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第7話:死の商人の審判

 深夜二時。眠らぬ街サイカの喧騒も、この時間ばかりは深い闇の底へと沈んでいた。

 巨大な蒸気機関が吐き出す重低音だけが、地鳴りのように街の静寂を震わせている。


 俺とリディアは、街外れにそびえ立つ高層時計塔のさらに上――巨大な文字盤の裏側にある狭い観測テラスに身を潜めていた。吹き付ける夜風は刃物のように冷たく、俺の頬を容赦なく叩く。


「……リク、さん。ターゲットの通過予定時刻まで、あと三分です」


 隣でリディアが、囁くような声で告げた。

 彼女は既に『大陸一の狙撃手』の顔になっている。愛銃『アステリズム』を文字盤の隙間に固定し、スコープを覗き込む彼女の瞳には、一切の迷いがない。


「了解。アイリスが掴んできた情報だ、一秒の狂いもなく仕留めるぞ」


 俺は脳内の《マッピング》を広域展開する。透過マップには、複雑に入り組んだ街路が青白く浮かび上がり、その上をいくつかの『点』が動いている。だが、マップ上の座標だけが全てではない。


「……地図は嘘をつかないが、現場のコンディションはナマモノだ。リディア、あそこの路面を見てみろ。排水が漏れて凍りついてる。あそこでタイヤを撃てば、予定よりスピンの軌道が大きく外側にズレるはずだ。狙撃ポイントを三メートル手前に修正してくれ」


「了解。……修正完了。風速二、微調整アジャスト完了。なぎを待ちます」


 俺の双眼鏡が、闇の向こうから現れた二筋の光を捉えた。

 重厚なエンジン音を響かせ、漆黒の魔導車が姿を現す。黄金の天秤商会のボス、バルタザールを乗せた『動く要塞』だ。


「来たぞ。……バイクの護衛が二台、前後に。車本体の魔導シールドは優秀だが、接地面――つまりタイヤまではカバーしきれていない。リディア、準備は?」


「いつでも。あなたの眼が視ている通りに、私は引き金を引くだけです」


 リディアの指が、冷たい金属のトリガーにそっとかかる。俺は双眼鏡で車の速度と、凍った路面までの距離を秒単位で逆算する。


「……三、二、一……今だ!」


――パシィィィン!


 消音魔法を施された、乾いた銃声。


 直後、魔導車の右前輪が火花を散らして爆砕された。コントロールを失った巨躯が、俺の予測した通りに凍った路面で不格好にスピンし、逃げ場のない狭い路地の壁へと、凄まじい衝撃音と共に激突した。


「命中。……さすがだな、あんな高速移動体を正確に抜くなんて」


「当然です。リクさんのナビゲートがあれば、止まっている標的を撃つのと変わりません。……さて、不作法なネズミたちが這い出してきましたね。……清掃を始めます」


 激突した魔導車のドアが勢いよく開き、衝撃で混乱した武装私兵たちが、自動小銃を手に次々と外へ転がり出てくる。リディアはスコープから目を離さず、機械的な冷静さで次弾を装填した。


――パシュッ!


 最初の一撃が、一番に車から降りて怒鳴り散らしていたリーダー格の肩を正確に貫いた。さらに、後続の護衛バイクから飛び降りた男が物陰に隠れようとした瞬間、リディアの指先が青い魔力を帯びる。


――ヒュンッ!


 放たれた弾丸は妖精魔法――《風の導き》に誘導され、空中で緩やかな弧を描いた。それは遮蔽物であるゴミ箱の裏側を死角から回り込み、男の膝を粉砕する。


「……あ、あぎゃあああ!? どこだ、どこから撃たれてる!?」

「っ、敵だ! 散開しろ、上だ! 上にスナイパーが――」


――パシュン!


 叫び声を上げた男の口内に、音を置き去りにした一撃が吸い込まれる。


「……一人、二人。……三人。四人目は、あちらの配管の影ですね」


 リディアは事務的に呟きながら、ボルトを引き、次々と排莢はいきょうしていく。逃げ惑うネズミを一方的に狩る死神の瞳。彼女のショートヘアが、溢れ出す魔力で美しく、そして恐ろしく浮き上がっていた。


――パシュッ、パシュン!


 リズミカルに響く発砲音。


 マップ上の『赤い点』が、霧が晴れるように一つ、また一つと確実に消えていく。

 最後に残った私兵が恐怖に顔を歪ませ、命乞いをするように両手を上げたが、リディアの指先に慈悲は一滴も残っていなかった。


――パシュゥゥン!


 最後の一人が地面に沈み、路地に再び重苦しい静寂が戻る。俺は双眼鏡の焦点を、沈黙した魔導車の後部座席へと合わせた。


「……リディア、私兵は掃討完了だ。あとは車内のボスを引きずり出すだけだが……」


 俺がそう呟いた、その時だった。


「……ッ! リディア、撃つのをやめろ! 壁が来るぞ!」


 魔導車の重装甲ドアが、内側から、あり得ないほどの歪な暴力で蹴破られた。

 土煙の中から現れたのは、岩山を削り出したような巨躯を持つ男。その男が、身の丈ほどもある巨大な戦鎚を軽々とひと振りした。


――ズンッ!


 大気を震わせる衝撃波。リディアが放ったダメ押しの一撃が、着弾するより早く見えない「空気の壁」に弾かれて霧散した。


「あり得ません……。私の弾道を、ただの衝撃波で物理的に散らすなんて。あの男……『格』が違います」


「……あいつが、アイリスの言ってた用心棒か。元Aランク冒険者、『鉄殻のガロン』」


 ガロンは夜空を仰ぎ、俺たちが潜む時計塔を正確に睨みつけて不敵に笑った。

 数百メートル離れたこの塔の上にまで届く、肌を刺すような重圧。リディアが次弾を装填し、魔導ライフルの魔力充填チャージを最大まで引き上げる。


「リク、狙撃を続行します。最大出力の魔弾なら、あの男の障壁ごと――」


「待て、ダメだ!」


 俺は咄嗟にリディアの銃身を抑えた。


「今のあいつを貫くには、周囲数メートルを吹き飛ばす威力が要る。街への被害が大きすぎるし、なにより――あいつの背後を見てみろ」


 俺の視線の先。

 ガロンの背後、凍りついた路地の闇から、一筋の銀色の光が音もなく滑り込んだ。


「……邪魔。……あいつを引きずり出すのに、三秒。……あなたは、そのための、余計な障害物」


 だらりと刀を下げ、眠たげな瞳をした少女――ルナリアが、いつの間にかそこに立っていた。



 戦場に、火花が散った。

 ルナリアの神速の抜刀を、ガロンは戦鎚の柄で平然と受け止めていた。


キィィィィィィン!


 金属音が真夜中の街路に響き渡り、火花が夜の闇を明滅させる。


「ほう……。ヴァルキリアの兵か。噂以上の切れ味だが、この俺の殻を破るには研ぎが足りんな!」


「……眠い。……まだ、寝起きなの。……早く、終わらせて、プリン食べたい」


 ルナリアは抑揚のない声で呟くと、さらに加速した。


 彼女はガロンの懐へ潜り込み、重装甲の隙間を縫うように、一秒間に数回もの打撃を繰り出す。だが、ガロンの実力もまた本物だった。彼はその巨体に似合わぬ機敏さで戦鎚を操り、ルナリアの刃を全て最小限の動きで弾き返していく。


「強いな……。リディア、援護の必要は?」


「不要です。一対一の近接戦闘において、ルナリアが遅れをとるはずありませんから……。彼女、今、少しずつ相手のリズムを上げていっていますよ」


 俺は双眼鏡を固定し、固唾を呑んで見守った。


 ガロンはルナリアをわざと攻め込ませ、彼女のスタミナが切れるのを待っているように見えた。だが、それは逆だ。ルナリアが、ガロンの「防御の周期」を計測していた。


「……思ってたより、しつこい……。手抜きじゃ、プリンが、劣化しちゃう」


 ルナリアが小さく、重い溜息をついた。

 次の瞬間、彼女の纏う空気が一変した。眠たげだった瞳が、真空よりも冷たい色に沈む。


「……。本気……出す。……壊れても、返品不可」


 ルナリアの身体がブレた。

 それは加速ではない。物理的な「消失」に近い踏み込み。


「ぐっ、この……チョロチョロと!」


 ガロンが吠え、戦鎚を大きく振りかぶる。全魔力が鎚に集約され、周囲の空気が発火しそうなほど熱を帯びる。障壁を全身に展開し、ルナリアの接近を完全に封じ込めたまま、全方位へ破壊的衝撃波を放とうとする必殺の構え。


 俺は双眼鏡のピントを絞り、その刹那を見た。

 彼女は、ガロンの魔力が一点に集中する際の、コンマ数秒の「魔力回路の剥き出し」を本能で見抜いていた。


 空中で独楽のように回転するルナリア。彼女はガロンが衝撃波を放つ直前、魔力が爆発する寸前の『結節点』に、吸い込まれるように刀を滑り込ませた。


「……断絶」


バキィィィン!


 石畳を粉砕するほどの衝撃波が放たれる直前、ルナリアの刃がガロンの魔力結節点を「切断」した。

 エネルギーの奔流が逆流し、ガロンの身体を包んでいた金剛の障壁がガラスのように砕け散る。


「な……に!? この俺の防御を……魔力そのものを斬ったというのか……っ!」


「……。さようなら。……次からは、もっと質のいい依頼主を、選ぶといい」


 ルナリアの身体が、再び消えた。

 次の瞬間、彼女はガロンの背後に、最初からそこにいたかのように着地していた。


――カチリ。


 刀が鞘に収まる、静かな音。


 それと同時に、ガロンの喉元から鮮血が噴き出した。元Aランクの巨躯が、断末魔を上げる暇もなく石畳の上へと崩れ落ちる。残ったのは、折れた戦鎚が転がる虚しい音だけだった。



 魔導車の後部座席から、バルタザールが震えながら引きずり出された。


「た、助けてくれ! 金なら出す! 黄金の天秤商会の資産、全部くれてやる! だから命だけは、命だけは――!」


 地べたを這いずり、ルナリアの靴を舐めんばかりにして命乞いをする男。

 そこへ、夜の闇を裂いて優雅な、けれど死の宣告のような足音が近づいてきた。


コツ、コツ、コツ。


 ヒールの音が、バルタザールの心臓を直接踏みつけるように響く。


「……騒がしいわね。あなたの命の価値が、そんな汚い金貨の山で決まるとでも思っているのかしら?」


 ヒルデさんだった。

 彼女はシックなロングコートを翻し、冷徹な紫の瞳でバルタザールを見下ろしている。その立ち姿は、まさに闇の経済圏を統べる女王そのものだった。


「ひっ……ひぃっ……ひ、ヒルデ……! もう、二度と、二度とヴァルキリアには手を出さん! 誓う、神に誓うから助けてくれ!」


 ヒルデさんはボスの顎を靴先で無造作に持ち上げると、冷たい、凍りつくような笑みを浮かべた。


「殺すのは簡単よ。でも、私は『死体』との取引には興味がないの。……アイリス、あれを」


 影から現れたアイリスが、手元の魔導タブレットを読み上げた。


「これは、あんたが地下銀行に隠してる予備口座、商会が横流ししてる非合法兵器のリストだにゃ。……あ、ついでにあんたの故郷にいる家族の居場所も、全部マッピング済みにゃん」


 バルタザールの顔が、一気に土気色に染まった。


「……。あなたが明日、誰と会い、どの席でワインを飲むか。それも全て私の『眼』が査定済みよ」


 ヒルデさんが低い声で囁く。


「もし、二度目があったら……。あなたが築き上げた金貨の一枚、あなたが愛でる宝石の一粒、そしてあなたの血を分けた子供の指の一本に至るまで、この世から欠損させてあげるわ。……分かっているかしら?」


「わ、分かった! 誓う! 二度と近づかない、ヴァルキリアの名前も口にしない!」


 ヒルデさんは満足げに頷くと、バルタザールの顔を蔑むように蹴り飛ばした。

 それは慈悲などではなく、二度と逆らえない恐怖という名の『くさび』を打ち込む儀式だった。



 宿『白銀亭』。

 スイートルームのダイニングには、高級ワインの芳醇な香りと、甘酸っぱいベリーの香りが満ちていた。


「乾杯、リク。あなたの『眼』による完璧なナビゲートが、今夜の勝利の土台だったわ」


 ヒルデさんが優雅にグラスを持ち上げる。


「……。お疲れ様、リク。……プリン。……サイカ一番の、特濃プリン。……あむ。……生きてて、よかった」


 ルナリアは、俺が買ってきた高級プリンを、ソファで丸くなりながら夢中で頬張っている。さっきまで魔力回路を切り裂いていた死神の面影は、もはや微塵も残っていない。


「旦那ぁ! アイリスの調査も完璧だったでしょ? もっと頭なでなでしていいにゃん!」


 アイリスが俺の腕にすり寄り、喉をごろごろと鳴らす。


「ああ、お疲れ様。……リディアも、あの正確な狙撃、助かったよ。ありがとう」


 俺が声をかけると、リディアは少しだけ顔を赤らめ、ワイングラスの縁を指でなぞった。


「……。私が道に迷わなかったのは、あなたがずっと私の手を……いえ、意識を引いてくれたからです。……リク。これからも、私を導いてくださいね。……物理的にも、精神的にも」


 窓の外では、サイカの夜景が黄金色に輝いている。

 

 前世の俺が、深夜のオフィスで一人キーボードを叩きながら絶望していた午前二時。

 今は、この少し壊れた、けれど最高に頼もしい彼女たちと共に、勝利の祝杯を挙げている。


「……。さて、明日の移動ルートも、しっかりマッピングしておかないとな」


 俺は独り言を呟き、一口だけワインを口にした。

 甘酸っぱい果実の味が、異世界の夜に静かに溶けていった。

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