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2-19 ストロベリーフィンガー

 天利桃子はイチゴのような味がする指を持った少女だった。幼稚園児の時、イチゴが大好きだった僕は何も考えずに彼女と「ある契約」を交わした。


 それから十年後の高校一年生のクリスマスイブ、学校に登校したクラスで彼女がいないことに気づいた。家出でもなく失踪でもない。僕以外の誰も彼女のことを記憶していない。まるで、最初からこの世界に存在しなかったかのように、忽然と彼女は消えていた。


 僕は彼女をこの世界に取り戻すために、消滅する前の桃子の言葉に従いオカルト部部長の黒崎美沙を訪ねた。


 初めは胡散臭そうに僕のことを観察していた美沙だったが、僕は何とか協力を取り付けることに成功した。だが、それは表面上の話だった。美沙は何かにつれて僕の行動を否定した。だが、僕は少しも気にすることはなかった。どんな代償を払おうとも、この世界に桃子を取り戻すことだけを考えていた。

 小さい頃、イチゴが好きだった。小さかった僕の口に一口で入る甘い果実。少しだけ酸味があって口の中に広がっていく味。潰してミルクをかけて飲むのも好きだった。果汁も美味しいが、粒粒が残った果実部分も食べごたえがある。


 でも、食卓にイチゴが乗るのは稀だった。うちはそれほど裕福じゃなかったのだ。だから飢えていた。いつもお腹を空かしていた。家の中でも幼稚園でも。


「へー、イチゴが好きなんだ」


 天利(あまり)桃子(ももこ)はそう言って笑顔を見せた。悪気は無かったのかもしれない。でも、僕はなんとなく馬鹿にされたような気がした。ムッとして頬を膨らませると、彼女はそっと顔を近づけてくる。


「もしかして怒った?」

「別に!」


 言い返すと、彼女は笑顔のまま人差し指を向けてくる。細くて透明感がある指だった。ほんのりと赤く染められた指に見とれながら、もしかして、仲直りの指きりでもしたいのか? と人差し指を出すと彼女は首を振る。


「舐めてみて」

「えっ? 何で?」

「イチゴの味がするから」


 意味がわからなかった。今なら、絶対に拒否をする。それでも、幼稚園児だった僕は今より素直で今より何も考えていなかった。誰も僕たちのことを見ていないことを確認してからちょっとだけ彼女の指をペロリと舐めた。


 別に期待なんかしていなかった。イチゴの味がするなんておかしいと思っていた。それでも拒否をしなかったのは、ここでヤダ。と言う方が格好悪いように見えたからだった。


「どう?」

「本当だ」


 僕は驚いた。絶対にからかわれていると思っていた。それなのに、彼女の指は甘かった。イチゴの味だったかどうだったかは今ではよくわからない。でも、砂糖のように甘かったことだけは口の中に残っている。


「美味しい?」

「うん」


 少しだけ悔しかったが、僕は素直に返事をした。


「もう少し舐めてもいいよ」


 そう言われたから僕は本当に味がしたかを確かめようとしたら、桃子はスッと指を引っ込める。


「どうしたの?」

「約束して欲しいことがあるんだ。私と」

「約束?」

「うん。大したことじゃないんだけどね」

「わかった」


 この時の僕は何も考えていなかった。約束って意味もよくわかっていなかったし、彼女の出した約束の条件を理解していなかった。友達になってくれって言われた程度のことと思って安易に彼女との約束を承諾してしまったのだ。



  §  §  §


「私は何の話を聞かされたのかしら」


 高校の四階、放課後はオカルト部が占有する視聴覚室。机を挟んだ先に座っているオカルト部の部長である黒崎(くろさき)美沙(みさ)はウンザリしたと言わんばかりの声を出す。墨で塗ったかのような黒い髪を肩まで垂らし日光を拒絶しているかのような白い肌の彼女は、胡散臭そうな視線を僕に向けてくる。


「迷子の子犬のようにフラフラと部室に入ってきたかと思ったら、聞かされたのは幼馴染とののろけ話? 申し訳ないけどそんな話には興味は無いわ。時間の無駄だから帰ってくれないかな君」

「ここからの話が本題なんです」


 僕が言うと、美沙ははぁ、と面倒くさそうにため息をつく。


「怪異とか出てくるの?」

「出てきません」

「呪術は?」

「関係ありません」

「じゃあ、聞く必要は無いわ」

「確かに怨念も呪いも出てきません。ですが、逆の話なんです。何かが現れたわけではなく、消えてしまった話なんです。彼女が。忽然と」

「失踪したって言うの? だったらそれは私の範囲外。今すぐここを出て警察に行くべきね」

「家出の相談じゃありません。彼女は痕跡ごと消えたんです。今まで存在したって」


 それが起きたのは、昨日、クリスマスイブのことだった。いつものように学校に登校すると、いつも先に来ている桃子がいなかった。欠席ではない。彼女の席が無かったのだ。


 クラスメイトたちにそれとなく彼女のことを放してみたが、誰も彼女のことを記憶していない。出席簿を確認しても彼女の名前が載っていない。帰り道、彼女の家に立ち寄った。そして、僕は、彼女の家だったはずの場所に見たこともない人が住んでいるのを知った。その翌日である今日、クリスマスの日にここに来た。僕がそう説明すると、彼女は少しだけ興味を持ったと言わんばかりに頬杖を突く。


「もし、百人のうち九十九人が知らないのに、君だけが知っているっていう人がいたとする。その人物がいなくなった。と主張するならば、私は君に病院に行くことを勧めるよ」

「では、彼女がいたって証拠があれば信じてくれるんですね」

「客観的な、ね」


 美沙は挑発するかのように僕のことを下から見上げる視線を向けてくる。少しだけ興味を持ったように見えるが、もし、ここで少しでも嘘だと思われれば一瞬で見捨てられるだろう。だから、慎重に言葉を選ばなければならない。


「僕がここに来たのは、彼女からの命令に従ったからなのです。もしものことがあれば、オカルト部部長、黒崎美沙、あなたのことを訪ねなさいって」

「命令? まるで下僕ね」


 彼女は独り言を呟く。少しだけ考える様子を見せてから、今、初めて僕に気づいたとばかりにパチクリと瞬きをしてから頬杖を止めて座りなおす。


「今の発言は証拠にならない。客観的ではない。だって、君の幻想がそう君に語ったのかもしれないじゃない」

「では、どうして下僕って言葉が出てきたのですか?」

「何となくキーワードが出てくることってあるじゃない。それだけのことだけど」

「本当は、彼女のことを知っているんじゃないですか? 自分はそう考えているんですけど」

「天利さんだっけ? 知らないわね」


 僕のことを値踏みするかのように見つめてきていた美沙が少しだけ視線を逸らす。きっと、それは彼女の真面目さじゃないかと考えながら話を進める。


「隠していますね。何か」

「そんなわけない。それより、そんなに私のことを知っているなら、どうしてその子はオカルト部に入らなかったのよ。いなくなってから、私のことを頼ろうとするの? あまりにも虫がいいと思わない?」

「それは、そうですね。でも、そうできなかった理由があるんだと思います」


 桃子は自分に何かあったら美沙のことを頼れ、と言いながらも自分では積極的に関わろうとしなかった。どちらかと言えば避けていたし恐れているようにも感じられた。自分がいなくなるかもしれないことに不安を抱きながらも、美沙に近づこうとはしなかった。


『もし私が、パッと消えちゃったら覚えていてくれる?』


 桃子はそんな話をよくした。自分が存在しない世界線の話のことを怖がっていながらも、しばしば口にした。もしかしたら、彼女はそうやって僕に話すことで自分自身が消えてしまうかもしれない恐怖を誤魔化していたのかもしれない。


「で、それもちゃんと説明できるの?」

「はい。黒崎先輩が天利さんの消失にかかわっているからです」

「私が?」

「そうです。あなたが、天利さんを消したんです」


 僕が言うと、美沙はクスクスと嗤う。


「それは絶対に間違っている。断言していい。私は彼女の消失になんかかかわっていない。かかわりたくもない。そんな厄介ごと。それにしても今の発言は失敗だったね。言うに事欠いて私が彼女のことを消しただなんて」

「どうして失言になるんですか?」

「当たり前じゃない。私は私のことを全て知っている。嘘か本当か、客観的根拠を必要とせず真偽を判断できるんだから」


 美沙は勝ち誇ったように言う。確かに彼女の言っていることは正しい。でも、彼女は間違いを犯している。


「では、どうして、()()()()、なんて言ったんですか?」

「何を言っているんだ? 君は」

「黒崎先輩、あなたの発言は全て天利桃子という人間を知っていることを前提に話しているように聞こえます」

「それは、君の受け取り方の問題だよ」


 美沙は反論するが、先程までの勢いはない。もう一押しで彼女は僕の発言を認めざるを得ない。そう考えながら僕はある予想を実現させるべく彼女のことを問い詰める。


「先輩が天利さんのことを知らないと言うならば証明してください」

「無理だよ。それは悪魔の証明だ。知っていることの証明は簡単だ。一つの例を挙げればいい。だが、知らないことは証明しようがない」

「では、僕が先輩が天利さんのことを知っていると証明してもいいんですね」

「できるならね」


 美沙には自信があるように見えた。どうせ、そんなことは出来っこない。そんな心の奥底が見て取れる。だが、もう賽は投げられた。勝負するしかない。


「では、手を貸してください」

「手と彼女の何が関係するんだ?」

「舐めさせてもらいます。イチゴの味がするか」

「なっ! それはセクハラだ。失礼だよ君は」


 美沙は机をバンと叩いて立ち上がる。そして、僕のことを一瞥して部室から出ていこうとする。


「指のことを広めてもいいんですか?」


 僕が声をかけると、美沙は凍ったかのように立ち止まる。


「やはり、先輩も彼女と同じだったんですね」

「同じというわけではない」


 美沙はそう言うと、机の上に腰を掛ける。そして僕に向かって左手の人差し指を突きつけてくる。


「手伝ってくれるんですね。彼女のこと」

「わかってるの? これは契約だって。君は魂の一片すら残らず喰い尽くされることになるって」

「彼女を取り戻すためには仕方がありません。それに僕は既に契約済みです。今更、誰に魂を喰われるかなんて気にする必要性がありません」


 僕が精一杯の笑みを作りながら言うと、彼女は目を細めて僕のことを睨み続けていた。

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