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第28話:数字と名前

 早朝。工房の前に、ジークフリートが血まみれの拳でヤセルを引きずってきた。


「終わったぞ。殺してはいない。……お前の注文通り、"退屈な方法"でな」


「拙者も手加減した! ……少しだけだが」


 エリカが小刀の血を拭いている。ちっとも手加減してなさそうだ。


「あらあら、建物が二棟ほど犠牲になったけど……許容範囲でしょう?」


 ステラが髪の煤を払いながら優雅に微笑む。


「よ、よかった……ジークフリート様のお怪我が軽くて……ひゃっ!」


 駆け寄ろうとしたニコルが盛大に転んだ。地面に突っ伏したまま、手だけが淡く光って回復魔法を放っている。器用なのか不器用なのか分からない。


(二棟。……聞かなかったことにしよう)


 拘束されたヤセルが、無機質な声で呟いた。目の下に深い隈。無精髭。だが目だけは鋭い。計算し続けている目だ。


「……非効率だ。お前たちが何をしても、このシステムは変わらない」


「壊すだけじゃ、次の日に同じものが建つ。お前の計算に足りないのは、"壊した後の設計図"だ」


 ヤセルは答えなかった。拘束された手が僅かに動く。何かを組み立てようとする技術者の癖だった。


 ヤセルの端末の最終解析で、シンラク支店長ユアンへの送金記録が出てきた。夜通しモニカが精査し、サーリムの個人口座との紐付けを完了。四発目の弾丸。

 弾は四発。七賢者会議まで、あと三時間。



 乾いた空気の匂いがした。


 七賢者会議の大広間。七つの巨大な魔導水晶が天井に浮かび、青白い光を落としている。壁には古代文字が刻まれ、石の床は足音を吸い込む。人工的な冷気が肌を撫でるが、空気そのものは張り詰めていた。インクと羊皮紙の古い匂いが、冷気の中にかすかに漂っている。

 モニカが隣に立っている。書類の束を胸に抱えたまま、微動だにしない。眼鏡のレンズに魔導水晶の光が反射していた。


(……前世のプレゼン地獄を思い出す。役員会議室、資料三十枚、質疑応答六十分。だが、あの時は失敗しても減給だった。今日失敗したら、街が燃える)


 議題は、テロ対策と軍需体制の見直し。

 だが、先に動いたのは向こうだった。


「昨夜のテロ事件は、ゼロ・ヴァスの脅威がいまだ健在であることの証明です」


 サーリム・アル=ハディード。軍拡賢者。理知的な声が、大広間に静かに響く。


「軍拡の凍結などありえません。むしろ、対テロ予算の追加配分を提案します」


 数字が並ぶ。脅威評価、抑止力計算、費用対効果。軍拡を止めた場合の損失予測まで添えてある。どれも美しく整っていた。隙のない弾幕のように、反論の余地を塞いでいく。


(正面火力が厚い。弾幕の隙がない。――だが、弾幕には必ず装填の隙間がある)


 バシールが笑顔で側面援護に入った。「ヴァルキリアの提案は参考にはなりましたが、現行体制で十分対処可能です。いやぁ、お若い方の熱意には頭が下がりますね」

 ミリアムが口を開きかけた。だが、サーリムの数字を崩す根拠がない。歯噛みするように唇を結ぶ。


(味方が釘付けにされている。ここは――モニカの出番だ)



 発言権を求めた。

 Dランクの傭兵が七賢者会議で発言する。前例はない。会議場の空気が一瞬、怪訝に揺れた。


「ほう……異例ですが、軍需局の商談相手ということで、発言を許可しましょう。短くお願いしますよ」


 サーリムの微笑み。格下の傭兵に何ができるか見てやろう、という顔だ。周囲の賢者たちからも、好奇の視線が刺さる。Dランクカードの肩書きが、この場では空気を重くしていた。

 モニカが立った。

 眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。書類の束をテーブルに置いた。乾いた紙の音が、静まり返った大広間に響く。


「では、短く。……数字だけでお話しします」


(昨夜の三発に加え、夜通しの精査でもう一発。ヤセルの端末の奥に埋もれていた送金記録が、最後の弾丸になった。――装填完了。撃て、モニカ)


 一射目。

 バシールの帳簿操作の証拠。規格外弾薬が意図的に混入され、再購入の循環が作られている構造。数字の羅列が、軍需局長の仮面を剥がしていく。

 バシールの笑顔にヒビが入った。「いやぁ……何かの間違いでしょう」。あの慇懃な声から、油の滑りが消えていた。

 賢者たちの視線が、一斉にバシールに集まった。昨日まで見向きもされなかったDランクの書類が、大広間の空気を変えている。


 二射目。

 ヤセルの端末から復元した、シンラク支店長ユアンとの取引記録。武器密輸の経路。金額。日付。すべてが線で繋がっている。

 会議場がざわめいた。賢者たちが互いの顔を見る。モニカは表情を変えない。次の書類に手を伸ばす。装填の手が、止まらない。


 三射目。

 ハーリドの偽旗作戦の通信記録。治安局の予備回線で、テロの指令が出されていた証拠。昨夜の事件はゼロ・ヴァスではなく、治安局の内部犯行だった。

 ハーリドの顔から、血の気が引いた。椅子の肘掛けを掴む指が白く強張っている。

 大広間が、息を止めた。魔導水晶の光だけが、無感情に揺れている。


(三発とも命中。だが、まだ本丸が残っている)


 モニカが最後の書類を取り出した。紙をめくる音が、薬莢が床に落ちるように硬く響いた。


「サーリム賢者」


 感情のない声。温度も抑揚もない。ただ、数字だけが載っている。モニカの指先が、書類の端をわずかに押さえた。狙いを定める、最後の一呼吸。


「あなたの個人口座に、過去二年間でシンラク商会の関連企業から、六度の送金がありました。合計額は……この数字、覚えていらっしゃいますか?」


 サーリムの表情が、初めて崩れた。あの理路整然とした顔に、亀裂が走る。


(ヘッドショット)



「……これは、国家合理化のための正当な政策協議費であり――」


 サーリムが反論を試みた。声がわずかに震えている。だが、まだ立っている。


「そもそも、本日の議題はテロ対策です。個人口座の監査は財務監察局の管轄であり、七賢者会議の審議事項ではない。手続きを無視した告発は、告発として成立しません」


 手続き論。正面から数字を否定できないなら、土俵そのものをずらす。計算ずくの男は、一発では倒れない。


 その時。

 椅子が鳴った。静かに、だが確かに。

 ダリヤが立ち上がっていた。淡々と。感情を排した、数字だけの声。


「サーリム賢者。一つ、結界の数字をお見せします」


 書類ではなかった。ダリヤが広げたのは、資源割当の完全データ。結界管理局が長年蓄積してきた、冷却結界の出力推移と軍拡予算の相関。

 ダリヤが長年、誰にも切れずに抱えてきた「爆弾」。それが今、テーブルの上に静かに置かれた。


「軍拡予算の増大に伴い、冷却結界の維持予算は年間12%ずつ削減されています。現在の出力は定格の68%」


 数字が、会議室の冷気をさらに冷たくした。


「……あと二年で維持限界を下回ります。その時、この街ごと茹で上がります。市民全員が、です」


 沈黙。七つの魔導水晶の光が、天井でわずかに揺れた。


「あなたの数字は美しい。軍拡の効率も、抑止力の計算も完璧です」


 ダリヤの声は変わらない。だが、次の一言に、初めて温度が乗った。


「……しかし、その帳簿には一行も、結界の外で死んだ子供の名前は書かれていません」


 隣で、モニカが小さく息を呑んだ。

 モニカの数字と、ダリヤの数字が重なった瞬間、会議室の空気が決定的に変わった。数字が人を殺し、数字が人を守る。同じ数字の、表と裏。


 ミリアムが立った。「……支持します。これ以上の議論は、美しくないわ」。柔らかいが、芯の通った声だった。残る賢者たちも、データの前に沈黙する。


「データは操作できる。この女たちの出した数字が正しいという保証は――」


 サーリムの最後の抵抗。だが、声にはもう力がなかった。


 オマルが発言を求めた。鍛冶ギルド工房長の、職人の手でテーブルを叩くような現場データ。工房連合が独自に集計した部品流通の記録が、モニカの帳簿分析を裏付けた。


 そして。


「……私が、運んでいました」


 サフィアが立った。声が震えている。だが、目は真っ直ぐ前を向いていた。


「シンラクの支店長に言われて。偽造部品を、工房に流していました」


 涙が頬を伝う。だが、視線は逸らさない。


「……ごめんなさい、お師匠様」


 壁際で、ローラが腕を組んでいた。目を伏せている。口角がわずかに上がっている。だが、こぶしが白くなるほど握り締められていた。


(……泣いてるのか怒ってるのか分からない顔だ。いや、両方だな)


 サフィアの涙の塩気が、乾いた会議室の空気に混じった。あの工房で崩れ落ちた背中が、今、真っ直ぐ立っている。



 採決は、静かだった。

 賢者たちが順に挙手する。魔導水晶の光が、その手を青白く照らしていた。


 サーリムとバシールの権限停止。ハーリドは偽旗の責任で拘束。ユアン・フェイロンの国外追放。

 開放型弾薬規格の試験導入が、ダリヤとミリアムの共同提案で可決された。

 サーリムの顔に、もう表情はなかった。数字の城が崩れた後の、廃墟のような無表情。


(勝った。……いや、「勝った」とは少し違う。帳簿の数字が入れ替わっただけでは、何も終わらない。ここからだ)


 会議の後。石造りの廊下で、モニカとダリヤが並んで歩いていた。俺は少し後ろを歩く。


「……遅くなりました。あの爆弾、もっと早く切るべきでした」


 ダリヤの声が、初めてわずかに揺れていた。


「いいえ。爆弾は一人では切れません。……数字だけでは、人は動きません。信頼がなければ」


 モニカが眼鏡越しに、ダリヤを見た。


「……私も最近、それを学んだばかりです」


 二人の背中が、石造りの廊下の向こうに遠ざかる。数字使いが二人並ぶと、数字の外にあるものが見えてくるらしい。


 長い一日だった。

 帳簿の数字が入れ替わっただけでは、何も終わらない。この街にはまだ、会うべき人がいる。返すべき言葉がある。


 明日。この街を発つ前に――全てを、きちんと閉じよう。

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