第1話:ハズレスキルと鉄の世界
「異世界召喚されたら、聖剣を振るって無双して、可愛いお姫様たちとイチャイチャ――」
……なんて、どこのラノベの読みすぎだ。
そんな甘い話、あるわけがないだろう。
前世の俺を待っていたのは、無双どころかブラック企業での「磨り潰される日常」だった。
月二百時間の残業、上司からの人格否定、深夜の静寂を切り裂くチャットの通知音。
そんな絶望的なデッドラインを越えた果てに、俺の意識はホワイトアウトした。
次に目が覚めた時、俺はひんやりとした大理石の床に跪いていたんだ。
二度目の人生、どうせなら今度こそ「勝ち組」からスタートさせて欲しかったのだが。
運命の神様ってやつは、どうやら性格がひん曲がっているらしい。
「スキル……《マッピング》だと? 地形を把握するだけの能力だと申すか、この無能が!」
豪華絢爛なステンドグラスを背負い、玉座にふんぞり返る教皇のジジイが、汚い唾をこちらへ飛ばしてきた。
ああ、わかってますよ。異世界召喚のテンプレですよね。
伝説の武具とか、一撃で軍隊を滅ぼす極大魔法とか、そういう「わかりやすい派手なやつ」を期待してたんでしょ?
「あの、これ、壁の向こうの構造も透過して見えますし、動くものも識別できるというか……点の先端が三角形になってて、敵がどっちを向いているかまでリアルタイムで『視える』んです。偵察や待ち伏せ対策には、これ以上ないほど有用で――」
「黙れ! 我が教国が求めるのは、帝国に対して神の雷を下す聖なる英雄だ。紙の地図なら売店で銅貨でも出せば売っておるわ。そんな魂を汚す姑息な力、我が軍には不要!」
……デジャヴだ。
前の職場で、理不尽なノルマを押し付けられ、「お前の代わりなんていくらでもいるんだよ」と詰め寄られていた時と、全く同じ空気。
異世界まで来て、社畜時代のトラウマを掘り起こされるとは思わなかった。
「衛兵! そのゴミを今すぐ聖都の外へ放り出せ! 我が国の清浄なる空気まで淀むわ!」
こうして、俺の異世界生活は、召喚されてからカップラーメンが伸びるよりも短い時間で「クビ」になった。
◇
城門の外。石畳にケツを打ちつけた俺は、どんよりとした空を見上げて呟いた。
「……お腹がすいた……。せめて退職金代わりに、パンの一つでも欲しかったなぁ」
とりあえず、追い出された聖都の街並みを歩いてみる。
石造りの美しい建物、行き交う人々は腰に長剣を下げた騎士や、杖を持ったローブ姿の連中ばかり。
まさに「剣と魔法」の王道。だが、そこに「地図」しか作れない俺の居場所はない。
「おやおや、お困りのようだね、旅の人。お腹が空いているんだろう?」
途方に暮れる俺に、いかにも「善人です」という顔をした男が近づいてきた。
結論から言おう。
――ブラック企業の社畜というのは、優しくされると「秒」で落ちるのだ。
差し出されたスープを飲み、「ありがとうございます!」と深々と頭を下げ……。
スープに混入されていた薬で意識を失うまで、わずか三分の出来事だった。
◇
次に目が覚めた時、俺の視界は冷たい鉄格子に遮られていた。
首には、ずっしりと重い鉄の首輪。
「……え、これ、奴隷? 二日目で奴隷落ち? スピード出世ならぬ、スピード転落すぎないか?」
鼻を突く獣の臭い。湿った藁の感触。
首輪に繋がった鎖が、動くたびに「ジャラリ」と嫌な金属音を立てる。
「お、起きたか、この『稀人』め。戦闘能力ゼロの異世界人なんて初めて見たが、まあ、珍品を好むマニアもいるだろうよ!」
奴隷商の男が、檻を棒で叩く。脳内に響く不快な振動。
さっきまでの「自由」も「人権」も、この藁の上には存在しなかった。
俺はもう、名前のある人間じゃない。
たった一日で、値札を貼られた「商品」に成り下がったのだ。
喉の奥がヒリついて、涙も出ない。体の芯を凍らせるような絶望だけが、俺を支配していた。
……ああ、人生詰んだ。
現実逃避のために、俺は唯一のスキルを発動させてみる。
脳内にパッと、透過型の三次元ホログラムマップが広がった。
自分を中心に半径数キロ。建物の構造から、ネズミの這い出る隙間までが手に取るようにわかる。
周囲の人間は「赤い点」で表示されていた。
点の先端には小さな三角形のインジケーターが付いている。今、その対象が「どの方向を注視しているか」だけはリアルタイムで把握できるのだ。
もっとも、それ以外の「何をしているか」までは解析不能なのだが。
それでも、マップを眺めている間だけは、自分がこの「檻」という狭い箱庭の外に繋がっている気がして、少しだけ息がしやすかった。
「……逃げ道は完璧だ。でも、逃げた先でまた騙される自信しかないのが悲しいな……」
悲しくなるほどの高性能。だが、俺自身にはそれを活かす腕力も、一歩を踏み出す度胸もない。
そんな時だった。
「――今日は雑用ができる奴隷を探しに来たんだけど……できれば、可愛い女の子がいいわね」
冷たく、けれど鈴を転がすような、凛とした声が檻の向こうから響いた。
顔を上げると、そこにいたのは圧倒的な「格」を放つ女性だった。
腰まで届く鮮やかな紫の髪。鋭くも知性を宿した深い紫の瞳。
教国の住人が着ているような古臭いローブとは明らかに一線を画す、洗練された白の軍服。その上に将校コートを優雅に羽織っている。
そして、その背後にはもう一人、透明感のある水色の髪をだらしなく垂らした少女がいた。
「ヒルデ団長……もう帰りましょうよぉ……。立ってるだけでHPが削れる気がしますぅ……」
「我慢しなさいルナリア。これも仕事よ」
「えー……働くとか、努力の次に嫌いなんですけどぉ……。あ、あの檻の中の人、死んだ魚の目をしてて親近感わきますぅ……」
水色髪の少女――ルナリアは、腰に凄まじい業物らしき刀を下げているが、その立ち姿は完全に「昼過ぎに起きたニート」のそれである。
紫髪の美女――ヒルデが、俺の首に下げられたスキルの説明札を、食い入るように見つめた。
「《マッピング》……。ねえ、あなた。どのあたりまで『視える』のかしら?」
「え、ええと……半径二、三キロ先までなら、空から俯瞰するように……。あと、物陰にいる人の向きもわかります」
「向き? 視界が通っていない遮蔽物の向こう側にいる人間でも?」
ヒルデの眉が、わずかに跳ね上がった。
「はい。脳内に、はっきりと……ミニマップみたいな形で。たとえば、あの角の向こうにいる衛兵が、今どっちを向いて欠伸してるかもわかりますよ」
「……面白いわ」
彼女は俺をじっと見つめた。
それはゴミ溜めの中から、掘り出し物の「精密部品」を見つけたような、鋭い解析者の目だ。
そして、ふっと艶やかに微笑んだ。
「決まりね。可愛い女の子はまた今度にするわ。――店主、この男を買うわ。言い値でいいわよ」
「へっ!? あ、ありがとうございます! でも俺、戦えませんよ!? 腕立て伏せも三回で腕が震えるんです!」
「いいのよ。あなたには前線で剣を振ってもらうわけじゃないわ。……私の名はヒルデ。あなたのその『眼』、私たちが有効活用してあげる」
◇
奴隷市場の外へ連れ出された俺を待っていたのは、教国の「剣と魔法」の風景とは致命的にミスマッチな、巨大な鉄の塊だった。
「な……なんだ、あれ……」
思わず声が漏れた。
それは、真っ黒な装甲に覆われた、巨大な六輪駆動の装甲車だった。
車体には「Valkyria」のエンブレム。そこからは馬のいななきではなく、内燃機関特有の、腹に響く重厚なアイドリング音が響いている。
教国の騎士たちが、この鉄の箱を「魂のないゴミ」と鼻で笑いながら通り過ぎていく。
だが、前世の知識を持つ俺には、その異様な迫力が、教皇の玉座よりもずっと現実的な「暴力」に見えた。
「驚いたかしら? あの中は教国の『魔法至上主義』では決して届かない、私たちの領域よ」
ヒルデが重厚なハッチを開ける。
漂ってくるのは、重油と機械油の匂い。
促されるまま這い入った車内は、俺が知る「ファンタジー」を無残に叩き潰す光景だった。
杖も、剣も、魔法の薬なんて高尚なものもありゃしない。
代わりに壁を埋め尽くしていたのは、鈍色の光を放つ無機質な鉄の筒――「銃火器」だった。
「……銃、ですか? これ」
「そうよ。この世界にはね、かつて魔法を『過去の遺物』に変えかけた『火薬』という技術があるの」
ヒルデは楽しそうに肩をすくめると、棚から一挺の武骨なライフルを取り出した。
金属の冷たさと、火薬特有のピリついた匂いが鼻を突く。
「教国の連中は、いまだに『魔法こそ最強』なんて化石みたいな幻想を抱いているけれど。世界はもう、とっくに先に進んでいるのよ」
「……嘘だろ。でも、ならなぜ教国は勇者を召喚しようとしているんだ? 銃があれば、勇者なんて必要ないんじゃ……」
「教国はね、自分たちの『特権』を守るために、自分たちの魔法より鉄の筒の方が強いなんて、口が裂けても認めたくないの。でも、実際には銃が普及してきている。だから、圧倒的な力を持つ勇者を異世界から拉致してきて、無理やり『自国の魔法の象徴』に仕立て上げたいのよね。笑えるでしょ?」
彼女は窓を開け、遠くに見える岩山を指差した。
「見てなさい。これが、今の世界の『魔法』よ」
彼女が引き金を引いた瞬間、爆音が車内に炸裂した。
――ドォォォォォン!
鼓膜が震え、衝撃が脳を揺らす。
発射された弾丸は、空気の壁を切り裂く衝撃波を残し、一瞬で数百メートル先の岩を粉々に粉砕した。
詠唱も、魔法陣も、魔力のチャージもない。
ただの「指先の動き一つ」で、物理法則が暴力的に書き換えられたのだ。
「教国の連中は、銃火器を『魂を汚す鉄屑』なんて呼んで忌み嫌っているけれど、事実はいつだって残酷よ。十年の修行を積んだ大魔導士の頭を、昨日銃を握ったばかりの子供が、一キロ先から撃ち抜ける。それが今の時代の『理』なの」
彼女は俺の胸元に指先を添え、ふっと顔を近づけてきた。
ふわりと漂う、硝煙の混じった甘い香水の匂い。
「でも、全員が高火力の武器を持ったことで、新しい問題が生まれたわ。……弾丸は魔法と違って、引き金を引けば誰にでも当たる。でも、当たれば死ぬのは王様もスライムも同じ。だからこそ――」
ヒルデは満足そうに微笑み、俺の額をトントンと叩いた。
「先に敵を見つけ、先に引き金を引いた方が勝つの。隠れている敵の位置、向き、距離。それが分からないまま戦場に出るのは、目隠しをしてロシアンルーレットをするようなものよ。……ねえ、リク。あなたの《マッピング》は、ただの測量図じゃない。弾道の計算、敵の配置、遮蔽物の透過……。それは、この銃火器の時代における『神の目』なのよ」
「神の、目……」
俺は、自分の手のひらを見つめる。
教国ではゴミだと捨てられた、ハズレスキル。
だが、この銃火器が戦場を支配する「近代兵器社会」においては――。
「ようこそ、独立傭兵団『ヴァルキリア』へ。今日からあなたが、私たちの『戦術指揮官』……兼、拠点の雑用係よ」
「ふぁあ……。つまり、リクさんがいれば、私が無駄に歩き回って索敵しなくて済むってことですよね……。最高じゃないですか……。あ、お腹空いたので、拠点に着いたらすぐに何か作ってください……。私、ふわとろのオムライスがいいですぅ……」
ルナリアが、革張りの座席に寝転がりながら、やる気なさそうにパタパタと手を振った。
オムライスか……。転生前は、美味しいご飯を食べるのが唯一の生存確認だったな……。
雑用くらいなら、社畜で鍛えた俺にもできそうだ。
俺は脳内に浮かぶ、無数の赤い点がうごめくマップを見つめた。
教国の騎士たちは、俺の力を売店に売っている地図と同じだと言った。
だが、この人たちは違う。
個人の能力が否定され、圧倒的な「効率」がすべてを支配するようになったこの残酷な世界で。
俺の持つ「情報」こそが、何千人の騎士団よりも価値があるのだと、そう断言してくれた。
どうやら俺の二度目の人生は、前の世界よりもブラック……いや、もっと刺激的な「戦場」になりそうだ。
俺は、立ち込める硝煙の香りに、ほんの少しだけ武者震いをした。




