公国の公女が弱っているときにいつも顔だけの年下騎士が現れます
「聞いた?、トーカル麦の畑にルキシャ様が指示された草を混ぜて植えたら、害虫の被害がほとんど無くなったって!
収穫の手間も変わらないし、すごくない?!」
「そうなんだ!
長年、どの農薬もイマイチ効果が無かったのに、こんな解決方法があるなんて考えもしなかった。
さすがルキシャ様だ。トーカル公国の未来は明るいな!」
ここはわたくしの祖国。
農業が盛んなトーカル公国という国。
小さな国だけど、国の中央に位置する湖から自然の恵みをもらって様々な作物が作られているわ。
ルキシャと言うのは統治者である大公の息子で十五歳。
そして、わたくしの弟。
でも訳あって、大公一家が住む城の中では弟はだいたい女性用のドレスを着ているし、その美しい金の絹糸のような髪も長くたなびかせている。
つまり見た目だけなら、わたくしの妹。
わたくしの自慢の妹。
ルキシャはわたくしの三歳年下だけど、これまで色んな専門書などを読んでいて賢いの。
だからと言ってどこかに籠りきりというわけでもなく、仲の良い友人たちと公国内をあちこち見て回って、皆が困っていないか聞いているの。
だから公国の民の人気もとても高い。
わたくしの自慢の……、妹?、弟?
とにかく、わたくしの自慢。
ルキシャのその美貌はちょっと凄すぎると思うわ。
わたくしだってトーカルの宝石なんて呼ばれることもあるけれど、公国外から賓客が訪れた場合は皆さんルキシャに会いたがるの。
ルキシャは普段、成人するまでは公国の外の方にはお会いしないことになっているのだけど、それが却って皆さんの興味を煽るのかもしれないわ。
来賓のために開かれた舞踏会にどうしてもと乞われて出席したときの、皆の驚きようが本当に凄かった。
ルキシャは、一応ドレスではなく、男性用の装いに裾の長いローブを纏って、髪も碧の石を縫い付けた細いリボンで一つにまとめただけのシンプルな装いだったの。
でもそれがルキシャをより神話の中の人物のように見せていたと思うわ。
わたくしもルキシャも同じ碧色の瞳をしていて、一応二人セットで「公国の碧の宝石」と呼ばれているのだけど、分かっているわ、わたくしはおまけ。
ルキシャの瞳は、色だけでなく、その造形が完全に正しいの。
もう、とにかく、美しいの。神々しいの。
男性か女性かという質問すら無意味な所にルキシャの美貌はあるみたい。
その場に居た全ての人がルキシャに釘付けになっていたのよ。
涙を流している人も結構居たわ。
姉バカだと言われようと、わたくしはそれを見てとても誇らしかった。
トーカル公国の公女ルーナは、城に併設されている農業試験場の扉の前で、開いていた扉の向こう側にいる研究員たちがルキシャを褒め称えているのを聞いていた。
( ほら。やっぱり。わたくしのルキシャは凄いのよ! )
ルーナは持っていた分厚い本二冊を一度持ち直してくるっと踵を返し、もと来た道を戻って行った。
ルーナが持っていたのは、さっき研究員たちが話していた虫害に対する新しい農薬のデータが記載された資料だった。
この件は前から懸案だったためルーナも何か方策は無いかと探していたのだ。
でもルーナの出る幕は無かった。
ルキシャが既に解決済みだった。
ルーナの自慢のルキシャのお手柄だ。
ルーナはルキシャをとても可愛がっている。
もちろん喧嘩もする。
ルキシャは上からモノを言うタイプではないが、割と理詰めで話をする。
そして、それに対してルーナが感情的に怒ると、ルキシャはルーナの瞳をじっと見つめてくるのだ。
ルキシャの優れて印象的な瞳に見つめられて、折れない人間などいないのではないか。
最終的にルーナもルキシャに根負けしてしまうのだ。
もうお手上げなのだ。
ルーナは重い資料を持って一人で回廊を歩いている。
どこからかスズランのような香りが漂ってくる。
さっきまで近くにルキシャが居たのかもしれない。
ルキシャは香水をつけていないのにスズランのような香りがする。
とにかくルキシャは、体臭まで香しいと言う、超絶完璧人間なのだ。
ルーナはふいに立ち止まってしまった。
持っていた資料の本にぽたぽたと水の雫がかかる。
「雨が降ってきたのかしら?」
見上げると空には小さな白い雲がひとつだけ。
雨は降っていないようだ。
雨ではない。
ルーナの瞳から雫が落ちたのだ。
ルーナは、泣いているのだ。
ルキシャは神に愛された子供。
母である大公妃もそう言って、神の国に連れて行かれないように、古い言い伝えに基付いてルキシャに女の装いをさせている。
ルーナは……そういう特別な人間ではない。
ルキシャは本当にすごい人で、ルキシャと自分を比べるのは意味が分からないくらい。
だから嫉妬だって馬鹿馬鹿しいのだ。
でも、時々、どうしても、ルーナは自分が情けなくて、こうして悲しくなってしまう。
「……るーーなさま、ルーナ、その本重そうだな。持ってやろうか?」
ルーナは誰も居ないと思ってつい気を緩めてしまった。
なのになぜかこういうときに、迷惑にも、この護衛騎士がちょくちょく現れるのだ。
泣いていたのを見られたくなくてルーナは資料で顔を隠した。
現れた護衛騎士のアーネストはルーナとルキシャの幼馴染だ。
ルキシャとは異なるタイプだがこちらも結構見目が良い。
アーネストは特段ルーナに問いかけるでも無く、鼻歌混じりで近付いてきた。
そして、資料を一冊だけルーナの手から外して自分で持ち、ルーナに背を向けてゆっくり歩きだした。
ルーナもそれに付いて行く。
それにしても、ルーナの手から資料を取り上げるとき、ルーナの手に微かに触れたアーネストの手が少し震えていた。
ルーナはそれがちょっと可笑しくて小さく吹き出してしまった。
( 持ってやるとか偉そうに言ってて、震えてるの可笑しくない? )
「クフフッ」
「なに?、なに、今の可愛いの」
「……可愛くは……無いと思うけど……でもいいわ。可愛いでもいいわ。
わたくしは……可愛くないけど、笑い方は可愛いでいいわ」
「……」
「なんか言ってよ!、わたくしだけが変なこと言ってるじゃない」
「……だって、それ言ってるルーナが……かわい…過ぎる、から」
「!」
この顔ばかりが良い男は何を言っているのだ。
ルーナは可愛いのカテゴリーではない。
姉弟喧嘩以外なら冷静沈着。
ルーナのその吊り上がり気味の目も静かで冷たい印象を感じさせ、ルーナ自身の特性を表している。
自ら光輝くルキシャに対して、ルーナはその光に照らされて浮かび上がるような、言ってみれば地味な存在なのだ。
ルーナはそう自覚している。
でも、アーネストは気が付いている。
何でもできるルキシャだが、伸び伸びとその才能を発揮できているのは、姉のルーナが信じられないくらい高潔だからなのだ。
才媛のルーナは、だからこそ、ルキシャへの妬みや嫉みに囚われていてもおかしくない。
そしてもし、ルーナがルキシャに対する負の感情を募らせていたら、ルキシャの能力はもっとずっと萎んでいただろう。
でも、そうはなっていない。
ルーナだって色々ある。
アーネストもそれが分かっているから、何をするでも言うでもなく、こうやってルーナを構いに来ているのだ。
それでもだ。
ルーナじゃなければルキシャの姉など務まらない。
ルキシャもルーナを尊敬していることが周囲には見て取れる。
ルーナは超絶無二の人なのだ。
かっこいいのだ。
アーネストに「かわいい」と言われて思わず赤くなってしまったルーナだが、とっさに資料で顔を隠した。
ルーナは隠したつもりだった。
しかしアーネストはすらっと足が長くて背が高い。
ルーナも女性としては高身長だが、アーネストの方がより上背がある。
少し振り向いたときにルーナの頬が染まったのが見えてしまったアーネストは、心臓が止まるかというぐらいの衝撃を受けて片手で顔を覆った。
ちゃんと資料はもう片方の手で持っているので落としていない。
( いつもルーナは目茶苦茶かっこいいのに、時々死ぬほどかわいいって、もうお手上げだ! )
アーネストの心は今日もルーナでいっぱいだ。
「何よ……、ヘタレ騎士のくせに、変なこと言わないで」
アーネストはルキシャと同じ歳で現宰相の長男だ。
宰相も実直かつ冷静沈着と言われている人物で、ルーナと気が合う。
そしてアーネストは、優秀な父の後を継がないまでも、宮仕えで公国に貢献することが周囲から求められていた。
しかしアーネストは文官になるための勉強が続かず護衛騎士になったのだ。
「このヘタレめが!!」
将来文官になるための学院の入学試験に最下位で不合格だったアーネストは、普段は冷静な父から皆の前でこの言葉を掛けられた。
この日からアーネストの二つ名はヘタレになった。
アーネストは甘んじてヘタレの名を頂戴している。
努力が足りなかったのはアーネスト自らが招いたことだ。
しかし実は、アーネストは文官ではなく初めから護衛騎士を目指していたのだ。
目指したのには理由もある。
誰にも言っていない。
ルキシャだけは、何も言わないが感付いてはいるようだ。
大公の後継ぎはルキシャだ。
それを皆当然のことと捉えている。
そしてルーナは祖国トーカル公国が小国ゆえに難しい舵取りが必要なことも踏まえて、国のことをあれこれ考えている。
ルキシャもそうだがルーナも守られるだけのお姫様ではない。
だからルーナは国のために、外交的な利を求めて将来他国へ嫁ぐことを小さい頃から考えていた。
まだ、ルーナが十歳にもならない、アーネストも六、七歳の頃。
アーネストはルーナに、告白をした。
「ルーナ!、ルーナがいちばんすきだ!、け、けっこん、してく…」
「無理。わたくし他国に嫁ぐから」
あっさり振られた。
なんか最後まで言わせてもらえなかったぐらい、あっさり振られた。
思えば、十歳女子から見て七歳男子は、大人と子供、母と子ぐらいの差があると言っていい。
実際、ルーナはルキシャの第二の母ポジションにある。
アーネストはルキシャと同じ歳なのだから、そう思われても仕方がないだろう。
とにかく、フォークにも棒にもかかってくれなかった。
しかしアーネストは諦めなかった。
結婚は断られたが、それでもルーナのことをこれからも、ずっとずーーーっと好きでいるとアーネストは決めた。
『タコクニトツグ』の意味が分からなかったが、人に聞いて教えてもらい、護衛騎士になれば嫁ぐルーナに帯同して一緒に他国へ渡れる可能性があることを知った。
だから護衛騎士になることにしたのだ。
勉強は元々そんなに好きでは無かった。嫌いでも無かったのだが。
少なくともルキシャみたいに光の速さで読んだ内容を理解するような能力は無い。
アーネストはこっそり鍛え始めた。
ルキシャもドレスから着替えて体術の鍛錬に付き合ってくれた。
アーネストのそんな想いをルーナは知らない。
ただ、ルーナは自分が十歳ぐらいのときに告白されたことは、覚えて……無くも無い。
この護衛騎士、ルーナが心細いときに何故か、どこからか現れるのだ。
それでついつい昔のことを思い出してしまうこともある。
まあ……あれは、幼い頃の気の迷いみたいなものだと考えてはいるが。
そういえば、幼いアーネストは今よりもっと亜麻色の髪の癖が強くて、壁画に描かれる天の御使いみたいな少年だった。
時折、ルーナに他国からの縁談話が舞い込む。
結構良い条件の話もあった。
でも大公はルーナに無理強いはせず、ルーナの意見を尊重してくれる。
そしてそんなときルーナは、ついつい何故か、亜麻色のクルクルが頭に浮かんで断ってしまうのだ。
しかし、ルーナも十代が終わる頃までには婚約しておいた方が良いと考えている。
少なくとも、ルキシャ、本当の名はルキウスが十八歳で成人して時期大公としてのお披露目をするまでに、ルーナは身を固めなくてはならない、と。
国同士の婚姻は、相当の期間を要する。
それまであまり猶予は無いのだ。
重そうな本をそれぞれ持った回廊の二人は、アーネストが先頭、後ろはルーナでゆっくり進んだ。
アーネストは、わざわざ回廊から庭に出て噴水をぐるりと一周し、また回廊に戻った。
ルーナはなんだか、可笑しさが堪えきれなくなった。
「クッ、クフフ、フフフ」
「だからー……もう…可愛すぎるってー」
こんなキラキラした時間はもうすぐ終わりを告げるのだろう。
公女にも、顔だけの護衛騎士にも、それはよく分かっている。
それでも今、ルーナはすっかり元気になっていた。
読んで頂きありがとうございます。ルキシャを主人公にしたお話を連載で書いています。ルーナとアーネストも出てきます。良ければそちらも覗いて見て下さい。
連載のタイトル:偽りの公女は雷帝陛下の婚約者になると言ったらなるのです




