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第13話:族長の面子

 夜の帳が狼人族の砦を覆い、焚き火の爆ぜる音だけが妙に大きく響いていた。


 火の粉が舞い、石壁に揺れる影が獣の牙のように伸び縮みする。静けさが、怒りよりも先に胸を圧迫してくる。


 ――俺たちは戻った。

 手ぶらで。空っぽの檻という、最悪の報告だけを抱えて。


 砦の広間。

 一族の柱である族長ガルムが立っていた。

 

 傷だらけの顔、丸太のような腕。拳は白くなるほど握り込まれ、荒い呼吸が室内の空気を震わせている。

 だが、その瞳は怒りではなく――“否認”の色に濁っていた。


「……いなかったか」


 ガルムが、掠れた声で呟く。


 空っぽの檻。縄の跡。血の匂いこそなかったが、そこには「急いで運び出した」という残酷な痕跡だけが残っていた。


 俺が口を開こうとした瞬間、ガルムが先に吠えた。


「商会が、そんなことをするはずがないッ!」


 広間の空気が一気に沸騰する。周囲の戦士たちが身じろぎし、銃床が石床に触れて硬い音を立てた。


「奴らは我らに手を差し伸べた! 中央に見捨てられた我らに、銃を、弾を、生きる術を卸してくれた恩人だ! その恩人が、人攫いなど……断じてありえん!」


 言葉尻が震えている。

 怒っているのは、俺たちに対してじゃない。ガルム自身に対してだ。


 現実を認めれば、自分が一族を“商品”の檻へ追い込んだことになる。族長としての誇りが、その事実を拒絶していた。


 ヒルデさんは、静かに息を吐いた。

 優雅な仕草で髪を払い、瞳だけを氷のように冷たく研ぎ澄ませる。


「……ガルム。あなた、まだ“恩人”なんて寝言を口にするのね」


 その声には、同情も容赦もなかった。



 ヒルデさんが、採掘場の小屋から奪い取った帳簿をガルムの足元へ投げ捨てた。

 どさり、と重い音がして、石床の埃が舞う。


 それは戦場の血よりも生々しい、剥き出しの“数字”の塊だ。


「誇りを盾にするのは勝手よ。でも、数字は嘘をつかないわ」


 ヒルデさんは帳簿を開き、指先で行をなぞる。事務的に。冷酷に。


「あなたの子供たちは、既に『次の港』で換金される商品リストに載っている。……弾薬の規格を握られた時点で、あなたたちは引き金を引く権利すら売っていたのよ。気づかなかった? あなたたちの首には、最初から値札がついていたことに」


 広間の温度が、一気に氷点下まで下がった気がした。

 俺の横で、ルナリアが一言も発さないまま立っている。


 だらりと下げた手。けれど、その指先が鞘を――トントン、と、一定のリズムで叩いている。

 小さな音が、怒りの秒針みたいに刻まれていた。


「嘘だ……。奴らが、そんな……」


「嘘なら簡単に証明できるわ。弾薬の刻印、通行証の徴収印、借款契約の担保条項。そしてこれ――“積み替え記録”。あなたの村から消えた人数と、ここに記載された“積み荷”の口数が、一の位まで一致しているわ」


 ガルムの喉が鳴った。一瞬、瞳が揺れる。

 だが次の瞬間、彼はその揺れを“怒り”で塗り潰すように吠えた。


「黙れえええええッ!」


 ガルムがウォーハンマーを掴む。石の床が軋むほどの握力。

 それに応じるように、狼人族の戦士たちが一斉に銃を構えた。


 俺たちに向く、数十の銃口。視線。殺気。

 ――言葉が通じない相手に、剥き出しの正しさを突きつけるとこうなる。


 正しさは、時として相手のプライドを殺す。そしてプライドは、時として命より重い。


 その刹那、レイナさんが一歩前に出た。

 巨大な盾を構え、まるでスポットライトを浴びる役者のように胸を張る。


「……ああ、この、味方だと思っていた者たちから銃口を向けられる、極限の疎外感……! 背筋が熱くなりますね……ッ!」


「今それ言う空気じゃないから!」


 俺のツッコミが、重苦しい空気を一瞬だけ削った。

 狼人族の若い戦士が、困惑したように眉をひそめる。


 ルナリアは動かない。ただ、刀の柄に指がかかったまま。

 彼女が“抜く”と決めたら、この広間は瞬時に血の海に変わる。それを全員が本能で理解しているから、空気は余計に静まり返っていた。


 ヒルデさんは、ガルムをまっすぐに見上げた。

 怯えも、怒りもない。ただ、“値札を読む目”だ。


「ガルム。あなたが私を殺したいなら殺せばいい。でも、それでは子供は一人も戻らない。今ここで必要なのは、怒りじゃない。――具体的な結果よ」


「ガルム族長。言葉で信じろと言っても無理だ。……なら、結果で払う」


 俺は、意識して低く、事務的な声を響かせた。感情を混ぜれば、誇り高い彼らは“勝ち負け”の土俵に逃げる。


「俺たちが、攫われた全員を取り戻してくる。それが、俺たちの言葉が真実であることの証明だ」


 一息つき、銃口の列を睨み据えて本題を切り出した。


「成功したら、あんたはヒルデ団長と“契約”を結べ。弾薬規格の共通化、修理技術の提供、そして不当な担保の全面解除。――俺たちが、あんたたちの首にかけられた鎖をぶち切ってやる」


 広間がざわめく。“契約”。部族の掟よりも、利害に基づいた「取引の誓い」が、絶望した彼らの耳に届く。


「失敗したら――俺の命を好きにしろ。責任の所在が欲しいなら、俺が差し出す」


 ガルムの鼻が鳴り、戦鎚がわずかに下がった。その刹那。


「――リク。あなた、自分の価値を安く見積もりすぎよ」


 凛とした、けれどどこか楽しげな声が、凍りついた広間を溶かすように響いた。  


 ヒルデさんが、俺の隣に並ぶ。彼女は俺に向けられた銃口を、まるでないもののように優雅な足取りで通り抜け、ガルムの目の前まで歩み寄った。


「いい提案ね。でも、このヴァルキリアで、部下に責任を取らせるような無能な商売はしていないわ」


 彼女はガルムの持つ戦鎚の、その冷たい鉄の塊にそっと指先を触れた。


「賭けるのはリクの命じゃない。――私の命よ。ヴァルキリアの全財産と、団長である私の首。これなら、あなたの『誇り』を担保するのに不足はないかしら?」


「ヒルデさん、ダメだ! そんなリスク――」


 慌てて止めようとした俺を、ヒルデさんは手で制した。いや、制されたのではない。彼女の放つ圧倒的な威圧感――「支配者の気場」に、俺は言葉を奪われたのだ。


「あら、リク。あなたは私を、失敗するような計画に投資する女だと思っているの?」


 彼女は俺を見ず、正面のガルムだけを射抜くような紫の瞳で見据えている。


「心配いらないわ。これは投資よ。最悪の市場を買い取って、最高の結果へ書き換える。……それが私の仕事ですもの」


 ガルムの喉が鳴った。


 銃口を向けている戦士たちの手が、目に見えて震え始める。死を恐れぬ覚悟よりも、勝利を確信している彼女の「冷徹な自信」に、彼らは圧倒されていた。


「期限は夜明け前。港で積み替えが始まる前に、全て奪還するわ。条件は三つ。道案内、通行証、そして――この契約が終わるまで、私に背中を預けること」


 淡々と条件を積み上げる。友情や正義といった不確かなものではない。鉄よりも強固な、利害の一致による同盟。


「成功した暁には、あなたに『勝利』という名の面子をあげましょう。『あなたが騙された』のではない。『あなたが私を雇い、悪の正体を暴かせた』。歴史にはそう記させるわ。……族長として、これ以上の利益があるかしら?」


 ガルムの瞳が大きく見開かれた。  プライド。この交渉における、もっとも高価で、もっとも脆い通貨。  ヒルデさんは、それを踏みにじるのではなく、最高値で買い取り、黄金の額縁に収めて返すと約束したのだ。


「……ッ、ハハッ……!」


 ガルムの口から、乾いた笑いが漏れた。戦鎚が重い音を立てて床に下ろされる。


「食えない女だ。……命を賭けてなお、商談を楽しむか」


「最高の利益は、常にリスクの隣にあるものですから」



 アイリスが、影からすっと前へ出た。


「港は南の河川港、ミラド水門だにゃ。輸送隊は夜明け前に到着して、そこで大型船に積み込まれるにゃん」


 彼女は都で掴んだ情報の欠片と、帳簿の筆跡、そして関所の徴収印の系列を繋ぎ合わせていた。


「同じ私兵部隊が、同じルートを回してるにゃ。そこを押さえれば、全部の嘘を止められるにゃん」


 俺は脳内の《マッピング》を広域展開した。

 砦、河川、崖の迂回路。

 輸送隊の移動速度を逆算し、予測される現在位置を割り出す。


「……いた。輸送隊、今このあたりだ。最短で追いつくには――崖沿いの獣道を抜ける。レイナさんの車ならギリギリ通れるはずだ。ただし、一分も無駄にはできない」


「荒れた道ほど燃えますね……! 私の魂が、いや、サスペンションが!」


「車の方は大事にしてください」


 俺は即座に釘を刺した。ルナリアが、短く頷く。


「……うん。……早く。……遅いの、嫌い」


 その声が妙に冷たい。空っぽの檻を見てから、彼女はずっと“戦場の目”のままだ。



 砦の門前。焚き火の明かりの中で、ガルムが俺たちを見送る。


「……行け」


 吐き捨てるような声。けれど、その目には微かな“縋り”があった。

 族長の誇りはまだ折れていないが、その奥で、一人の父親が泣きそうになっていた。


 六輪駆動車が咆哮を上げ、夜の闇へと滑り出す。

 ヒルデさんが二挺のリボルバーを指先で回し、俺を見た。


「リク。……私の判断は、狂っているかしら?」


 隣に座るヒルデさんが、いつもの凛とした声とは違う、少しだけ柔らかなトーンで問いかけてきた。  

 前を見据えたままだが、その指先がわずかに膝の上で遊んでいる。


「……狂ってませんよ。一番効率的で、一番ヴァルキリアらしい選択です」


 ヒルデさんが笑う。不敵で、けれどどこか安堵の混ざった笑みだ。


「そうね。……あなたが隣で頷いてくれるだけで、この冷たい引き金が、ほんの少しだけ温かく感じるわ」


 驚いて彼女の顔を見ると、ヒルデさんはいつもの不敵な、妖艶な笑みを浮かべていた。一瞬見せた弱さは、まるで幻だったかのように。


 車が加速する。夜の山道。冷たい風。


 ヒルデさんが前を見据えたまま、低く呟いた。


「リク、座標を。……あの子たちの未来に、誰にも邪魔させない価格をつけにいきましょうか」


「……了解です、団長」


 俺のマップの端で、赤い点の群れが蠢いている。  夜明け前の世界が、静かに、血の色へと染まり始めていた。

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