。
「な、なんなら先に貸してやってもいいぞ? どうせ我が手元へもどってくる。貴様が我が配下へ加わるというなら……」
照れながら枕を差し出す少年。
背はまだシュタルガと同じくらいで、顔はずっと幼いけど、よく見ればいかにも美形になりそうだ……育つ前に清之助くんの毒牙にかかってしまえ。
「私はもう通過の手続きを終えている。遠慮して……」
困り顔で切り上げようとしたアレッサの動きが止まる。
枕カバーに刺繍された、よりそって眠るヒヨコたちをじっと見ていた。
「こ……この刺繍はそこの鳥人による……いや、なんでもない。早く行こう」
アレッサが飛び立ち、メセムスは二匹がかりで持ち上げられる。
そこで翼竜がつきてしまい、ボクと清之助くんは往復待ちになってしまった。
ゴールする選手が途絶えた中、鳥男が聖王さんに言いがかりをつけている。
「この魔王配下五百十二使徒の一角『赤烏帽子』ラカリトを愚弄するか! 我が盟友『爆砕闘王キテフビ』と『肉弾魔神ツカント』は必ず来る! 今しばらく待て!」
「しかしティマコラくんが船の下まで来たら手続きが締め切りになってしまいますから、急ぐことをおすすめしますよ」
「ツカントならあそこにいるぞ」
清之助くんがモニターを指す。
そこではモヒカン豚鬼の自称二百五十六聖帝がシュタルガの前へ降参して這いつくばり、嬉しそうな顔をしていた。
「あとキテフビはツル草の崖から落ちた。呪いの沼でも再会したが、首が曲がった状態で突撃してきて、底無し沼へ沈んでいった。供養したいなら大体の場所を教えるが……」
ブラビスくんは無言で枕を聖王に渡す。
モニターでは魔王配下ではないはずの神官なども多数、降参していた。
「神官団や騎士団、それに種族代表なら魔法道具より割高の身代金で解放される。それができない者でも、『慢性人手不足の魔王配下の自爆部隊に志願』という抜け道がある。ユキタ、シュタルガがどこで誰を傷つけ殺したか、よくおぼえておけ」
今のところ、最も非道な扱いを受けているのはティマコラだけど……
「ちなみにティマコラは二代目邪鬼王のペットで、シュタルガを食い殺しかけたことがある」
メセムスかラウネラトラから聞いた情報だろうけど、同じ時間でなんでこうも学習量が違うのか。
「そろそろ行くか。翼竜に慣れない内は下でつかまれていろ。そのほうが安全だ」
ボクの肩をわしづかみに翼竜が浮き上がり、みるみる『平和の不沈艦』が小さくなる。
上空で光の流れを抜け出ると風を強く感じ、思わず爪にしがみつく。
船がオモチャのように小さくなり、晴れた月夜の下でも瘴気を漂わせた森、その向うにそびえる巨大寺院の集合体も見えた。
ボクは無意識に、最上階の壊れた窓を探していた。
そして長い黒髪の女の子の、もう見られない親しげな笑顔を不意に思い出す。
区間ゴール前後のドタバタでまぎれていたさびしさがのしかかってくる。
「いい顔だなユキタ。出会った一ヶ月前を思い出す」
「あれは結局……ボクの誤解なんだろ? 今ならわかるよ」
ボクにとっては最低に最悪を重ねたような一ヶ月前のあの日が、なぜかこの天才イケメン変態メガネとのつきあいはじめにもなっていた。




