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第10話:戦場に咲く緋色の愉悦

 拠点の洋館を出発する朝、俺は改めて「このパーティの極端さ」を思い知らされることになった。

 

 玄関先。朝日を浴びる俺の右腕には、リディアが強力な磁石に吸い寄せられる砂鉄のような勢いでしがみついている。


「……リク、さん。どうか……どうか私から一歩も離れないでください。あなたが離れた瞬間、私にとってこの世界は上下左右を失った無重力の暗黒空間へと変貌します。あなたの服の裾こそが、私の生存を保証する唯一の座標なのです」


「いや、リディアさん。まだ玄関のドアを開けただけだからね。あと、世界が勝手に動くことはないから大丈夫だよ」


 彼女には、この洋館から門までのわずか十メートルですら、攻略不能な巨大迷路に見えているらしい。


 大陸一の狙撃手が「迷子」を恐れて震えている光景は、もはや様式美を通り越して、ある種の宗教的儀式にすら見えてくる。


「……はぁ。まったく、朝からそんな共依存関係を見せつけられる私の身にもなってください。計算が狂うでしょう」


 背後から、氷のように冷たい、けれどどこか呆れを含んだ声。


 モニカさんだ。彼女は眼鏡をクイと押し上げ、手にした事務用ボードのペン先を、まるでナイフのように俺の喉元に突きつけてくる。


「リクさん、いいですか。あなたが今回の遠征で消費する弾薬、燃料、食費、そしてルナリアさんの莫大な『おやつ代』。その全ては私の胃の痛みを代償に捻出された予算です。一発の無駄撃ちは、あなたの給与の一割カットと同義だと、脳細胞の一つ一つに刻んでおきなさい」


「……。肝に銘じます、会計士様」


「よろしい。……。死なない程度に、稼いできなさい。あなたがいないと、データの清書をする人間がいなくて私が困りますから」


 毒舌の裏に、微かな「無事でいろ」という響きを感じたのは、俺の自惚れだろうか。

 モニカさんとリディア、そして拠点を守るチームに見送られ、俺たちは漆黒の六輪駆動車へと乗り込んだ。



 目指すは、大陸南部に広がる野生の聖域『獣人連邦アルマラカン』。

 魔導車が深い森を抜け、未舗装の砂利道を跳ねながら進む。


「……リク。……揺れ、無理。……世界が、シェイクされてる。……プリン、逆流、不可避……」


 後部座席。ルナリアが俺の肩に額を預け、今にも魂が抜けそうな声で呻いている。


 彼女は戦場では音を置き去りにする速度で動けるくせに、乗り物の揺れには驚くほど弱い。俺の肩に伝わる彼女の微かな体温と、水色の髪から漂う甘いシャンプーの香りが、ここが戦場へ続く道であることを一瞬忘れさせそうになる。


「もう少しの辛抱だよ、ルナリア。……レイナさん、二キロ先に河川を確認。このまま直進すると地盤が緩い湿地帯に入ります。北へ五度、進路を修正してください。あの岩棚の影を通れば、最短かつ安定したルートに乗れます」


「了解しました、リク殿! 実に論理的で、美しいナビゲートです! ……。ああ、効率的な行軍……規律あるフォーメーション……私の背筋が喜びに震えています……!」


 運転席でハンドルを握るレイナさんが、碧い瞳を爛々と輝かせて答える。

 昨夜の「変態騎士」の面影はどこへやら、今の彼女は完璧な軍人に見える……。まあ、言動は相変わらずだが。


 助手席では、ヒルデさんが優雅に足を組み、愛銃のシリンダーを回転させて作動確認をしながら微笑んだ。彼女の紫の瞳は、既にこの先の「商売」を見据えている。


「アルマラカンは今、ルズマール製の新式銃による脅威に晒されているわ。恐怖が支配する場所に、私たちは『対等に戦える力』を売りに行く。……リク、あなたの《マッピング》で、獣人たちがどの地形で、どんな戦術を必要としているか、しっかり査定しておきなさい」


「……。了解です、団長」


 俺は全意識を集中し、脳内のマップを広域展開した。

 青白い透過地図の上に、俺たちの座標を示す青い点。

 

 そして、その周囲を囲むように――。


「……ッ! ヒルデさん、来ます! 四時方向、岩棚の上! 敵性反応……十、二十……三十!? 完全に待ち伏せされてます、急速接近中!」



――ドォォォォンッ!!


 凄まじい衝撃音が響き、魔導車のすぐ脇の地面が爆ぜた。

 

「待ち伏せ!? いや、この殺気……腹を空かせた野生の歓迎会か!」


 レイナの声が弾ける。


 飛び出してきたのは、全身を煮えたぎる熔岩のような鱗で覆われた巨獣――『熔岩獅子ラヴァ・レオ』の群れだった。


「リク殿、指示を! 最高の蹂躙、いえ、最高の戦術を私に下してください!」


 レイナさんが魔導車を急停車させ、ドアを蹴破って外へ飛び出す。

 その手には、身の丈ほどもある巨大な鋼鉄の円盾。そしてもう片方の手には、連射性能を極限まで高めたアサルトライフル『パラディンB1』。


「レイナさんは前方十メートルでくさびに! 盾で突撃を抑えつつ、ライフルの斉射で右翼を削ってください! ルナリアは左側から回り込む五体を迎撃! ヒルデさんは車上から遊撃をお願いします!」


「了解! ……。さあ、来なさい野獣ども! 私の盾を、その爪で存分に攻め立ててみなさい!!」


 レイナさんが盾を地面に突き立て、全魔力を防衛回路へと練り上げた。


「《聖光の盾・最大出力》!!」


キィィィィィィンッ!


 大気を震わせる共鳴音と共に、彼女を中心に純白の魔力障壁がドーム状に展開される。そこへ、時速百キロを超える速度で熔岩獅子たちの波が激突した。


ドガァァァァァンッ!!


 凄まじい物理衝撃。普通の人間なら骨どころか内臓が消滅する一撃。だが、レイナさんはその衝撃を真っ向から受け止め――歓喜に頬を真っ赤に染めた。


「はぁ、はぁ……っ、熱い! 盾を通じて伝わるこの『蹂躙される感覚』、たまりません……! ですが、一方的に受けるだけでは騎士の矜持が許しません!」


 レイナさんは盾の隙間からライフルの銃口を突き出した。


「《連鎖斉射チェーン・バースト》!」


ダダダダダダダダダダッ!!


 乾いた重低音が響き、ライフルの銃口から青い火花が吹く。


 放たれたのは魔力を帯びた徹甲弾。レイナさんは盾で敵の猛攻を凌ぎながら、最小限の露出で正確に熔岩獅子の喉元を抉っていく。


 ギャゥンッ! と悲鳴が上がり、最前線の数体が肉片を散らして転倒した。


「ルナリア、今だ! 三時の方向、二体目が飛び上がる。着地際、腹部が空く!」


「……。了解。……。仕事……。最短で終わらせて、また寝る」


 後部座席で丸まっていたルナリアが、物理法則をあざ笑う速度で飛び出した。

 彼女の身体が、一瞬だけ陽炎かげろうのように揺れる。


シュパァァァァンッ!!


 音を置き去りにした抜刀。空中でルナリアの刀が、熔岩獅子の硬質な鱗をバターのように切り裂いた。


 ガキィィン! と金属的な音が響くが、それは彼女の刃が鱗を貫き、中の脊椎まで断ち切った音だ。着地と同時に、ルナリアは独楽のように回転し、次の一撃を放つ。


「《縮地・弐式》――『空閃』」


ドシュッ、ドシュッ!!


 鮮血が舞い、二体の巨獣が絶命。ルナリアの動きには、呼吸一つ乱れないほど無駄がない。俺のマップが示す「敵の視線ベクトル」の空白を、彼女は正確に縫い続けている。


「リク、奥で待ち構えているアルファ個体は私が仕留めるわ。……。座標、意識に同期して」


 車の上に仁王立ちしたヒルデさんが、二挺の黄金リボルバーを構えた。


「二時の方向、三〇〇メートル先、岩の亀裂! ……三、二、一……今だ!」


バァァァァァンッ!!


 大気を震わせる轟音。

 放たれた『魔導徹甲弾』は、空気を切り裂く衝撃波を撒き散らしながら、遮蔽物である岩ごとリーダー個体の眉間を粉砕した。


ぐおぉぉぉぉん……!


 ボスを失った群れが、本能的な恐怖で一瞬だけ動きを止める。絶好の掃討チャンスだ。


「レイナさん、障壁を全解放して前方へ衝撃波! その隙にライフルで残存個体を一掃して!」


「喜んで! この盾に溜まりに溜まった『圧力』を、お返しします!!」


 レイナさんが盾を大きく振りかぶった。


「《守護者の憤怒》!!」


ゴォォォォォンッ!!


 大気が爆発したかのような衝撃波が扇状に広がる。熔岩獅子たちが木の葉のように吹き飛ばされ、無防備に姿勢を崩す。そこへ、レイナさんのライフルが牙を剥いた。


ダダダダダッ! ダダダッ!


 正確無比なバースト射撃。彼女は盾で自身の脆弱な部分を守りながら、空中で無防備になった個体を次々と撃ち抜いていく。


ザシュッ! ギチィィッ! パシィィン!


 ルナリアの刃もまた、死の舞踏を踊るように命を刈り取っていく。

 最後の一体が、ルナリアの《零閃れいせん》によって心臓を貫かれ、砂埃を上げて崩れ落ちた。



 戦場に静寂が戻った。

 あたりには硝煙の匂いと、魔獣の焦げた血の匂いが漂っている。


「ふぅ……。良い運動でした。リク殿、見てください。私の盾のこの歪み……敵の殺意を一身に受けた証です……あぁ、ゾクゾクします……」


「……。いや、怪我がないならそれでいいですよ、レイナさん」


 俺がそう言うと、レイナさんは「……あぁ、その冷淡な気遣い……もっと私を突き放して……!」と頬を染めてその場に崩れ落ちた。

 ……本当に、この「騎士」を指揮するのは、俺の精神力がいくらあっても足りない気がする。


「……。お腹空いた。……。リク。……。お肉、焼いて。……今の戦い、カロリー、全部持っていかれた」


 ルナリアが俺の服の裾をギュッと掴み、真顔で要求してくる。

 さっきまでの「剣鬼」の面影はどこへやら、今はただの空腹に耐える小動物だ。


「わかった、わかったから。……。ヒルデさん、この先は?」


「ええ。今の派手な騒ぎで、あちらも気づいたはずよ」


 ヒルデさんが指差す先。

 地平線の彼方から、巨大な土煙を上げて接近してくる影があった。

 

 筋骨隆々とした肉体を持つ、狼や虎の頭部を持った獣人たちの騎兵部隊。

 彼らの手には、この世界の伝統的な槍や斧ではなく――鈍色の光を放つ、帝国製を模倣したボルトアクション・ライフルが握られていた。


「旦那ぁ! 派手にやったにゃんね!」


 アイリスがどこからともなく音もなく現れる。彼女は獣人たちの伝統的な装束に身を包み、尻尾を機嫌よさそうに揺らしている。


「獣人連邦アルマラカン、第一守備隊の皆さんのご案内だにゃ。……アイリスの完璧な根回しで、まずは『賓客』として招かれることになったにゃん!」


「賓客、ね。……ふふ、いいわ」


 ヒルデさんが不敵に微笑み、魔導車へと戻る。


「さあ、行きましょうか、リク。世界の天秤を、私たちが正しく傾ける時間よ」

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