表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/30

第23話:道具を泣かせるな

 オイルと、涙の塩気が混じった空気。


 ローラの工房には、いつも鉄と油脂の匂いが染み付いている。だが今朝は、そこに異質なものが混じっていた。人間の体温が滲み出すような、生ぬるい湿気。誰かが長い時間泣いた後に残る、あの重い空気だ。


 制御塔から戻ってひと眠りし、目を覚ましたのは昼過ぎだった。隣のベッドではリディアがアステリズムを抱き枕にして平和に寝息を立てていたが、工房の方から声が聞こえた。怒鳴り声ではない。それよりもっと、重い声だ。


 モニカに促されて工房を覗くと、そこには予想通りの光景が広がっていた。


「……もう一回だけ聞く。この部品、誰に渡された」


 ローラが作業台に腰を下ろし、油まみれの手で小さな金属片を転がしていた。

 その向かいに、壁に背をつけて立つサフィアの姿。


 桃色の髪を無造作に束ねた少女は、顔を伏せたまま唇を噛んでいた。ダボダボの作業つなぎの裾が、小刻みに震えている。


「……知らない。勝手に混じってただけ」


「嘘をつくな」


 ローラの声は、怒鳴り声ではなかった。

 むしろ静かだ。だからこそ、その低音は工房の壁に反射して、骨まで響く。


「シンラク製の偽造部品が『勝手に』入り込むかよ。しかも、あたしの目を欺くほど精巧にカモフラージュされた状態でな。……誰かが、お前に渡したんだろう」


 サフィアの肩が、びくりと跳ねた。


「……っ、だから知らないって言ってんでしょ! あたしは、ただ……ただ……」


 声が破綻した。

 反抗的に尖らせていた瞳が一瞬で揺らぎ、頬を涙が伝い落ちる。


「……ユアンさんが……家族を、スラムから出すって……約束してくれたの。あの人だけが、唯一……」


 ユアン・フェイロン。シンラク商会ルズマール支店長。

 モニカが小さく息を呑んだのが分かった。


「あの人は笑顔で言ったの。『部品を一つ混ぜるだけでいい。誰も傷つかない。お嬢さんの家族は安全な場所に移してあげます』って。……でも、部品は一つじゃ済まなかった。一つ混ぜたら次は三つ。三つが終わったら、今度は火薬の規格タグをすり替えろって……」


 サフィアの膝が折れた。

 床に崩れ落ちた少女は、作業つなぎの袖で涙を拭おうとして、何度も失敗している。


 ――これは、アルマラカンで見た構図と同じだ。


 弱みを握り、甘い言葉で末端を使い潰す。搾取される側は「自分が悪い」と思い込まされ、逃げ場を失っていく。前世のブラック企業で、新入社員が「辞めたら業界に居場所がなくなるぞ」と脅されていたのと、構造は何も変わらない。


 ローラが、ゆっくりと立ち上がった。


「……サフィア」


 師匠の声に、サフィアの背筋が凍りついた。殴られると思ったのか、身体を庇うように丸めた。

 だが、ローラの拳は振り下ろされなかった。


「あたしが怒ってるのはな、お前が嘘をついたことじゃねぇ」


 ローラは床に膝をつき、サフィアと同じ目線まで降りた。


「お前が、自分の手で作ったモノを――穢したことだ」


 油に汚れた掌が、サフィアの震える手を包み込んだ。


「道具ってのはな、持ち主の命を預かる相棒だ。お前が混ぜたその部品は、誰かの命を預かる銃の中に入る。それがどういう意味か……わかってんだろ」


「……っ、ぅ……ごめん、なさ……」


「……道具を泣かせるな、サフィア。お前が泣くのは勝手だ。でも、お前の手で生まれた道具だけは、泣かせちゃいけねぇんだよ」


 工房に、サフィアの嗚咽だけが響いた。

 俺はモニカと目を合わせ、静かに工房を後にした。これは師匠と弟子の問題だ。俺が口を挟む領域じゃない。



 制御塔攻略の翌日。

 ルズマール軍需局が手配した共同宿営地は、打ち上げに近い空気に包まれていた。


 香辛料をふんだんに使った肉の煮込みと、焼き立てのパンの匂い。前世で社員食堂から漂ってくるカレーの匂いに耐えきれずに昼休みを十五分早めた記憶が蘇る。あの時は課長に「フライングだ」と詰められたが、胃袋に忠実なのは前世も今世も変わらない。


「リクさん、こちらのお皿をどうぞ。え、えっと、スパイスが効いていて美味しいそうですよ……わ、私が味見したわけじゃないんですけど……」


 ニコルが両手いっぱいに皿を抱え、おどおどしながら配膳していた。柔らかいピンク色の長い髪が湯気で少しうねっている。白のメディックジャケットに肉汁のシミが既に三箇所。

 昨日の戦闘で見せた、あの凛とした治療の手つきが嘘のようなポンコツっぷりだ。


「ああ、ありがとう。……って、大丈夫か? すごい量を一人で運んでるけど」


「大丈夫です! 私、こういうことしかできませんから……せめてお役に立たないと、捨てら……あわわ、何でもないです!」


 ニコルが笑顔を取り繕おうとした瞬間、足元の段差に躓いた。


「ひゃぅっ!?」


 大量の皿が宙を舞い、ニコルの身体がこちらに倒れ込んでくる。

 ――まずい。受け止め――


 俺が反射的に腕を伸ばすより速く、背後から鉄壁のような腕が伸びた。ニコルの肩を片手で掴んで引き戻し、もう片方の手で宙を飛んだ皿を三枚同時にキャッチする。


「……すまない。この子は、平地で転べる特殊技能の持ち主だ」


 ジークフリートだった。

 何だこの反射神経。《マッピング》なしでこの精度は、人間やめてるだろ。


「じ、ジークフリート様……! すみません、すみません! また迷惑を……嫌いにならないでください……!」


「嫌いにはならん。だが、次は皿を五枚以下にしろ。命令だ」


「は、はいっ! 五枚以下! 了解しました!」


 ニコルが涙目で敬礼し、残った皿を抱えて小走りに去っていく。……あの子、戦場では頼もしいのに、日常がカオスすぎないか。


 その時、腰の魔導通信機が鳴った。サイカからだ。


「旦那ぁ! 無事だったにゃん? こっちでシンラクの動きを追ってるんだけど、ルズマールの支店長が頻繁に本部と通信してるにゃ。何か大きな取引の動きがありそうだにゃん」


 アイリスの声。「にゃ」語尾が空気をふっと弛緩させる。砂漠の戦場の後で聞くと、なおさら脱力する。


「了解だ。引き続き追ってくれ」


「任せるにゃ! あと、こっちの干物が絶品だにゃん! お土産にするにゃ! ルナリアにはプリンも買っとくにゃ!」


「……仕事の報告と買い物の報告を同じテンションで言うな」


「旦那、仕事と食べ物はどっちも大事だにゃん!」


 通信が切れた。隣で聞いていたニコルが目を丸くしている。


「あ、あの……今の方、すごく元気ですね……」


「うちのチームは全員、ああいう感じだ。慣れろ」


「よう、おぬし! 昨日の指揮、悪くなかったでござるよ!」


 エリカが皿いっぱいの飯を頬張りながら、隣に座り込んできた。口の周りにソースがべったりついているが、本人はまったく気にしていない。


「しかし、拙者が気になるのは、あの弓の女よ! あの変則弾道……精霊の加護とやらでござるか? 面白い! 拙者と一度、手合わせを所望するでござる!」


「リディアに果たし状? 止めはしないが……あいつ、弓を置いた瞬間にどこに行くか分からないぞ」


「何を申す! 武人ならば決闘の場に遅れることなど――」


 十分後。


「……リクさん。決闘場はどこでしょう。私、指示された場所に向かったはずなのに、なぜか鍛冶ギルドの裏手にいます……世界が、私を試しているのです」


 リディアの困惑した声が、魔導通信越しに聞こえた。弓を持っていない時はいつもこれだ。


「拙者は広場にいるのでござるが!? なぜ二百メートルもずれるのでござるか!?」


「……きっと決闘の前に、精神の修練を求めているのでしょう。精霊がそう囁いています……」


「それはただの方向音痴だ」


 俺のツッコミは砂漠の風に消えた。



 喧騒が一段落した頃、ジークフリートが隣に座った。

 二人分のスペースを占領する巨体が、椅子を軋ませる。


「お前の指揮、認めてやる」


「急に何だよ」


「制御塔での動き方だ。お前は一人も殺さずに、全員を最適な位置に配置した。……だが、遅い」


 ジークフリートの目が、戦場の冷たさを帯びた。


「お前の方法は効率的だ。情報で先回りし、被害を最小化する。だが遅い。お前が判断を重ねている間に、救える命が一つ死ぬ」


「……それは、分かってる」


「俺の方法は速い。最大の暴力で最短の結果を叩き出す。……だが、お前が言いたいことも分かる。暴力で潰した後に、何も残らない」


 その通りだ。ジークフリートの戦い方は、確かに速い。だが、壊した後の再建コストを考えない。戦術は勝つためにあるが、勝った後に何を残すかまでが「戦い」だと、俺は思っている。


「……フン。面白い奴だ」


 ジークフリートが鼻を鳴らした。


「それは、お前がまだ戦場を知らないからだ」


 断言。反論の余地を与えない声だった。


「いずれ来る。選べない瞬間が。……情報が足りなくても、決断しなきゃならない瞬間が」


 残りの煮込みを一口で飲み干し、ジークフリートは立ち上がった。


「その時、お前がどちらを選ぶか――楽しみにしている」


 背中が夜闇に消えていく。

 前世の上司に「判断が遅い」と詰められた記憶が蘇って、胃が少しだけ痛くなった。



 深夜の工業区。

 宿営地を抜け出し、ローラの工房まで戻ってきた。

 冷却結界が街を覆う青白い光は、夜になると月のように静かに輝く。配管の継ぎ目から漏れる蒸気が、街灯の光を幻想的に散らしていた。

 だが、外壁に手を触れると、鉄は夜でもまだぬるい。結界の冷却が、昼間の熱を完全には吸い切れていないのだ。


 工房の外に背を預けて夜風を浴びていると、足音が一つ。


「……あんた」


 サフィアだった。

 目元は赤く腫れているが、泣き止んだ後の、どこか澄んだ表情をしていた。


「ローラさんと話は終わったのか」


「……うん。殴られるかと思った。でも、殴られなかった。……あの人、泣いてた」


 ローラが泣く姿は、正直、想像できない。だが、弟子に裏切られた痛みは、怒りよりもっと深い場所にあるのだろう。


 サフィアが隣に座り、膝を抱えた。


「……ねぇ。あんたたち、本当にDランクなの?」


「カードの上では、な」


「Dランクって、水も満足にもらえない。この街じゃ、ゴミ扱い。……なのに、なんであんなに強いの? 制御塔を、たった数人で取り返して。ローラさんが銃を直す間に、テロリストと正面からやり合って」


「強いかどうかは知らない。ただ、やるべきことをやっただけだ」


「……それが、分かんないの」


 サフィアが膝に顔を埋めた。


「あたし……ランクDって聞いた時、馬鹿にした。ゴミだって。でも本当のゴミは、ランクの高い人に言われるまま部品を混ぜて、師匠の道具を汚してた私じゃん……」


「……ランクで人間の価値は決まらない」


 我ながら説教くさい台詞だ。だが、嘘じゃない。


「前の世界でも、俺はずっと最底辺だった。評価は最低、残業代は出ない、上司には詰められる。自分には何の価値もないと思ってた時期がある」


「……前の、世界?」


「ああ、こっちの話だ。――でもな、大事なのは、ランクじゃない。自分の手で何を作れるかだ。お前はまだ、作れるだろ」


 サフィアが顔を上げた。腫れた瞳の奥に、かすかな光が戻り始めている。


「……でも、ユアンさんは……」


「ユアン?」


「あの人、怖いの。怒鳴ったりしない。いつも笑ってる。『心配はごもっとも』って、優しい声で言うの。でも、その笑顔の裏で……逃げ道を全部、塞いでくるの」


 笑顔で脅す商人。アルマラカンのダーリヤと同じ匂いがする。

 いや――「善人の声」で人を追い詰めるという点では、もっとたちが悪いかもしれない。


「……お前は、もう一人じゃない。少なくとも、ローラがいる。そして、あの職人が守ると決めた奴を、壊させはしない」


 サフィアは何も言わなかった。ただ、膝を抱えた腕の力が、少しだけ緩んだ気がした。



 宿営地に戻ると、モニカが魔導スクロールを広げて待っていた。

 眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げる、いつもの仕草。だが、その目が鋭い。分析結果が出た時の、あの目だ。


「リクさん。先程のサフィアの告白と、追加で聞き取った情報を基に、流通データを洗い直しました」


「何が分かった」


「……サフィアの横流しは、末端に過ぎません」


 モニカがスクロールの上にデータを投影した。ルズマール市内の弾薬流通図。色分けされた線が、複雑に絡み合っている。


「部品の流れを上流に遡ると、もっと大きな異常にぶつかります。これを見てください」


 モニカの指が、図の一角を叩いた。


「弾薬の規格が、意図的に混乱させられています」


「……意図的に?」


「ええ。本来、ルズマール正規軍の弾薬規格は三種類に統一されています。ですが、過去二年間で流通した弾薬の規格は十七種類。しかも、一見正規品に見えるパッケージで、微妙に口径が異なる弾薬が市場に流し込まれている」


 モニカの声が、怒りを抑えた低いトーンに変わった。


「買った弾が銃に合わない。だから買い直す。買い直した弾もまた合わない。……誰かが、規格の不一致を利用して、買い替え需要を人工的に作り出しているんです」


 アームズ・サイクル。

 壊して、売って、また壊させる。アルマラカンで見た構造が、ここでは弾薬規格という形で回っている。


「流通の上流を辿ると、軍需局の調達システムに行き着きます。調達承認の印鑑が、特定の個人に集中している。……リクさん、これは現場の腐敗ではありません。システムそのものが汚染されています」


 俺は《マッピング》を起動し、都市全体の物流網を俯瞰した。

 弾薬の流れ、部品の流れ、資金の流れ。モニカのデータを重ね合わせると、すべての線が不自然に一箇所に収束していくのが見える。


「……モニカさん。明日、スラムに行く」


「スラム、ですか」


「この街の『内側』は見た。次は『外側』を見る。結界の中にいるだけじゃ、この街の本当の形は分からない」


 モニカが眼鏡を押し上げ、小さく頷いた。


「了解です。……リディアさんには弓を持たせてください。スラムでは、方向音痴の狙撃手よりも精霊の道案内の方が役に立ちます」


「分かってる」


 宿営地の窓から、外を見た。

 冷却結界の透明な壁が、青白い光を放っている。


 その向こう側――灼熱の闇の中に、小さな影が見えた。

 結界のぎりぎり外側。あと数メートルで涼しい世界に届く場所で、一人の子供がうずくまっていた。泥水を両手ですくい、啜っている。


 その小さな背中を見た瞬間、胸の奥に何かが刺さった。

 前世のブラック企業時代、終電を逃して始発を待つ間に見た光景を思い出す。ネットカフェの隅で丸くなって眠るホームレスの少年。ガラス一枚の向こう側に、別の世界がある。


 あの子にとって、この結界は――「ガラスの壁」だ。


「……明日、行く。あの壁の向こう側に」


 夜の工業区に、配管の軋む音だけが静かに響いていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ