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第22話:灼熱の心臓

 蒸気と、魔力が焦げる刺激臭。


 それが、制御塔の内部を支配する「空気」の正体だった。

 配管の継ぎ目から噴き出す高圧蒸気が視界を白く染め、壁面を走る魔導回路が火花を散らすたびに、焦げた砂糖を煮詰めたような甘ったるい悪臭が鼻腔を突き刺す。


 前世で、真夏にサーバールームの空調が死んだ時のことを思い出す。あの時はCPU冷却ファンの焼ける匂いで目が覚めた。始末書三枚で済んだが、今回の「システムダウン」は街ごと吹っ飛ぶ規模だ。始末書どころか、命の帳簿が閉じられる。


「《マッピング》、三次元展開――」


 脳内に、制御塔の立体構造が浮かび上がった。


 地上七階建て。螺旋状の階段と冷却配管が複雑に絡み合い、各フロアに赤い三角形のインジケーターが不均等に散らばっている。

 最上階の魔導炉制御室に、ひときわ大きな赤い反応が一つ。

 そして後方には、前線から距離を置いて追従する青い点が一つ。グングニルの衛生兵だろう。


「敵はフロアごとに陣地を構築している。各階五〜八名。三階と五階にバリケード。……最上階に、指揮官と思われる反応が一つ」


「何人いようと同じだ。潰す」


 ジークフリートの返答は、いっそ清々しいほどシンプルだった。


「拙者が先鋒を務めるでござる! 狭き通路こそ刀の独壇場――血がたぎるでござるよ!」


 エリカが小刀を抜き放ち、目を爛々と輝かせている。


「あら、この通路では『イフリート・ロア』を撃てませんの? 配管を蒸発させてしまいますものねぇ。……歯痒いですわ」


 ステラが多砲身の魔導機関銃を恨めしそうに撫でる。


「火力の全力使用は封印推奨です。配管を傷つければ蒸気爆発の連鎖反応を起こします。……最悪、この塔ごと崩壊しますよ」


 モニカが冷静に構造解析のデータを弾き出す。


 ステラが肩をすくめた。


「制限つきの破壊ですか。……ストレスが溜まりますわ」


「はいはい。行くぞ――移動開始!」



 補助搬入口からの侵入路を確保した俺たちは、そのまま塔の階段ホールへ突入した。

 一階の掃討は、三十秒もかからなかった。


 ジークフリートが先頭を切り、正面の二人を二射で沈黙させる。その背後をエリカが風のように駆け抜け、遮蔽物の裏に潜む残党を刀の一閃で叩き伏せた。


 ――速い。


 エリカの戦闘を、初めてまともに観察できる距離で見た。

 弾丸が飛来する。彼女は避けない。小刀の腹で弾道を弾き、火花が散った刹那には、もう敵の懐に入っている。


ダンッ!


 ゼロ距離。カスタムハンドガンの銃口が、敵の防弾チョッキの隙間に押し当てられ、一発。

 無駄な動きが一切ない。前世の格闘ゲームで見た「フレーム・パーフェクト」な入力を、この少女は生身で実行している。


「……見事だな。ルナリアと組ませたら、世界が終わりそうだ」


 階段を駆け上がる。


 三階のバリケードは、ステラの制限された射撃とモニカの拘束魔法で突破した。ステラが悲鳴に近い声を上げる。


「あぁっ、もう……! 半分の火力しか許されないなんて、拷問ですわ……!」


「半分でも十分すぎるんだが……」


 五階。

 ここで、敵の抵抗が質的に変わった。


 連携射撃。死角のカバー。撤退ルートの確保。

 ただの暴徒の動きじゃない。軍事訓練を受けた者の動きだ。


「気づきましたか、リクさん。この階から上は、ゼロ・ヴァスの一般兵とは別物です。元軍人ですね」


「ああ。マップの赤い点の『密度』が違う。……配置が効率的すぎる」


 階段の角で銃弾が壁を抉る。釘づけにされた。


 その時、遥か後方から風切り音が聞こえた。


――シュッ。


 音のない矢が、階段の吹き抜けを曲がりくねるように飛翔し、角の向こう側に潜む射手の肩口に突き刺さった。


「……座標、合っていましたか?」


 二階下の踊り場から、リディアの凛とした声が響く。弓の弦が、精霊の光を帯びて淡く揺れていた。


「完璧だ。次、六階左通路に二人」


「了解しました。……風よ、道を繋いで」


 リディアの矢は銃声を生まない。硝煙の匂いも残さない。

 敵は、どこから狙われているかも分からないまま、一人ずつ静かに崩れ落ちていく。



 六階の掃討中、エリカの脇腹を流れ弾が掠めた。


「拙者に傷をつけるとは……なかなか見所があるでござる!」


 嬉しそうに笑いながら敵を斬り伏せるエリカの横で、俺は叫んだ。


「おい、血が出てるぞ! 衛生兵は――」


「は、はいぃぃっ! わ、私です、衛生兵のニコルです……!」


 後方から駆けてきたのは、白いメディックジャケットを羽織った、ピンク色のロングヘアの少女だった。

 目は涙目、顔は蒼白。おまけに走ってくる途中で自分の足に躓き、派手に転んで救急キットの中身をぶちまけた。


「ひゃぅっ!? す、すみません! すみません! 嫌いにならないでください……っ!」


「……おい、大丈夫か? こっちが心配になるんだが」


 ヴァルキリアにいない職種だ。傭兵団に専属の衛生兵。前世でいうなら、戦場にナースステーションを丸ごと持ち込んだようなものか。


 だが、エリカの傷口に手を触れた瞬間――ニコルの目が変わった。


 震えが止まる。涙が引く。蒼白だった顔に、凛とした色が宿る。


「……動かないで。三秒で止めます」


「《ホーリー・リジェネ》」


 魔導杖から淡い金色の光が溢れ出し、エリカの脇腹の裂傷を、まるで時間を巻き戻すように閉じていく。


「……ほう。見事な腕前でござるな」


「あ、ありがとう、ございます……えへへ……」


 治療が終わった途端、またオドオドした表情に戻る。

 このギャップ。前世のプロジェクトで、プレゼンでは赤面するくせにコードを書かせたら鬼神と化す後輩がいたが、あの感じに近い。



 最上階。

 魔導炉制御室の重厚な扉の前に、赤い点はもう一つしか残っていなかった。


「……一人。逃げもせず、最上階で待っている」


「罠か」


 ジークフリートの問いに、俺は首を振った。


「罠じゃない。こいつは、俺たちが来るのを『予定通り』だと思ってる」


 ジークフリートが扉を蹴り開けた。


 巨大な制御コンソールの群れ。壁面を覆い尽くす計器類。天井まで伸びる冷却配管が鉄の大樹のようにそびえ立ち、その中心で、魔導炉のコアが不気味な赤橙色の光を脈動させている。


 コンソールに張り付くように立っていた男が、振り返りもせずに口を開いた。


「非効率だ」


 早口で、感情の希薄な声。


「お前たちがここに辿り着くまで十二分。計算では九分を想定していた。――三分の遅延。原因は五階の元第三大隊の連中か。訓練不足だな、あの程度では時間稼ぎにもならん」


「……お前が、このテロの指揮官か」


「指揮官? 違うな。俺は設計者だ」


 男がようやく振り返った。


 痩せこけた顔。眼窩が深く落ち窪み、その奥に、狂気に近い知性の光が宿っている。


「ヤセル・バルカ。元ルズマール軍需局、魔導炉安全管理課――主任技師。三年前に、『非効率な人間』だと判定され、ランクを剥奪された」


 元軍需局の技術者。

 こいつは、このシステムの内側にいた人間だ。だからこそ、制御塔の弱点を知り尽くしている。


「いい顔をしているな、傭兵。計算通りに世界が動く快感を、お前なら理解できるだろう?」


「……悪いが、計算通りに進むプロジェクトなんて、前世でも今世でも見たことがないよ」


「……ほう。だが、お前のルーティングは悪くなかった。補助搬入口から階段ホールへの導線、ガス充填の罠を即座に回避し、弓でセンサーを潰した。……俺の設計した防衛網を、最小の手数で突破している」


「お前が設計したのか。道理で、合理的に嫌な配置が多いと思った」


「合理的でないものに価値はない。この国の賢者どもが、それを理解しなかった。……だから俺は、ここにいる」


 ヤセルの目に、暗い炎が揺れた。

 その指がコンソールの上で踊る。

 直後――足元から、臓腑を揺さぶるような振動が駆け上がってくる。


ドォォォォォォォンッ!!


「魔導炉の安全装置を解除した。あと八分で臨界突破する。……この都市ごと、非効率な賢者どもの玉座を蒸発させてやる」


「正気か!? お前自身も死ぬぞ!」


「構わん。この計算式に、俺の生存は変数として含まれていない」


 ジークフリートが銃を構える。

 だが、ヤセルの指はコンソールの赤い操作盤を押さえ込んでいた。撃てば手が離れる。手が離れれば、安全装置が完全に崩壊する。


 二律背反。ヤセルを制圧するか、炉を止めるか。

 両立は、時間的に不可能。


 俺は一瞬だけ目を閉じた。


 前世のことを思い出す。

 システム障害と顧客クレームが同時に発生した夜。

 上司は「客を先に黙らせろ」と叫んだ。

 だが俺は、サーバーを立て直した。

 客は怒鳴るが、死にはしない。システムが死んだら、全員が死ぬ。


「……炉を止めろ。人間は後で追える。インフラが死んだら終わりだ」


「リクさん、了解しました」


 モニカが、迷いなくコンソールに取りついた。


「ジークフリート、ヤセルの注意を引きつけてくれ。モニカさんに時間を作る」


「フン。……注文が多い男だ」


 そう言いながらも、ジークフリートは正確にヤセルの視界を遮る位置に移動した。


 ヤセルの目が俺を捉える。


「無駄だ。このシステムは俺が設計した。素人がコンソールを触ったところで――」


「ヤセル。お前の設計は確かに美しいよ。だが、設計者ってのはな、必ず自分だけが知っている裏口を一つ残す。……そうだろ? 元・主任技師さん」


 ヤセルの目が、ほんの一瞬だけ揺れた。


「……面白い推理だ。だが、バックドアの暗号を解読する時間は――」


「リクさん」


 モニカの声が、静かに割り込んだ。


「見つけました」


「……何?」


 ヤセルの顔から、初めて余裕が消えた。


「この制御パネルの数値配列。出力値の並びに、帳簿でよく見る『美しすぎる矛盾』がありました。安全装置の解除コードを、逆算できます。……数字は、嘘をつきませんので」


 モニカが眼鏡のブリッジを押し上げ、冷ややかに微笑んだ。


 コンソールに入力。

 足元の振動が、急速に収束していく。


「馬鹿な……たった三分で、あの暗号を……!」


「確保しろ!」


 ジークフリートが跳躍した。

 だが、ヤセルは懐から小型の発煙筒を叩き割った。白煙が制御室を瞬時に覆い尽くす。


「……覚えておけ、傭兵。非効率な世界は、必ずもう一度壊れる。俺が壊さなくても、この国の歪みが、自分自身を食い尽くす」


 煙が晴れた時、ヤセルの姿はなかった。

 天井の排気ダクトの蓋が、ぽっかりと開いている。


「……逃がしたか」


「追うか?」


「いや。優先順位は間違えない。まずはシステムの完全復旧だ」


 モニカの手がコンソールを精密に操作していく。


 数秒後。

 魔導炉の唸りが、ゆっくりと静かに凪いでいった。


 不整脈が止まる。

 地響きが消える。


 そして――窓の外。

 消えていた冷却結界の青い光が、夜空の底からふわりと立ち上がるように、都市全体を包み込んでいった。


 配管の軋みが止まった制御室に、沈黙が降りる。

 蒸気と硝煙の匂いの中に、かすかに清浄な夜気が混じり始めた。


「……涼しい」


 誰かが呟いた。

 結界が戻った瞬間、肌を焼いていた灼熱が嘘のように引き、砂漠の夜の冷気が優しく頬を撫でた。


 エリカが刀を鞘に収め、ステラが「やっと終わりましたの?」と大げさに溜め息をつき、ニコルが「よ、よかったぁ……」と床にへたり込んでいる。


 リディアが、弓を下ろして窓の外を見つめていた。


「……世界が、正しい呼吸を取り戻しています。精霊たちが、静かに歌い始めました」


 俺は《マッピング》を広げた。

 赤い点は、まだ街のあちこちに散っている。だが、制御塔は青に戻った。

 この街の心臓は、まだ動いている。


「……残業終了だ。帰るぞ」


 その時、腰の魔導通信機が震えた。ヒルデからだ。


「お疲れ様、リク。結界の反応が戻ったのは確認したわ。……報告は後でいいけれど、一つだけ」


 ヒルデの声は穏やかだったが、わずかに安堵の滲みが聞き取れた。


「ルナリアが『リクが帰ってこないと石になる』と半分眠りながら脅しているの。もう三回目よ。……早く帰ってきてあげて」


(……石って何だよ。お前が石になってどうするんだ)


 思わず口角が緩む。戦場の緊張が一瞬だけ解けて、俺は深く息を吐いた。

 帰る場所がある。それがどれだけ贅沢なことか、前世の俺なら知らなかっただろう。



 ローラの工房に戻ったのは、夜明け前だった。


 作業台の上には、見違えるほど美しく組み直されたアステリズムが鎮座していた。銃身は磨き上げられ、魔導回路は新品のように青白い光を放っている。


「……アステリズム……! あなた、生まれ変わったのですね……!」


 リディアが感極まって銃を抱き締める。だが、その瞬間、彼女の瞳から「冴え」がすうっと引いていった。弓を離し、銃を握った途端に、精霊との調和が断ち切られたのだ。


「……あれ? ここは……どこでしょう。リクさん、出口が三つに見えるのですが……」


「お前が立ってるのは工房の真ん中だ。出口は一つしかない」


 いつものポンコツに戻ったリディアに苦笑しかけた、その時だった。


「……ボウズ」


 ローラの声が、低く、重く響いた。


 振り返ると、ローラは作業台の椅子に座ったまま、油まみれのタオルを握りしめていた。

 いつもの豪快な笑みは、どこにもない。


「サフィアの野郎……どこに行った」


「サフィア? テロが始まってから見てないが……」


「修理中に見つけたんだよ。姉ちゃんのアステリズムの内部に、あたしの工房にはねぇ部品が混じってた」


 ローラの視線が、作業台の隅に置かれた小さな金属片に向けられた。

 その表面に刻まれた、ルズマール公認ではないタグ。


「シンラク製だ。……あの小娘が、あたしの目を盗んで仕込んでやがった」


 ローラの声が、わずかに震えていた。

 それは怒りだけじゃない。裏切られた師匠の、行き場のない痛みだ。


「……道具に、嘘を混ぜやがったんだよ」


 工房の隅で、油の焦げた匂いが、いつもより冷たく沈んでいた。

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