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第19話:鉄とオイルの聖域

 黄金色のきらびやかな夜市を離れるにつれ、街の空気は急速に「重く」なっていった。


 ルズマール魔導国の中心部から少し外れた工業区。

 そこは、先ほどまでの優雅な噴水や魔導灯の光が嘘のような、鉄とすすが支配する無機質な世界だ。


 巨大なクレーンの影が、夜霧の中で怪物のように街路を跨ぎ、あちこちで青白い溶接の火花が夜の闇を鋭く裂いている。リズミカルに響く巨大な歯車の回転音と、配管から漏れ出す高圧蒸気の咆哮。


「……リ、リクさん。世界が……世界の歯車が、私を噛み砕こうと狙っています! この複雑な配管の迷宮は、入った瞬間に出口が消失する呪われた構造に違いありません……!」


 隣で、リディアが半泣きになりながら俺の二の腕をギュッと抱き込んできた。


 エルフ特有の雪のような肌が、鉄錆の匂いに当てられてわずかに引きつっている。普段は数キロ先の獲物を淡々と狙い打つ彼女も、この巨大な「工業の暴力」の前では、迷子の子供同然だった。


「大丈夫だよ、リディアさん。ただの配管だ。……というか、二の腕の肉が。少し力を抜いてくれ。物理的に痛い」


「無理です! あなたという『座標』がなければ、私はこの鉄の胃袋の中で、永遠に遭難してしまいます……っ!」


 俺はため息をつき、脳内の《マッピング》を意識の表層に広げた。


「……。マッピングで見る限り、あの一番騒がしい場所が支部のようですね。モニカさん、あそこで合っていますか?」


 俺が指差す先、古びた赤レンガ造りの工場跡地から、凄まじい「怒号」と「物理的な衝撃音」が漏れ聞こえていた。


「ええ、間違いありません。……。相変わらず、近隣住民の安眠を妨害するようなエネルギーの無駄遣いですね。……。行きましょう、リクさん。定時を過ぎた現場に、容赦という言葉は不要です」


 モニカさんは呆れたように眼鏡を押し上げると、迷わず重厚な鉄の扉に手をかけた。



 扉を開けた瞬間、暴力的な「熱」と「オイルの焦げた匂い」が、俺の全身を包み込んだ。


 そこは、高い天井まで工具やジャンクパーツが山積みにされた、混沌の聖域サンクチュアリだった。


 広間の中央。巨大なスパナを片手に、動かなくなった魔導ゴーレムの脚部を思い切り蹴り飛ばしている女性がいた。


「根性が足りねぇんだよ、この鉄屑がァ! 言われた通りに魔力を喰わせただろうが! さっさと動かねぇと、スクラップにして溶鉱炉にぶち込むよ、あぁん!?」


 短く刈り込んだ茶髪。日に焼けた健康的な肌。油にまみれたタンクトップから覗く、鍛え上げられたしなやかな筋肉。


 ドワーフの血を引くという彼女の瞳には、野獣のような獰猛さと、一筋縄ではいかない「職人の執念」が宿っていた。


 彼女が振り下ろした巨大なスパナが、ゴーレムの関節を強引に「バキンッ!」と矯正する。

 直後、ゴーレムは恐怖に震えるような駆動音を上げ、再びぎこちなく歩き出した。


「ふん、最初からそうしてりゃいいんだよ。……。あぁ? 誰だい、営業時間はとっくに終わってるよ。不法侵入なら、その足の骨をレンチで曲げてやるが?」


 彼女は油まみれの腕で額の汗を拭い、こちらを睨みつけた。


「……。アネゴ。相変わらず、ゴーレムに説教をするのがお好きなようですね」


「……。おぉ、数字女か。……。へっ、ここはあんたのいたギルドと違って、計算通りにいかない生身の鉄が相手なんだよ。美しくねぇ管理論は他所でやりな」


 ローラと呼ばれた女性はニヤリと笑うと、重いスパナを床に放り投げ、俺の前に歩み寄ってきた。

 彼女の鋭い視線が、俺の顔、そして全身をなめるように査定する。


「……。あんたが団長の手紙にあった新入りのボウズか。……死んだ魚のようなツラしてやがる」


「……。よく言われます。……。でも、腐ってはいないつもりですよ」


 俺が淡々と答えると、ローラは一転して豪快に笑い、俺の肩をバチンッ! と力強く叩いた。


「気に入ったねぇ! つまらねぇ正義感で目をギラつかせてる青二才より、あんたみたいに戦場の流れだけを淡々と探してるヤツの方が、この仕事には向いてる」


 彼女は油まみれの手で俺の肩をさらに揉みしだき、強引に「合格」を言い渡した。


「あたしはローラ。ヴァルキリアの鉄をすべて管理する、最高の整備士さ。……。ボウズ、こっちの空気は身体に悪いが、魂には良いスパイスになるよ」


 俺の脳内の《マッピング》には、俺たちを囲むように配置された数名の反応が映っている。

 建物の二階、そして奥の作業場。


 そのうちの一つの点――奥の作業場にいた「青い点」が、こちらをじっと「凝視」していた。

 三角形のインジケーターが、俺の方を執拗に追っている。


「……。ローラさん。奥に誰か、もう一人いますか?」


「あぁ? ……。あぁ、弟子のサフィアかい。恥ずかしがって出てこねぇのさ。……。おい、サフィア! さっさとこっちに来て挨拶しな、新しい客が来たよ!」


 ローラの怒号に応えるように、奥の暗闇から、不満げな表情を浮かべた一人の少女が姿を現した。



 現れたのは、淡い桃色の髪を無造作に束ね、身体に合わないダボダボの作業つなぎを着た少女だった。


 彼女は俺たちの首から下げられた、青白い『資源割当証』を一瞥すると、露骨に鼻を鳴らした。


「……。ふん、期待して損したわ。お師匠様が『凄腕の武器商人が来る』なんて言うから、どんな上級市民かと思えば。……。ただの『ランクD』のゴミじゃない」


「……。失礼ですね。ランクと能力は必ずしも一致しませんよ。……。もっとも、この国の評価システムを妄信している子供には理解できないでしょうが」


 モニカさんが冷たく言い返す。サフィアは顔を真っ赤にして言い返そうとしたが、それより早く、ローラが彼女の頭に特大の拳骨を落とした。


「うるせぇ! ランクで飯が食えるか! 腕がなけりゃ王様だってただの肉の塊だ。……。おい、それよりボウズ。連れの姉ちゃんの獲物を見せな」


 ローラは、リディアが大切そうに抱えていた魔導ライフル『アステリズム』をひったくるように奪い取った。


「ああっ……。リ、リクさん、私の一部が……蹂躙されてしまいます……っ!」


 リディアは狼狽うろたえて俺の腕にしがみついてくる。


 作業台に置かれたアステリズム。ローラは慣れた手つきでボルトを引き、瞬時に機関部を分解し始めた。その瞬間、彼女の顔から豪快な笑みが消え、職人の険しい眼光に変わる。


「……。おい、エルフの姉ちゃん。最後にこれ、バラして掃除したのはいつだ?」


「え、ええと……。三ヶ月ほど前でしょうか。……。エルフの時間感覚では、わずか三分前の出来事のようなものですが。……。常に心を通わせ、完璧なメンテナンスを施した自負があります」


 リディアが誇らしげに胸を張る。だが、ローラは信じられないものを見るような目でリディアを睨みつけた。


「三ヶ月だと!? あんた、正気か!? 精密な魔導回路には結露が溜まり、塵がオイルと混ざって研磨剤に変わる! ……。見てな、このレンズの裏……カビが咲いてやがる。回路も腐食し始めてるぞ」


「……。か、カビ……? 私の、私の魂とも言えるアステリズムが……不潔……?」


 リディアはショックのあまり、その場に真っ白な灰となって燃え尽きたように膝をついた。彼女の口から、透明な魂のようなものがふらふらと抜け出している。


「……。リクさん、私は……私は、不潔な女ではありません……。ただ、少しだけ、世界と時間がズレていただけで……っ!」


「わかってる、わかってるから。……。ローラさん、直るのか?」


「……。あたしを誰だと思ってるんだい。徹夜で魂ごと叩き直してやるよ。……。まったく、道具を泣かせる奴は、あたしの一番嫌いな人種だね」


 ローラはそう言いながら、愛おしそうにボルトを布で拭き始めた。


 その姿を見て、俺は前世の自分を思い出していた。ボロボロの旧型システム、誰も見向きもしないスパゲッティコードに、徹夜で修正パッチを当てて命を吹き込んでいたあの頃。


「……。わかるよ、アネゴ。動かなくなるのは、見たくないよな」


「……。へっ。ボウズ、あんたとは美味い酒が飲めそうだ」



 その時、モニカさんが作業場の隅、サフィアのデスクを鋭い視線で射抜いた。


「……。サフィアさん。その作業台にある予備部品……。ルズマール公認の刻印がありませんね? 代わりに『シンラク商連合』のタグが見えますが」


 サフィアの肩がびくりと跳ねた。彼女は慌てて部品を布で隠す。


「……。あ、あれは……! 安いし、性能も変わらないって聞いたから……っ! ランクDのあんたたちに、口出しされる筋合いはないわ!」


「……。ふん、そうですか。偽造部品の怖さを知らないのは、若さゆえの特権ですね」


 モニカさんはそれ以上追及せず、俺に目配せをした。今は波風を立てるべきではないという判断だろう。だが、サフィアの視線には、単なる反抗心以上の、追い詰められたような「暗い色」が混じっていた。

 

 ――その刹那だった。


ドォォォォォォォォンッ!!


 足元から、これまでで最大の衝撃が突き上げてきた。

 作業台の工具が派手に跳ね、リディアが悲鳴を上げて俺の背中に飛びついてくる。


「……っ、魔導ポンプの『不整脈』が……完全に止まった!?」


 俺は《マッピング》を広域展開した。


「ルズマール魔導都市、地下魔導ラインの供給が停止。……制御塔で大規模な魔力爆発をしたみたいだ。……敵対的個体反応、多数出現。……テロ攻撃かっ!?」


 窓の外。遠くそびえ立つ魔導ポンプ制御塔から、夜空を焦がすような黒煙が立ち上がった。


「テロかっ! ゼロ・ヴァスの連中、やりやがった!」


 ローラの叫びと同時に、街中にけたたましい治安局の警報が鳴り響く。


「モニカさん、リディアさん、来るぞ! ……。アネゴ、修理は任せた! 俺たちは『ネズミ』を掃除してくる!」


「……。へっ、行ってきな! 戻る頃には、最高の一撃を放てるようにしといてやるよ!」


 俺は《マッピング》を睨み据えた。


 煙を上げる制御塔。逃げ惑う市民。そして、その混乱に乗じて影を縫うように移動する、規則性のない「赤い点」の群れ。


 ルズマールの冷たい秩序が、今、赤黒い炎に焼かれて崩壊しようとしていた。

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