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第5話:黄金のサイカ、迷走のスナイパー

 巨大な蒸気機関が吐き出す白煙が、サイカの空を分厚く覆っていた。

 

 見上げるような高さのレンガ造りのビル群、複雑に絡み合う錆びついた電線。路地裏からは焦げた油とスパイスの香りが漂い、通りには最新鋭の自動小銃を肩にかけた私兵たちが、我が物顔で闊歩かっぽしている。


 ここは、世界の経済の心臓――シンラク商連合。


「……。なんだか、歩いているだけで財布の中身が吸い取られそうな街だな」


 思わず独り言が漏れる。ブラック企業で磨り潰されていた頃の俺なら、この圧倒的な熱気にあてられて、一歩踏み出す前に寝込んでいたに違いない。


 だが、今の俺の脳内には、この巨大迷路のような都市の『設計図』が、透過ホログラムのように鮮明に描き出されている。


「リク、そんなところでボサッとしてると、悪いキツネに騙されて身ぐるみ剥がされちゃうわよ?」


 ヒルデさんが艶やかな笑みを浮かべ、俺の隣で足を止めた。


 彼女は狙われている身ということもあり、今日は軍服の上からシックなロングコートを羽織っているが、その隠しきれない王者の風格が、逆に周囲の不埒な視線を吸い寄せていた。


「さあ、まずは拠点を確保しましょう。作戦会議はそれからよ」



 確保した宿『白銀亭』は、その名の通り、金銀財宝で床を埋め尽くしたかのような、実に豪華絢爛……というか、成金趣味全開のホテルだった。


 ヒルデさんはスイートルームのデスクに陣取ると、すぐさま通信機と書類の山に没頭し始めた。


「私はここで、商会の動向と最新の価格レートをチェックするわ。……リク、リディアをよろしくね。あれは私たちの『最強の矛』なんだから」


 武器商人としての顔に戻ったヒルデさんの言葉に、俺は頷くしかない。

 一方、もう一人の『最強』はといえば。


「……ふわぁ。……このソファ。……私を、ダメにする。……重力、三倍。……いや、五倍……」


 ルナリアは最高級のシルクソファに沈没し、既に半分意識を飛ばしていた。シャツは肩から大きくずれ、白く滑らかな肌が露わになっている。手元には、宿のサービスで出てきた高級フルーツの盛り合わせ。


「おい、ルナリア。一応、護衛なんだろ?」


「……。任せて。……殺気、感知してる。……窓の向こうのハトが、私のイチゴを狙ってる。……逃がさない。……瞬殺する」


 ルナリアは眠たげな赤い瞳で俺を見上げると、俺の服の裾を『くいっ』と弱々しく引いた。


「……リク。……お土産。……甘くて、口の中で、雪みたいに消えるやつ。……あと、あったかい、紅茶。……忘れたら、石になる。……私が、石になる」


「わかったわかった。……アイリス、行くぞ」


 ルナリアの指が離れる瞬間、わずかな温もりが指先に残った。それを振り払うように、俺は部屋を後にした。



「旦那ぁ! はぐれたらダメだにゃん! 迷子猫になっちゃうにゃ!」


 宿を出るなり、アイリスが俺の右腕にこれでもかと密着してきた。


 柔らかな身体の感触と、猫耳がぴこぴこと動く振動がダイレクトに伝わってくる。周囲の野郎どもの殺気立つ視線が痛い。これが前世なら、間違いなく嫉妬の罪で訴えられているところだ。


「アイリス、リディアさんの特徴をもう一度教えてくれ。俺、まだ顔を知らないんだ」


「透明感のある白い肌に、毛先がブルーのショートヘアだにゃ。あとは……トレンチコートを着て、大きな楽器ケースみたいなライフルバッグを担いでるはずだにゃん」


 俺は脳内に広がるマップを広域展開し、動体反応のフィルタリングを開始する。

 数万という『赤い点』がうごめく中、アイリスの情報に合致しそうな個体を探すが――。


「旦那ぁ! あの屋台、すっごくいい匂いがするにゃ! 旦那の奢りで一本食べるにゃ!」


「おい、仕事中だぞ! ……って、早いな!」


 結局、彼女が満足そうにハフハフと焼き魚を頬張るのを待つことになった。だが、この『無駄足』こそが、意外にも情報を運んでくる。


「もぐもぐ……ふにゃあ、幸せだにゃ。……おじさん、綺麗なエルフのお姉さんを見なかったにゃん?」


「あ? エルフの美人か? ああ、見たぜ。時計塔に行くって言いながら、逆方向に向かって、自信満々に歩いていったからな。あんな綺麗な迷子は初めて見たぜ。今どき流行らねえ、古い地図を握りしめてたな」


 店主の証言。

 次に聞いた武器屋の主人は、眉間に皺を寄せて答えた。


「ああ、あのエルフか。袋小路の突き当たりで、壁をじっと見つめながら『この道は昨日まで存在していたはずです。空間が歪んでいます』とかブツブツ言ってたな。……悪い宗教にでもハマってるのかと思ったぜ」


(……空間が歪んでいるんじゃなくて、君の認識が歪んでるんだよ、リディアさん)


 聞き込みを続けると、情報の『矛盾』はさらに酷くなっていった。


「北へ行った」という証言の直後に「南の運河で、地図を逆さまに広げて泣きそうになっていた」という情報が飛び込んでくる。


 普通なら「別人だろ」と切り捨てるところだが、ヴァルキリアのメンバーに関しては、それが『同一人物』である可能性が高いのがこの傭兵団の恐ろしいところだ。


「旦那、マップはどうだにゃ?」


「……。ちょっと待て。情報の点を繋いでみると……いた。不自然な軌跡が見えてきたぞ」


 俺は全意識を《マッピング》に集中させる。


 サイカの複雑な階層構造をレイヤーごとに剥がしていく。その中の一角――街の中央にそびえる時計塔の展望テラス。


 そこには、一箇所に留まっているわけでも、どこかへ向かっているわけでもない、奇妙な『青い点』があった。


 同じ速度で、同じ範囲を、ぐるぐると回り続けている。

 その軌跡は、まるで幾何学模様のように正確な円を描いていた。


「……アイリス、いた。時計塔のテラスだ。彼女、あそこで完全に『脱出不能な無限ループ』に陥ってる」



 時計塔のテラスは、サイカの街を一望できる絶景の場所だった。

 黄金色の夕日に照らされたその中央で、彼女は凛として立っていた。


 透き通るような白い肌、鮮やかなブルーの毛先が風に揺れるショートヘア。

 清潔感のあるトレンチコートを完璧に着こなし、背中には巨大な楽器ケースを背負っている。


 その立ち姿だけを見れば、まさに非の打ち所がない『エリートのエルフ』そのものだった。


 だが、俺たちが近づいても、彼女は微動だにしない。

 ただ、眉間に深々としわを寄せ、真剣な表情で行き止まりのフェンスを見つめている。


「……おかしいですね。私は確実に、風の動きを読み、方位磁針に従って真っ直ぐ歩いていました。なぜ、眼の前に運河ではなく、逃げ場のない鉄の壁があるのでしょうか。サイカの都市計画には、時空の歪み、あるいは高度な幻術が組み込まれている可能性があります」


 ……真顔で、とんでもないことを呟いている。


「リディアちゃーん! 迎えに来たにゃー!」


 アイリスが大きく手を振ると、彼女――リディアは、電撃に打たれたように肩を跳ねさせた。


「あ、アイリス……? な、なぜあなたがここに。……まさか、あなたもこの『動く迷宮』に捕まったのですか? 落ち着いてください、今、私が脱出ルートを再計算して……」


「違うにゃ! 旦那がリディアちゃんを見つけてくれたんだにゃん!」


 リディアの視線が、ゆっくりと俺に向いた。

 氷のように冷たく、それでいてどこか「助けて」と言いたげな、戸惑いを孕んだ美しい瞳。


「……初めまして、リディアさん。ヒルデさんに雇われた戦術指揮官のリクです。……迎えに来ました」


 俺がそう言って右手を差し出すと、リディアの『完璧なエリート』の仮面が、音を立てて崩れ去った。


「……リク、さん。あなたが、私を……? ……。実は私、少しだけ、本当にわずかばかり、道が自分を避けて通る傾向にありまして。世界が、私を拒絶しているのです。道が、信じていた道が、私の隙を見て勝手に動いて、私を裏切るのです……」


(いや、道は動かないし、裏切らないから。ただ、君が右と左を間違えてるだけだから)


 思わずツッコミたくなったが、彼女の肩が微かに震えているのを見て、俺は答えた。


「……大丈夫だ。世界は動いてないし、道も君を裏切らない。……俺の地図マッピングがあれば、君はもう二度と、孤独な迷宮に放り出されたりはしない。俺が、君の行くべき場所を完璧に指し示すから」


 その言葉を聞いた瞬間、リディアの力がふっと抜けた。

 彼女は俺の袖をギュッと掴んだまま、こくりと頷く。その白い頬がわずかに赤らんでいたのは、夕日のせいだけではないだろう。


「……よろしくお願いします。……決して、離れないでくださいね。……案内がないと、私はこの世界の果てまで、孤独に歩き続けてしまいますから」


 その時。


 俺のマップの端っこに、鮮血のように赤い、禍々しい『点』が灯った。


 三角形の先端が、壁を透過して、今まさに俺たちの頭部を真っ直ぐに捉えている。


「旦那、どうしたにゃ……?」

挿絵(By みてみん)

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