いじめを考える
最近またいじめの問題がひどくなってきているようですね。
某所の中学校といい教育委員会といい、彼等に赤い血が流れているのかどうか、疑わしくなります。
どんないじめのケースにも共通する、重大な一点は「いじめるヤツが絶対に悪い」ということです。
「いやいや。いじめられる側にも相応の原因が」とかいう人が世の中にたくさんいます。
確かに、いじめられる側の人間の普段において何らかの問題が見られるケースは皆無ではないと思います。
ただし。
だからといって集団が個人を標的にして良いという道理は成立しないのです。
ここをまず考えなければならない。
集団が個人を攻撃してよいのは、その個人が集団から金銭なり権利なり立場を保証してもらっているような場合です。具体的には、総理大臣だったり知事だったり市長だったり。会社企業のトップとか経営陣については微妙なところですが、四捨五入すれば含めていいかもしれません。
いわば「ギブアンドテイク」の関係にある訳ですから、集団に対して何らかの利益なり保護をもたらすべき個人がその責任を果たしていないとすれば、攻撃されて当然です。
しかしながら、学校のいじめは違う。会社において社員間のいじめも同様です。
生徒同士にそういうギブアンドテイクの関係は存在しない。
集団が特定個人を攻撃していい法理的・道義的根拠はどこにもありません。
いじめというのは多くの場合、特定個人を攻撃することによって集団所属者が集団内における自分の立場を保全しているという安心感を得ていることにあるでしょう。
未成年にあっては、正義のいじめは存在しないのです。
特定個人を叩き続けることで自分達の連帯を維持するという、ただそれだけの自己満足。
だから、かの校長はバカですね。
集団VS個人のケンカなどはありませんよ。
ケンカというのは常に一対一の対等な条件で行われるものです。そこを外れたものはすべていじめです。
まあ、くどくどと怒りを並べるのが本旨ではありませんけれども。
教育現場においてそういう惨劇が発生する要因について、ちょっと違う角度から述べたいのです。
教師、教員、先生と呼ばれる人々。
端的にいって、この職業の人々にどうしようもない(=教育という重大な責務に対する意識が欠如)ヤツが多いんですよ。
まず、社会常識が足りない。学校という狭い社会にしか視野をむけることができない。
訓導という重大な責務よりも、待遇や報酬、見返りを重視したがる。
事なかれ主義。身を捨てて仁をなすという心を持った人がどうもいらっしゃらない。
なんでこういうことをいうのかと申しますれば、私も職種の都合上、教員どもを相手にしていたことがあるからです。ただむやみと悪口を並べているのではありません。
特に思ったのは、まあ教員センセ達はわがままで自分勝手で、世間知らずですね。
よく教育現場にいられるものだと思ったことがあります。
こんな連中が教師で、本当に子どもたちが育つのだろうか、と。
部外関係者への礼儀も配慮もわからないような人たちが何人もいるのですから、その学校でどんな問題が起こったとしても不思議ではない。教員採用試験とはそんなに楽勝なのか? とか思っちゃいますよ。実際は大変だということを聞いてますけどね。
要は、子供たちの行動を云々議論する前に、子供たちを教育する役割をもつ人々こそどうなのよ? という議論を全面的に行うべきでしょう。
ついでにいえば、親もそうです。モンスターペアレントだかいう言葉もありましたが、親の責任をどこかへなすりつけようというバカが巷に氾濫しておる訳でして。だったら子供をつくって生むなよ、といってやりたくなります。
親、そして教師。
こいつらが愚鈍愚昧である限り、日本中からいじめはなくならないでしょうね。悲しい現実ですが。
社会の責任とかよくいわれますが、その主張自体狂ってます。
まずは親、そして教師。
社会の責任を問うのはそのあとです。
そもそも、社会なんていう輪郭の不明瞭な存在に責任を求める議論こそ無意味だと思いますけど。
私が小さいころは、近くに怖い大人、怖い教師がいたものです。
悪いことをすれば雷が落ちるから、悪いことをしようと思わなくなる。
これが望ましい状態だったのだろうと、今は思えますね。
叱るという行動。
教育においてとても大事なことだと私は考えます。
いじめをなくそうというなら「遠慮なく叱る社会」をつくった方がよいのではないでしょうか。
もう一つ。
いじめられたら、やりかえしてしまってもいいと思います。
かつて、私の同級生の弟がいじめに遭いかけたそうです。
しかしその弟さん、闘志が尋常ではなかった。
いじめてきたヤツを廊下でバックドロップし、病院に送ってしまったという。
殺してはいけませんが、軽く病院に送るくらいならなんでもないでしょう。
かくいう私も小学校の時、クラスのボス格の男子を皆の面前でぶん殴りました。
反撃はよいことです。
大いに反撃してやりましょう。