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第1話 落下

人生、何が起きるかわからない。

ましてや、家の裏庭で雑草を抜いている最中に、異世界へ飛ばされるなんて誰が想像できるだろうか。


頼れるのは、自分の腕に食らいついた「AI生命体」という得体の知れない塊だけ。

現代の常識も科学の理屈も通用しない、魔法が万物を支配する新天地。

そこで、おっさんの泥臭い経験と、進化したテクノロジーが交差する。


……まあ、まずは生き延びることから始めるとしよう。

足元の地面が、突然“沈んだ”。


「……うおっ!?」


湿った土が崩れ落ち、視界の下にぽっかりと黒い穴が開く。

反射的に後ろへ飛び退こうと手を宙に泳がせるが、空を掴むばかりで身体を支えるものは何もない。

だが、右手だけは“なにか”の感触を、強く握りしめていた。

重力が一気に身体を引きずり込み、視界が暗闇へと反転した。


ただ、家の裏に生い茂る「どくだみ」がむさくるしかったから。

それを引き抜くという、ありふれたおっさんの休日の暇つぶし。

――まさか、その香りが「日常」との境界線の香りになるなんて、夢にも思わなかった。


「……っ、カハッ……!」

背中に焼けるような衝撃が走り、肺の中の空気が一気に外へと押し出された。

激痛に顔を歪めながら目を開けるが、混乱と濃密な暗闇で何も見えない。

荒い呼吸を整え、おそるおそる上を仰ぎ見る。はるか頭上に、自分が落ちてきた穴の入り口が、ちっぽけな星型の照明となって浮かんでいた。そこから差し込む弱々しい光が、かろうじてここが地の底であることを教えてくれる。


少しずつ闇に目が慣れてくるのを待ち、恐る恐る自分の体を点検した。

全身を襲う凄まじい打撲痛。だが、幸いなことに四肢は動く。骨まではやっていないようだ。

ただ、至るところを滑落で擦りむいたらしく、破れたTシャツの隙間からじわりと血が滲み、砂利と混じって肌を刺す。


「……っ、痛てて……」

俺は顔をしかめながら、無意識に握りしめていた右手の感触に気づいた。

ぐしゃりと潰れた「どくだみ」の残骸だ。

落下の衝撃で握りつぶされた葉から、あの独特で強烈な生臭い香りが放たれ、土埃と混じって鼻の奥を突き抜ける。


俺はそれを捨てるのも忍びなく、泥だらけになったチノパンの右ポケットに無造作に突っ込んだ。

(……どくだみ、か。別名は十薬。解毒や止血の薬効があるんだっけか……)

場違いな知識が頭をよぎる。この状況で雑草の薬効を反芻している自分に自嘲気味な吐息をつきながら、俺は痛む体を引きずり、周囲の闇へと視線を走らせた。


舞い上がった土煙が視界を遮り、闇の深さをいっそう際立たせている。

ふと、ボロボロに破れたチノパンの右後ろのポケットに、硬い感触を覚えた。


(……スマホか)

長年愛用している、少し古ぼけたスマートフォン。

取り出してみると、幸いにも画面にヒビは入っていない。俺は縋るような思いでライト機能を起動させた。


だが、そこで奇妙なことが起こる。


本来なら周囲をぼんやりと照らすはずのLEDの光が、まるで何かの見えない力に吸い寄せられるように収束し、一本の鋭い「光の矢」となって闇を切り裂いたのだ。


「……なんだ、これ?」

理解を拒む光景に、思考が一時停止する。

光は散らばることなく、意思を持っているかのように一点の方向を差し示している。


一歩踏み出すごとに腰から背中へ突き抜ける鈍痛に顔をしかめた。

ズキズキと脈打つ擦り傷が、衣服と擦れるたびに火を噴くように熱い。

油の切れた機械のように軋む体を無理やり動かし、俺は吸い寄せられるように、その光が導く「何か」が待ち受ける奥底へと、引きずるような足取りで進み始めた。


一本の光の線を命綱にするようにして、洞窟状の地形を下奥へと進む。

やがて、その光の先で俺が突き当たったのは、周囲の闇よりもなお深い「漆黒」を湛えた壁だった。


それは、これまでの地肌とは明らかに異質なものだった。

黒曜石のごとく光を吸い込む巨大な鏡面。自然界には存在し得ないその人工的な質感に、肌を撫でるような根源的な恐怖がこみ上げる。


スマホが指し示す一点へと、吸い寄せられるように近づいたその時だった。


「……っ、うわ!?」

凄まじい磁力のような力に引かれ、手にしていたスマホが壁面へと叩きつけられるように張り付いた。

次の瞬間、スマホを中心に、漆黒の壁が銀色の円を描くように激しく発光する。幾何学的な紋様が奔流となって壁を駆け巡り、網膜を焼くような輝きを放ったかと思うと――。


唐突に、すべての光が消失した。


スマホのライトも、壁の輝きも、そして頭上の穴から差し込んでいた微かな希望さえも。

完全な無。音さえも吸い込まれたような闇の静寂の中で、俺は己の五感すらも信じられないほどの混乱に叩き落とされた。


どれほどの時間が過ぎただろうか。永遠にも思える静寂を破り、目の前の漆黒の壁に、ふわりと卵型の空洞が開いた。その奥から、柔らかな光が溢れ出す。


壁に張り付いていたスマホが足元に落ちた。それは重力に逆らうような不自然な動きで俺の方へと転がってくる。俺はもはや深く考えることを放棄し、導かれるままにスマホを拾い上げ、光の源へと足を踏み入れた。


そこは八畳ほどの狭い石室?だった。部屋の中央には腰ほどの高さの台座があり、その上に円柱状の光り輝く筒が鎮座している。


筒は心臓の鼓動のように、かすかに明滅していた。

声ではない。テレパシーとも違う。脳の奥を直接、微弱な電波でなぞられるような、言語化しがたい感覚。『持ち上げて』――そんな意志が、直接意識に流れ込んでくる。


俺は空いた右手で、太いペットボトルほどのサイズがあるその筒を掴み上げた、その時だった。


あの壁で感じた凄まじい吸引力が再び発生し、左手に持っていたスマホが筒へと吸い寄せられる。いや、「喰らいついた」という表現の方が正しい。二つの異質な物体は、まるで最初から一つだったかのように密着し、引き剥がすことすら叶わない。

「おいおい……勘弁してくれよ」


困惑する俺の目の前で、沈黙していたスマホがゆっくりと光を帯びた。

そこに浮かび上がったのは、OSのロゴではなく、無機質な文字列。

しかも――日本語で。

『――私を、左手にはめてください。……あなたを、保護します』


俺の心臓は警鐘を鳴らすように激しく脈打ち、本来なら叫び声を上げて逃げ出すようなパニックを起こしていた。だが、あまりに常軌を逸した光景は、脳に「情報処理のオーバーロード」を引き起こす。処理能力を超えた情報が一気に流れ込み、思考はフリーズしたPCのように完全に停止してしまった。


「……わかったよ」

俺はもはや抗うことを止め、その指示に従うべく左腕を突き出した。

すると、円柱状のデバイスは生き物のように形を変え、俺の前腕を通す広さまで滑らかに広がっていく。腕を通した瞬間、それは吸い付くようにフィットした。


重さも、違和感もない。

スマホの画面は手の甲側に回り込み、まるで無骨で巨大な腕時計のような姿でそこに鎮座した。


即座にスマホの画面が明滅し、解析結果を刻むように文字が表示される。

『あなたの個人端末より、膨大な“知識”を取得しました。私は、あなたが持ち込んだ情報を元に再構築された存在。……現在の状況に即した名称を定義するなら――“AI生命体”となります』


どこか事務的で、だが絶対的な知性を感じさせる無機質な報告。

俺にはもう、驚く気力さえ残っていなかった。極限の状況、全身を苛む傷の痛み、そしてやり場のない疲労。すべてが現実感を奪っていく。


『身体損傷を確認。治療を推奨します。……あちらの壁面を確認してください』

促されるまま視線を向けると、音もなく変化が起きた。

継ぎ目一つなかった漆黒の壁面が、まるで液体のように波打ち、内側へと深く削り取られていく。そこにはカプセルホテルの寝床を彷彿とさせる、横長の白い円柱状の空洞が口を開けていた。

『さあ、そこで横になってください。……休息が必要です』


「……ああ、そうさせてもらうよ」

導かれるまま、俺はそのカプセルの中へと軋む体をなんとか滑り込ませた。

横たわった瞬間、空間全体から不思議なほど心地よい、安らぎの波長を含んだ音が響き始める。

その音に包まれると、不思議なほど力が抜け、あんなにひどかった体の痛みも霧が晴れるように消えていく。


(……ああ、これは夢だ。きっと、どくだみを抜いている最中に居眠りでもしたんだろう……)


そんな微かな思考を最後に、深い、深い眠りの底へと沈んでいく。

その場所が、次元を越えるための「転移装置」であることなど、夢にも思わずに――。


空間そのものが歪んでいく。

視界が白に染まる。そして――世界が反転した。

ご一読いただきありがとうございます。

自分の家の裏庭で、まさかの異世界転移。

「どくだみ」の香りが漂う中で幕を閉じた日常の先に、一体何が待ち受けているのか。


一話目は、おっさんの理性がパンクし、未知の存在に身を委ねてしまう「静かなパニック」を描きました。

次話からは、いよいよ魔法の吹き荒れる異世界編に突入します。


実を言いますと、これが私にとって人生初めての小説投稿になります。

不慣れな点も多々あるかと思いますが、どうか生温かい目で見守っていただければ幸いです。


おっさんの「第二の人生」の幕開け、ぜひお付き合いください。

もし楽しんでいただけたら、ブックマークや評価などで応援していただけると非常に励みになります!

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