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第8話 価(あたい)

死の淵から目覚めたキドを待っていたのは、家畜の檻ではなく、粗末ながらも「寝床」のある小屋だった。

次に目が覚めたとき、背中に伝わってきたのは固い木の感触だった。

丸太の板の上に、独特の臭いがする干し草を敷き詰めただけの代物だが、今までの泥水にまみれた檻に比べれば、ここはスイートルームだ。


「……はぁ、生きてる」


痛む体をゆっくりと起こし、あたりを見回した。

簡素な木造の小屋。右足にはずっしりと重い鉄球付きの足環が嵌められているが、両手は自由だ。不意に、左腕が小さく震えた。


(……分かってるよ。お前のおかげだってことはな)


視線を落とすと、そこには満身創痍の脳には酷なほどの長文が、びっしりと表示されていた。要約すればこうだ。

『オーク(猪貌の亜人)の言語および生活様式を、最短期間で習得してください。拒否権はありません。これは、このコミュニティ内で「有用な個体」として認識され続けるための最低条件です』


「……勘弁してくれよ。言語なんて」


ふと、疑問が浮かぶ。

見知らぬ土地の連中と、最低限の意思疎通を図るためには、どれほどの単語数が必要なんだろうか。生存に直結する約百個の単語。それが、俺の首の皮を繋ぐ唯一の武器になる。


『……懸念は不要です。キド、あなたの脳は活性化しており、記憶の定着率は通常時の400%を超えています。……それと、あなたが生きている「物理的理由」を再確認してください』


セシルの指摘に、俺は破けかけたチノパンの左ポケットを探った。

そこには、水分が抜けてしなびた一株の植物があった。青白く発光するシダ植物。


何度も食中毒を起こし、死の淵を彷徨った俺を救い続けてきた万能の薬草だ。

セシルによれば、これは解毒作用に加え、細胞の再生を促す成分、さらには体力回復も助ける希少種だという。精製すれば最高級の「ハイポーション」の主材料になる代物だ。今ではすっかり干からびているが、その薬効は失われていない。


(……こいつが、俺の命の値段だったわけか)


セシルは俺が意識を失っている間、この薬草シダの価値を利用してオークたちと「交渉」したのだ。この草の在り処を知る知的個体として、俺を保護させる。セシルの冷徹かつ完璧な外交戦略だった。


食事は一日二回。出されるのは、煮ただけのような正体不明の芋粥だ。

旨味どころか味付けもないが、喉を通るたびに「生」を実感する。

衣類は、一張羅のTシャツを失ったが、チノパンだけは生き残っている。膝から下が引きちぎられ、不恰好な半ズボンに成り下がったが、それでも俺の「下半身の尊厳」を死守してくれた。この「最強パンツ」の左ポケットが、結果として俺の命を繋ぐことになった。


(……ありがとう、セシル)


心の中で呟くと、左腕が一度、肯定するように短く震えた。

俺が意識を失い、泥のように檻の隅で転がっていた間も、彼女は休まず動き回ってくれていたのだ。


俺を生かすためにオークたちの粗野な会話を盗み聞きして言語を解析。さらに、この村が抱える「問題」を冷徹に見抜き、俺のポケットにあった薬草シダを交渉のカードとして利用した。

聞かれたことに答えるだけのデータベースじゃない。自ら考え、生存のために状況を書き換えていく「AI生命体」。俺の世界のAIとは、それこそ次元が一段も二段も違う。


(……機能を徐々に解放していると言っていたが、一体どんな仕組みなんだ?)


未知の知性に対する、感謝と、それ以上の畏怖。そんな思考に耽っていたとき、小屋のドアが静かに開いた。

そこに立っていたのは、これまでの戦士たちとは違う、少し小柄なオークだった。彼は、俺の警戒を解くようにゆっくりと言葉を紡いだ。


『……解析。……「私はジョコ。族長の補佐を務めている」……とのことです』


セシルの翻訳が画面を走る。若いのに族長補佐とは、かなりのエリートなのだろう。俺はセシルの指示に従い、覚えたての単語を振り絞った。


「……はい……よろしく、ジョコ」


カタコトだが、会話が成立した瞬間にジョコの瞳に喜びの色が走った。

彼は背後に控えていた、俺の背丈ほどもある巨大な棍棒を携えた護衛に合図を送る。ガチリ、という金属音とともに、俺の右足を繋いでいた重い足枷が外された。


「……行こう、キド。村を、見てほしい」


ジョコの言葉に従い、俺は数日ぶりに自由になった足で立ち上がった。

小屋の外に出ると、乾いた風が鼻を突く。初めて見るオークの村は、お世辞にも裕福とは言えなかった。石と泥を固めた壁と丸太屋根に枯れ草を載せただけの住居。俺の小屋がこの村の上位建築物であることがわかった。人口は80人ほどだろうか、村を行き交う彼らの体はどこか覇気を欠いていた。


「……慢性的な食糧難です」


ジョコは村人を見る俺の視線に気づいたように説明する。今は乾季で、雨季になればさらに生存は厳しくなるという。

「病も多い。……このままでは、我らは消える」


ジョコの悲痛な呟きを聞きながら、俺はセシルに問いかけた。

(おいセシル、俺が意識を失っている時、あいつらに何て言ったんだ?)


『……簡潔なキーワードのみを提示しました。「薬草」、および「自生地を知っている」の二点です。彼らにとって、その情報は部族存続のための唯一の希望として機能しています』


広場の一角には、生気ない4人のオークたちが横たわっていた。


『……翻訳。「あなたの知識を教えてほしい。そして、この村を救ってほしい」』


「……選択肢は、ないよな」

どん底の状況から、、オークたちの社会へ食い込めるか?

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