六章 母性の強い爬虫類もいるらしいぞ? 母性のない哺乳類は多いらしいぞ? 一
近づけばアレッサの烈風斬に斬られ、這い登れば樹人ラウネラトラの触手に阻まれ、獣人ダイカとキラティカの爪に裂かれる。
そして三階建ての高さになった魔法人形メセムスの突進は止めようがない。
区間ゴール通行証を持たない追いはぎ選手たちは、数十秒で数十人も負傷者を出すと散り散りに逃げはじめた。
徐々に加速しはじめた巨体の震動はボクの体を軽く跳ね上げ、自動車なみの速度になりつつある。
「土石装甲の残り。およそ三十秒。ゴールまで残り。およそ十五秒の距離」
沼地の大寺院の裏手にある森を抜けると、ツリー状の白い光が見えた。
「光に入れば話しかけられる。合意の返事をすれば……」
あと数十メートルの目前になって、清之助くんがゴールの仕方を解説する。
「油断するな! 最後の一歩でやられるやつも多い……って、後ろ後ろ!」
メセムスの左肩にいたダイカの警告。
地上の後方を見下ろしたボクの真横を、暗緑色の肌がすりぬけた。
すぐに振り返ると、メセムスの後頭部にいた清之助くんの首へ、軍用ナイフのように長く厚い爪を振り下ろす長身女性。
その顔へ逆立ちに足先をたたきつけたキラティカ。
ボクたちが光に包まれたのは、その時だった。
「平和を望みますか?」
どこからか声が響く。
「はい! はい! はーい!」
ラウネラトラがあわてて連呼し、ボクたちも続く。
キラティカと謎の暗殺者は落下したものの、光の膜に覆われて速度は弱まり、着地の前に浮きはじめる。
気がつくとボクやアレッサの体も光に包まれ、ゆっくりと浮きつつあった。
「もうだいじょうぶよん。こうなれば巨人の拳や竜の炎でもそうそう壊せん……そんで、その娘さんはどこのどなた?」
ラウネラトラも浮きながら、みんなを固定していたツル草を解く。
「そいつ、デューコじゃないか! 南部暗殺団の首領だ!」
ダイカさんが驚いていた。
デューコと呼ばれた女性の肌は光の中で薄く細かい鱗が見え、手足は細長く、トライアスロン選手のような体型に暗緑色の布を巻きつけていた。
体毛の薄い顔はヘビのように鋭く怖いけど、間違いなく美人だ。
黄色く光る目は今にも食いつきそうな怒りをこめて、ただ一人をにらんでいた。
「セイノスケ、お前はなにを奪ったか、わかっているのか!」
「セイノスケは。彼女の下着を引きずりおろしマシタ」
メセムスも土石装甲を解除し、徐々に浮きはじめていた。
「デューコさん、事と次第によっては協力しますからね。なんでも」
ボクの言葉にアレッサさんもうなずく。
「待て。俺はただ、彼女の貞操……なんだっけ?」
「貞操帯、だ! 間違っても区間ゴール手続きで渡すなよ! 必ず奪い返す!」
「てーそーたいってなんだ? まあ、なんか下着のような魔法道具なんだな? だが、選手同士で奪い合う競技で、なにをそんな……」
なだめようとしたダイカまでが激しくにらまれた。
「公認『四つ分』の『黙示録の貞操帯』を知らんのか! 三つの国と七つの街を滅ぼした、値のつけようもない最終兵器だ!」
「ふーん。だが俺はもう持ってないぞ? 欲しそうにしていたいい女に譲った」
「なんだと?!」
何食わぬ顔で平然と答える清之助くんに、暗殺者らしからぬ過熱を続けるデューコさん。
「心配するな。お前も十分に魅力的だ。だが戦士を相手に戦利品を返すのも無礼にあたるかと思ってな。そして俺は下着そのものには興味がない。となれば他人の下着を欲しがる愉快な女に渡すのが最良の……」
「殺す! 八つ裂き百裂きに!」
「とりえずその……競技上の奪い合いに過ぎんのだな? それならば魔法道具の価値や形状はどうあれ、見苦しい負け口上には変わりないぞ?」
一緒になって清之助くんを非難していたアレッサの目がようやくデューコ女史に向く。
「なんでそんな貴重品を持ちこんだのか……いやそれより、それだけ物騒なもの、発動条件は安定しているのだろうな?」
デューコが口ごもり、ようやく浮遊中の議論が収まりかける。
首をひねっていたラウネラトラが手を打つ。
「なんか思い出した。侵略された国のお姫さんが乱暴されそうになったら、両方の国を大災害が襲って廃墟にしたとか……あり? でも『脱がされる』のが発動条件なら、なんでセイノスケは無事でおる?」
「そ、それは、その……」
デューコさんが顔をしかめ、頬をみるみる赤く染める。
それを見てラウネラトラが再び手を打ち、ニヘラと笑う。
ボクにもなんとなく発動条件がわかってくる。
アレッサとダイカはわかっていないようだけど、気まずそうに黙っているキラティカは察したようだ。
「つまり同意の上なら問題ないのだな? 競技祭が中止にならなくてなによりだ」
ボクたちの配慮を変態メガネがぶち壊す。
「わ、私が……いつ……!」
反論しかけて詰まった言葉が、かえって肯定になってしまった。
「デューコちゃんよう、協力したげるから、逆恨みはやめて持ち主を一緒に探しましょうや。わっちも暴発には巻きこまれとうない」
ラウネラトラは手ぶりをまじえてなだめる。
暗殺団の首領は空中浮遊しながら頭を抱えてうずくまっていた。
「土人形に押さえつけられて、あの男の妙な言葉と手つきにあせっていたら……」
なにかブツブツ言っていたけど、聞いてないふりをしてあげる優しいみんな。
空に浮かぶ『平和の不沈艦』は、いつの間にか目の前に迫っていた。
光の膜で周囲が半透明にぼやけているせいか、足元が地面からはるかに離れていても、それほど怖さを感じない。
「セイノスケ様ぁ!」
木造船の甲板から身を乗り出し、手を振っている女性がいた。
波がかった黒髪で、優しい顔の美人さん。二十歳はすぎて見える。
続いてウサ耳のリポーターも顔をのぞかせ、猛烈な勢いで実況をはじめる。
「なんとルクミラ選手の待ち人もセイノスケ選手でした! 勇者の本業は後家ごろしと言わんばかりの二人! 異世界青少年の性風俗の乱れが思いやられます!」
こっちの報道倫理もどうかと思うよ。
「聞かせていただきました! まさかそんなに高価な品を受け取ってしまったとは知らず……」
ルクミラと呼ばれた美人さんは船に登った清之助くんに駆け寄る。
「価値よりも、少年から送られた貞操帯を受け取るほうが大変なことだとは思いませんでしたか未亡人さん?!」
いや、国を滅ぼす魔法効果を気にしようよリポーターさん。
美貌の未亡人様は鎖つきの南京錠のようなものと、耳かきのようなものを持っていた。
「どちらを預けるかで迷っていたら、神官の方が提出は観覧席の到着までだから、セイノスケ様を待てると教えていただいて……」
ルクミラさんが頭を下げて会釈したのは、聖王ガルフィースと紹介されたおじさん。
ラウネラトラが背のびしてルクミラさんの耳かきをのぞきこむ。
「こっちは知っとる。『突き刺しの耳かき』と言って、生物の聴覚部分から刺しこめば驚異的な貫通力を発揮するという……くずアイテムじゃな。そんなスキがあれば、普通に刃物でのどをかっさばける」
「役には立たないけど、存在自体が嫌なアイテムだね」
「鉄兜を貫通して大将首をとった記録もあるが、大柄な鬼や巨人にはそもそもの長さが足りず、人間に根元まで刺しこんでも絶命しなかった例もあったとか……」
なぜかボクの背に隠れているデューコさんがボソボソと豆知識を追加してくれた。
「助言ありがとうございます。では通過にはこちらの耳かきを」
「実は私も知っていたのですが、そこまで言ってしまうと公平性に欠くかと思いまして」
ロマンスグレーおじさん聖王が静かに微笑む。
「いや助かった。なにも知らずに宮殿へ渡っていたら面倒なことになっていた」
そう言いながら船に乗りこんできた女の子は小さすぎて、誰かとわかるのに間があった。
ザンナよりもやや小さな女の子へ、巨体のメセムスは素早く片膝をついて礼を示す。
紅い髪とローブ、小さく白い二本の角、不遜な表情の紅い瞳。
この世界の支配者、妖鬼魔王シュタルガはボクの横を通り過ぎ、聖王の隣で足を止める。
「これは魔王様。お早い到着、うれしい限りです」
反魔王連合の頂点と紹介されていたおじさんが、細い目をさらに細めて会釈する。
「うむ……」
シュタルガは少しの間うつむいてなにか考えている様子だったけど、振り向くとルクミラさんに鋭い眼差しを向けた。
「ルクミラとやら、次の区間に進む気はあるか?」
「い、いえ。私は孤児院を支える資金さえあれば……」
「ならば宮殿に留まって警護を受け、その物騒な品を競技祭終了までに処分していけ! 当面の孤児院資金、そして必要なら経営の代理もすぐ送る!」
ルクミラさんは魔王を前に恐れおののき、清之助くんに目で助けを求める。
「すぐにシュタルガへ売り払うのが安全だ。それほど買い叩かれはしないし、ひどいことにもならんだろう。贈ったものをどうしようとかまわん」
清之助くんの淡々とした助言で、シュタルガは『やれやれ』といったため息をつく。
「だがもし『俺の祭』に巻きこまれたいなら、そのまま持っていてくれ」
ルクミラさんは年下少年の人差し指で頬を撫でられ、拘束機能つきの下着を握りしめる。
目がとろんとして、変態メガネ以外は視界に入ってない。
「お待ちしています……」
また一人、平石清之助の信者が増える瞬間を目撃するはめになったよコンチクショウ。
そして今さらだけど、美人若後家さんの脚にあたる部分が巨大なヘビになっていることに気がつく。
……つっこむまでもなく、清之助くんは承知でくどいているのだろう。
「わしの前で祭を語るか……」
シュタルガ様は表情少なくつぶやき、手振りで人を呼ぶ。
「警護と魔法道具の保管手段についてはその者に聞け」
そばに控えていた老小鬼が頭を下げ、ルクミラさんを案内する。
甲板には翼竜も十匹以上がとまっていた。
ルクミラさんはその内の一匹に捕まり、上空へと運ばれる。
「進行が押している、演出なしで望みを聞こうか」
シュタルガは何食わぬ顔で、ラウネラトラの持っていた全身鎧をひったくる。
「これで合っているな? 今回も『樹人の階級上昇』か?」
「そそ。んで、今回は次の区間もやってみるわ。毎回、次までの維持じゃ休むヒマないからのぅ」
見た目の幼い変態女医は、思ったより真面目な理由で参加していたらしい。
「樹人の多くは竜や巨人に匹敵する体格を持つが、ラウネラトラよりはるかに鈍重で活動時間も短く、この競技祭には対応できない。突然変異に近いアイツが一人で種族の階級を支えている」
ダイカがこっそりと教えてくれた。
続いてダイカが『出戻りの矢』を渡そうとしたところで、船にドタドタと乗りこんで割りこみ、バッタリと倒れる女性がいた。
「治して。早く」
腹に巻いた包帯から大量の血をにじませた、紫ドレスと紫髪。
側近の大幹部パミラの無残な姿に、魔王シュタルガは満面の笑みを浮かべる。
「相変わらずしぶといな。たくらみはどこでしくじった? 秘蔵の手駒が人間ごときに倒されたあたりか? それ以前に、わしに目をつけられてあせりだしたころか?」
青ざめた顔で仰向けになったパミラの背には、はりつけ台のように交差した木材があった。
「通過アイテムはこの『直射日光の十字架』! 要求報酬は迅速な治療と、まともな病室、栄養のある食事、つきそいの美形看護師! ……がふっ! 早くぅ!」
ボクは吸血将軍が死にかけながら背負ってきたアイテムに全力でつっこみたい気持ちを抑える。
「ちなみにパミラは吸血コウモリの獣人で、この世界にはヴァンパイアや吸血鬼といった種族は存在しない。十字架、日光、ニンニクなどにも科学を逸脱した効果は伝えられていない」
現地人以上の解説をくれる清之助くんがうっとうしい。
シュタルガが再び老小鬼に指示すると、小さく頭を下げた老小鬼はラウネラトラに耳打ちする。
「しゃーない。早よう休みたいし気乗りせん客じゃが……じゃあ治療に邪魔な『平和のあぶく』は解いとくれ」
「チッ……『平和を放棄』する」
パミラがつぶやくと光の膜が無くなり、ラウネラトラは『癒しの包帯』を傷口に巻きつけ、シュタルガはニヤニヤと枕元に立つ。
「その十字架は、後悔の念で太陽光を発する健康グッズだったかな? 瘴気でこもる呪いの沼なら多少は使えるクズ魔法道具……まるで光らんが、本物だろうなあ?」
十字架をガシガシと踏みつけられ、傷口に震動が響いてパミラがうめく。
「さてパミラ、次に裏切るのはいつの予定だ? あと何回くらい裏切る予定だ?」
「覇権の定まった今さらそんな……無断で配下を増やしたのはまあ、ちょっと驚かせようと悪ノリで……」
「んん~、そのわりには十字架がサッパリ光らんなあ? 偽物なら『治療前』にもどさんと不公平になるが……」
魔王少女は優しく微笑んで腹を踏みにじる。
「うあああ! やめ! この! ばかやろおお!」
わめくパミラの背中で、ぼんやりと十字架が光りはじめる。
「おやおや、すまんなあ。本物だったか? しかしそんな早く後悔するとは、パミラもずいぶん可愛くなったものだ」
「このクソガキ! 必ず殺す! 百裂き千裂きになぶり殺す!」
ピパイパさんが遠巻きに撮影を続け、なぜか清之助くんが自然に割りこんでいた。
「あの二人、できているのか?」
「昔からの仲よしですけど、それ以上はわかりませんね~」




