2-15 スパダリご主人様は「白い結婚」をご所望です!
メリッサは、小説を書くのに夢中になるあまり、25歳になっても独身のままだった。そんな時、先に結婚した妹が病死し、同じ家に後妻として嫁ぐ話が浮上する。夫となるバートは、非の打ち所がない完璧な男性。直接会って彼の人となりを知り、メリッサの心も動かされたが、彼はとんでもない提案をした。「白い結婚(性交渉を伴わない婚姻関係のこと)にしよう」。本を正せば、遠因を作ったのはメリッサ自身なのだが、この時の彼女は知る由もなかった。
夢と現実の間でもがく行き遅れ令嬢とスパダリなのに朴念仁な紳士が織りなす勘違いラブコメディ。
一年前は喪服で、今回はよそ行き姿で同じ道を通っている。運命とはかようにも皮肉なものなのか。メリッサ・ベイカーは、悲鳴を上げるお尻をさすりながらそんなことを考えていた。
結婚して家を出た妹のセレナが流行り病で亡くなってから一年、喪が明けるのを待って姉のメリッサが後妻として嫁ぐことになった。自分の知らないところでとんとん拍子に話が進み、二日かけて馬車に揺られながら相手の家へ挨拶に向かうところである。
狭い馬車に両親と一緒に押し込められて機嫌がいいわけがない。折しも、国内随一の穀倉地帯を通過中で、窓の景色はずっと変わり映えのしない黄金色の小麦畑のままだった。
「メリッサ、お願いだから、到着したら愛想よくしてよね? 今みたいな仏頂面はやめてちょうだい」
「私もセレナも、替えの利く部品でしかないってことね。ありがたくて涙が出るわ!」
「セレナのことは残念だったけど、いつまでも悲しんではいられない。前を向いて歩かなきゃ」
「おまけに行かず後家の娘を簡単に片付けられるし、いいことずくめよね」
「いい加減にしなさい! もうその話は散々したでしょ!」
確かに、連れ合いに先立たれた場合、その兄弟と再婚するケースは珍しくない。それでも、自分がチェスの駒になるのは胸糞悪い。
大体、相手も相手だ。なぜこんな条件を飲んだのだろう。妹のセレナとはまるっきり性格が違う自分を娶りたいと聞いた時は耳を疑った。前に会った時の彼の印象は悪くなかっただけに、不可解な気持ちが拭えない。
「……本来なら向こうから挨拶に来るべきじゃない。どうしてこちらから行くの?」
「収穫期の今が一番忙しいから仕方ない。それに子供を置きっぱなしにできんだろう」
「そうよ。ハリーはまだ4歳なのよ? あの子を母なし子にしてもいいの? 可哀想すぎるわ」
「私、子供の扱いなんて知らない。第一産んだこともないし」
「そんなの、一つ屋根の下で暮らすうちに慣れるわよ。誰だってみな同じよ」
セレナにはハリーという忘れ形見がいるが、メリッサはまだ数回しか会ったことはない。自分の腹を痛めて産んだ子と他人の子を一緒にされては困る。それに、正直言って子供は苦手だ。我ながら心が狭いとは思うが、うまくやれる自信はない。
やっと穀倉地帯を抜けラッセル家に到着した。ラッセル家は、先祖代々小麦の卸売商として財を成している。全国各地に手を広げ、首都にも大きな事務所があると聞く。ここ一帯では知らぬ者がいない旧家だ。
敷地に入っても邸宅に着くまでしばらくの時間を要した。父は「何て広いんだ。うちよりもずっと立派だな」と感心したように呟いたがメリッサは無視した。どうせ娘の機嫌を取るための一言だろうと看破したからだ。
馬車が停まり、狭い馬車からようやく解放される。メリッサはぐんと背筋を伸ばし、外の空気を肺一杯に吸い込んだ。目の前に広がるラッセル邸はいつ見ても荘厳で立派だ。
その時、一人の紳士が家の中から現れ、両手を広げてメリッサたちを迎えた。
「遠方からようこそおいで下さいました。長旅で疲れたでしょう。どうぞ中にお入り下さい」
心地のいい低い声に、3人は一斉に振り向いた。ラッセル家の当主で、セレナの元夫で、これからメリッサの夫となる予定のバート・ラッセル、その人だ。
「これはこれは、一年ぶりですね。ラッセルさんもお変わりないですか?」
「ええ、私もハリーも何とか元気でやってます。仕事と時間が悲しみを癒してくれました」
バート・ラッセルは30歳と聞くが、目を細めると目尻に皺が寄る。若々しい顔立ちには不釣り合いだが、そこに不思議な魅力がないと言ったら嘘になる。メリッサは反発したい気持ちを抑えながら彼をそっと観察した。
アッシュブラウンの髪に切れ長のグレーの目、高い鼻梁に薄い唇。若い頃は散々モテたのでは。今だって再婚相手にと志願する女性は多そう。それがなぜ平凡な容姿の自分と? 我ごとながら、いくら考えても謎が尽きない。
「本来なら私が出向くところを無理を言って申し訳ありません。メリッサ嬢もわざわざありがとうございます。ご気分はどうですか?」
「ええ、大丈夫ですわ。お気遣いどうも」
メリッサは本音を隠しておしとやかに答えた。母に釘を刺されたからではないが、どういうわけか、以前からバート相手だと調子が狂う。
そこへ、小柄の神経質そうな婦人が玄関から顔を出した。逆光のせいかやぶにらみするような表情でこちらを見ている。バートの母のフィオナだ。
「いつまで客人を外に立たせているのです? 早く中に入ってもらいなさい!」
バートは素直に従い、メリッサたちを豪華な応接室に招き入れた。どうやって中に入れたのか分からない大きな欅のテーブルが中央に置かれ、同じ素材のソファも重厚なデザインだ。家具や調度品からも、ラッセル家の繁栄ぶりがうかがえる。
しかし、感心する暇はなかった。席につきお茶を振る舞われるや否や、フィオナの単刀直入な質問が飛んできた。
「あなたがメリッサ? セレナとは似てないのね?」
「え、ええ。姉妹と言っても、見た目も性格も違うので。セレナの方が家庭的と言うか――」
「なぜ妹の方が先に結婚したの? 25まで独身だったのはなぜ?」
勝ち気なメリッサが思わず口ごもる。何だ何だ、おっとりした性格のセレナはこんな難物を相手にしてたのか? 隣の父が慌てて口を開きかけたが、それを遮るようにメリッサは早口でまくしたてた。
「実は物書きをやってまして、小説家を目指していたんです。夢中になるあまり婚期を逃してしまって――」
「女だてらに小説家ですって?」
正面のフィオナが顔をしかめ、視界の端で両親ががっくりとうなだれるのが見える。メリッサは驚きで心臓が止まりそうになった。
「よく平然と打ち明けられたわね! ラッセル家の嫁として教育し直さないと!」
「私たちも漫然と遊ばせていたわけではありません! 妻の心得はしっかり教え込みましたから!」
呆れ果てるフィオナに父が冷や汗をかきながら弁明する。そんなに恥ずかしいことなの? 自分自身が否定されたような、釈然としない気持ちに包まれる。別に肯定されようとも思わないが、そこまで言われる謂れはない。
そこへ楔を打つように、バートが言葉を挟んだ。
「もうその辺でいいでしょう。最終的に決めるのは私ですから。メリッサさん。ちょっと外を歩きませんか? 空気を変えて二人きりで話をしましょう」
「は、はい!」
柔和な物腰とは裏腹な有無を言わせない物言いに、メリッサだけでなくみながはっと息を呑む。母親のフィオナもそれ以上何も言えず息子に従うしかなかった。
バートは、夏の花が咲き誇る庭にメリッサを誘った。ラベンダーにサルビアにデルフィニウム……自然に任せているようでいて、実は丁寧に手入れされている。目に映る鮮やかな色の洪水に、メリッサの心は落ち着きを取り戻した。
「母はああ言ってましたが、別々に暮らしているので安心してください。余計な手出しはさせません。それに、さっきの話も実は知ってました」
「ええ? 物書きのことですか?」
「その……前にセレナが話してたんです。もしよければ私にも読ませてもらえませんか? 読書は好きなので」
「と言うことは、反対しない……?」
「私こそあなたに色々な役割を押し付ける形になる。家の管理もハリーの世話も……だからこそあなたが大切にしているものを奪うわけにはいかない」
メリッサは感極まってしばらく言葉が出てこなかった。もしかしたらこの結婚はいい方向に向かうかもしれない。この人のためなら頑張れる気がする。そんな希望を抱いた途端、次に言われた言葉に息を飲んだ。
「だから、当分の間は『白い結婚』としましょう。その方があなたもきっと安心だと思う」
「は……? しろいけっこん?」
なぜその言葉をバートが知っているのか? なぜそんな提案をしたのか? 家の仕事と母の役割だけ押し付けて、女としての自分には期待してないと……? メリッサは気が動転して頭の中が真っ白になった。なぜか胸がちくりと痛む。すぐに疑問をぶつければよかったのに、上げて落とされたショックで何も考えられない。
(なーんだ。やっぱり私は大事にされないんだ。まだセレナのことが忘れられないのかもしれない。考えてみれば当然よね)
これ以上自尊心を傷つけたくなくて、彼女は口をつぐんだ。彼女の性格から言って、猛然と反論してもよかったのに、なぜかそんな気持ちになれない。
何も期待してなかったはずなのに、異常に落ち込む自分を不思議そうに眺める、もう一人の自分がいた。
☆★☆
遡ること一年近く前、バートは亡き妻セレナの遺品を整理していた。机の引き出しからびっしりと文字が書かれた紙の束が出てきて、驚きながら手に取る。
(何だこれは? メリッサ・ベイカー著だと? セレナの姉じゃないか。そう言えば、小説を書いていると言ってたっけ)
ふと興味を持ってバートはそばにあったセレナの椅子に腰を下ろし読み始めた。メリッサの丁寧な筆跡で綴られた物語は、どうやらロマンス小説らしい。眉目秀麗のヒーローが恋心を隠してヒロインに白い結婚を提案するところで手が止まった。
(白い結婚って何だ? 女性はこういうものを好むのか? いやはや、男と女は違うものだな……)
見た目にそぐわずバートは女性経験が少ない、いわゆる朴念仁だった。女性を丁重に扱うことの大切さをここで学んだのだが――。これが、全ての勘違いの始まりだった。





