五章 ゾンビが結婚していいと思う? ゾンビ以下でもしているだろ? 三
「彼とはそういう関係にありません」
「でも今、ユキタンの目を生き返らせたのは彼。妬けるわあ」
沼が増えるにつれ、そこかしこに散らばる墓石やその破片の量も増えてゆく。
メイライが言うところの病院は、近づくほどに巨大で怪しい寺院の集合体だった。
何百もの磔台を並べた外塀、巨大な骸骨像の居並ぶ門をくぐって見えてきた建物群は古めかしく、腐食が進んでいる。
いりくんだ外廊下には青いローブのゾンビがあちこちにうろついていた。
沼で見かけたみなさんよりは全体に保存状態がよく、特に肌が青白いだけの人たちは荷物を運んだり掃除したりと立ち働き、メイライに気がつくと拝礼した。
「千年ちょっと前の、沼の魔力が発見されたばかりのころは『三途の浮き船』も絶好調で、初代不死王はここで墓場病患者を乱造して第四次聖魔大戦を制し、『不死魔王』になったの。でも代替わりを繰り返す内に衰退して、先代の不死王を継いだ私の旦那なんて、しょぼい田舎貴族みたいなもんだったわ」
「聖魔大戦……って?」
玄関から続く広い廊下で、メイライが壁を指す。
玉座を中心に描いた巨大な絵が十数枚、並んでいた。
王の姿は獣人だったり、人間の勇者のようであったり、バラエティに富んでいる。
「百年に一度、多くの魔物の繁殖周期が重なる時期があるの。それに合わせて乱世がはじまり、覇者が魔物になれば魔王の時代、人間になれば勇者の時代……今世紀の大戦は十年以上も長くもめていたけど、反魔王の主力だった騎士団がシュタルガちゃんを十六代覇者『妖鬼魔王』と認めたころから、ほとんどの国で生産備蓄を次の大戦を目標に切りかえはじめたわ」
魔王が圧倒的に支配する絶望の時代だからこそ、神に選ばれた勇者が現われて世界を救おうとするんじゃないのか?
大勢が決まればあっさりあきらめて百年も辛抱して、百年だけ待てば勝手に次のチャンスが来るの? 魔王も勇者も?
この世界の神様や邪神様、やり合う気が薄くね?
「これが先代の覇者『邪鬼魔王』の百年を示す絵で、その前のが『闇の勇者』、続いて『光の勇者』『妖術魔王』『魔道の勇者』……」
百年ごとに戦争がやってくる世界は大変……なのか?
いや、運に恵まれた平和ボケと言われる日本ですら、戦後まだ数十年か。
もめるのが十年前後までだとしたら、ボクのいた世界よりずっと安定しているというか、むしろ不気味なくらい?
「……そして初代覇者の『王道の勇者』、聖魔大戦前の『堕天魔王』の百年、『天の勇者』の百年、『神の勇者』の百年、神代の百年、創世の百年、と続いているけど、シュタルガちゃんはこの歴史そのものが気にくわないって言っていたわね」
メイライが手でボクを制止し、背中から折りたたんだ棒のようなものを取り出す。
引き伸ばしたそれは、背丈ほどの大鎌になった。
連れていたゾンビに指示を出し、近くの階段からアレッサとガホードを地下へ送る。
「シュタルガちゃんは頑張り屋だけど、努力の方向がどうかと思う。いまだに覇権をひっくり返そうとあがいているのは神官団くらいなのに。あとはパミラちゃん?」
廊下の先にある扉が開いていて、巨大な礼拝堂が見えている。
不意に、ばらばらと大柄な男女が廊下になだれこんでくる。
白いローブのデザインには見覚えがあった。
スタート地点でボクを魔王にけしかけようとした上、かませ犬よばわりしたヒゲおっさんが似た服を着ていた。
「やだ勘違い。パミラちゃんかと思って戦闘モード気どった私をドジかわいいと思ってねユキタン……」
メイライは自分の額をたたく仕草で身をくねらせる。
「む? あれは勇者ユキタンか?」
「すでに魔王の配下と手を組みはじめたと聞いている。かまわん」
「なんと早い裏切り! 異世界は少年の心さえ腐りきっているのか!」
五人は勝手な相談をまとめ、傭兵部隊さながらに槍をそろえてかまえる。
ローブごしに胴鎧や肩当てのシルエットが見えた。
「邪悪なるシュタルガの同盟者、『不死王の未亡人』よ! その呪われた魂、われわれ神官団が浄化してくれる、覚悟!」
最も長身で眉の太い男が決め顔で言い放ち、槍を突き出す。
「やあねえ。そのシュタルガちゃんから地上げ屋みたいな嫌がらせを受けて困っているところなのに」
メイライはボソボソつぶやきながら槍の穂先を鎌の柄でちょこんと受け流す。
さらに手の平を突き出して眉太男の鼻先に当てて倒し、一団の動きを止める。
そしてどこか焦点の合わない目でボソボソボソボソ早口につぶやき続ける。
「そもそも魂を浄化できるなら、いつでも歓迎していたんだから、もっと早く来なさいよ。わざわざユキタンといちゃついている時に邪魔しないでよ。魔王の配下でもないくせに慈悲と寛容に欠けすぎのヘボ神官は、私たちの愛の絆の前に……ひれ伏すのみ!」
メイライが消える。
立たせた大鎌を置き去りに、神官たちの背後に長い黒髪が飛び、両手で二人ずつ、四人の頭を瞬時に地面へたたきつける。
鎌が傾きかけた時にはもどって握りなおしていた。
「それに神官が五人もいるなら『不死王の未亡人』て呼び名に誰かつっこみなさいよ! あんたらの教会じゃ『不死鳥の墓』とか平気で作るの?! それただの焼き鳥弁当じゃない?!」
眉太男が身を起こした時には四人が這いつくばってうめいていた。
「魔法道具を持たないザコ神官みたいね。あるいは神官団に雇われただけの傭兵」
メイライは五人を縛り上げ、近くのゾンビに命じて地下に送る。
「ここの人たちは沼から出ると体がもたないかわり、恐れしらずで打たれ強いし、休みなく動けるから、この教会は昔から聖魔大戦を左右する要所……みたいに言われていたけど、かいかぶりなのよねえ。維持だけでけっこう大変なんだから。パミラちゃんも乗っ取りたければ普通に言ってくれたら譲るのに。シュタルガちゃんへの意地かしらねえ?」
礼拝堂の奥へ案内される。
アレッサの送られた地下が気になった。
長い階段を昇ると、一般住居のような間取りになる。
「今日は誰もいないの……」
わざとらしい恥じらいの仕草で通される居間。
広さは贅沢だけど、内装や飾り物は質素で、品の良い生活感があった。
「ね、ユキタン、お食事にする? それともお風呂? それともア……」
「アレッサは無事かな?」
メイライの調子づいた媚び笑いがかたまり、ボクの背も凍りかける。
「ごめん。でも今、アレッサを放置していちゃつく男じゃダメなような……」
「んもうっ、少しくらいのってくれてもいいじゃない。ちゃんとわかっていてやっているんだから。ユキタンのいじわる、いじわるーう!」
うぜええ! ……いや、これが処刑台のせまる乱闘レース中でなければ、少しはかわいいと思う余裕もあったかもしれないけど。
「でもそんなユキタンが好き。大丈夫。すぐ呼ぶから」
さびしそうに微笑んだ顔にはドキリとした。
男なら、女の子に笑顔で『好き』と言われたら、それが美人でなくても悪い気はしない。
ましてモテたことがないボクは激しくグラつく。
真顔のメイライが急に美人になるのも反則だ。
早く来てアレッサ。
「ユキタン、なにかいけないこと考えている?」
メイライが顔をじっとのぞきこんでいた。
「こっちがね、寝室なの。アレッサを運ぶのは少しだけ遅らせようか? ね、少しだけ……」
ぐいぐいとボクの手をひっぱり、奥の部屋へと向かう。
「す、少しって、なんのために……」
メイライの手は思ったほどは冷たくない。
握っている場所には温もりがある。
「うふふ……ダメとは言わないユキタン」
触れている指をそろりと組みかえ、頬を染めるメイライ。
入った部屋には大きなベッドがあった。数十くらい。
そのほとんどに棺桶が載っている。
真白いタイル張りの空間は体育館くらいに大きく、中心にはドアのように大きな墓標が立っていた.
「可能な限り迅速にアレッサさんを呼んでください」
ここは寝室というより霊安室か墓室です。
それらも寝室の一種かもしれませんが。
「照れることないのに……たしかに亭主はそこにいるけど、もうとっくに成仏してやがるわ。あとの棺桶は私より前の奥さんたちね。未練たらしく側に置きたがるからドン引きしていたわほんと。口減らしに捨てられた子供だからってなめすぎ」
メイライは壁際の、船にあるような伝声管を開く。
「婦長さん? アレッサの病室を上げてちょうだい」
別の壁際にあるカーテンが開き、その中の鉄の扉もゆっくり開きだす。
中では鎖がガラガラと巻き上げられている。
エレベーターの一種らしい。
「その辺の開いているベッドに座ってね。うちの亭主、私が嫁いだ時にはもうほとんど寝たきりで横着していたから、水晶もこっちに設置しているの」
また別の壁の手前には机のような台座があり、天板の中央には大きな水晶が埋めこまれていた。
メイライが手を触れると光りだし、壁に向かって映像を投げかける。
プロジェクター型のテレビみたいなもの?
見覚えのあるウサ耳リポーターと、どこかの平原が映っている。
「ゴール付近にもかなりの魔獣が集まってきました! ティマコラちゃんも、そろそろ底無し沼から脱出できたでしょうか?!」
白い光が地表から山のような形で天に向かって吸い寄せられている。
そこへ石や木の枝、翼竜なども巻きこまれ、浮き上がっていた。
ほぼ中心になる二十メートルほどの高さに、木造の箱舟が浮いている。
「あの『平和の不沈艦』が区間ゴール。あの光に飛びこめばゴールだけど、引き返せなくなるし、戦闘行為もできなくなるの」
いつの間にかぴったり身を寄せて座っていたメイライ。
空中に浮く船はジャンボジェット機よりはやや小さい。
甲板には数十人の神官が見え、十数人ずつが交代でなにかを念じている。
「なによう、『邪悪なるシュタルガ』とか言って、ゴールキーパーは今年も神官団が引き受けているんじゃない」
一瞬、地上に小さな人影が見えたところでカメラが魔王の観覧席に切りかわる。
ティマコラの顔面は涙と泥にまみれ、半分のたてがみを失い、十本足の内の三本を引きずっていた。
頑張らないで欲しいけど、くじけるな。
「どうやら脱出できたようですね。牛ヒルや沼竜より、背中の暴れん坊からのダメージが深刻なようでしたが……まだ墓地の教会付近にいるみなさんは、そろそろゴールへ移動しないと危ないですよー。通過アイテムがない選手は、追いはぎのラストスパート頑張ってくださいね! あ、誰か来たようです! あれは魔王配下……えーと……十五あたりの有望新人、『闇の魔女ザンナ』ちゃんです!」
再びカメラがもどると、ザンナが周囲の翼竜をビクビクと気にしながら光へ向かって走る姿が映った。
膝あたりまで光に踏みこむと、神官の一人がなにかを叫び、ザンナの体の周囲が光の膜に包まれ、光の流れに合わせてゆっくりと浮き上がりはじめる。
ザンナは安心した様子で持ち物をさぐり、腰につけた『狂乱の麺棒』と、ベルトからとりだした『雷獣の下敷き』を見比べる。
慌てた様子で下敷きの側面を読みはじめた。
「そして船の中からは、ついに特別ゲストが登場です! 今回はなんと! 反魔王連合の頂点にして、すべての神官をまとめる『聖王ガルフィース』さんがキーパーとして乗船してくださいました! さっそく私もお邪魔してみます!」
大きく映されたのは長身で面長の、目の細長いイケメンおじさん。
髪は真っ白でやせているけど、四十歳くらいに見える。
穏やかな笑顔でカメラに向かって手を振っている。
そこへ『雷撃!』と叫ぶザンナの声、破裂音、『ぴぎゃ?!』という悲鳴。
……ダイカと同じ過ちをしたらしい。
「ザンナちゃんは……なにをやっているんでしょうねえ?」
リポーターさんの呆れ声。
そして空中で目をまわしてふらつくザンナが映ってしまう。
……ざまあ。
まったく使わなかったクズアイテムだけど、思わぬ役に立った。
ありがとう翼竜使いさん。
「ザンナくんですね? 区間ゴールおめでとう。通過チェックにはなにを預けますか?」
乗船したチビ魔女に優しく尋ねる聖王さん。
ところがザンナは下敷きをたたきつけるように渡す。
なぜか半泣きでにらみつけながら。
後を追って乗りこんだリポーターさんが、苦笑しながらマイク代わりのコウモリをさしだす。
「ザンナさん、おめでとうございます」
「げ。ピパイパさん?!」
ザンナはいきなり真っ赤になり、周囲を見渡してカメラに気がつく。
「魔法道具を確かめておかなかった自分のミスをキーパーさんにぶつけるのは逆ギレそのものですが……ともかくもおめでとうございます」
「あうあ。いえ、おかげさまで。まあなんとか……」
しどろもどろでインタビューに答えるザンナ。
憎らしいけど、生きているとわかったら少し安心したような。
「……え、なんと!『風の聖騎士』アレッサ選手と『異世界勇者』ユキタン選手、両勇者を手玉にとって?!」
「あ、ああ、わりとちょろかったかな? アレッサは腕が立つけど頭は単純だし、ユキタンなんか、色目ひとつでなんでも言うこと聞くし。あんまり簡単にだませて退屈だから、捨ててきちゃったよ」
強がりながらも目はあちこちに泳いでいる。
「では踏み台にしたお二人に、なにか伝言などはありますか?」
「あ……まだ生きているのかな?」
ザンナは意表をつかれたような顔で、なにやら不審な手つきをはじめる。
「……ま、まあ、どうしてもと頼まれたら、また盾くらいには使ってやってもいいかな? せめてゴールくらいはしてほしいね」
ザンナがカメラに向かって、薄っぺらい得意顔を見せる。
「あのやろ……捕まえたら腕に装着して引きずりまわす!」
ふと見ると、エレベーターが到着していた。
「ザンナ、貴様という奴は……いや、あれはきっとカメラが向いて仕方なく……」
鉄檻の中、アレッサが体育座りで落ちこんでいた。
「よかった。意識がもどったんだ。……というか意外と、ザンナに情が移っていたんだ?」
「私も妹のために稼いでいたから……いや、それよりユキタン。一体どういう状況だこれは?」
「恋でも仕事でも負けたあなたを、優しい私がユキタンの愛人として拾ってあげたから、全身全霊で感謝すべき状況よ?」
メイライが心配顔でアレッサに解説する。
「そうか。ではまず風鳴りの腕輪を返してもらおう」
「なによ、私の扱いに慣れてきたふりして。腕輪にみっしりムカデ詰めこんでおけばよかった」
メイライはアレッサの背後で縛られた腕を指す。
縄の代わりに水着で縛り、腕輪も水着の中へ包まれていた。
誰も『詰めた』とは言ってないけど、嫌そうに身をよじるアレッサ。
「あざになっちゃうから落ち着いて。メイライ、あれは外してもらえる?」
ふとボクは、手元の水晶が光りだしたことに気がつく。
念じて現われたクリンパは焦り顔。
「ザンナのヒーローインタビューなら見ていたよ」
ボクは乾いた笑顔でつぶやく。
「うぐ。いや待て。姉御が手話で『敵』『病院』と伝えていた。たぶんオマエたちに伝えろってことだと思う」
アレッサの鉄檻がさらに上へ引き上げられつつあった。
水着をほどき途中だったメイライは不思議そうに見上げる。
「ここ最上階なんだけど……巻き上げ係の頭が腐敗しすぎたかしら?」
「放送のグダグダぶりからして、パミラはかなり前から入っているし、まだいるはずなんだ。なんで出てこないのかはわかんねえけど、ティマコラが来る前には仕掛けてくる。つまりそろそろ……」
鉄檻の下にできた隙間から、紫の爪が見えた。




