任務1−3 日々
「……おぇ」
「……うぇ」
「……げぇ」
私たち三人は、足を引きずりながら店を出た。皆、顔が青ざめている。……当然だ。あんなものを食べたのだから。口の中から胃までの道が、もやもやとした重いものに包まれる。
例のケーキは確かに美味しかった。新鮮さもあったし、楽しめたのは間違いない。では何故、私達はこんな状況になっているのか?目を瞑ると、ゆっくりとさっきの出来事が脳裏に蘇る……。
注文してからしばらくたった頃に、店員さんがケーキを三人分持ってきてくれた。
緑色のクリームに飾られ、そのクリームの上には金粉が散りばめられている。かなり豪華だ。断面から子を覗かせている白玉も大きめで、食べ応えがありそう。
それでもケーキ自体のの大きさは、どこのケーキ屋さんでも見かけられる様なワンカットサイズ。これなら労せず食べられるはず。
「それじゃ、食べようか!」
佐々木君が元気よくそう言うと、私達はフォークを手に取った。
ケーキを綺麗に切り分けて、まずは一口。パクリ。
「……うん。美味しいね。抹茶のクリームとか、他にコレは……白玉だね。微妙な組み合わせに見えるけど、案外ケーキと合うね」
また一口。もう一口。ついでに一口。
私はパクパクと食べ続ける。由美も佐々木君も、美味しい美味しいとうなずきながら口へと運ぶ。
湯気が立ち上る、熱い紅茶もこのケーキによく似合う。私にはティータイムとか言うのはわからないけど、こういうものなのかな。
だが異変はすぐに起きた。
……だんだん私達のフォークを口へ運ぶ速度が落ちていく。
まだワンカットを食べきる寸前なのに。それでも、口が少しずつ拒絶反応を示していく。いや、体全体が、だ。
「ねぇ、佐々木、真美奈……私の分少し食べる?」
由美が申し訳なさそうに言った。……私も、佐々木君も首を縦には振らない。力無く、横に振るのみだ。
「それよりもさ、俺の分……巴と秋月で食べてくれないか……?このケーキ美味しいだろ?」
今度は佐々木君が弱弱しく呻く。……誰もウンともスンとも言わない。
「……ねぇ、由美。それに佐々木君。私の少し分けてあげようか……?二人とも食べ足りないよねぇ……」
食べ足りない、なんてことはあるわけない。……二人とも自分の分はもういらないと言ってるのに、何で私は勧めたりしてるんだろう……?
「この……」
「ケーキ……」
「とにかく……」
「「「あますぎる……!!!」」」
そう。このケーキは決して不味くない。見た目も良いし、楽しめる。でも、このケーキに秘められた罠。
……とにかく、甘い。甘すぎて、口に運ぶたびにとにかくモヤモヤする。甘すぎて、蟻も気づかないんじゃないかって位、甘い。
それでも、ワンカットくらいなら食べきる事はできた。このワンカットだけなら。
私達は食べきると、何だか拍子抜けしていた。確かに最初は面食らった。究極の甘さに。それでも、こうやって全部食べてしまえばなんて事無かった、という気持ちになってくる。
水を飲み、時間内に食べきったから無料だね、とお喋りしていると、店員さんが近づいてきて、こう言った。
「あ、食べ終わりましたね。では、追加の分をすぐにお持ちします」
「「「……は?」」」
カウンターの奥に、店員さんが消えていく。かと思ったら、おぼんに何かを乗せて私達のテーブルに近づいてくるではないか……。
私達の目の前にそれが置かれたとき、静寂がテーブルを包んだ。
そしてその静寂は、店員さんの一言によって破られる。
「追加の分でございます。こちらを食べ終わりましたら、またすぐに追加をお持ちいたします」
目の前のかわいい花柄のお皿には、超濃厚純和風ケーキが、ワンカットで二つ。てっきり、私は二人の分のケーキを取り間違えたのかと思い、二人の皿を見る。……二人の皿にも、私と同じ光景が。
「あ、いや……追加って……」
何事かと思い、私は店員さんに尋ねようとする。だがかすかに唇が開くだけだった。
「はい。追加でございます。これを食べきっていただきましたら、またすぐに追加を。それを食べたらまた追加を。追加するたびに、ケーキは二つずつ増えていきますので。全て時間内に食べきりましたら、無料となります。できなかった場合、3000円ずついただきます」
「ちょ、ちょい待ってください!そんなことどこにも表記されてなかったですよ!?」
私はあわてて聞いてみる。すると店員さんは考えるような仕草をし、
「ごゆっくりどうぞ」
と、笑顔を作って奥の厨房に戻ってしまった。
「あ、待ってくださいって……。どうするよ、秋月、巴」
足を交差させて、呆れたように肩を竦めると、佐々木君が私に問いかけてきた。……かっこいいかも。
しかしすぐにケーキのことで頭が埋め尽くされる。私はフォークを掴んで、じっと見つめた。……どうしよう。
「そりゃ食うしかないでしょ。……じゃなかったら一人から3000円も取られるんだから。諦める訳にはいかないわね。ほら、真美奈!食うわよぉ!」
由美が半分無理やりに自分の口にケーキを詰め込む。直後に辛そうな表情に。ああ、無理しちゃ駄目だって。
「ねぇ、佐々木君。無理に食べないでゆっくり食べようよぅ。ほら、由美に言ってやって……って……」
佐々木君にどうにかしてもらおうと思い、フォークから佐々木君に視線を移す。……佐々木君も同じだった。
ケーキにフォークを突き刺し、余った片方の手でケーキを支え、口に詰め込む。可愛らしいケーキが無残に砕け散ってゆく……。あ〜あ、もうちょっと丁寧に食べようよ。でも、そんなワイルドな姿も……。
「……むぉっ!げほっげほっ!……あぁ、今のはむせた。ほら、巴も食べろ!時間内に食べきるぞ!げほっ!」
佐々木君はぬるくなりかけた紅茶を一気に飲み干した。1つは食べきったが、それでもまだある。
緑色のケーキが、2つ目の前に。普通の女の子なら喜んで食べるだろう。でも、このケーキは違う。……ハンマーで殴られるような重たさを持つ、このケーキ。
色々と悩んだが、私も意を決してケーキを口に放り込んだ……。
足が、重い。一歩進むたびに、お腹の中がシェイクされるようで……。
「……おいしかったよな。うん」
「確かにね。でも胃が重たい……。口がねっとりするぅ〜〜……」
「私、しばらくは甘いもの要らないや……」
結局、時間内に食べきることはできなかった。制限時間を越えたころに店員さんがやって来て、私達が食べきっていないのを見届けると、うれしそうに領収証を手渡してきた。
皆、泣く泣くお財布を開けてお金を支払う。一回のおやつでこんなにお金を使うなんて、こんなケーキだったとは、と各自悔しがるが後の祭り。どうしようもない。
今月は節約しないと……お小遣いの日までまだまだあるしなぁ。とほほ。
皆で今日の戦果について色々と語り合いながら家路へと向かう。
夕日が田んぼの水面に反射する。そのオレンジ色の光を浴びながら、私たちはあぜ道をテクテクと歩き続ける。蛙や虫たちの合唱がBGM。……やっぱりこういうのは何だか心地よい。
……私が生まれてくる、ほんの少し前、世界全てを巻き込む大きな戦争があったらしい。それこそ、人類の全てを尽くしたかのような大きな戦争。……最終戦争。人々は死に絶え、国はほとんどが滅び、そして人の心に暗闇を植えつけた。
殺し合い、いがみ合い……。世界中の何処も同じ状況なのだ、と先生は言う。たまたま私が住んでいる区域が平和なだけで、ここから足を踏み出せばもう戦場なのだ。
……だからまだ、心の闇は、人の心の奥底に根付いている。私はそれをいつも実感してるはずだ。そう、いつも……。
私は家に帰りたくない。あんな真っ黒い心を見せ付けられたくない。私は普通に生活してきただけなのに。……私は友達と、こうしてふざけ合っていたい。家に一生帰りたくない。でも、それは無理なことで……。
そんな事を考え、赤く染まった空を見上げながら歩いた。
その内にあぜ道が十字になった。由美は、私と佐々木君との家とは違う方向なので、ここでお別れだ。
「それじゃあね〜!」
由美が手を振って、夕日に向かって走り出す。私たちは、その後ろ姿が見えなくなるまで手を振り続けていた。
「んじゃ、後はまっすぐ家に帰るとしようぜ」
佐々木君が軽く欠伸をしながら歩を進める。私もその後ろをとことこ付いていく。由美が居なくなって、少し静かでさびしい気がしたが、同時に佐々木君と二人きりになれて嬉しくも感じた。
道中での話題は他愛もない話。いつも日常で交わすような会話ばかりだったけど、そのどれもが今は特別に輝いているようだった。
「そこでさぁ〜、タウロスが2番コーナーから切り替えればよかったのに……おかげで俺の掛け金は全部、姉貴と兄貴に消えちまってよ〜」
「あはは。それなら私、佐々木君に勝った事になるね。私はロベが2番コーナーに切り替えるって確信してたもん」
「そうそう!ロベのあのパワーとスピードがさ〜。ホント、しばらくは節約生活だぜ……」
そうやっている内に、私の家が見えてきた。夕日を照り返して、白い屋根がまぶしく光っている。あまり大きくも、小さくもない家。庭には花壇と犬小屋があるだけの、どこにでもある普通の家。
「それじゃね、佐々木君。また明日〜!」
「おぅ。んじゃな」
佐々木君は右手をポケットに突っ込み、片方の手で私に向かって手を振る。私も、力強く振り替えしてあげた。
佐々木君が視界から消えたのを確認すると、私はドアノブを回してひっぱり、中に入る。
「ただいま〜」
しばらくすると、弟の広大が出迎えてきてくれた。
「あ、姉ちゃん。丁度良いところに。宿題わかんないとこ、あるんだよ。教えてくれよ〜」
広大はせかす様に言う。私はハイハイと生返事をして、自室に向かった。だが、広大が私の行き先を阻むように目の前に立ちはだかる。
どうしても、この先へ進ませてくれるつもりは無いようだ。
「お願いだからさ〜。どうしても解けないんだよ〜」
「それ位、自分でやりなさいな。私は自力で解いていたわよ」
目の前に大きく足を踏み出す。しかし広大は、一歩も退こうとしなかった。
「でも〜」
「いいから」
「でも〜」
「自分で解きなって」
「でも〜」
……しょうがない。こうやって押し問答している時間を、広大の勉強に使ってあげたほうが何倍もマシだろう。私はため息を付いて、肩をすくめて見せた。
いつもこうなるのだ。結局負けちゃって、勉強を教えることになる。
でも、弟と勉強するのも、つまらない訳じゃない。
「ハイハイ。わかったわよ。ちゃちゃっと終わらせるから。さ、どこ?」
「そうこなくっちゃ!」
広大の目がパァッと光り輝く。元気な奴だ。……来年から中学生だというのに、まだ姉に頼りきっていて良いのだろうか……。
私は二階にある広大の部屋へ向かう。木製の階段が、ミシミシと音を立てた。もう何十年も建っている家だ。壁紙が剥がれている場所もあるし、床が抜けそうな場所もある。結構、オンボロなのだ。
それでも、あの最終戦争を耐え抜いた、立派な家だ。誰もぞんざいに扱ったりはしない。私たち一家の身を守ってくれた、大切な家なのだから。
「……それでここに、さっき求めた答えを当てはめる、と。ほら、どうよ?」
「え〜と……ここの答えがここに来るんだから……あ、出来た!」
私の変な能力。これを使えばどんな問題もへっちゃらよ!当然、ただの勘だという可能性も捨てきれないけど。
窓にか視線を移す。
外は暗くなりかけ、空の向こうには夜の闇が降りてきている。あと1時間もすれば、この辺りは暗くなるだろう。
「んじゃ、終わったから私は部屋に戻るよ」
広大を部屋に残し、私は自室へ戻るべく階段を下りた。途中、小腹が空いているのに気づき、何かつまんでから部屋に戻ろうと考える。
階段を下りて、すぐ脇にあるドアを開ける。
そこは台所。戸棚を開け、中を漁ってみた。お饅頭、お煎餅、芋羊羹……お茶菓子ばっかり。
「もうちょい、甘いお菓子とか無いかな〜?」
そういえば、帰ってくる前にケーキを食べたばっかりだっけか……まぁいいや。
しばらくゴソゴソとしていると、奥の方からミルクチョコレートの袋が出てきた。封は切っていない。新品だ。
「やった〜。じゃ、これを食べながら本でも読むかな〜」
チョコの袋を服の中に隠す。戸棚から頭を引っ込め、バタンと強い音を立てながら閉めた。
私はゆっくり立ち上がり、台所を出ようとドアの方へ振り返る。
その時、私は服の中に入れておいたチョコの袋を落としてしまった。……拾おうとはしない。
だって私の全神経は、目の前の人に向けられていたから。
「……お帰り。お母さん……」
お母さんは何も言わずに私の足元を見つめている。そこにあるのは、さっきのチョコ。
「あ、これはね……ちょっとお腹が空いて、それで」
言葉を紡ごうとした時、私の左頬に鈍い痛みが走った。何が起こったのか理解できぬまま、私は床に崩れ落ちる。
「またあんたはっ!勝手に漁らないでちょうだい!言ったでしょう!?あんただけはこの台所に二度と入るんじゃないって!」
お母さんがヒステリックな声を上げて叫ぶ。私はすぐに立ち上がり、謝った。
「ご、ごめんなさい!ごめんなさい!ごめんなさい!」
今度は頭の上に重い衝撃。……拳骨だ。それも思いっきり殴ったようで……。痛い。
「いつもそうやって適当に謝るだけで!どうせ家に帰ってくるなり、そうやって意地汚い真似を晒していたんでしょ?」
「違うよ、広大に勉強を教えていたんだよ……。ここでおやつを探したのは、ついさっきの事で……うぐっ!?」
胸に何かを捻じ込まれるような感触。…ああ、今度は鳩尾を殴られたんだ。痛い、痛い……。
両手で胸を押さえる。すると私は腰を引っ込めて、前かがみになったような体勢になった。
今度は蹴られた。思いっきり、足や腰を蹴られた。とても、痛くて、痛くて、床にまた崩れ落ちる。
「……もういつもの言い訳は聞き飽きた!広大に勉強を教えた、ですって!?そうやって私の事を見下してるの!?実の親を!あんただけが勉強教えられるからって、そんなに調子に乗るな!いつも私のことを、頭が悪い馬鹿だと言ってるんでしょう!?そうでしょう!?」
「違うよ……!違うよ……!お母さんのことを馬鹿になんかしてない!調子になんか乗ってない!ほんとだよ……!」
お母さんは狂った様に私を蹴りつける。私は頭を抱えてうずくまるだけ。
怒声を張り上げ、踵で、
しばらくして、お母さんは蹴るのをやめた。そして、今までとは違う、冷静な声で話しかけてきた。……でも、その奥にある本性を、私は知っている。
「あんたはここに帰ってきたのは何時?」
私は恐る恐る顔を上げ、震える体を無理やり押さえつけた。
「えっと……6時頃には……」
「何をしてたの!?」
「交差点のところの……ケーキ屋さんで、」
瞬間、目の前が真っ暗になる。続いて、なにかが割れるような音と、頭にひどい痛みを感じた。
……硬く瞑っていた目を開けると、目の前にはバラバラに砕け散った大きなお皿の残骸。これを頭に投げつけられたんだ……。痛い、痛い、痛い、痛い……!!
「うああぁぁぁあああぁぁ!!無能な私を見下すな!調子に乗るな!っおおぁあああ!」
もう私が何を言おうと関係なかった。
お母さんは、私のことが憎いのだ。……言葉で表すことが出来ないくらい。もし出来るのなら、どれほどの紙に雑言罵詈を書き連ねれば足りるのだろう。
「はぁっ!はぁっ!……それ、片付けなさいよ!」
お母さんはもう一度私を踏みつけると、台所から出て行った。
……私は粉々になったお皿にまみれて、泣いている。……痛い、痛い、痛い……。