E.L.F.『星間外交秘録』――黄金を捧ぐ者――
宇宙で最も美しい種族に生まれた者には、果たすべき責任がある。
リュシエルは鏡の前で、黄金の髪を肩へ流した。白い肌を縁取る長い耳も、仕立てのよい礼服も申し分ない。顎の角度を確かめ、満足して頷く。
これなら、この星の者たちにも安心してもらえるだろう。
そうして訪れた代表府で、彼は門前払いを食らった。
「頭を清潔にしてから、もう一度お越しください」
耳元の翻訳機は正常だった。
「失礼。私はエルフです」
「はい」
「宇宙で最も美しい種族です」
「種族を問わず、皆様にお願いしております」
受付係は丁寧だった。硬い甲殻に包まれた丸い胴体で、太い触角を揺らしている。
リュシエルも、その6本の脚を見つめないよう努めた。異なる姿への敬意は、親善使節に欠かせない。
彼の所属するE.L.F.――Evolutionary Lifeform Federation、進化生命体連邦は、この星との友好を目指していた。
明日は上官が使節団を率いて到着する。今日の面会は、その下準備だ。
代表と並んだ公式写真が、いずれ教科書に載る可能性もある。そのために、今朝も1時間かけて髪を整えてきたのだ。
「身支度に不足があるとは思えないのですが」
「ええ。ただ、その、頭のカビが」
リュシエルは金髪へ手をやった。
「……これですか?」
「はい。ずいぶん密生しているので」
カビの密生。
一族の詩人は、これを黄金の滝と呼んだ。
「これは頭髪です。私の体から生えているものです」
「それは分かります。ですから、頭をきれいにしていただきたいのです」
話は通じていた。話だけは。
受付係は近くの美容店を教えてくれた。身なりを整えれば、予定どおり面会できるという。
上官からも、現地の礼節を尊重するよう言われている。美を扱う職人なら、この髪の価値も分かるだろう。
通りへ出ると、子供がこちらを指差した。
「あいつ、あたまにカビはえてる!」
「指を差さないの。ああなりたくなかったら、ちゃんと洗いなさい」
毎朝、湯温を確かめて頭皮を洗い、髪を何束にも分けてすすぎ、柔らかな布で水気を取っている。
その1時間が、よその星では親から子への戒めになっていた。
◆
「代表府の方に、ご紹介いただきました」
「あそこはねぇ、困ると何でもうちへ回すんですよ」
ゴロと名乗った店主は、4本の脚で体を支え、残る2本で客の頭を調べ始めた。
「あらぁ、これはまた。ずいぶん育てちゃいましたねぇ」
「私はエルフです。宇宙で最も美しい種族です」
「役所には、そうおっしゃってるそうですねぇ」
微笑みを保つため、頬へ少し力を込めた。
「この黄金の髪。この透き通る肌」
「その黄ばんだのは、いつ頃からです?」
「生まれたときからです。一族に代々受け継がれてきたものです」
「ご家族も、皆さん?」
「ええ。母も、美しい黄金の髪を……」
「……お母様も。そうですかぁ」
一族ごと同情された。
「カビではありませんからね」
「ええ。そちらではカミと呼ぶんですねぇ」
ゴロは壁を指した。艶々した甲殻生物の写真が、2枚並んでいる。
「施術前と施術後です」
どちらも丸く、どちらも硬そうで、どちらにも脚が多い。
「……なるほど」
「分かります?」
「もちろんです」
分からない。
「ほう。どのあたりが?」
「全体的に……シャープになってますね」
店主の触角が、うれしそうに開いた。
「分かってくださるお客さんは久しぶりですよ」
「美に妥協は禁物ですからね」
「ええ、まったくです」
初めて意見が合った。リュシエルは少しだけ肩の力を抜いた。
「日頃はどんなお手入れを?」
「毎日洗い、専用の油と栄養を、毛先まで丁寧に」
「ずいぶん大事に育てていらっしゃる」
「清潔にしていると、申し上げているのです」
「ええ。ただ、この星の者には、カビに見えるんですよ。お手入れの具合までは分かりませんからねぇ」
壁の写真へ目を戻す。施術後の殻には、照明の白い光が映っていた。艶を出す腕は確かなのかもしれない。
「では、この星の方々にも、不潔に見えない仕上がりに」
「この写真と同じ、うちの標準仕上げでよろしいですか?」
「お任せします」
「変えてほしいところがあれば、遠慮なくおっしゃってください」
「お気遣いなく。どのような技法にも耐えうるのが、真の美です」
少し大げさだった。だが、ゴロは感心した様子だった。
「いいですねぇ、その心意気。恥はかかせませんよ」
訂正はしなかった。
天井から半球形の器具が下り、頭を覆った。リュシエルは目を閉じる。洗髪から入るのは、どこの文明も同じらしい。
シュイーンと何かが回る音がした。
顔を上げようとした途端、額を押さえられた。
「動かないでくださいね。危ないですから」
片方の前脚で押さえられているだけなのに、頭も首も動かない。ゴロはもう片方でスイッチに触れた。
「待っ――」
ずぼっ、と頭の上で何かが吸い込まれた。
「はい、お疲れさまでした」
器具が上がった。
涼しいどころか、少し寒かった。
頭に触れる。手のひらが、つるりと滑った。短い毛のざらつきさえない。
「……鏡を」
手鏡を受け取り、顔の前へ持ち上げる。
白い頭頂部に照明がくっきりと映り、長い耳だけが左右へ取り残されていた。
壁の写真と同じ艶だった。
「わ、私の髪は」
「あ、返すね」
渡された袋いっぱいの金髪が、手の震えで小刻みに揺れた。
今朝、1時間かけて整えた髪だった。袋詰めには3秒もかかっていなかった。
「大事なものだとおっしゃってましたからね。捨てずに取っておきましたよ」
「……」
「すみません。この写真と同じでいいと、おっしゃったものですから。残してほしいところが、ありました?」
あった。今となっては、たくさんあった。
リュシエルは袋を膝へ置き、息を整えた。ここで声を荒らげても、髪は戻らない。連邦の品位まで失うわけにはいかなかった。
「接着剤はありますか」
「ありますよ」
ゴロが髪をつまむ。その前脚を、リュシエルは両手で止めた。
「私がやります」
10分後、鏡の中には、頭の周囲に金色のふんどしをぶら下げた男がいた。顔は隠れるのに、頭頂部だけが堂々と照明を浴びている。
「……よろしいんじゃありませんかねぇ」
「あなたの意見は、今は求めていません」
前髪を整えると、毛束が手についてきた。頭へ戻すと、長い耳に引っかかった。
しばらく見つめてから、それを外した。
「……剝がすものを」
「ありますよ」
「貸してください。私がやります」
薬剤の使い方は、最初から最後まで聞いた。
髪を少しずつ袋へ戻す。最後のひと房を収めると、口を閉じるまでに少し時間がかかった。
頭に残った接着剤を拭き取ると、再びつるりとした頭が現れた。今度は髪へ手を伸ばさず、鏡を伏せた。
◆
ゴロは料金を受け取らず、持ち手つきの丈夫な箱をくれた。頭から生えていた頃には、必要のなかった配慮だった。
代表府へ戻ると、受付係が席を立った。
「見違えましたね! 清潔感があります」
通された部屋では、大柄な代表が、満足そうに頷いた。
「我々の礼節を尊重してくださったのですね」
「私は――」
金髪を奪われたのだ。そう説明しようとして、口を閉じた。
「あなたの誠意に敬意を表します」
リュシエルは箱を足元へ置いた。
「……相互理解こそ、我々の使命ですから」
面会は成功した。通商の予備協議も決まり、あとは公式写真を残すだけだ。
「少し、撮る範囲を狭くできますか」
画面に2人の顔が大きく映った。頭頂部の光まで鮮明になった。
「逆です。もう少し下を」
今度は2人の頭が消えた。
「これでは、誰と会ったか分かりませんね」
まったく、そのとおりだった。
元の構図へ戻してもらい、顎を引く。朝、鏡の前で確かめた角度だ。
「では、撮ります」
微笑もうとした。口の端が震え、眉が下がる。涙をこらえるほど、笑顔は引きつった。
閃光が走った。
頭頂部に反射した光が顔まで白く覆い、泣き出す寸前の表情を隠していた。
「光が強すぎましたね。もう1枚――」
「いえ、こちらで結構です」
自分の頭が、最後の尊厳を守ってくれた。
◆
宿舎へ戻り、本部の上官へ通信を入れた。画面に現れた上官は、肩の金髪を払い、そのまま固まった。
『……リュシエル、なのか?』
「はい」
短い返事が、かすかに震えた。
『君の髪は、どうした』
箱の蓋を開ける。上官の視線が、箱と部下の頭を往復した。
『誰にやられた』
「美容師です」
『……美容師?』
事情を聞くにつれ、上官は自分の金髪を胸元へ引き寄せていった。
『抵抗はしなかったのか』
「頭を押さえられました。片方の前脚で」
『片方で?』
「もう片方で、機械を操作していました」
『……恐ろしい星だ』
ようやく理解してもらえた。
『明日の訪問だが、安全が確認されるまで、いったん――』
そこへ代表府から、歓迎式典の予定表が届いた。各国代表が列席し、連邦へも中継される。見出しは『相互理解への第一歩』。
予定表を上官にも共有する。式典の直前に、美容店の予約が入っていた。
『連邦の皆様に、この星で最も美しい姿を。リュシエル様と同じお店を手配いたしました』
『断れ』
「現地の礼節を尊重するようにと、伺っております」
『限度があるだろう』
リュシエルは、自分の頭に触れた。
「どこまでなら、よろしかったのでしょう」
上官は口を開き、何も言わずに閉じた。
『……髪は、そのままにしてほしいと伝えろ』
「私の仕上がりが、大変お気に召したそうです」
『だから、私の髪は――』
リュシエルは箱の金髪を指先でそっと収め、挟まないよう、丁寧に蓋を閉じた。
上官の声が途切れる。
顔を上げると、口元にゆっくりと笑みが広がった。目は上官を見つめたまま、少しも笑っていない。
上官が椅子ごと後ろへ下がった。
「ご安心ください」
ようやく、声の震えが止まっていた。
「恥はかかせないそうです」
人によって価値観は違う。異種族なら、なおさらだ。
相互理解には、相応の代償が伴う。
ただし、自分が何を失うかまで理解してもらえるとは限らない。
最後までお付き合いいただき、感謝いたします。
異文化を理解するには、相応の代償が必要です。
私も今回、多くを学びました。……失ったものの話は、お控えください。
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皆さまの星が、私の明日を照らしてくれるでしょう。
……頭は、もう十分に輝いておりますので。




