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第11話:情報の奴隷

 鼻を突くのは、獣特有の野生の匂いと、焦げた火薬の刺激臭。

 そして――安価な重油が不完全に燃焼したような、鼻の奥がツンとする嫌な匂いだ。


 魔導車の窓から見える獣人連邦アルマラカンの首都『グラウル』は、石造りの重厚な建造物と、無数の天幕が混在する――剥き出しの生命力の街だった。


 ただし、その生命力はどこか、不自然に尖っている。


 俺は脳内の《マッピング》を起動し、半径二、三キロの透過地図を視界に重ねる。


 青い点――俺たち。

 そして、周囲に散る無数の赤い点。


「……数が多いな」


 城壁の上、屋根の端、路地裏の物陰。

 狙撃手の配置というより、「誰かが勝手に、必死に見張っている」という感じだ。


 統一された軍の動きじゃない。自警団、各部族の若い衆、商人の用心棒……。とにかく、怖がっている者の「目」が多すぎる。


 社畜時代、トラブル続きのプロジェクトでフロア全体がピリピリしていた時の、あの「誰がミスをしたんだ」と互いを探り合う空気に似ていた。


「この四方八方から突き刺さる警戒の視線……。肌を焼くような純粋な殺気。まるで、全身を針で撫で回されているような……。ああ、最高ですね……」


 運転席のレイナさんが、頬をほんのり赤くして息を弾ませる。


 バックミラー越しに見える碧い瞳は、熱っぽく潤っていた。この人のメンタルは、つくづく普通の人間とは別物だ。


「寝言は寝てから言いなさい、レイナ」


 助手席のヒルデさんは窓の外を見たまま、淡々と切り捨てる。

 けれど、その瞳は笑っていない。紫の瞳が、街の“空気”を測り、数値を弾き出している。


 門前の検問で、虎の獣人が俺たちを睨みつけながらライフルを抱えていた。

 ボルトアクション。古いが、手入れは行き届いている。


 ただ――。


「……あの腰のポーチを見なさい、リク」


 ヒルデさんが、小さく顎で示す。

 開いたポーチの隙間に、予備弾薬が見えた。明らかに口径の違うものが、無造作に放り込まれている。


「規格が合ってない……?」


「補給が死んでいるのよ」


 ヒルデさんが、声を落として言った。


「武器だけが増えて、弾が追いつかない。弾薬の規格が統一されていない。修理部品も足りていないのでしょうね」


 検問を抜け、俺たちは“賓客用”と案内された宿舎へ入った。

 豪華な石造りの洋館だ。だが、窓は狭く、出入り口は極端に少ない。外には常に見張りの視線がある。


「檻みたいだな……」


 俺が思わず呟くと、ヒルデさんは肩をすくめた。


「檻でもいいの。ここで噛みついたら、交渉すら始まらない。私たちは『商人』としてここにいるのよ。……まずは、相手の喉元に、金の鎖をかける隙を探さなきゃ」



 翌日。


 俺たちは“市場の視察”という名目で街に出た。


「……暑い。……毛皮の匂い。……酔う。……重力、五倍。……リク、離さないで。……離したら、私は、砂になる」


 ルナリアが俺の服の裾をギュッと掴んだまま、幽霊のような足取りでついてくる。半分眠っているようだが、俺が半歩でも離れようとすると、驚異的な握力で引き戻される。


 戦場では死神、日常では……。いや、日常での彼女は、介護を必要とするレベルで無気力だ。


 市場は一見、活気があるように見えた。

 肉を焼く匂い、香辛料の刺激、鉄と油の混ざった匂い。


 でも、活気の下には、薄い膜みたいな「不信」が張り付いている。

 客が品物を手に取るたびに、店主の手が腰のナイフに伸びる。値切る声が、どこか喧嘩腰だ。


「ねえ、リク。あれ」


 ヒルデさんが指差したのは、広場の中心にある掲示板だった。

 そこに、無料で配られている情報紙が何枚も、乱雑に貼られていた。


 タイトルは――『シンラク速報・アルマラカン特別版』。


『ルズマール魔導国、国境に新型兵器集結! 侵攻の足音か!?』

『某部族、裏切りの密約か? 物資供給妨害の黒幕は身内にあり』

『迫りくる脅威に備えよ! 今なら商会指定小銃、特別ローンで提供中!』


 煽り見出しの文字が、赤黒いインクで踊っている。その横には、銃火器のカタログのような精巧なイラスト。


 俺は、胃の奥がキリキリと焼けるような感覚に襲われた。


 前の世界で見た、SNSに流れる不安を煽る広告。

 あれと同じだ。違うのは、売っているのが「健康食品」ではなく、命を効率的に奪う「道具」だということだけ。


「……これ、情報っていうより、ただの火付けですよ」


「そうね。噂は無料で撒ける。けれど、その噂から生まれる恐怖は、莫大な金になる」


 ヒルデさんは冷たく言い放ち、紙を一枚、指先で弾いた。


「本当に怖いのは、これが“嘘か本当か”じゃない。事実を確認する暇も与えずに、人を動かしてしまうことよ。……一度走り出した憎しみは、自分たちが何を憎んでいるのか忘れても、止まらなくなるわ」


「旦那ぁ、見つけるの苦労したにゃん」


 聞き慣れた、軽快な声が背中から落ちてきた。

 黒猫耳をぴこぴこと動かし、アイリスがいつの間にか俺の肩に肘を乗せている。


「情報収集は完了だにゃ。……でも、状況は予想以上に真っ黒だにゃん」


「合流できてよかった。……アイリス、現状を整理してくれるか?」


 アイリスは耳を伏せ、真剣な顔で指を折った。


「一つ、噂が暴走してるにゃ。『狼人族ウルフが物資を止めた』、『虎族が寝返った』、『中央政府は自分たちだけ逃げる気だ』……。毎日、酒場で殴り合いが起きてるにゃん」


「二つ、借金が雪だるまだにゃ。武器を買うために、部族の大事な『狩場』や『水源』が担保に取られてる」


「三つ、昨日、ヒルデ団長が言ってた通り、弾が足りないにゃ。弾が買えない銃はただの棒だにゃ。だから余計に、より強い、弾の揃ってる新式を『もっと買わなきゃ』って焦ってるにゃん」


「四つ、誤解が修復不能だにゃ。誰が最初に物流を止めたか分からないまま、憎しみの矛先だけが狼人族ウルフに向けられてるにゃん……」


 短い言葉の端々に、アイリスの故郷への悲痛な想いが混じっていた。


「契約書も、こっそり掠めてきたにゃ」


 アイリスが差し出した、ボロボロの羊皮紙。

 俺はそれを広げ、内容をスキャンするように読み進めた。


 ……戦慄した。

 一見、公正な取引に見える条文。だが、その裏には巧妙な罠が仕組まれている。


「代金が支払われない場合、採掘権、運河の通行料、特定拠点の徴収権……。これ、国の根幹を全部、担保にしてるじゃないか」


「そうよ。この国の言葉に慣れていないおさたちに、通訳が都合のいいところだけを説明して、判を押させる。……首を切る前に、まず首輪を締めるのが彼らのやり方よ」


 ヒルデさんの言葉には、怒りを通り越した嫌悪が滲んでいた。


「弾が買えない銃は棍棒。修理できない銃は、ただの置物。規格という名のルールを握られた時点で、自由なんて言葉は消えるのよ」


 俺は、前の世界の自分を思い出していた。

 読めないほど細かい利用規約。


 分からないまま「承諾」を押さなければ仕事が進まない、あの無言の圧力。

 その結果、気づけば逃げられないシステムの底に沈んでいた。


 同じだ。

 世界が変わっても、強い者が弱い者を仕組みで磨り潰す構造は、驚くほど似通っている。



 市場の奥で、突然、何かが弾けるような怒号が上がった。


「おい! 今月も肉が届かないぞ!」

狼人族ウルフの領地で止められてるんだ! あの裏切り者どもめ!」

「そうだ! あいつらはルズマールと繋がってるんだ! 今のうちに追い出せ!」


 獣人たちの群れが、急速に熱を持って膨らみ始める。手近な棒やナイフを掲げ、狼人族の露店に向かって押し寄せていく。


 俺が歯噛みすると、アイリスが低い、地を這うような声で言った。


「狼人族が止めてるんじゃないにゃ」


「……根拠は?」


「関所の印だにゃ。アイリスが見た通行証には、商会の『特別徴収印』が押されてたにゃん。関所にいる“護衛”も、部族の兵じゃない。商会が雇った、身なりのいい私兵部隊だにゃ」


 ――徴収係。

 その正体は、物理的に物流を堰き止めるダムのようなものだ。


 ヒルデさんが、ほんの少し口角を上げた。笑みというより、鋭利な刃の形だった。


「なるほどね。自分たちで物資を止め、その原因を狼人族に擦り付ける。憎しみが内側に向かえば、武器はさらに売れる。――古典的だけど、一番効果的な商法だわ」


 俺は群衆を見た。


 怒りに目を血走らせているのに、自分たちが「何に踊らされているのか」を確かめる術を持たない。

 その無知を、安全な場所から眺めて笑っている連中がいる。


 ヒルデさんは、深く、長い息を吐いた。


「……当初は、アルマラカン政府に武器を売って、国家間のパワーバランスを整えるつもりだったけれど」


「方針を変えますか?」


 俺の問いに、彼女は迷いなく頷いた。


「変えるわ。このまま武器を売れば、ただの内戦を加速させるだけ。市場が焼け野原になれば、債権の回収もできなくなる。――それは商人としても、指揮官としても、最低の愚行よ」


 そして、彼女の視線が再び、広場の隅で怯える子供たちの姿を捉えた。


「それに……子供が泣く街は、私の趣味じゃないわ」


 平和を愛しているのに、現実という汚泥を飲み込まなければならない。

 だからこそ、彼女は誰よりも冷酷に、誰よりも優しくなれる。


「嘘を止めるわよ。……鍵は、狼人族ウルフよ」



 宿舎に戻ると、ヒルデさんはすぐに“贈り物”の選定を始めた。


 並べられたのは、最新式の銃器ではない。


 高度な魔法を組み込んだ医療キット。精密な工具セット。そして、高カロリーの保存食の山。

 さらにその横には、モニカさんが拠点から送ってきた、複雑な数式が並ぶ書面があった。


「『弾薬規格の共通化』、『修理技術の無償提供』。……これを持っていくんですか?」


「武器商人が武器じゃないものを持っていく。その違和感こそが、疑り深い連中の警戒を解く、最高の『防弾チョッキ』になるのよ」


 ヒルデさんは、荷物を詰め込んだコンテナを指先で叩いた。


「リク。あなたは地形をマッピングしなさい。狼人族がなぜ、物流の要衝だと言われるのか。その地形的価値を、現地で体感するの。交渉を支配するのは、言葉じゃない。その土地が持つ意味よ」


「了解です、団長。……。狼人族の領地までの、最短かつ安全なルート、今すぐ算出します」


 レイナさんは、巨大な盾を背負い直し、胸を張った。


「交渉の場が荒れれば、私が盾になります! 浴びせられる罵声も、突き立てられる敵意も、放たれる弾丸も……。すべて、このレイナが悦んで……失礼、命に代えて受け止めましょう!」


「……。お腹空いた。……。狼人族のところに行けば、お肉、ある? ……ないなら、寝る。……あるなら、一歩だけ歩く」


 ルナリアが俺の肩に頭を乗せ、力なく呟く。


 俺は脳内のマップを広げた。


 都の喧騒を離れた先、険しい山岳地帯に広がる狼人族の領域。

 そこには、商会が仕掛けた「物流の詰まり」が、どす黒いノイズとなって渦巻いている。


「行きましょう。……俺たちの本当の『商売』は、これからだ」

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