自分だけ、と思う前に
上手くいかなかったことがあり、それはその事柄に対する自分の考え方や向き合い方に問題があるからだと思っていました。
そんなある時、後輩と飲んでいて談たまたまその種の話に及び、後輩の言い分を聞いていた私は思わず膝を打ちました。
ああ、そう考えていたのは自分だけじゃなかったんだな、と。
何がって、恋愛の話です。
以前付き合っていた女性と別れたとき、上手くいかなかった原因は自分固有の考え方や性格に問題があったせいだろうと、ほとんど確信に近いくらい思いました。
普通の人ならこうはならなかったんじゃないか、自分だからこういう結果を招いたのではないかと、信じて疑いませんでした。別れたこと自体それほど悔いていませんでしたが、あまりの自分の不器用さや硬直しきった観念に絶望しかけたのです。
そういう自分が原因となって自分にも相手にも不幸な結果を生んでしまうくらいなら、もう二度と恋愛などするまい。固く誓いました。
――ところが。
ひょんなことから後輩はつい先日失恋した経緯について語りだしたのですが、後輩自身が考えていたこと、そしてその考えに基づいてとった行動が、妙に私の場合と符合したのです。
後輩は私より大分若く、別れたその彼女とは数年来付き合っていたそうです。
よって、状況が酷似していたというわけではありません。私は一年ほどで別れています。
それでも(男の側として)同じような考え、行動に至ったと聞き、思わず胸を撫で下ろしてしまった自分がいました。
恋愛におけるその考えや行動が何であるかを詳しく語るのが本旨ではありません。
要は、自分だけがそういうものなのだと決めつけ、落ち込んだり絶望したりしなくてもいいことがあるのだ、ということです。
失敗したり他人からダメ出しされたりすると、思わず「自分だけだな」と、落ち込むことが誰でもあると思います。気持ちが沈み込むと、どうしても自分で自分を否定してしまいそうになる。それというのは裏返しで、本当は自分を正当化したいのだとか心理面から分析する人もいますが、そういうことはどうでもよい。いちいちそんな分析を持ち出していたら、気持ちの行き場がなくなります。
成功であっても失敗であっても、それが「自分だけのことだ」と思い込む前に、他の人の色んな話に耳を傾けてみることが大切ではないでしょうか。
たとえ一致しなくとも、似たような状況が他人にもあったのだとわかれば、何かしら気持ちの中に納得できる部分が出来てくるように思います。
自分で納得できるものが少しでも得られたなら、そこからまた前を向いていけるのではないかという気がします。