魔王の誕生日
あらかじめ述べておきますが、今回は結論らしいものがないままうやむやに終わります。
それもどうかと思いますので最初に主旨をお伝えいたしますと、物語を創るうえで大事なことは
「なぜ○○があるのか」
「どうして○○ということになっているのか」
をよくよく考えておくことである、という一点です。
読もうを検索すると、これでもかとばかりに「魔王」「勇者」がごろごろ出てきます。
なぜそんなことになっているのか、私はよく知りません。
一時はモンハンや無双なんかに押され気味だったRPGが復権してきたのかな? とか勝手に想像したりしますが、恐らく違うでしょう。
魔王。
悪いヤツの象徴ですが、まあ可哀そうな方です。
これみよがしに目の敵にされ、ちょっとでも魔王を名乗ろうものなら勇者と称する職業不詳の若者に寄ってたかってボコボコにされてしまう。
しかしまあ、そういう悪質な勇者もしかり、その勇者に魔王打倒を命ずる王様もいかがなものか。
魔王が世界を滅ぼすだの世界征服をたくらんでいるだの、その情報はどこから仕入れてきたのでしょう?
ケータイもPCもない世界で、正確な情報が王様のところまで迅速に伝わるものでしょうか。相当怪しいと思います。
どこかの街の噂を兵士が耳にして、テンパって王様に報告してしまい、自分の国が獲られることを恐れた王様がそのへんにいるニートにおふれを出す。一攫千金と名誉を狙うニートは自ら「勇者」「光の戦士」を自称し、町の外に生息していてまだ何も悪いことをしていないモンスター達を無数に殺戮しつつ「レベル」なる未知の概念でしかない成長度合いを競い合う。
これがおおむね「勇者」の実情ではないかと私は勝手に思っています。
だいたい「勇者」が職業だっていう発想、どこから出来たんでしょうね?
それをいえば、現代社会においても「勇者」は無数に存在する訳でして。
自営業はいいですが、会社員=サラリーマンなんかは大変ですよ。
多くの会社員は副業を禁じられていますから、うっかり「勇者」をも職業にしようものなら、会社をクビにされてしまう。
例えば、電車の中で座っていたらお年寄りがやってきた。勇気を出して席を譲ったら
「お前、勇者だな! 副業なんかしやがって! 即刻クビだ!」
とかなるかもしれない。
勇気を出したら解雇される。恐ろしい社会だと思いませんか。
――まあ、そういう屁理屈を述べるのが主旨ではありませんのでここでやめておきますが。
さて、先述したRPGの世界に関する不合理性。
これはこれで別に文句を言う人は恐らくいないと思います。
要は自分の操るキャラクターを成長させてストーリーを進めていくのが目的であり、勇者が職業に該当するとかしないとか、そんなことをいちいち議論していてはゲームとして成立させられなくなってしまいます。例え詳細な設定をつくったにせよ、ゲームの操作性やバランスに資するものではないでしょう。
ただし、これを小説でやってしまうと、その不合理性は作品そのものの命取りになりやすい。
実例を挙げます。
こういう作品がありました。
「ある朝目覚めたら異世界にトリップしていて、目の前に王様がいた。王様は俺を勇者呼ばわりして、魔王を倒してこいと命令してきた。どうする、俺!?」
とかいうあらすじです。
率直にいいますと、多少の差異はあるにせよ、異世界トリップものは要約するとこういう作品ばっかりです。
この手の作品を書く作者の多くが若年層ということもあって致し方ないのですが、感想欄なんかでよくツッコミをくらっているのを見かけます。
「なぜこの高校生がある日突然トリップしたのか、そこをきちんと書いてほしい」
「王様が主人公を勇者呼ばわりしたのはどうして? ノリで進んでいるとしか思えず読んでいてもよくわからない」
どこかの作品の感想本文を引用した訳ではありません。
例えばこんな感じでツッコまれてますね、という意味です。
ただし、ここで考えなければいけないことは、作品の設定そのものに関わる部分を読者からツッコまれている時点で、その作品のプロットは相当脆弱である、という一点です。
だからというわけではないですが、異世界トリップというのは難しい。
現代社会のどこにでもいる人間をそのまま仮想世界で活躍させるというストーリーを構築することができるという意味では、これほど(書き手が)小説として書きやすい素材もないでしょう。わかりやすいようにもう少し説明を加えますと、主人公、そして主人公が活躍する世界、この両方を書き手の創造のままに操り、物語化していくのが容易であるということです。
これが仮に現代社会を舞台としていたらどうなるでしょう?
様々な制約なり現実的背景を描かねばならず、かつそこに魔法とか剣とか悪の存在とか、非現実的要素を織り交ぜていくのは相当骨の折れる作業です。私も経験がありますけれども、特に若年層の書き手の人たちはこの作業を嫌がるか億劫に思うでしょう。
だったら、自分が勝手に考えた世界を舞台に小説を書く方がよっぽどやりやすい。どこまでも書き手のイマジネーションさえあれば済むからです(註 ただし実際はそれほど簡単なことではないですが)。
異世界トリップものが流行る理由の一つとして考えていいと思います。
――ところが。
往々にして読み手は作品に対してより高いグレードを要求したがるものです。
書き手が「これでいいだろう」と思っていても、読み手は「これじゃ足りないよ」と言ってくる。
こうした要求を嫌って、結局小説を書かなくなる書き手はたくさんいますね。
そうです。
書き手の思いのままの世界を描くことが出来る反面、それがきちんと読み手に伝わるように、設定なり新しい事柄をその都度説明していかなければならないのです。
読み手から「わかりにくい」と苦情を言われたからと言って、わかってくれない読み手が悪い、ということにはならない。ふてくされてはいけません。
自分で創った世界ですよ?
自分が一番よく知っているはずです。
自分以外に説明できる人間はいないのですから。
小説は読み手に伝わらなければどんな作品も台無しなのです。それゆえに、異世界トリップものは難しいと先に述べたのです。
読み手から「これじゃ足りないよ」と言われなくなるためにすべきことは何か。
それは、物語の設定の一つ一つに「なぜそうなっているのか」「なぜそれが起きたのか」を考えておき、文中に少しでもいいから混ぜ込んでおくのです。
これをやると、物語にグッと深みと説得力が増します。
逆に、これがないから薄っぺらい物語だと思われてしまう。ひどい言い方をしますと、書き手の自己満足でしかないように読み手が受け取ってしまうのですね。
先述したあらすじを例にとってみますが
●なぜ、主人公がある日突然トリップしたのか?
●たくさんの人間の中から、どうしてこの主人公だったのか?
●なぜ、トリップした先に王様がいたのか?
●この王様が治める国はどれくらいの領土でそこにはどれくらいの人間が住んでいて、どうやって生計を立てているのか? その国にはどんな長所と短所があるのか? 王様の側近や家臣にはどんな人たちがいるのか?
●王様はなぜこの主人公を「勇者」だと思ったのか?
……などなど、考えることはたくさんあるのですね。
このたくさんの「なぜ」に対する答えを物語の文中に混ぜ込んでやることによって、読み手が感じる疑問やツッコミが自動的にクリアされていくのです。
読んでもクリアされないから、感想欄でツッコまれる。
また、そういう要素を書きこんでいくことで、文章にボリュームができるというやや消極的なメリットもあります。
小説というのは、書き手の思い描く世界や設定を具体的な文章によって表現するものです。
一方、読み手にはそれに対する何の情報もないのですから、読み進めていくうちに「ああそうか」と理解し納得させていかねばならないのです。好きなことを好きなように書けばいいというのが小説ではないことだけは確かです。
物語を書き進めれば書き進めるほど新たな要素が登場し、同時に説明しなければならない事柄も増えていくのです。人間関係の進行とかストーリー上の伏線など、込み入ったものにしようとすればするほど書き手が潰していかねばならない穴も多くなってくる。
この穴埋め作業を私は個人的に「もぐらたたき」と呼んでいます。
冒頭に述べた通り、そろそろ本旨が怪しくなってきましたので、ここでやめます。
まあ、あれです。
今流行の魔王を登場させるというのなら、どうしてその魔王さんがいらっしゃるのか、説明くらいは欲しいところですね。
つまり、魔王の誕生日です。
そうすると、魔王の母親もいることになるのか?
――突き詰めるとキリがありません(笑)