2-09 ゾンビの方がまだマシだった
人類は、1億人を残して掻き消えた。
文明は保てなくなったが、衣食住は足り過ぎている。
生きる為に何もしなくて良い、求められる事はひたすらにシンプルに成り果てた。
大半の仕事が無価値になった。これまでの生き方を全て捨てなければいけない人も居た。
絶望すらない絶望。長閑なバッドエンド。
けれど。
受け入れられないからと言って、ゾンビの方がまだマシだった、なんて言ってはおしまいだと僕は思う。
おおよそ80分の1。それが、残された人類の比率だった。
ある日、唐突に人類はそこまで数を減らした。派手な事など何も起きずに、大半の……80分の79の何の法則性もなく選ばれた人間達は、神隠しに遭ったかのように、着ていた服ごと、はたまた乗っていた車ごと消え失せた。
それから一年後。
全てのインフラはとうに断絶し、消えた人達がどこかから帰って来るような事もなく、如何様にせよ事実を受け入れざるを得なくなった頃。
残された人達はちまちまと集まって、使い切れる事などない資源を潤沢に使いながらも、自給自足の生活をし始めていた。
*
「成瀬。またこんな灯りで本を読んで。この時代に目が悪くなったらきついぞ?」
夜に懐中電灯の灯りで本を読んでいると、世間話をしたいように隣に井上さんが座って来た。
50歳くらいの、ぽっちゃりとした体型の人。
「明日は何するんだ?」
僕は本から顔を上げて返す。
「宮田さんの付き添いです。この頃、鹿とか猪とかがまた増えてきているみたいだから」
「ああ……毎度の事だが、気をつけろよ」
同情するような目を向けられる。
「別に宮田さん、そんな事しないけどね」
宮田さんは時に猟銃を持って、こんな大都会にすら降りて来るようになってしまった害獣などを仕留める係の人だ。
猟師でもない宮田さんにその役割が与えられた理由は、彼自身が女性に興味を持たないから……女性は襲わないとカミングアウトして、女性からの票を集めたから。
それもあって、この小学校で共同生活する人達とは少し離れた場所で、一人で暮らしている。
「いやでも、俺達にとっては、うん。力を持った人間は何をするか分からねえからな。気をつけろよ」
「……はい」
実は宮田さんがそういう人では無い。それを知っているのは僕くらいなものだった。
そして宮田さんと会うのは楽しみでもあった。本などには全く興味を持たずに、毎日を毎日としてしか過ごしていない井上さんより、会話の幅がとても広いから。
「それで、今日はどんな事をしたんだ?」
「花屋とかから肥料とか色々集めてました。畑ももっと広げる予定ですし、んまあ……肥溜めも作ろうかって話もあるんです」
「肥溜めぇ?」
けれど、そんな認識を井上さんに持っている事は勿論隠しながら、僕はそこから他愛ない話を一時間くらい話した後に自然とまた別れて、僕も寝る事にする。
時間まだ、21時前だった。
灯りを消して、布団に入ってしまえば。
外は真っ暗で、耳から静寂の音が聞こえるくらいにとても静かだった。
*
コケコッコー!!
目覚まし時計より先に鶏の鳴き声で目が覚めて、体を起こす。朝の5時。
東京の一角。集団生活にうってつけな小学校の中。
人口が80分の1になったとはいえ、日本最大の人口密集地帯であったこの東京にはマンパワーがある。
インフラが維持出来なくても、ガソリンやガスといった資源はあるだけしかないとしても、出来る事は色々あった。
まずは調理室に行って、炊事をしている人達から朝ごはんを頂く。
古々々米になるまでにも使いきれないだけあるご飯と、それから味噌汁。味噌汁の中身は乾燥わかめとかばっかりだけれど、具沢山。
それから、飼っている鶏からの目玉焼きと、まだ数多くは作れていない猪のベーコンも。
「今日は宮田さんと熊の解体までするんでしょ。頑張ってね、って事でサービス」
妙に含みのある言葉だけれど、黙っておく事にした。
飼っている沢山の鶏の鳴き声を聞きながら、宮田さんの分の弁当も持って、小学校を出る。
閑静過ぎる住宅街。大通りから車の音が聞こえる事もなく、たった1年で雑草が生え散らかしたアスファルトの道。
忽然と人だけが消えて、家に閉じ込められた犬や猫、そして一人残された赤子も見つけた頃にはとうに餓死していた。
また大病を患いながらも消えなかった人達は、今やもう殆どが治療を継続出来ずに亡くなっている。
軽い傷でもそこからばい菌が入ったら。それに抗生物質を使えなくなる時も遠くない内に来る。
80分の1というのは、人類が築き上げてきた土台を塵にするのには十分過ぎた。
程なくしてアパートに着く。宮田さんが元から住んでいた、一人暮らし用の小さなアパート。
「宮田さーん! 成瀬ですー! 今日の手伝いにきましたー!」
声を上げると、少しの間を置いてベランダの窓が開いた。
ボサボサの髪の毛。ヨレヨレな衣服。覇気のない顔。1年以上経った今でも、くたびれた社会人の風貌のままの宮田さん。見た目の年齢は40歳近く。
「おはよう」
宮田さんが朝ご飯を食べた後に、車で各地の畑の罠を見に行く。
ガソリンはまだ、どうにか使えるものが残っている。
「昨日は何の本を読んでたんだ?」
「砂糖の歴史の本を読んでいました。早々に足りなくなる事なんてないでしょうけど、塩より作るの難しそうですし。
一つの畑では甜菜も育て始めてるんですよ?」
「将来のこと、きちんと考えてるんだな」
遠い目をする宮田さんは、パソコンを使ってテレワークをしていた職種の人だったようだった。家の中に入らせて貰ったこともあるけれど、家の中にはゲーム機が複数置いてあって、フィギュアとかポスターとかも沢山あったりして。
コミケとかにも良く行っていたらしい。
「最近、寝れていますか?」
その宮田さんには目の隈が強くあった。余り眠れていないようだった。
「……いや。
…………一年経ったら、また何事もなかったように戻ってくるんじゃねえかなって、俺は結構期待していたみたいでなあ。
この世界を受け入れなければいけないって改めて突きつけられたようで、辛い」
簡易な発電機で賄える分だけなら電気もあるから、パソコンやスマホも使える。けれど、インターネットなんてものは使えるはずもないから、ただの計算ツールとしてだけ。
世界の裏側とでも一瞬で繋がれる。日本国内の情報がリアルタイムで分かる。そんなインフラを土台として働いて、仕事も趣味もそれに頼りっきりだった宮田さんは、この変貌してしまった世界に今でも着いていけてなかった。
「ゾンビの方がまだマシだった」
宮田さんが、ぼそりと呟いた。
「ゾンビ?」
「万一の時には、俺は一応、悪意のある人間を撃つような役割も持たされていた訳じゃないか。
けれど、そんな事なんて全く起きる気配もない。当然だよな? 衣食住には困らない訳だから、そんな切羽詰まる、なんて事がまず無い訳で」
「……」
「言っておくが、銃で人間を撃ちたかったとか、そういう事じゃない。
俺が言いたいのは、俺達はただゼロに戻されただけなんだって事だよ。マイナスではなく、ゼロになった。それは、マイナスに吹き飛ぶよりもある意味絶望的だって事だ」
「……ゾンビというマイナスが起きたなら、それを滅して平和と取り戻そうとする、みたいな感じです?」
「そうだな。絶望があるから希望がある。けれど、俺達に起きた事には、そんな反転するような希望なんてこれっぽっちも無いじゃないか。
こなくそ! って思えるような怒りも、絶対に生き延びてやる! というような意志が湧くような事もない。だから、今や俺達に求められる事は、究極的に言ってしまえば、子供をばんばん作って育てる事だけだろ? 守るとか、戦うとか、追い求めるとか、そんな事何にも必要無く、ただ礎になる事を求められる。
絶望的に平和で、長閑なんだよ、この世界は」
そう言い切った途端。ばすんばすんと車が異音を立て始めた。
「ガソリンも、流石に寿命か……」
宮田さんの顔は、更につまらなさそうになっていた。
調子の悪くなって来た車に鞭を打ちながら、罠に掛かっていた鹿やらを締めて、血抜きをしてから小学校に持っていくのを何度も繰り返す。まだ幸いにも熊までは出ていないけれど、きっとその内、対処する必要が出てきてもおかしくはないと思う。
夏も過ぎ去った涼しい季節といえど、汗だくになって、まだ不慣れな僕には服とかにも少し返り血がついてしまって。
けれど今日の分の対応が終わると、汗だくになったのは同じはずの宮田さんは、小学校に作ったお風呂にも入らずに、さっさと自宅へと帰ってしまった。
ただ単純に、人付き合いが苦手だから。集まっている人達と反りが合わなさそうだから。それだけで宮田さんは嘘を吐いてまで一人になろうとした。
「おう、何もされなかったか?」
後ろから井上さんが声を掛けて来た。
「まあ。今日もひとまずは」
会話を合わせて、つまらない事を話し合う。
……けれども、宮田さんの選択は賢いものじゃない。
言ってしまえば、宮田さんは世界が変わってしまった事をただ一人受け入れられていない。そして、そのままそうやって生きるにしては、残された時間は長過ぎる。
そういう意味では、井上さんのようにデリカシーに欠けていても、共同体の一つとして溌剌と働けている方がよっぽど良い。
「まだ明るいしさ、風呂入って飯食ったらさ、黒川と熱田と麻雀しようじゃねえか」
「あれ、熱田さんって確か、今日は風呂の掃除当番では?」
「細かい事覚えてんなあ。この前の麻雀の罰ゲームで大塚に押し付けたんだよ。だから大丈夫だ」
「なるほど」
「お前にゃ賭け事はまだ早いけどな。ほら、さっさと風呂入ってこい」
背中をばんばんと叩かれながら、今日という日を終える。
この絶望的に長閑な世界がどこまで続くのか、僕には何も分からないまま。
なあなあと、だらだらと。
そんなままに冬も過ぎた頃。とうとう、車の殆どが動かせなくなってしまった頃。
宮田さんが珍しく小学校まで来て、僕を呼んだ。





