2-07 魔狼の剣 〜裏切りのベルトラン〜
大陸西方の人間の大国ヴァンドゥール。
賢明なる女王の治める国に、魔族の一員たる猪人族の軍団が北方より侵攻して一年。
屈強な猪人族の軍にヴァンドゥール王国軍は連敗し、ついに王都郊外での決戦にまで追い詰められていた。
逼迫した戦況に女王は二人の人物を傭兵として迎え入れる。
一人は凶悪な大剣を振り回す巨漢の戦士ベルトラン。
そして、いま一人は数多の魔術を操る大賢者グイードである。
決戦の地でベルトランとグイードは見事猪人族の魔王を討ち、ヴァンドゥール王国は救われた。
ベルトランは勇者と称えられ、王国騎士の称号を授けられた……。
「なあ、グイード。フライパンの上のそら豆ってこんな気持ちなんじゃねえかな」
「あんたは毛深いんや、ベルトラン」
灼熱の陽光の下。
乾いた街道を二人の男が歩いていた。
大剣を背負った巨軀の戦士は、異常とも言える暑さに始終愚痴をこぼしている。
逆に、黒尽くめのローブをまとった魔術師は、平気そうな顔をしていた。
「しかし、信じられねーな。いくら蛇野郎があのババアの息子だからって、こんな現象を引き起こす力はあったか?」
「最古の蛇神をババア言うんはやめてんか……。心臓に悪いでほんま。でも、猪面が白状したんやで。何らかの関係はあるんちゃうか」
猪人族の魔王の襲来とともに始まった旱魃は、魔王の死の後も続いていた。
困惑した女王は、信頼する二人に原因の調査を依頼していたのである。
「猪面を殺しゃこの暑さも収まると思ったのによ」
「やつにそんな力はないやろ。ヴァンドゥール王国だけでなく、カンディア帝国でもこの日照りは起こっているようやで」
「蛇野郎の仕業だとしたら、やつの手も長くなったもんだな」
「せやな。こわいこわい」
旅立ったときは馬に乗っていたが、この暑さで倒れてしまった。
熱を蓄えた煉瓦の道を踏みしめながら、二人は東方の人間の帝国カンディアへと向かっていた。
「──なあ、グイード。ありゃ早馬かな」
「先頭は騎士みたいやな……」
東方から駆けてくる数騎の騎影。
ただならぬ速度に、二人は警戒をあらわにする。
騎士は、剣を抜いていたのだ。
「おい、ありゃ追われているぜ」
「後ろの連中は、馬人族やで。なんでこんなところに」
後ろから放たれる矢を、騎士は必死に斬り払っていた。
見事な技倆だが、矢の本数が多い。
すでに数本が甲冑に突き立っている。
このままでは、遠からず射殺されるだろう。
「どうするん?」
「おれたちにゃ関係ねえ。雇われたわけでもないし」
ベルトランの回答に魔術師は肩をすくめる。
傭兵というのは、そういうものだ。
疾駆する馬人族の放った矢が、騎士の馬に突き刺さった。
悲鳴を上げて倒れる軍馬。
投げ出された騎士は空中で回転し、衝撃を逃がしながら地面を転がっていく。
そして、その身体が傭兵の目の前で止まった。
「──生きてんのかな」
「普通なら首の骨折ってるんちゃうか」
剣も吹き飛び、鎧はへこみ、兜もずれてしまっている。
だが、身動きしたところを見ると生きてはいるようだ。
「おいおい、おれたちは関係ねえぞ」
六騎の馬人族が、ベルトランたちを取り囲んでいた。
馬人族は、上半身が人間で下半身が馬という半人半獣の魔族だ。
彼らは矢をつがえたまま、警戒するように視線を向けてくる。
傭兵の長大な大剣。
予想される凶悪な破壊力は、獰猛な馬人族をも躊躇わせるには十分だった。
「何者だ、貴様。人間ではなかろう」
隊長格の馬人族が、厳しく誰何の声を発した。
口角を上げる傭兵。
その唇から、獣じみた牙が剥き出しになる。
不意に増した重圧に、馬人族たちも声を失った。
その束の間の静止の間。
ずれを直すのを潔く諦め、騎士が兜を脱ぎ捨てた。
さっと広がる黄金の髪。
翡翠色の瞳が、燃えるように馬人族を睨みつけていた。
「──あちゃ、女やん」
「はっ、運が悪かったな、草原の蛮族」
のそり、とベルトランが一歩前に出た。
危険を感じた馬人族が、一斉に矢を放つ。
轟!
抜き放たれた大剣の一振りで、その矢がことごとく斬り払われた。
慌てる馬人族を尻目に、ベルトランが宙を舞う。
一人が頭蓋から馬体まで両断され、盛大に血飛沫を上げた。
「貴殿は──わたしに助力いただけるのですか?」
戸惑う女騎士に、大剣を担いだベルトランが破顔した。
「困っている女は見過ごせねえ、それだけのことよ!」
「はあ。それでヴァンドゥールの女王に利用されたっちゅうんに、懲りない狼やねえ」
グイードの言葉を耳にした女騎士は、何かに気づいたかのように目を丸くする。
「大剣を手にしたヴァンドゥールの傭兵、まさか猪人族の魔王を討ったという勇者ベルトラン卿?」
「卿なんて大層な柄じゃあねえが、確かにおれがベルトランさ」
「おお、神よ! あなたは帝国を見捨てていなかったのですね!」
「狼やけどな」
翡翠色の瞳に、希望の色が浮かんだ。
やれやれとグイードは嘆息する。
また、厄介事に巻き込まれることになりそうであった。
「何が起きたんや?」
「侵攻です。鬼人族と馬人族が手を結び、帝国に進軍してきました。わたしはヴァンドゥールに援軍を求めに向かうところでした。でも、途中で馬人族の小隊に追われて……」
「ふん、馬人族は女性に対する接し方を知らんようだな。来いよ、おれが若造どもを教育してやるよ」
不敵に笑いながら、ベルトランが手招きする。
馬人族たちが弓を捨て、一斉に剣を抜き放った。
並外れて巨漢のベルトランであるが、馬人族はそれよりさらに大きい。
だが、大剣を構える傭兵に、怯んだ様子は見えなかった。
「油断するな。やつははぐれ狼──裏切りのベルトランだ」
「人間に味方する魔族の面汚しめ……」
「蛇王様もお怒りであろうよ」
ベルトランの正体に気づいた馬人族たちが、憤激の声を上げる。
その声を拾ったベルトランは、やはりなと言うように笑った。
「蛇野郎が糸を引いているのは間違いないようだな。ババアが健在なら、やつに好き勝手させないはずだが……。まあ、いい。下っ端相手にゃもったいねえが、ちょっと運動してやるよ!」
再びの跳躍。
受け止めようと掲げられた剣が砕かれ、また一騎倒れる。
着地したベルトランに、二騎の馬人族が殺到する。
だが、大剣が旋風の如く回転した後、足を失った馬人族は二騎とも地面に衝突し、動けなくなっていた。
「ちいっ、化け物め!」
剣を構えた隊長が突っ込んでくる。
速度と重量の乗った撃ち込みを、ベルトランは真っ向から迎え撃った。
刃と刃の激突。
轟音の後、吹き飛んできたのは隊長の方であった。
「若造が、鍛え方がなってねえんだよ。ちゃんと飯食ってるか?」
振り下ろされた大剣が、隊長の首を刎ねる。
残った一騎は戦意を失い、慌てて遁走に移った。
「逃げられても面倒やっちゅうねん」
黒衣の魔術師が短杖を向けると、その先端から一直線に閃光が走る。
稲妻に撃たれた馬人族は、黒焦げになって倒れ、動く者はいなくなった。
「ありがとうございます、ベルトラン卿。それとそちらは大賢者グイード様ですね。お初にお目にかかります。わたしはカンディアの皇女アルカディアと申します。危ういところを助けていただき、本当にありがとうございました」
女騎士が立ち上がり、優雅に一礼した。
ベルトランとグイードは顔を見合わせ、目を丸くする。
まさか、皇帝の娘とは思わなかったのだ。
「へえっ、姫さんとはね。こいつは驚きだ。あの身のこなし、ただ者じゃねえとは思ったけどよ」
「聞いたことあるで。聖騎士アルカディア、帝国のお転婆皇女殿下って。噂はほんまやったんやな」
無遠慮な感想を漏らす二人に、皇女は気恥ずかしそうに頬を染める。
だが、弛緩したそのとき、思い出したかのように痛みに顔をしかめた。
「ああ、矢が刺さっとるんやったな。手当てせんとあかんやろ。わいがしようか?」
「いえ、これくらい、自分で対処できます」
矢を摑んだアルカディアは、豪胆にも自分で抜き取った。
小さく呻くが、気丈にも声を押し殺す。
甲冑のお陰で深くは刺さっていなかったとはいえ、乱暴な話である。
血が噴き出るかと思いきや、淡い光が彼女の身体を包み、自然と傷が塞がっていった。
「なるほど、聖騎士、ね。たいしたもんだ」
「いえ、お二人に比べれば児戯のようなものです。お恥ずかしい。それより、ヴァンドゥールの英雄たるお二人に、お願いがあるのです。どうか、帝国にお力をお貸し願えませんでしょうか?」
「ああ。魔族の軍が侵攻しているんだったな。どこまで来ているんだ」
「それが……」
アルカディアが口ごもったのは、おのが帝国の不甲斐なさを恥じる気持ちがあったためか。
「すでに、帝都メガロスが包囲されております。このままでは、時間の問題かと」
「おいおい、さすがにそりゃあ、個人でどうこうできる状況じゃねえだろ。なあ、グイード」
「せやな。ヴァンドゥール王国が援軍を起こしても、もう間に合わへん。この旱魃や。何ヶ月も籠城して耐えきれるもんでもないちゅうねん」
二人にそう言われると、目に見えてアルカディアは消沈した。
自分でも、無理を言っているとわかっていたのであろう。
そのしょんぼりした姿を見て、傭兵はため息を吐いた。
「──まあ、他の連中だったらな。だが、おれさまは別さ。いいぜ、皇女殿下。一緒に行ってやるよ。帝都救出、やってやろうじゃないか」
「結局こうなるんやな。物好きなやっちゃ。──ちょっと待ちいな」
ベルトランの安請け合いに軽口を叩こうとしたグイードの表情が引き締まる。
魔術師の制止に、ベルトランも眼光を鋭くした。
魔術師は、注意深くアルカディアの背後の空間に手を翳す。
ばちっと何かが弾けるような音がすると、黒い影がそこに浮かび上がってきた。
「ち、蛇野郎の影か。道理で追手が付いていたわけだぜ」
舌打ちする傭兵。
ぼんやりとした影からは、ただならぬ妖気のようなものがあふれ出している。
中心にある大きなひとつの目は、まっすぐにベルトランを見つめていた。





