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2-20 トイレットペーパー以外は流さないでください

『トイレットペーパー以外は流さないでください』

 トイレの個室に入って目的を遂げたあと、達成感に身をゆだね、便座に座った状態で、ふと前の壁を見る。

 ああ、また誰かがティッシュや何かをトイレに流して詰まらせたのか……

 トイレの下水管は普通と違って曲がりくねってるから、チョットしたモノでも詰まっちゃうらしい。

 俺も気をつけないとな。


 ぶりぶり、ぶりぶり、ぷっ。ぽっちゃん。


 はぁあー、間に合った。

 でも危なかった、ちょっと中身が出かかってたから。


 この世界に生れ落ちて、さんじゅううん年。

 人生で初めて、うんこをもらすところだった。

 やっぱり、朝一番の冷たい牛乳は胃腸への負担がデカかった。


 ***


 そういえば、このあいだ買った牛乳、買いすぎて残っちゃったなぁ。いつまでも冷蔵庫に置いておくのもダメだし。ヤッパリ多少無理しても飲みきっちゃわないとな。大丈夫、なんとかなるさ。


 そんな、ちょっとした気のゆるみが、おれを人生の崖っぷちに追い込んだ。


 いつものように、勤務先の研究所に向かう朝の通勤電車。

 そんな通勤時間帯の、しかも満員の車両で、差し込むような、我慢できない、急な便意をもよおす。


 もしもここで『うんこ』をもらしたら、俺の人生は終わりだ。


 ***


 駅のホーム上にあるトイレの個室は、なぜかいつも満席だ。


 乗っていた電車がホームに着くやいなや、俺はお尻をおさえつつダッシュで階段を降りる。

 目指すは、エキナカのレストラン街に併設されている、場所を知ってる人しか行かない、いや行けない、そんな誰が設計したのか分からない、秘蔵の公共トイレ。


 でも本当に良かった。

 いつも休日にエキナカでショッピングや食事をしてて。

 

 エキナカにある開店前のショッピング街は、この時間帯は通勤客だけだから、心なしか人が少ない。

 俺は、その人通りの少ない街並みをすり足で、そそそとあるく。

 なぜなら、大またで走ったら、必死に押さえている『ふた』が開いてしまうからだ。


 とにかくショックを与えないように、ゆっくりと急ぐ。

 時間がない。

 おれの肛門括約筋の限界は近い。


 テレビで名前の知られているレストランが並ぶ通路の三番目の細い路地を右に曲がって、つぎの角を左に。

 初めてこのトイレに来た時のことが、走馬灯のように思い出される。

 あの時は、トイレを探すのに苦労したが、まだ心にも肛門括約筋にも余裕があった。


 ──でも今は、一分一秒がおしい。


 さあ、そのトビラを開けろ!

 ちょっと見では気が付かない、お洒落な公共トイレのトビラを。


 しかしなんと、公共トイレの中には先客が。

 

 あ! ちょっとまって、おじさん。

 その個室は俺が使う。


 中年のおじさんが個室のトビラに手をかける前に、俺は滑り込むようにして個室に飛び込むと、個室のカギを内側から降ろす。


 ガチャリ!


 カギをかける動作と並行して、俺は便座のカバーを上げて、目にもとまらぬ速さでズボンとパンツを降ろす。


 そうして、便座に座ると。


 いままで固く閉ざしていた肛門括約筋に、力をゆるめるよう、指示をだす。


 お疲れさま、おれの括約筋。

 えらいぞ、括約筋。

 こんど、ご褒美として温泉に連れて行ってやるからな。


 ***


 そんな激闘を戦って、ほっとして気が抜けた、俺。

 そんな俺が、ピントの合わない視線で、個室の前のかべを何気なく見る。


 そこには、こんな文字が大きく書かれた張り紙が無造作にはってあった。


 『トイレットペーパー以外は流さないでください』


 そうか、トイレットペーパー以外は流しちゃいけないのかー。うんこを出したあとの、全身のちからが抜けた状態で、ぼうっとした頭で文字をながめる。


 え?


 ちょっと待って、じゃあ『うんこ』は流しちゃいかんのかい。


 トイレットペーパーでお尻を拭いて、便座から立ち上がって便器を見下ろす。トイレットペーパーの隙間から見える、便器の底に沈んでいる、俺のうんこ。すでに半分くらい溶けかかっている、うんこ。

 俺はそれをじっと見つめる。


 うんこを流さないで、『便所』と言えるのか? でもトイレの張り紙には、トイレットペーパー以外は流すなと、わざわざ書いてある。

 だめだ頭がまわらない。どうしよう、何も考えられない。


 俺は、便座の横についている『流す』ボタンに指を置いて固まった。


 ドン、ドン!


 個室の外では、さっきのおじさんが、俺がこもっている個室のトビラが壊れるぐらい、強くたたきながら叫んでいた。


「きみぃいいい、早くうんこ流して個室から出て来てくれぇええ。わしも、もう限界なんだ。うんこが漏れちゃうぅうう!」


 ***


「教授、ついに完成しましたね。乳酸菌『シロタ株』を『スーパーシロタ666』に変異させるウイルス。これで、日本の資源問題は一気に解決ですね」


「うん、そうじゃな。あとはこのウイルスをどうやって管理・運営するかだな」


 国立の研究機関が立ち並ぶ、研究学園都市の一角。

 窓がほとんどなく、研究室内の気圧が減圧され、細菌が外部に漏れない設計が施されている建物。

 エボラウイルスといった、最高レベルの細菌を扱える、国内屈指のバイオセーフティレベル4の研究施設。


 その施設の中で、細菌が期待通りの挙動をしめすのを電子顕微鏡で確認していた、丸メガネをかけた30歳ぐらいの若い助手。

 そんな彼が、興奮した口調で横に立っている初老の男性に話しかける。彼の髪の毛は真っ白で、伸ばしたあごひげも白かった。


 その老人は、細菌学の世界的権威ではあるが、学界ではちょっと変人で有名でもあった。なぜなら、普通の研究者が考えつかないような細菌を作り出すのをライフワークにしていたからだ。


 今回の彼は、人体に有益な整腸作用もつ細菌を変異させて、人の腸内で元素を再構成させることに成功したのだ。


 この細菌は、食物に含まれる、カリウム、ナトリウム、マグネシウムや鉄といった必須元素を、ミネラルとして体内に吸収するのを助けるだけではなく、腸内で蓄えて、最終的にはうんことして元素のかたまりを排出することができるようになる。


 さらに、微量なミネラルのなかでも、鉄や亜鉛、銅、といった標準的な元素だけではなく、セレン、モリブデン、コバルト、クロムといったレアメタル相当の元素も、うんことして排出される。


 そうすれば、いままで苦労してきたように、諸外国からの輸入に頼る必要がなくなり、必要な元素が『うんこ』から簡単に手に入るようになる。



 スーパーシロタ666株がさらに凄いのは、カーボンナノチューブや高温高圧化でしか生成できないダイアモンドのような炭素の同素体も、原理は不明だが生成できることが実験で確認されたことだ。

 すると、いままで見向きもしなかつた企業から、水面下での問い合わせが急激に増した。



 うんこ工場として選抜された被験者には、乳酸菌をスーパーシロタ666に変異させる特殊ウイルスが含まれたカプセルを飲む。

 そうして、実験中は、対象のミネラルや元素を多く含む食事をひたすらとる。


 すると、数か月後に、りっぱな元素や金属の塊がうんこの中に含まれる。

 被験者は、毎日うんこの中身をチェックして、どんな元素が何グラム含まれているかを報告するのだ。


 必要な量の元素がとれたら、実験終了となる。


 被験者が特殊ウイルス入りカプセルを飲むのを止めると、乳酸菌のスーパーシロタ666への変異が止まるため、自然に行われる代謝により、体の中からスーパーシロタ666が消えていく。

 すると、それ以降、元素を含む『うんこ』は、ふつうのうんこに戻るのだ。


 国立の研究機関が発表した、うんこ実験の結果は、細菌の変異を作る技術もふくめて、世間に賛否両論を巻き起こした。

 しかし、資源の乏しい国にとっては、たとえ『うんこ』からであっても、資源の再利用は有益なものである。そんな観点から、国民の総意としてはスーパーシロタ666を許容する方向に進んでいた矢先。


 ──事故は起きた。


 厳重に管理されていた特殊ウイルス。

 そう、ふつうの乳酸菌をスーパーシロタ666に変異させる、そんな能力をもつ特殊ウイルス。


 それが、あろうことか盗まれて、国内中にばらまかれてしまったのだ。


 本来は、厳重に管理された被験者のみに与えられる特殊ウイルス。

 そんな被験者がするうんこは、普通の下水管では詰まってしまうような、元素や金属が含まれているうんこだ。

 だから、被験者専用のトイレには、被験者のうんこから元素や金属を取り出し、残ったうんこを流すような、特別な仕組みが必要だった。


 しかし、国内中に広まった特殊ウイルスのために、日本人全員の腸内には、スーパーシロタ666が勝手に生まれてしまう。すると、普通の人たちがスーパーシロタ666により生成されるミネラルや金属の入ったうんこをする。


 とうぜん、国内中にある、ぽっちゃん型和式トイレ以外の、家庭や公共の水洗トイレの下水管は直ぐに詰まる。


 ──その結果。


 あらためて日本中の公共トイレに、例のお知らせが、所狭しとはられていった。


 『トイレットペーパー以外は、流さないでください』


 ***


 さて、『うんこ』は何回出てきたでしょうか?

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