二十九章 神とか出るとかえって安っぽくならね? 作者の器に比例している! 四
「バ、バ、バウルカットを追う! 話はそれから……たぶん……」
ボケ勇者がビルを飛びかい迅速に逃亡する。
「う~、あんなものを大迷惑様に持たせてしまったのはどなたやら」
発射に巻きこまれたリフィヌとザンナが起き上がって服の砂をはらう。
クアメインが騎士団兵士への指示を止めてふり向く。
「そのかたの話をザンナどのに聞いていただきたい」
「へ?」
コウモリモニターにヒギンズが呼び出されていた。
「脚絆は俺だって死にかけながら守ったのに強奪されたんだ」
「いえ、フィノット様に聞いた話のほうです。訴えられた商人はザンナどのの御両親でした」
「そりゃまた……妙な縁があるもんだな。今さらかもしれねえが、あれは本当の馬車事故だ」
リフィヌが過去の記憶を引っぱり出すかのように耳を握る。
「もしや事故のあとで父を訪ねて話していたかたは……」
「フィノットのやつがモルソロスの片棒かついだなんて噂を聞いたから、俺が直接さぐりに行ったんだ。『うまくやったな』とからかったら泣かれたよ。上官命令でやらされたでっちあげ訴訟だけでよほど滅入っていたらしい。若い時と変わらない、戦場や中央政府には向かないお人よしのままだった」
リフィヌが口をぱくぱくさせて涙をあふれさせ、ザンナが頭をなでる。
「事実がわかったら、さらに微妙にどうでもいい方向へ敵がそれちまったな。せめてバウルカットなら刺すだけ刺して楽しめそうだったのに」
目の前に甥っ子さんがいます。
「レイミッサとまとめた騎士団の内部調査でわかったことです。叔父上やモルソロス様の不正資金の記録もあるので、もしザンナどのが……」
「任せるよ。めんどくせえし、もうどうでもいい……うん。オマエに恩を売るほうが得だ」
魔女か聖女かはともかく、ザンナの勘定ではそうなるらしい。
そのどうでもいい名ばかり剣聖は独りで逃げまどっていた。
鳥人の偵察飛行から隠れ、魔王軍の衛兵を避け、狭い路地に入りこむ。
不意に前後を小鬼たちにふさがれ、真上からクズカゴをかぶされる。
「でっちあげ訴訟とか、おぼえているか?」
真上の外壁パイプにシッポつきのやせた子ども……クリンパが座っていた。
近くにぶら下がるコウモリモニターはザンナたちの会話を映している。
「汚ねえことなんかいくらでもやっているから思い出せねえか?」
「待て。このモルソロスは神に誓ってやましい行いなどゴブァッ?!」
網カゴの鉄線が一本だけ飛び出し、頬に刺さる。
「待て。なんだこの魔法道具は?」
クリンパはじっと見下ろす。
「逃げたり抵抗したらもっと楽しくなるかもな」
「待て。この『底なしの柄杓』を恵んでやろグブァ?!」
鉄線がさらに耳に刺さる。
「そんなもんは勝手にもらう。聞いたことだけ考えろ。姉御が『どうでもいい』と笑おうが、オレは気がすまねえんだよ。姉御が捨てたクズなら、オレの好きなように始末させてもらう」
「待て。私も三巨頭『海の聖騎士』ソトリオンの代役を果たそうと必死だったのだ。あの奇人変人の従兄弟は運だけで功績と人望があったから団長をゆずってやったというのに、死に急ぎよって、私は突然に団長を押しつけられてなにもできず、たった半年でバウルカットくんへ交代を頼む恥をかかされ……」
鉄線は動かなかったけど、クリンパが退屈そうにクズカゴを蹴った。
「無能なくせに家柄だけで名誉職にかくまわれ続けた自覚もなかったのか。そんなのはどうでもいい。オレは姉御の親のかたきがどんなやつか知りてえだけだ」
「待て。たしかに私も、違う立場の誰かにとっては非道な行いもしたかもしれぬ。しかしそれもすべては騎士団のためブグェ?! いや、保身と私利私欲のためだが……私には養わねばならん家族がいて、ただそのためだけにヒギッ?! いや、愛人もいるが……どうか命だけは……」
「心がけしだいだ。『人間の屑入れ』の魔法はオレが発動させているわけじゃねえ」
ザンナとリフィヌ、コカリモとコカッツォは大通りに残り、まだちらほら動く者もいる悪魔騎士の捕縛を手伝っていた。
クアメインは指揮をしながら首をかしげる。
「邪神強化の効果時間が聞いていたよりやけに短い。餓鬼条虫も、駆除装置の多さを考えても不発に近い遅さだ……研究時間の不足か? それほど苦しいなら、神官団も早く交渉に応じてくれたらよいのだが」
「あうう。神官団の内部にも協力者さんはいるらしいのですが、かなりまずいことになっているようでして」
そこへふらりと大柄マッチョ神官……ポルドンスがひとりで現れ、転がっている悪魔騎士たちを沈んだ顔で見まわす。
「いろいろやべえよな。おかげでようやく会いに来れたが……これだけ、持っていていいか?」
魔法道具の玉すだれとザルをあっさりリフィヌに預け、鉄鞭だけ腰に残す。
「リフィヌちゃんよう、教団本部までつき合ってくれねえか? 俺よりはお前さんのほうが説得に向く。場合によっちゃ制圧して仕切るように言われているが、それも俺の器じゃきつい。できればお前さんに頼みたい」
「ポルドンスさん……遠巻きに見物の予定だったのでは?」
「見捨てられねえ身内ができちまったんだよ。影でいろいろやってやったぜ? 繁殖させる餓鬼条虫をプロモーション用の最弱品種にすりかえたり、邪神の起動剤を薄めたり……」
ポルドンスはやつれて暗い顔をしていたけど、目に異様な気迫がこもっていた。
「あの……タミアキさんは?」
ポルドンスがミシミシと鉄鞭を握りしめる。
「アイツは……ごきげんな相棒だったが、それだけじゃねえ。こうなってみて、ようやく気がついたぜ……いや、本当はとっくにわかっていたんだ。俺はしりごみしていた……あんなにゴージャスでダイナミックな女がいつも近くにいてくれたのによお! ほかの女なんか、いくらいたって……!」
ボクは君を誤解していたらしい。
「まだ死んだわけじゃねえが……アイツがもしまだ目を開けてくれるなら、その世界に邪神なんざかけらも残さねえのがせめてもの男意気ってやつでよ……アレッサは? まさかひとりだけでバウルカットを追ってんのか?」
「レイミッサ様やナルテアさんなど、元気なかたたちも追っています。団長さんの『五英雄』格づけはネタに近い自称とはいえ、十傑衆にせまる実力があることはアレッサ様もご存知のはず」
「いや、防壁に近づくのがまずい。教団本部と急に連絡をとれなくなっているんだが、もしかすると砦はもう、ふたつかみっつ……おい、そこの看板男さんよう、アンタなら知っているだろう?」
クラオンは顔をそむけたけど、クアメインが見つめ、その背をなぜかリフィヌが押してむやみに顔を近づけさせると「くっ」とか言って観念する。
「神官長どのから『もうすぐ半分』と連絡が入っていた」
クアメインは目をぱちくりさせた。
「十二砦の半分……首都や選手村へ増援を送る余裕もないのに? 新型邪神だけでそこまで? ニューノどのもそのような情報はまったく……それほど感染が速いのか?!」
アレッサが装甲馬車に追いついて土砂走行で横転させると、周囲の屋上からバウルカット配下の狙撃兵が一斉に現れた。
アレッサは土砂壁を作って隠れるけど、馬車にはすでにバウルカットが乗っていないことに気がつく。
銃声が響き続け、それがだんだんまばらになってきて、それでも兵士たちは降りてくる気配がない。
不審に思って見上げると、金髪褐色肌のセーラー服少女が淡々と銃撃戦をしながら手をふっていた。
「アレッサ~。指揮官は五十メートル前の地下道だよ~」
その背へ忍び寄っていた兵士は突然に逆さまになって鋼線に吊り上げられた。
「セイノスケの身内の……ンヌマリといったか? 助かる!」
土砂走行でバク転しながらもどり、ビルの脇に隙間を見つけてすべりこむ。
「あの速さの馬車からここへ飛びこんでいたとは、さすがは大戦以来の諜報主任か」
下水道は薄暗く、高さ十メートルの天井にあるまばらな穴から外光が差すだけだった。
「げえ?! アレッサ?! なぜこんな早く?! だが屋内戦こそ『洞の聖騎士』の部隊が得意とする……ん?」
バウルカットは全力で逃走しながら、その先で迎える部下たちが壁や天井で逆さまになっていることに気がつく。
「な、なにをさぼっておるか。返り討ちにする罠の用意は……」
さらに先のあちこちで部下が倒れたりもがいたりしていた。
「銃撃戦や市街戦ならンヌマリや私も慣れているのでさいわいでした」
清之助親衛隊『知能犯の優等生』加墨の声が響くけど、姿は見えない。
「しかし魔法戦は警戒するよう清之助様に言われていますので、その聖騎士はアレッサさんにお任せします」
「なぜだ誰だ?! なぜ私ばかりこんな目に?!」
バウルカットは巨体で鎧も着ていながら、ほとんど足音を立てずに駆け抜ける。
「罠をかわされた……?」
重なって倒れていた兵士の下からセーラー服の和風美少女がはいでてくる。
アレッサはその横を土砂走行で加速しながら駆け抜ける。
「大戦では諜報の要となり、私の母も『第四の三巨頭』と認めていた騎士だからな!」
何人いるんだ第四の三巨頭。
「だからシュタルガは最初に買収した! 烈風斬! 話し合う気はないのかバウルカット?!」
異世界に来たばかりの加墨にもアレッサの交渉手順は疑問だった。
若いころのバウルカットは気さくな男だった。
父親の先代『洞の聖騎士』は邪鬼魔王との交渉役で、魔王時代に反魔王連合の戦力を維持した功労者。
でも新たな聖魔大戦の機運が高まると邪鬼王との親交を非難され、バウルカットも能力・功績・家柄で確実だったはずの聖騎士になるのが遅れた。
その間に三巨頭が活躍を重ねてしまう。
バウルカットは表では気さくに見せたまま、裏では他人の失敗を広げて自分の地位を上げるようになる。
シュタルガはその動きを見透かして騎士団の切り崩しに使い、戦後は放り捨てた。
それからはもう、開き直って手を汚し続ける今のバウルカットだ。
「なにが悪い?! 私は現実主義者だ。つかみどころのないきれいごとなどにとらわれず、実利をあげて将来に備える。それこそが社会的に正しい、上に立つ者にふさわしい正義だ! なにが臆病者だ?! 現実と向き合えない、自らの臆病さも認められない自称勇者どもよりはよほどマシだ!」
「うむ。母が貴様などを評価していた理由がずっとわからなかったが、私にもようやくわかってきた」
「評価?! う、うそをつけ! 三巨頭などと呼ばれたやつらは私を裏方として便利に使いたおしただけで、功績もすべて……」
「三巨頭はみんな空気を読めない変人で、諜報活動に肝要な忍耐が足りないとも自覚していた。頼りにしていた貴様を狙われないように扱っていたが、妖鬼魔王にだけは見抜かれてしまったのだ」
「……だ、だがリューリッサは私を避け、食事の誘いもことごとく断られ……」
「いや、社交辞令と思って遠慮しただけで、うれしかったようだが?」
「え」
「貴様には交際相手がいたのだろう? 行きつけの店でいつも会うグラマーな女性がいると……」
「それはそういういかがわしい店の女だ?! やはり私をこけに……」
「いや、かたくるしい男が苦手という母の好みには合っている」
「え」
「父との見合いも、カツラがずれた事故をごまかすジョークにときめいたというのだが、父もそれだけはかたくなに教えてくれなくて……いったい、どのような……」
バウルカットはいつの間にか足を止めてふり向いていた。
アレッサが剣も抜かずにまじめに考えこむ横顔を呆然と見つめた。
「……バウルカット、なにか心当たりはないか?」
「…………ばかあああああ!!」
中年男が半泣きで絶叫しながら駆け逃げ、アレッサもびくりと驚いたあとで追う。
「す、すまない! 失言があったなら謝る……戦闘もまじめにやるから待ってくれ!」
しばらく走って距離をはなされ、アレッサは土砂走行を使えばよかったことに気がつく。
「来るなあ! それ以上に近寄れば私の切り札『愚者の勲章』を使う! お前なんか嫌いだ! お前の母親も! 芸風がボケならなにを言っても許されると思うなよ?!」
数十メートルほど先の暗闇から声が響く。
「つまりこの距離で射撃戦か」
「なぜその解釈になる?! ……それに私にはもう、烈風斬など通じない」
「ではやはり直接に剣で」
「近寄るなと言っているだろう?! この魔法を発動させれば貴様とて私には逆らえなくなる……なんで止まらん?! バカ! ボケ! 貧乳!」
「貴様はもっとウソがうまかったはずだ」
アレッサはゴテゴテした金色の勲章を投げつけられ、ようやく足を止める。
「これは身につけていなければ『偉く見える』効果を発動できないはず……?」
バウルカットは通路の先で壁にすがり、片腕には青黒い肉鞭がからみついて同化をはじめていた。
「邪神の意識が伝わってくる……貴様をこんなものに飲みこませてたまるか。頭いっぱいにきれいごとを詰めこんだ貴様をたたきつぶして泣きつかせるから意味があるのだ。こんな意識に同化させるなど……やはり人気があるなアレッサ……逃げろアレッサ。貴様は邪神に好かれている……いや、これは私がつながった影響か?」
バウルカットは表情がだんだんとうつろになって引っぱられていたけど、不意に自分の足へ剣を突き刺して床に固定する。
「魔竜以外ではどうにもならん……魔竜を……焼きつくせる大きさの内に……世界が滅ぶ……」
アレッサは勲章をひろって後退をはじめる。
「もしその同化が解けるものなら、今度こそ魔法をつくして決着をつけよう。それまでこれは預かる!」
バウルカットの背後に巨大な肉塊がせまっていた。
「バカ……ボケ……条件が『軽蔑』では貴様を相手に発動できるわけがない……」
防壁真北の盗掘砦にある会議場ではダイカとキラティカが騎士団兵士に囲まれて居づらそうにマスクメロンを丸かじりしていた。
「南側で不審な報告が続き、カメラも落とされています。もしクアメインの報告どおりの進行速度だとすれば……日がわりの細菌兵器をばらまいた邪竜より早く世界を滅ぼせそうですね」
騎士団の頭脳ことニューノは柔らかい表情も見せるようになり、大人びた印象になっていた。
「言いくるめられるやつは片っぱしから北へ逃がしていたが、運がよかったようだな。周辺国がアホなちょっかいを出す可能性は?」
清之助は少女型狂犬に襲われた砂まみれのまま作戦地図を指し、騎士団兵士にコマを配置させる。
「竜たちがにらみをきかせておる。よほど戦局がかたむかぬ限り問題ない。留守の黄金山脈はラウネラトラどのが樹人を説得して配置してくれておる」
ロックルフは怪しい部下たちをひっきりなしに出入りさせて耳打ちで報告を受けていた。
「かつて竜に国を焼かれ、報復に竜の巣を半壊させた樹人が、今は竜の巣に共棲ですか。時代が変われば変わるものですなあ。私も人のことは言えませんが。ガフュフュフュ!」
スーツ姿の直立妖獣ウォクジャバは自社の販促グッズ『幼獣くん』を地図上に配置する。
狂気の生物と言われる妖獣の企業でありながら、禁断の生物兵器『餓鬼条虫』を駆除した位置の目印。
ただし子犬に似た愛らしいデザインなのに、腹を押すと鳴き声と共に口からグロい芋虫が飛び出るギミックつきで、数多くの子どもを号泣させた初期回収品の流用。
「ヤラブカばあちゃんが追加の条虫をばらまいていたみたいなんで、塔の近くは東西でも少し広がっているかもしれません……ところで豪傑鬼さんの指示はここまでガッチリ守らなくても……」
青髪ネズミ娘のホラホラさんはガッチリ縛られて吊るされていた。
「戦場で遊べそうだから乗ってやったのに、なんでこんなことに……」
やせマッチョおじさんヒギンズも作戦地図を囲んでいたけど、端でうなだれていた。
「それどうせ大戦中も言ってたぼやきだろ。そろそろ引退して種馬になってもいいころじゃないかねえ? かっこつけたがるから息苦しくなるのさ」
二番隊隊長の大柄な女騎士スコナはぶっきらぼうに言い捨てる。
「スコナさん、西砦には誰が?」
ニューノは口からとりだした『希望の金貨』を見つめていた。
「レオンタとジュリエルを置いてきた。赤巨人も豪傑鬼に寝返りなおしてからは協力的だ」
「新型邪神に探知魔法を使ったのですが、金貨の角度からするとクアメインの言ったとおりに……」
連絡を受けた西砦のレオンタたちが内部へ降りると、通路の見張りをしていた赤巨人たちはすでに青黒い肉塊にへばりつかれ、うつろな目をしていた。
その間には逆さになった恐竜人の顔や護衛神官のローブも混ぜこまれている。
幅と高さで十メートルある内部通路の奥に、醜悪な前衛芸術の山がどこまでも連なっていた。
ジュリエルは胴に巻かれたギプスを一瞬だけさわると、体格のいい兵士の胸へ背中をつける。
「手伝え!」
槍に改造してある『大物の釣竿』をすばやく振り上げてふんばると、レオンタが一気に引き上げられる。
「こら、テメーはまた後輩のくせに……あぎが?!」
階上へ放りこまれたレオンタは肩から吊っている片腕を床に打ってもだえながら、後輩の意図はわかっていて階上へ駆け出す。
「連絡……脱出の用意もじゃ! 一隊は今すぐ北へ走れ!」
気どられることなく赤巨人たちまで制していた新型邪神に対し、ジュリエルは自分が発射台と足止めにならなければ全滅すると判断していた。
あばらのギプスをおさえて顔をしかめ、部下に支えられてあぶら汗をかきながら、さらに釣竿をふるう。
ほかの兵士はジュリエルをかばって前に立ち、次々と肉鞭につながれてさらわれていた。
「その体格ならば、持ち上げて落とすだけでも大きな打撃に……副神官長様?!」
釣り針をひっかけた白ひげ赤巨人の足元にジジババ神官の顔が浮かんでいた。
ちなみにひげ巨人も族長のハウモスで、魔王配下九司令の大物だったりする。
それでもジュリエルは肉塊すべてを相手に、発動条件が『見下し』の魔法道具を光らせて振り上げる。
「邪神こそ最悪の魔物……そんなものを使うやつらも、生かす価値のない命!」
ところが持ち上がったのは赤巨人だけで、ずぼりと肉塊を抜けて床に転がる。
ジュリエルは拍子抜けして驚きながら、赤巨人の異常にすばやい起き上がりを観察する。
「こんな短時間で邪神化が感染しているのに、同化は薄い?!」
そう叫んだ時には足が肉鞭にとらわれ、部下もすべて青黒肉にのまれていた。
「こんなやつらに支配されるくらいなら……」
ジュリエルは槍を自分の喉へ向け、恐れはまったく表情に出さなかったけど、槍を持ちかえて階上に残っていた兵士へ放り投げる。
「意識が入りこんできた……体がにぶい……勝手に動く……いや、自分の意志の割合だけは動かせる……」
冷たい美貌の少女騎士は階上の兵士をにらんだまま、観察報告を続ける。
兵士は報告されたとおり、ジュリエルがゆっくりでも動かし続ける腕を確認し、さらに階上の兵士へ釣竿を渡しながら伝言する。
「部下と巨人と副神官長……近い肉体の意識が大きい。あとは憎悪の強さ? そうか。私は憎悪の大きさで強化が先に進み、支配を防ぎ……」
ジュリエルの最期の報告を聞いていた兵士にも肉鞭が射出されるけど、それは急に方向を転じ、奥の肉塊へ突き刺さる。
「動かせた……部下の『友愛』だけは強くて同化されてしまったが、その分は私も制御できる……」
少女聖騎士はひざまで青黒肉に飲まれ、顔の変色も急速に進んでいたけど、笑っていた。
「私を……二番隊をとりこんだことを後悔しろ!」
ジュリエルの叫びで周囲の兵士たちがずるずると奥の肉塊へ向きなおり、つぶやきはじめる。
「魔物……殺す……」「妻を返せ……」
ジュリエルはゆっくり歩きだす。
「もっと憎め! 望んで入った『突撃の二番隊』だろう?!」
その体は部下を吸収して豪傑鬼ほどに大きくなり、背には黒い翼が生えてくる。
襲いかかる肉鞭は方向を変えてそれ、あるいはジュリエルの手先に生えてきた鉤爪に切り散らされる。
「ここで止める! うまくいけば、こいつで……どんなやつらでも皆殺しにできる! ニューノたちが分析する時間を稼ぐんだ……伝えているか?!」
階上の兵士は青黒い女悪魔に怒鳴られ、震えながらうなずく。
ジュリエルが爪で掘削をはじめた肉塊が奥で盛り上がり、ジジババたちの姿をかたどる。
「すばらしい魔物への憎しみじゃ~!」
「だが惜しいの~! 魔物への友愛も持ち合わせておれば、我らを率いることもできたであろうに~!」
「なまじ憎悪ばかり強いために、同化が半端よの~?!」
「カミゴッド教典の慈悲と寛容の精神が足りんようじゃな~?!」
ジュリエルは足元で肉塊と同化したまま跳びあがり、ジジババたちを斬り散らす。
「誰が貴様らなどに……暴れ狂うばかりの鬼や傭兵どもであれば、そのおぞましい欲望まみれの『友愛』で支配もできただろうが……私は……故郷のみんなに夢でうなされ続ける限りは……」
ジジババの顔はふたたび現れたけど、口をパクパクするだけで顔はうつろになっていく。
かわりにひとりの騎士団兵士の体がどんどん大きくなる。
「あなたにあこがれて二番隊に入りました。その痛ましい姿に平和な世界をささげたくて……ここにはそれがあります……」
大鬼のような体格になった兵士の腕から肉鞭が何十とのびて包みかけるけど、ジュリエルはすべてを引きちぎって巨体兵士をたたきつぶす。
「その意志は魔物への憎しみに変えろ……こんなものへ飲みこまれた憎しみに!」
ジュリエルは足もとから肉塊を吸い上げ続け、最大級の巨人も超える体格になりつつある。
「わかってきた……この邪神の欠陥……『邪神の臓物』の強化も『絆の髪』の同化も速すぎて、とりこまれた意識の間で制御の綱ひきが起きている……意志によっては全体を誘導することも……神に代わって世界中の魔物を殺しつくすことも!」
不意にジュリエルの足もとに、小柄な少年が現れる。
「さすがは双璧にも認められた『沢の聖騎士』だが、哀れなものだな」
神官着に金髪のやせた顔で、静かにほほえむ。
「貴様の精神は美しいだけで、私のように弱く臆病だったのだなあ?」
ジュリエルの巨体がガクリと震えて止まり、腕と首も下がりはじめる。
「とりこまれた犬鬼の一匹がおもしろい話を知っていた。聞こえるだろう? 卑しい使い捨て兵士だが、貴様のことはその姿になる前から恐れ、憧れてもいた。見えるだろう? やつの一族は通りがかった村の人間たちに捕まり、拷問を受けながら皆殺しにされたが……」
「身におぼえのない襲撃を吐かされていた」
ジュリエルの足もとに一匹の犬鬼が立ち上がり、神官少年の言葉と重なって語りを引き継ぐ。
「村役場のやつらは自分たちでやった『口減らし』をオレたちのせいにしてやがったんだ。別にいいけどよ」
ジュリエルはぎこちない動きで犬鬼をたたきつぶす。
「オレらもほかの町は襲撃していたし、捕まれば助かるためにどんなウソでもつくし」
つぶされたはずの犬鬼の体はジュリエルの腕にめりこみ、ふくらみはじめていた。
「たまたま逃げられたオレは仲間がみんなやられた腹いせに妖獣王の幹部をそそのかして、その村を焼きつくしてやったし」
ジュリエルは自分の腕を何度も裂こうとするけど、肉を吸いこまれるばかりだった。
「ひとり生き残った村長の娘が聖騎士になって魔物を殺しまくるなんて立派だろ。オレだってそうする。というかオレはそうした」
ジュリエルの顔におびえがよぎった時には体が元の大きさにもどっていて、巨大な犬鬼の腕に肩まで飲まれていた。
神官少年の姿はいつの間にか消えていて、巨大犬鬼の顔がやせた金髪少年に変形する。
「この犬鬼は貴様を深く憎み、それ以上に親しみを……殺された親兄弟以上の『友愛』を……感じるだろう? 伝わるだろう? 正義などにすがった臆病な娘よ。私も自分によく似た貴様がかわいらしく、呪わしい……かつて神官長などと呼ばれた迷妄の魔王に従うにふさわしい……」
その声は階上まで響くけど、伝令の兵士もすでに肉鞭につながれ、うつろな顔をしていた。
その上の階の兵士も、その上の階の兵士も。
さらにその上の会議室にいたレオンタは紫コウモリを追い払って逃がす。
「報告、止まっちまったな? オレは……ジュリエルほどつっぱれそうにねえわ」
片足がすでに肉鞭に同化され、引きずられつつあった。
「だったらなんでそんなぎりぎりまで残った?」
コウモリがスコナ隊長の声で答える。
「えれえ物騒で辛気くせえ声が聞こえんだけどよ。なんかぐちぐち説教たれてるみてえなんだわ。神官長みてえに。あのクソ生意気な新人に文句たれていいのは、めんどう見てきたオレとスコナさんだけじゃねえか。気にくわねんだわ」
「無愛想でも弱音を吐かないかわいい後輩だよな。お前も暑苦しいが頼れる部下だ。報告は活かす」
「んじゃ、あとは頼まあ」
東の砦も全滅していたことをコウモリが確認した。
「問題ないです……すばらしいです……」
通信連絡へ寝ぼけたような声で答えていたのは青黒い肉塊の一部だった。
「南半分の防壁から離れ、砂漠を渡ってください。騎士団も避難に協力します」
ニューノが放送で呼びかけると、隣の子画面にピンク頭のドヤ顔が映る。
「ふっふ! そろそろ服従したくなった? もう北以外の防壁はすべて『強化神官』の部隊に制圧されているんじゃない?! あれこそは新世界で勇者の手足となる……従者……」
シャルラの嘲笑は語尾でしぼむ。
従者の姿は知らなかったらしい。
防壁北西の内部通路には照明が大量に増やされ、せまる青黒い巨大肉塊が遠くからも見えるようになっていた。
子画面に映された邪神は落とされた鉄格子にぶちあたると少しだけ引き返し、飛び上がって鋼鉄を引きちぎり、その勢いで何十メートルも離れていたカメラまで一気に飲みこむ。
最後の一瞬、青黒肉の表面に浮かぶたくさんの顔を確認できた。
「体積に限度がない『暗黒の聖母』です。統合されている意識の構成によっては運動性能がどこまで上がるかもわかりません。そしてその集合意識はきわめて不安定な上に憎悪ばかり強く、すでに誰にも制御できないはずです」
ニューノがモニターごしにシャルラをにらむ。
「自称反魔王連合のみなさんも、邪神暴走の阻止に協力してください! あなたがたは自分たちで選んだものだけ別の世界へ持っていこうとしているのでしょうが、この世界のすべてが邪神に飲まれようとしているんです!」
シャルラは青くなり、モニターをきってしまった。
代わりに、真っ暗になった砦内通路の子画面からくぐもった声が響いた。
「制御であれば問題ない。私が、我々が、意識をつなげて操っている。望む世界を創ろうとしている。我々の弱さ醜さ臆病さが貴様らすべてを飲みこみたいと願っている」
真っ黒い画面にみおぼえのある顔がひとつだけ浮かぶ。
「救ってみろ。勇者を自称する者ども。それを信じ支えようとあがく者ども。私は、我々は、貴様らをどこまでも憎悪し、なおかつ友愛の情をもって包みこむ」
若くて髪も生えていたけど、ファイグの顔だった。
「みじめったらしく頼まれるまでもない。先に塔で待っているから早く来い」
ニューノを押しのけて清之助の笑顔が映っていた。
「俺もユキタを待たせているから急がねばな」
うさんくさい変態野郎を見てわきだす安心感がくやしい。




