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第18話:黄金砂漠の門

 魔導輸送列車の重厚な扉が開いた瞬間、俺を襲ったのは「熱風」なんて生易しいものじゃなかった。


 それは、巨大なオーブンの蓋をフルパワーで開け放ったような、物理的な暴力としての「熱」だ。


「……あ、あつい。というか痛いな、これ」


 思わず呟き、俺は額に浮いた汗を袖で拭う。


 前世の東京、八月の午後三時。アスファルトの照り返しの中で外回り営業をさせられていた「あの絶望」を思い出す。


 だが、ここはそれ以上だ。湿気がない分、肺の奥まで焼けるような乾燥した熱気が入り込んでくる。


「リクさん! 大変です! 地平線が……地平線が笑いながら歪曲しています! 座標のゲシュタルト崩壊です!」


 隣で、リディアが俺の二の腕にしがみついてきた。

 エルフ特有の雪のような白い肌が、みるみるうちに桃色に上気していく。


「落ち着け、リディアさん。それは単なる陽炎だ。空間が捻じ曲がってるわけじゃない」


「いいえ、リクさん! 私のスナイパーとしての本能が告げています。あの陽炎の向こうには、入った瞬間に別の次元へ飛ばされる時空の裂け目が口を開けているのです! ああ、リクさんだけが頼りです……!」


 彼女は半べそをかきながら、俺の服の裾を千切れんばかりの勢いで握りしめる。


 ……暑い。しがみつかれると物理的にさらに暑いんだが、突き放すと彼女はこのまま砂漠の砂となって遭難しそうなので、俺はされるがままにするしかなかった。


「……はぁ。はしゃぐのは勝手ですが、早く移動しますよ。ここでは立ち止まっているだけで、熱中症を起こしますから」


 背後から、モニカさんが、山のような書類束を抱えたまま、涼しい顔で列車を降りてきた。

 彼女は眼鏡のブリッジをクイと押し上げ、正面に見える巨大な構造物を仰ぎ見る。


 砂漠の地平線を埋め尽くすように、巨大な青い光のドームが街を包み込んでいた。


 ルズマール魔導国が誇る『巨大冷却結界』。

 その威容は、まさに自然の摂理を魔導の力でねじ伏せた、不遜なまでの文明の象徴だった。



 入国審査官たちが並ぶゲートは、まるでお役所と工場のハイブリッドのような無機質な空間だった。

 白装束を纏った魔導技師たちが、冷徹な目で魔導計器を操作し、入国者のデータを次々と数値化していく。


「次の方。滞在目的と、魔力保有量を提示してください」


 事務官の瞳には、人間を見ているというよりは「流れてくるデータ」をチェックしているような冷ややかさがあった。


「……ヴァルキリア傭兵団、事務官のモニカです。滞在目的は軍需局との公式商談。魔力保有量および契約上の権利については、こちらの事前合意書にすべて記載されています」


 モニカさんが、バインダーに挟まれた書類をカウンターへ叩きつけた。


 事務官の眉が、ピクリと動く。


「……事前合意書? 辺境の傭兵団が、我が国の軍需局とですか。……どれ、確認させてもらおう」


 彼はモニカさんが出した書類の山を、魔導スキャナーに放り込む。

 俺なら一日はかかるであろうチェック作業が、わずか数秒で終了した。


「……確認しました。確かに軍需局の認証印がありますが……。現時点でのあなた方の『功績スコア』はゼロですね」


 事務官は無造作に、四枚の青白い透明なカードを差し出してきた。

 そこには、大きく『D』というアルファベットが刻印されている。


資源割当証リソース・カードです。あなた方のランクは最低の『D』。滞在中の水の使用量、および公共冷却エリアの利用時間は厳格に制限されます。不服があるなら、国家に貢献してスコアを上げることですね」


 俺は受け取ったカードを眺めた。


 ……Dランク、か。


 前世での「入社初日の派遣社員」や「社外の清掃員」として扱われていた頃の、あの露骨なカーストを思い出して、胃の奥が少しだけキリリと鳴った。


「なまじシステムが整っている分、教国より露骨に自分の価値を突きつけてくるな……」


「それがこの国の効率ですよ、リクさん。……無能な者に分け与える資源など、この過酷な砂漠には一滴も存在しない。……実に、計算が合っていて清々しいですね」


 モニカさんは皮肉たっぷりに微笑むと、そのカードを財布に仕舞った。



 入国審査のゲートを抜け、俺たちはついに『冷却結界』の内側へと足を踏み入れた。


 ――ふぅっ。


 一歩。たった一歩の境界線を越えた瞬間、世界が変わった。

 

 肌を焼く地獄の熱気が嘘のように消え去り、そこには春の昼下がりを思わせる、完璧な25度の快適な空間が広がっていた。


「……あ、ああ。神の御手に包まれているようです……」


 リディアが膝をつき、祈るように胸の前で手を組む。

 俺もまた、ようやく人間に戻れたような心地で深く息を吐き出した。


 だが、安堵する俺たちの隣で、モニカさんが「壁」の向こう側を指差した。


「……リクさん。見てください」


 快適な結界の透明な壁、そのすぐ数センチ向こう側。

 

 そこには、結界の中に入る権利を持たない人々が、陽炎に揺れる赤茶けた大地の上で、泥のような水を啜りながらうなだれていた。


 きらびやかな魔導都市のすぐ外側に広がる、影の街。

 スラム。


「この冷気の一吹き、水の一滴まで管理されている。帳簿に名前のない者は、生きる権利すら奪われる……。最悪に合理的な国です」


 モニカさんの言葉が、エアコンの効いたオフィスの独り言のように、冷たく響いた。


 俺の《マッピング》には、快適な都市の構造と共に、その外縁に蠢く飢えと渇きに震える、膨大な人々の反応が映し出されていた。


 ルズマール魔導国。

 

 俺の二度目の人生において、これまでで最も「合理的」で、そして最も「歪んだ」場所。

 

「……さて。次は武器市場へ向かいましょうか。……この国の理想が、いかに脆い現実の上に立っているか、確かめる必要がありますから」



 ルズマール魔導国の夜は、不気味なほどに明るく、そして賑やかだった。


 日が沈むと同時に、街中の街灯に黄金色の魔導火が灯り、冷却結界の内側は昼間のような輝きを取り戻す。

 

 ルズマールは日中、冷却結界の負荷を下げるためにシエスタを行う。

 日中のシエスタで体力を温存していた市民たちが一斉に這い出し、バザールは香辛料の香りと、独特な「魔力が焦げたような匂い」で満たされていた。


「……ふふ。リクさん、見てください。あちらの噴水、さっきから私についてくるのです。やはりこの街は時空が捻じ曲がっているに違いありません。私が今さっき左に曲がったはずなのに、なぜか元の場所に戻ってきたのも、すべてはルズマールの魔導干渉によるものです!」


「いや、リディアさん。それは単に君が噴水の周りを一周しただけだ。時空は一ミリも歪んでないから安心してくれ」


 俺は迷子スキルのカンストしたエルフの服の裾を、文字通り「命綱」として掴んだまま溜息をつく。


 油断すると彼女は、この直線しかない大通りでさえ「異次元の迷路」へと変換してしまうからな。俺の脳内の《マッピング》には、彼女が「迷路だ」と主張するただの直線道路が空しく表示されていた。


「……はぁ。はしゃぐのは勝手ですが、予算を忘れないでくださいよ。我々はこの街ではDランクの『低所得層』なんですから」


 モニカさんが、魔導端末を片手に冷たく釘を刺す。

 彼女の視線の先には、きらびやかなショーウィンドウに飾られた、この国自慢の「魔導銃器」たちが並んでいた。


「……どれ。ちょっと見学させてもらおうか」


 俺たちは武器市場の一角に足を止めた。

 そこに展示されていたのは、俺がアルマラカンで見た旧式のボルトアクションとは、もはや別次元の代物だった。


「……何だ、この銃。スコープの中に魔法式が浮き出てるぞ?」


「それはルズマール製の最新鋭『必中誘導機能オートエイム』付きライフルですね。術式弾道計算機を内蔵し、風速や湿度、さらには標的の魔力反応を感知して弾道をリアルタイムで補正する……。まさに技術の無駄遣いと言っても過言ではない逸品です」


 オートエイム……。それ、FPSゲームなら一発でBANされるチートツールじゃないか。


「……これ、一発撃つごとに魔晶石をどれだけ消費するのでしょうか? それに、砂漠の砂がこの精密な回路に入り込んだら、現場で修理なんて不可能ではないですか?魔道回路も複雑すぎて、咄嗟の判断が遅れそうです」


 リディアが、狙撃手として興味深そうに魔導銃器を観察している。


「おや、よくお気づきで。だからこの国の軍部は、性能に惚れ込みながらも、常に維持費コストという地獄の釜に放り込まれているわけです。……そして、そこにつけ込むのが彼らですよ」


 モニカさんが視線を向けた市場のさらに奥。

 そこには、ルズマール製の高級品とは対照的な、見慣れた「武骨な鉄の筒」が山積みにされていた。


 ノルディア帝国製アサルトライフルのダウングレード輸出モデル。

 そして、それらを捌いているのは――シンラク商連合のロゴが入った、白い天幕の商談ブースだった。


「ルズマールの最新兵器は、一挺作るのに莫大な工数と資源を消費する。だから、いざ戦場を埋める数が足りなくなったとき、軍は泣く泣くシンラクから安価な帝国製を大量買いするんです」


 俺は、並べられた帝国製の小銃を見た。


 梱包材の隙間から見える、シンラク特製の「規格統一タグ」。

 ルズマールは自国の高度な技術を誇りながら、その足元ではシンラクが配る安物の銃に依存し始めている。


「……結局、ハイスペックな理想より、数が優先されるってわけか。前世でもあったな。自社開発にこだわった挙句、納期が間に合わなくて他社の外注品に頼り切りになるプロジェクト……」


 身につまされる既視感に、俺の胃が少しだけキリリと鳴った。


 その時だ。


 ――ズズズ……。


 足元の石畳から、腹に響くような重厚な重低音が伝わってきた。

 一度。そして、数秒おきに繰り返される、鼓動のような震動。


「……? 何だ、この音。地震か?」


「……いいえ。この街を支える魔導ポンプの駆動音です。地下数百メートルから水を引き上げ、結界を冷やすために二十四時間休まず動き続けている……いわば、国家の心拍数ですよ」


 モニカさんの表情が、ふと険しくなる。


「……ですが、少し音が重いですね。まるで、心臓が不整脈を起こしているような……」


 俺は脳内の《マッピング》の解像度を上げた。

 都市の地下を縦横無尽に走る、巨大な配管とエネルギーのライン。


「なんだか、不吉だな……モニカさん、リディアさん、そろそろローラさんの工房にいきましょうか」


「えっ!? ど、どちらへ!? 出口は、出口はあちらの袋小路ですか!?」


「反対だ! …リディアさん、変な方向に進まないでっ!?」


 俺たちはきらびやかな夜市の喧騒を背に、闇の深い工房街へと走り出した。

 足元から響く魔導ポンプの「不整脈」は、まるで何かのカウントダウンのように、俺の焦燥を激しく煽っていた。

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