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第14話:河川港ミラド

 夜の河川は、黒い重油のようによどんで光っていた。


 月光を弾く水面に、音もなく舟の影が滑る。岸壁には積み上げられた木箱、乱雑な荷札、錆びた滑車。


 泥の混じった地面には、獣の足跡と、それを踏みにじるような人間の靴跡が深く刻まれていた。


 ――ミラド港。  


 この国の喉元であり、金の血管。そして今夜は、幼い命が「在庫」として処理される最悪の市場だ。


「旦那。港は……商人の地盤だにゃ」


 アイリスが、外套のフードを深く被ったまま囁いた。耳は低く伏せられ、尻尾は微動だにしない。


「商会の用心棒が広場に二十。奥の倉庫列には、武装した私兵が十人。……檻は倉庫三番の奥に三つだにゃ」


「……ありがとう。十分だ」


 俺の隣で、ヒルデさんが静かに頷く。紫の長い髪を夜風に遊ばせ、黒の軍服を纏った彼女は、この戦場において誰よりも支配的だった。


 彼女が二挺の魔導リボルバーのシリンダーを回す。


 コツ、コツ、と乾いた硬質な金属音が、作戦開始の秒針のように響いた。


「リク。港は地形より導線よ。……人も荷も金も、止めた方が勝つ」


「了解です。……始めましょう」


 俺は脳内の《マッピング》を起動した。  


 視界に青白く発光する透過地図が重なり、港の全容がグリッド状に展開される。


 河川。桟橋。複雑に並ぶ倉庫群。  そして――点在する無数の「赤い点」。


 点は多いが、規律はない。あくまで「商品」を守るための配置だ。ならば、その「守る理由」を叩き潰せば、システムは内側から崩壊する。


「……リク殿」


 背後で、レイナさんが盾の縁を愛おしそうに撫でていた。


「この逃げ場のない導線。そして、数分後に降り注ぐであろう無作法な弾丸の雨……。ああ、最高です。私の盾に、彼らの攻撃を刻みつけてください」


「レイナさんは栓になってください。敵を倒す必要はない。ただ、道を塞ぐだけでいい」


「はい! 全力で、道を塞ぐ邪魔者になりましょう……っ!」


 碧い瞳が暗闇の中で異常な熱を帯び、呼吸がわずかに荒い。


「……早く」


 ルナリアが俺の裾をギュッと掴んだ。眠たげな視線の奥、虚無な瞳が、冷たく澄み渡っている。


「……泣き声、嫌い。……掃除、してくる」


 ヒルデさんが短く息を吐き、黄金の銃口を港の灯りに向けた。


「行くわよ。――市場の夜明けを、私たちが書き換える」



 作戦の号令は、一発の、あまりに静かな「機能の停止」だった。


 バァンッ!


 ヒルデさんのリボルバーが火を吹く。  

 弾丸は、検問所の屋根で交代の笛を吹こうとした男の手元を正確に粉砕した。


 ピリィッ――と鳴りかけた音が、濁って消える。  


合図コマンド消失。……今だ!」


 俺の声を合図に、白い影が弾けた。


 ドォォォォンッ!!


 レイナさんが一番倉庫の正面扉を、盾ごと物理的にぶち破った。


「失礼しますっ!! 皆様の警備プランには、致命的な欠陥があるようですね!」


 突如出現した「白銀の壁」に対し、港の用心棒たちがパニックを起こす。


 ダダダダダッ!!


 反射的に放たれる小銃の連射。だが、レイナさんは一歩も退かない。


「《聖光の盾》!」


 キィィィィン、と耳を突く共鳴音。  


 展開された純白の障壁が、飛来する弾丸のエネルギーを強引に減衰させ、床に叩き落としていく。


「レイナさん、そのまま! 三時方向のクレーン柱まで押し込んで! 敵の視線をそこに固定!」


「了解!! ああ……っ、この弾丸の拒絶感……たまらない!」


 俺はマップを更新し、敵の視線がレイナに吸い寄せられるのを確認する。


「ルナリア、今だ! 右の通路、点の空白を突いて!」


 返事はない。  


 代わりに、《マッピング》上の赤い点が三つ、音もなく消失した。  


 ルナリアは「点」を刈る死神として、倉庫三番の裏口へと滑り込んでいく。



 ヒルデさんは、混乱する港の中を優雅に歩いていた。  


 彼女は人を撃たない。ただ、「機能」だけを撃ち抜く。


 バァンッ!  


 檻を運ぼうとしていた荷車の車軸を折り、物理的に動線を塞ぐ。


 バァンッ!  


 桟橋に係留されていた船の繋留ロープと、かじを魔導徹甲弾で粉砕する。


「……市場は、移動手段を奪われると脆いのよ」


 混乱が港を支配する。俺はルナリアと合流し、倉庫三番の檻へと辿り着いた。


「……しー、大丈夫だ。今、帰してやる」


 俺は子供の小さな手を握る。震えているが、確かに温かい命の感触。  


 間に合った――そう確信した。


 だが。


「……旦那。……見てにゃ」


 アイリスが檻の隅に落ちていた「荷札」を拾い上げる。 そこには、俺が見たことのない赤い印が押されていた。


「これ……倉庫三番の札じゃないにゃ。……“別ルート”の積載表だにゃん。帝国方面、地下市場方面……。ここにいない子たちが、もう別の場所に運ばれてるにゃ」


 俺の心臓に、冷たい氷が突き刺さった。  


《マッピング》を広域展開する。


 マップの端。港から離れ、暗い街道へと消えていくいくつかの「赤い点」。


「……逃げた……!?」


 追えば、届くかもしれない。  


 だが、今ここでこの子たちを守りながら追撃に移れば、確実に背後を突かれる。


 俺の脳内で、残酷な計算が走る。  


 ――全部は、救えない。


 その思考を、無理やりねじ伏せるような激しい足音が響いた。


「止めろおおおおおッ!! その荷は――俺の族の子だ!!」


 夜の静寂を切り裂く、野太い咆哮。  


 港の正面。灯りの下に躍り出たのは、血を吐くような形相をした巨躯の狼――ガルムだった。


 彼の背後には、傷だらけの戦士たちが立ち並んでいる。  


 商会が仕組んだ「狼人族による襲撃」という筋書きを、彼はあえて自ら踏み抜きにきたのだ。


「聞けぇッ!! アルマラカンの者ども!!」


 ガルムの声が、港中に反響した。銃声が止み、労働者たちが、私兵たちが、顔を上げる。


「俺は狼人族の族長、ガルムだ! 今日、俺は“裏切り者”になる! 反逆者と呼べ! 蔑め! だが――同胞を売る商人の犬にだけは、死んでもならん!!」


 ガルムが巨大なウォーハンマーを振り下ろす。石畳が爆ぜ、用心棒たちがクモの子を散らすように逃げ出す。  


 ヒルデさんが、通信機越しに俺へ囁く。


『……最高の投資先ね。リク、道は開かれたわよ。ガルムが時間を稼いでいるうちに、全てのルートを封鎖しなさい!』


 俺の脳内のマップが、激しく明滅する。  ガルムの増援が来た今、盤面の駒は揃った。


「レイナさんは桟橋Bを封鎖! 脱走用の馬車を盾で押し潰してください! ――ガルム族長!」


 俺の呼びかけに、ハンマーを振り上げたガルムがこちらを向いた。その目には、覚悟を決めた男の光が宿っている。


「ここの子供たちの守備を頼みます! あんたたちの背中は、俺たちの『盾』が守る!」


「……応よ! 一歩も通さん! 行け!!」


 族長が、余所者の俺に命を預けた。  ならば、俺の出す答えは一つだ。


「ルナリア、アイリス! 倉庫裏の子供たちの護衛をガルムたちに引き継ぐ! 二人はそのまま、港の外へ逃げた『別ルート』を追ってくれ! 一人も、一秒も、逃がすな!」


「了解だにゃ! 旦那、ナビを頼むにゃん!」


「……ん。……泣かせてる奴、全員、斬る」


 ルナリアの青い点が、爆発的な速度でマップ上を滑り出した。  アイリスもまた、影から影へと跳び、獣道をショートカットして逃走車両を追い詰める。


「レイナさん、正面! 敵の掃射が来ます!」


「あはっ! さあ、もっと! 狼の咆哮に負けないくらいの銃声を、私に聴かせてくれ!!」


 レイナさんの《聖光の盾》が火花を散らし、私兵たちの注意を引きつける。その隙を突き、ルナリアの刃が月光の下で閃いた。


 シュパァァァンッ!!


 港の出口。加速していた馬車の車軸を、ルナリアの抜刀が紙のように断ち切った。  激しい音を立てて横転する馬車。そこへ、アイリスが音もなく降り立つ。


「悪いネズミの逃走ルートは、アイリスが全部塞いだにゃ!」


 俺のマップから、「赤い点」が次々と消えていく。 全部救えない?  そんな弱気な計算は、もういらない。


 ガルムが誇りを賭けて盾になり、レイナが栓になり、ルナリアとアイリスが最速の牙となった今。  


 俺の《マッピング》が示すルートの先には、希望しかない。



 夜明け前の、紫色の静寂。


 港の端、血の匂いが漂う影の中で、ヒルデさんは肩を撃たれて跪くガルムの前に立っていた。


「……よく来たわね、ガルム。一番高い時に、自分を売りに出すなんて」


 ガルムは血の混じった唾を吐き、自嘲気味に笑った。


「……あんたに言われて気づいたんだ。……命を賭けている女の横で、自分の『面子』如きにしがみついている狼なんて、この世で一番格好悪い……ってな」


 彼は痛みに顔を歪めながらも、凛として立つヒルデを仰ぎ見る。


「……面子は捨てた。……だが、俺は狼に戻れた。……それでいい」


 その言葉に、ヒルデさんの紫の瞳が一瞬だけ揺れた。  冷徹な商人の顔の奥に、平和を愛する一人の女の子が覗く。


「……ええ。最高だったわ、ガルム。あなたは未来を守り、私は市場を壊した。利害は一致したわね」


 ヒルデさんは自分の白い将校コートを脱ぐと、ガルムの血塗られた背中に、無造作に、けれど優しく掛けた。


「リク。撤収よ。夜が明ける前に、この場所を離れましょう」


「了解。……団長、お土産はありますか?」


 俺が冗談めかして聞くと、ヒルデさんは足元に落ちていた「帳簿」をヒールで踏みつけた。


「ええ。最高の鍵を手に入れたわ。……『通行証』と『規格』。……アルマラカンの首輪を外す、本当の鍵よ」


 俺は最後に《マッピング》を更新した。  赤い点は潰れ、青い点は朝日が差し始める荒野へと向かっている。


 ――市場の夜明け。  冷たくて、清々しい風が、硝煙の匂いを連れ去っていった。

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