表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

26/30

第25話:帳簿は嘘をつかない

 商談の朝。

 モニカが書類を分類する手つきは、前世で見た監査法人の調査員を思い出させた。あの時は提出期限に追われて徹夜した書類が朝までに二回消えた。モニカなら一晩で国を三つ潰せる量の書類を仕上げるだろう。


「リクさん。本日の資料は三部構成です。第一部で提案、第二部でデータ提示、第三部で……」


「第三部で殴る、だろ?」


「品のない言い方をしないでください。第三部は"戦略的圧力の段階的適用"です」


「殴るのと何が違うんだ」


「言い方です」


 モニカの眼鏡がきらりと光った。この人、表情は鉄壁だが会話の端々にキレが出る時がある。前世の経理部のエースが、ミスを指摘する時だけ生き生きしていたのを思い出す。


「あ、あの! 私も何かお手伝いできることは……!」


 工房の入口から顔を覗かせたのは、ニコルだった。ジークフリートの護衛任務で先に庁舎に入るはずが、「モニカさんが大変そうだったので」と走ってきたらしい。

 書類の束を受け取ろうとした瞬間、案の定、足がもつれた。

 紙が、扇のように宙を舞った。


「……ニコルさん。お気持ちは嬉しいのですが、書類の並び順に意味がありますので」


 モニカの声は穏やかだった。穏やかなのに、室温が三度下がった気がする。


「……全部、やり直しです」


「ひぅぅ……嫌いにならないでくださいぃ……!」


 ニコルの目から大粒の涙が溢れる。モニカは無言で書類を拾い始めた。三十秒後には完璧な順番に再構成されていた。


(……やっぱりこの人、前世なら経理部長まで行ける器だ)



 高級な香木の匂いが、鼻腔を撫でた。


 冷却結界が二重に張られた応接室は、外の灼熱が嘘のような完璧な室温に保たれている。磨き上げられた大理石のテーブル。壁には砂漠の風景画。置かれたカップから立ち上る茶の湯気が、乱れもなく真っ直ぐに昇っている。

 前世のプレゼン前を思い出す。取引先の会議室に通された時、コーヒーの匂いと室温で相手の「格」が分かった。冷房が効きすぎている部屋ほど、居座る気がない。ここは快適すぎる。長引かせる気はある――その分だけ、こちらの提案に興味があるということだ。


「いやぁ、ヴァルキリアさん。アルマラカンでの実績は聞いておりますよ」


 軍需局長バシール・クルナズは、太い指で茶菓子を摘みながら笑った。

 ふくよかな体型。人当たりのいい笑顔。だが目の奥の温度が、笑顔と一致していない。声が暖かいのに、目が冷たい。前世ではこういう人間を「調整型」と呼んだ。自分では手を汚さず、調整の名のもとに利権を回す人種だ。


「……で、今回はルズマールに何を"売って"くださるのですか?」


 隣のモニカが、静かに提案書をテーブルに置いた。


「開放型弾薬規格の導入、整備体制の標準化、そして物流の第三者監査スキームです。弊社はアルマラカンで同様の枠組みを構築し、港湾管理局の調達効率を三十七パーセント改善しました」


 モニカの声には一切の感情がない。数字だけを並べる。それが彼女の戦い方だ。


「規格の統一……ですか。いやぁ、素晴らしいご提案ですが、現行の調達体制で十分機能しておりましてね。例外を作ると、面倒なんですよ」


(……「面倒」は本音だ。現行体制=利権構造。変えたくないだけだ)



「むしろ逆に、ヴァルキリアさんが我が軍需局の"推奨サプライヤー"として登録されてはいかがです?」


 バシールが身を乗り出した。


「通行証もランクも上がりますよ。……水の配分も、変わりますしね」


 飴と鞭。前世の悪質な元請けとそっくりだ。「うちの認定業者になれば仕事を回すよ」――その代わり、言いなりになれ。


「ありがたいお話ですが、お断りします」


 モニカが即答した。眼鏡のブリッジを中指で押し上げる。

 その仕草が出た時のモニカは、刃物を抜いた合図だ。


「……バシール局長。一つ、数字のお話をしてもよろしいですか」


「ええ、数字は大好きですよ」


「では遠慮なく」


 モニカが二枚目の書類を出した。

 昨日、カイが教えてくれた「見えない地図」。スラムの裏ルートを流れる物資の種類と量。あの子供は約束通り情報を持ってきた。水脈は掘れたか、と聞いたら「まだ途中だ」と睨まれた。取引相手として対等であろうとする子供。その情報をモニカが一晩かけて公式の帳簿データと突き合わせた結果が、この一枚に凝縮されている。


「過去二年間の弾薬調達量。公式の帳簿では規格Aが七割、規格Bが三割です」


「ええ、その通りです」


「しかし、実際に工房に届いた弾薬を分析すると――規格Aは四割。残りの三割は、規格が存在しない非公式品です」


 モニカの指が、書類の数字を一つずつ叩いた。


「帳簿上は存在しない弾薬が、二年間にわたって安定供給されている。誰かが、意図的に規格外の弾薬を流し込んでいる」


 バシールの笑顔が、ほんの一瞬だけ固まった。

 だがすぐに取り繕う。この男の表情管理は一流だ。


「いやぁ……それは現場の管理ミスでは? 砂漠の物流は複雑でしてね」


「管理ミスで、二年間、同じ比率のズレが続きますか?」


 モニカの声が、一段低くなった。


「……偶然は一度です。二度目からは、意図です」



 間。


 バシールの指が茶菓子の皿の縁をなぞっている。時間を稼いでいるのが分かった。


「もう一つ、よろしいですか」


 モニカが三枚目の書類を出した。最後のカードだ。


「先日のテロ攻撃で押収した武器を、弊社の整備士が分析しました。シリアルナンバーを照合した結果――」


 書類がバシールの前に滑る。


「ゼロ・ヴァスが使用していた旧式ライフルの製造番号が、ルズマール軍の正規在庫リストと一致しています」


 室内の空気が、凍りついた。

 冷却結界のせいではない。バシールの指が、茶碗の縁で止まった。窓の外では、相変わらず完璧な青空が広がっている。この部屋の中だけが、天気が変わった。


「テロリストが撃っていた銃は、元々この国の武器庫にあったものです」


 モニカは眼鏡越しに、真っ直ぐバシールを見据えた。


「……この国は、自分の銃で自分の民を撃っている」


 静寂。

 香木の煙だけが、何事もなかったかのように真っ直ぐ昇っていく。


 バシールは怒らなかった。

 代わりに――笑った。今度は、目まで笑っている。声と目の温度が、初めて一致した。それが一番、怖かった。


「……いやぁ。なかなか優秀な事務官をお持ちですね」


 バシールの声が、半音下がった。


「ですが、その証拠。もし外に漏れたら、この街は混乱しますよ? 国民の信頼が……」


「それは脅迫か?」


 俺が口を開いた。


「いいえ。ご忠告ですよ」


 バシールの笑顔が、仮面のように張りついたまま動かない。


「――この街の秩序を壊したいなら、どうぞ。ですが、結界が止まった時に一番先に死ぬのは、あなた方が守りたがっている"外側の人間"ですからね」


(……前世で不正を指摘した時と同じだ。「お前が騒ぐと会社が潰れるぞ」。内部告発者を黙らせる常套句。――だが俺は、もう会社員じゃない)


「忠告、感謝する」


 立ち上がった。


「……だが俺は、秩序を壊しに来たんじゃない。秩序の"形"を変えに来た」


 バシールは何も言わなかった。ただ、笑顔のまま茶を啜った。

 その手が、微かに震えていた。



 廊下に出た瞬間だった。


「見事な商談でした」


 壁にもたれた男が、爽やかな声で拍手した。

 細身の長身。整った顔立ち。商人の服に身を包み、穏やかな笑みを浮かべている。だが、目が笑っていない。

 バシールとは質が違う。あちらは声が暖かく目が冷たかった。こいつは全身が笑顔で覆われているのに、目の奥だけに底なしの暗さがある。


「ユアン・フェイロン。シンラク商会ルズマール支店長です。お噂はかねがね」


 名前だけで分かる。こいつが、アームズ・サイクルのルズマール側の窓口だ。


「……ですが、"均衡"を壊した後の責任は誰が取るのでしょうね? アルマラカンのダーリヤさんも、お元気にしていますか?」


 あの余裕は追い詰められた人間の顔じゃない。まだ手札があるやつの笑顔だ。


「元気だよ。お前の商会が首輪を外された後もな」


「それは何よりです。……契約は契約ですからね。どこの国であろうと」


 すれ違った。背中に、温度のない視線を感じる。廊下に漂う消毒液の匂いが、急に冷たく感じた。

 アルマラカンのダーリヤとは違う種類の敵だ。あちらは市場に巣食う蜘蛛だった。こいつは――市場そのものを設計する蜘蛛だ。


「――リク」


 廊下の角から、ジークフリートが現れた。バシールの護衛任務で軍需局に来ていたらしい。腕組みしたまま、俺たちが出てきた部屋の方を顎で示す。


「あの男……笑顔の裏に人を道具にする匂いがする。お前の戦い方で追い詰められるのか?」


「数字で追い詰める。お前の拳では壊せない相手だ」


「フン。壊せない相手はいない。――だが、今は見物してやろう」


「お前に見物されると、審査員がいるプレゼンみたいで胃に来るんだが」


「知らん。腹の管理は自分でしろ」



 屋上。


 砂漠に沈む夕日が、世界を赤く染めていた。熱風が頬を焼く。応接室の完璧な室温が、すでに遠い記憶のように感じる。

 結界の青い膜の向こうに、スラムの灯りが瞬いている。あの灯りの下にカイがいる。水脈を掘り当てた子供たちが、今夜は少しだけ多く水を飲めているかもしれない。


 自分の銃で自分の民を撃つ国。

 帳簿を操作して利権を回す男。笑顔で「秩序」を盾にする脅迫。そして――笑顔の裏で、市場そのものを設計する蜘蛛。


 この街の帳簿は、二つの嘘をついていた。

 一つは弾薬の数。帳簿の数字と現場の弾が合わない。

 もう一つは弾の出処。この国の武器庫から、この国を脅かす者の手に銃が渡っている。


 病巣は、想像以上に深い。


 だが、数字は嘘をつかなかった。

 モニカの弾が、確実に一発、バシールに刺さった。あの手の震えが証拠だ。


 明日。カイに約束した「もう一度来る」を果たす。

 帳簿が映さない「もう一つの地図」の持ち主たちに――会いに行く。


 結界の内側では、まだ涼しい風が吹いている。

 この風が止まらぬうちに、この街の形を変えなければならない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ